第15話 冒険者の街
丘を越えたところで、街が見えた。エリアスは足を止め、思わず目を細める。
ここしばらく巡っていた農村や小集落とは、まず大きさが違った。高い外壁の向こうに屋根が幾重にも重なり、そのさらに奥では煙突から細い煙がいくつも伸びている。街へ続く道には荷馬車が列を作り、徒歩の旅人に混じって、剣や槍を背負った人間の姿が目立った。
すれ違う一団の荷車には、巨大な獣の牙らしきものまで括りつけられている。
「おお……」
最近は洗濯物だの鍋だの畑だのばかり見ていた。
もちろん、それはそれで面白かった。旅鞄の中には泥離しについてまとめた論文だけでなく、布あおぎ、火均し、蔵風、畝ほぐしについて書き込んだ紙まで増えている。
だが、ここは明らかに違う。武器、革鎧、傷だらけの盾に泥のついた長靴。武装した連中が、牙を積んだ荷馬車と一緒に妙に機嫌よく街へ帰っていく。
「冒険者の街か」
悪くない。いや、かなりいい。
知らない魔法がありそうだし、飯も酒もありそうだ。それに人がこれだけいるなら、旅費を稼ぐ仕事にも困らないだろう。
エリアスは機嫌よく坂を下った。
◯
街へ入った途端、耳に飛び込んでくる音まで変わった。
金属を打つ音。馬のいななき。荷車の車輪。呼び込みの声。通りの端では、血の跡がまだ残っている毛皮を商人が値踏みしている。
飲食店も多く、肉を焼く匂いにエリアスの足がそちらへ向きかけた。昼飯には少し早いが、食べてはいけない理由もない。
それでも、まずは仕事だ。金を稼いでから食えば、もっと気分がいい。
旅人や冒険者向けの依頼を扱う建物は、探すまでもなく見つかった。出入りしている人間の大半が武装している。
中へ入ると、壁には紙が何枚も貼られていた。
採取、荷運び、周辺の警戒、魔物討伐、護衛。エリアスは一通り眺め、自然と報酬額の大きい紙で目を止めた。
「これ、悪くないな」
街道を進む隊商の護衛だった。
この先にある危険区域を抜けるまで同行する仕事で、最近は大型の魔物が周辺に出ているらしい。遭遇した場合には、安全確保または討伐も求められる。
報酬も悪くない。
旅の方向とも大きくずれていなかった。
「これにするか」
申し出ると、単独での依頼ではなく、その場で他の冒険者と組むことになった。
エリアスとしても異論はない。
護衛の経験などほとんどないのだから、経験者がいるならありがたい。
待ち合わせ場所へ行くと、先に三人ほど集まっていた。
一番目についたのは、肩幅の広い男だった。使い込まれた剣と盾を持ち、装備にも余計な飾りがない。
男はエリアスを見ると、まず杖と荷物へ目をやった。
「魔法使いか?」
「そう」
「護衛は?」
「ほとんど初めて」
正直に答えると、男は少しだけ眉を上げた。
「ずいぶん堂々と言うな」
「知らないものを知ってるふりしても仕方ないだろ」
「それはそうだ」
男は短く笑った。
「ガレス。今回は俺が前をまとめる」
「エリアス」
握手を交わす。
その横から、別の声がした。
「ねえ」
振り向く。
女だった。
旅装の上から軽い防具を身につけ、腰には短めの刃物。長い武器を振り回すタイプには見えない。身軽さを優先した格好で、立っているだけでも周囲をよく見ているのが分かった。
そして、美人だった。
エリアスの視線が一瞬だけ止まる。
女が片眉を上げた。
「今、装備見てた?」
「途中から顔を見てた」
「正直ね」
「美人だったから」
ガレスが隣で小さく息を吐いた。
女は呆れた顔をしたものの、怒ってはいなかった。
「イネス」
「エリアス」
「それはさっき聞いた」
「じゃあもう覚えてくれたな」
「忘れにくそうではあるわね」
悪くない反応だった。
エリアスは少しだけ口元を緩める。
美人で、話も早い。
かなり好みだ。
ただ、今は仕事が先だった。
ガレスが残りの面子も含めて役割を確認していく。
イネスは斥候。追跡と索敵を担当するらしい。
ガレスがエリアスへ向き直った。
「で、魔法は何が使える?」
「何が必要?」
「いや、だから得意なのを聞いてる」
エリアスは少し考えた。得意と言われると、かえって難しい。
「大体は使える」
「一番信用しにくい答えが来たな」
「師匠に一通り叩き込まれたから」
「師匠?」
「アドルフ・ヴァイス」
空気が止まった。
ガレスが黙る。
イネスもこちらを見る。
「……アドルフ・ヴァイスって」
「たぶん今考えてるやつで合ってる。俺、最後の弟子」
数秒の沈黙のあと、ガレスが額を押さえた。
「先に言え」
「聞かれなかった」
「普通は言うだろ」
「肩書を言いながら歩く趣味はない」
イネスが吹き出した。
「大賢者の弟子が、さっきから女の顔見てるんだけど」
「大賢者の弟子でも美人は見る」
「そこは変わらないのね」
「師匠から女を見るなとは習ってない」
「何を習ったのよ」
「魔法」
「でしょうね」
ガレスが咳払いした。
「……話は分かった。ただ、肩書だけで隊商の役割は決められん。悪いが、一つ見せてくれ」
「いいよ。何をすればいい?」
ガレスは足元に転がっていた拳ほどの石を拾い、少し離れた地面へ置いた。
「あれを割れるか?」
「それだけ?」
「まずはな」
エリアスが石へ指先を向ける。
ほんの一瞬、魔力が収束した。
次の瞬間、細く絞られた風が石の中央を正確に打ち抜く。
石は弾け飛ぶこともなく、乾いた音を立てて二つに割れた。
ガレスは割れた石とエリアスを交互に見た。
「……十分だ」
「そう?」
「威力より、あれだけ絞って外さない方が分かりやすい」
ガレスは改めてエリアスを見た。
「戦えるなら助かる。大型が出たら火力はお前に頼むことになる」
「分かった」
「ただ、道中はこっちの判断に従ってくれ。護衛は魔物をぶっ飛ばせば終わりって仕事じゃない」
エリアスは素直に頷いた。
「そのつもり。護衛についてはそっちの方が詳しい」
ガレスは少し意外そうな顔をしたが、すぐに頷き返した。
「なら問題ない」
エリアスとしても、本当にそのつもりだった。
魔法と戦闘には自信がある。だが、荷馬車の並べ方も、休む場所の選び方も、危険な場所での人の配置も知らない。そこは経験者に任せる方が早いし、楽だった。
◯
出発前、隊商の荷馬車が通りへ並べられていった。
エリアスは自分の荷物を確認したあと、少し離れた場所でイネスがしゃがみ込んでいることに気づいた。
地面へ指先を近づけ、何かを探しているらしい。ごく小さく魔力が動いた瞬間、エリアスは足を止めた。
「今の、何?」
イネスが顔を上げる。
「何って?」
「魔法」
「ああ、これ?」
もう一度。
地面へ弱い魔力が流れた。
強い術ではない。土を動かすわけでも、何かを浮かび上がらせるわけでもない。それでも魔法式は確かに組まれていて、エリアスの知る探知魔法とは少し違っていた。
エリアスの知っている探知魔法とは考え方が違う。
「何を見る魔法?」
「跡」
「跡?」
「荷車とか、人とか、獣とか。何がどっちへ動いたか見るときに使うの」
イネスはそれだけ言って立ち上がった。
「詳しく知りたい?」
「かなり」
「仕事中に暇があったらね」
「絶対聞く」
「さっきまで私の顔見てたのに?」
「美人と魔法なら両方見る」
「忙しい人ね」
イネスは笑って、隊商の先頭へ歩いていった。
エリアスはその背中を見送り――すぐに地面へ視線を落とした。
今の術は、戦闘用ではない。農村で見てきた家事や農作業の魔法とも違い、追跡という冒険者の仕事のために使われている。
「……そんなのまであるのか」
思わず笑う。
旅鞄の中には、すでに何枚もの記録が入っている。
だが、まだ足りないらしい。
隊商が動き始めた。
エリアスは慌てて顔を上げ、イネスたちの後を追う。
街門の向こうには、危険区域へ続く街道が伸びていた。
その道の上にも、まだ自分の知らない魔法が落ちているらしかった。




