第12話 畑と家畜の魔法
東へ向かう街道を進んでいるうちに、エリアスは妙なことに気づいた。自分の名前を知らないはずの農村で、向こうから声をかけられるようになっている。
「兄ちゃん、魔法使いなんだって?」
畑の脇を通りかかったところで、鍬を肩に担いだ男に呼び止められた。
「そうだけど」
「北の村で、えらく細かい魔法を見る若いのがいるって聞いたぞ」
「その説明で俺だと分かるのか?」
「あと、美人の行商人を口説いてるって」
「そっちまで伝わってるのかよ」
どうやら村から村へ移動しているのは、自分だけではないらしい。
人も荷も噂も、街道を通っている。
男は笑いながら、畑の中央を指さした。
「腕がいいとも聞いた」
「そこはもっと大きな声で広めてくれ」
「じゃあ、あれ動かせるか?」
指の先には、畑から半分だけ顔を出した大きな石があった。
周囲だけ土が掘り返されている。何度か人の手でどかそうとしたらしい。
エリアスは石を見る。
次に男を見る。
「仕事なら金はもらうぞ」
「やっぱり取るのか」
「腕がいいって聞いたんだろ?」
「違いない」
男は笑って、金額を提示した。
高くはない。
だが、昼飯代くらいにはなる。
「それでいい」
エリアスは畑へ入った。
石そのものを力任せに持ち上げる必要はない。
周囲の土だけを緩め、下に残った土を少しずつ逃がす。石が動き始めたところで支えを作り、畑の外まで転がせばいい。
土が低く鳴った。
石の周囲に細い亀裂が走る。
「お、おい。畑まで崩すなよ」
「崩さないって」
必要な範囲だけ。
根の張っていない位置を選び、土の抵抗を減らす。
石がゆっくり傾いた。
そこへ力を加える。
大石は、拍子抜けするほどあっさりと土から抜けた。
「ほら」
そのまま畑の端まで運ぶ。
男は石とエリアスを交互に見た。
「……半日かけても動かなかったんだぞ」
「俺は腕がいいからな」
「自分で言うか?」
「金をもらうんだから、それくらい言わせろ」
受け取った硬貨を確認して、エリアスは満足して懐へ入れた。
すると、隣の畑から別の声が飛んできた。
「魔法使いの兄ちゃん!」
「嫌な予感がするな」
「こっちも頼めるか!」
予感は当たった。
◯
昼になる頃には、エリアスは三つの仕事を片づけていた。
傾いていた柵の支柱を起こし、周囲の土を締め直した。
ぬかるみにはまっていた荷車は、車輪の下だけ地面を安定させて押し出した。
ついでに外れかけていた車輪まで直してくれと言われたが、それは魔法より職人を呼んだ方がいいと断った。
「何でもできるわけじゃないぞ」
「大賢者の弟子でもか?」
「大賢者の弟子だからって車輪の軸まで専門になるか」
そんなやり取りをしているうちに、働いていた農家の一人が昼食へ誘ってくれた。
金は仕事の分として受け取った。食事は食事で、ありがたくいただく。
焼いた芋と塩漬け肉、豆の入った薄いスープ。それに固めのパン。
豪勢ではない。
だが朝から歩き回ったあとには、十分うまかった。
「これも食え」
「いいのか?」
「石どけてもらったからな」
「それなら金ももらったぞ」
「飯くらい別にいいだろ」
「じゃあ遠慮なく」
エリアスが二個目の芋へ手を伸ばしたところで、畑の端にいた女がしゃがみ込んだ。
指先を土へ向ける。
わずかに魔力が動いた。
「……ん?」
エリアスの手が止まった。
女の前には、細く盛られた畝がある。
表面の土だけが、さらりと崩れた。
畝の形はそのままで、植わっている作物も揺れていない。固まりかけていた表面だけが、細かくほぐれている。
「今の何?」
芋を持ったまま近づくと、女が顔を上げた。
「畝ほぐしだけど」
「もう一回見せてくれない?」
「飯は?」
「食いながら見る」
「器用ねえ」
女は笑って、少し離れた畝へ移った。
もう一度、弱い土魔法を使う。
エリアスは今度こそ魔力の流れを追った。
掘り返す術ではない。深くまで干渉すれば根を傷つけるから、表面の固まった土だけを細かくほぐし、畝の形は崩さない。
「もっと強くやれば早いだろ?」
「作物までひっくり返してどうするのよ」
「だよな」
「雨のあとは固まりやすいからね。ちょっとずつやるのがいいの」
エリアスは残っていた芋を口へ放り込み、急いで帳面を出した。
畝ほぐし。根に届かない表面だけを、畝を崩さず、少ない魔力で繰り返しほぐす。
「兄ちゃん、本当にそういうのが好きなんだな」
さっきの男が呆れたように言う。
「面白いだろ」
「俺には毎日の畑仕事だけどな」
「だから面白いんだよ」
書きながら答えてから、エリアス自身が少しだけ首を傾げた。
戦闘で使うなら、こんな土魔法は弱すぎる。
石を持ち上げることも、大地を大きく変えることもできない。だが畑では、その弱さが必要だった。強ければ根を傷める。毎日使うなら魔力は少なく、失敗しにくい方がいい。仕事の邪魔をせず何度でも使えることに意味がある。
「小さいから、こうなったわけじゃないのか」
力が足りないから小さいのではない。この仕事に合わせたら、この程度の力がちょうどいいのだ。
◯
午後には、家畜小屋でも似たものを見つけた。
牛の身体についた藁や細かな埃を、弱い風で払っている。
以前の村で馬に使われていたものとよく似ていたが、今回の使い方はさらに慎重だった。
毛の表面だけを撫で、耳や目の近くでは風をさらに弱める。牛が嫌がればすぐ止めた。
「強くした方が一気に落ちないか?」
エリアスが尋ねると、世話をしていた老人が鼻で笑った。
「お前さん、自分の顔に強い風を吹きつけられて平気か?」
「嫌だな」
「牛だって同じだ」
「それもそうだ」
また当然のことを言われた。
この数日、そればかりだった。
エリアスにとっては発見でも、ここで暮らす人間にとっては当たり前。
だからこそ面白い。
「やっぱりいた」
家畜小屋を出たところで、リディアが声をかけてきた。
荷車には布や瓶、小さな生活道具が積まれている。
「今度は牛を見てるの?」
「正確には牛についた藁を飛ばす風」
「洗濯物の次は鍋。その次は牛」
「畑もあるぞ」
「忙しそうね、エリアス」
名前を呼ばれて、エリアスは少し笑った。
「そっちは商売終わったのか?」
「半分くらい。あなたが畑で働いてるって聞いたから、見に来ただけ」
「俺を?」
「大賢者の弟子が農家の柵を直してるって聞いたら、ちょっと見たいでしょう」
「見世物じゃないぞ」
「で、お金は?」
「ちゃんともらった」
そう言って懐の硬貨を鳴らす。
リディアが楽しそうに目を細めた。
「そこは無料で助けてあげました、とか言わないのね」
「仕事は仕事だろ。俺だって飯を食う」
「うん。そっちの方があなたらしい」
「褒めてる?」
「わりと」
「じゃあ酒でも奢ってくれ」
「どうしてそうなるのよ」
「褒められた祝い」
「自分で払って」
即答された。
それでもリディアは笑っている。
エリアスも笑った。
最初は美人だから目が向いたし、今も美人だと思う。それに最近は、顔を見つけると、次に何を言ってくるかまで楽しみになっていた。口説けば軽く返され、魔法の話は分からないなりに聞いてくれる。商売の話になれば、こちらの知らないことを平然と言う。話していて退屈しない。
「何?」
「いや。今日も美人だなと思って」
「急に戻ったわね、いつものあなたに」
「安心しただろ」
「全然」
そう言いながら、リディアはまた笑った。
◯
その夜、宿で帳面を広げると、机の上が紙で埋まった。
布あおぎ。
火均し。
蔵風。
畝ほぐし。
家畜の毛や身体から藁や埃を払う弱い風。
数日前まで、民俗魔法と言えばラーデンの泥離し一つだった。
今は違う。
どれも派手ではない。料理には料理の、畑には畑の適した力加減がある。家畜の世話なら、なおさら強ければいいというものではなかった。
「小さい魔法だから、価値も小さい……じゃないんだな」
エリアスは畝ほぐしの頁をめくった。
同じ名前でも、畑によって少し違う。
育てているものも違う。
使う人によって、魔力を届かせる深さまで違っていた。
火均しもそうだった。
蔵風もそうだった。
気づけば、帳面の余白には「違い」ばかりが増えている。
「……これ、どうまとめる?」
魔法式だけなら書ける。
けれど、それでは前より足りないことを、もう知っている。
エリアスは椅子の背にもたれた。明日は歩き回らずに、腰を据えて集めたものをまとめよう。机の端へ紙を積み直しながら、そう決めた。
農村の小さな魔法は、思った以上にたくさんあった。
そしてどうやら、数を集めるだけでも終わらないらしい。




