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大賢者の弟子は、忘れられた魔法を拾いに行く  作者: Atelier Lotus文庫
第三章 暮らしの中の魔法

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第12話 畑と家畜の魔法

 東へ向かう街道を進んでいるうちに、エリアスは妙なことに気づいた。自分の名前を知らないはずの農村で、向こうから声をかけられるようになっている。


「兄ちゃん、魔法使いなんだって?」


 畑の脇を通りかかったところで、鍬を肩に担いだ男に呼び止められた。


「そうだけど」


「北の村で、えらく細かい魔法を見る若いのがいるって聞いたぞ」


「その説明で俺だと分かるのか?」


「あと、美人の行商人を口説いてるって」


「そっちまで伝わってるのかよ」


 どうやら村から村へ移動しているのは、自分だけではないらしい。


 人も荷も噂も、街道を通っている。


 男は笑いながら、畑の中央を指さした。


「腕がいいとも聞いた」


「そこはもっと大きな声で広めてくれ」


「じゃあ、あれ動かせるか?」


 指の先には、畑から半分だけ顔を出した大きな石があった。


 周囲だけ土が掘り返されている。何度か人の手でどかそうとしたらしい。


 エリアスは石を見る。


 次に男を見る。


「仕事なら金はもらうぞ」


「やっぱり取るのか」


「腕がいいって聞いたんだろ?」


「違いない」


 男は笑って、金額を提示した。


 高くはない。


 だが、昼飯代くらいにはなる。


「それでいい」


 エリアスは畑へ入った。


 石そのものを力任せに持ち上げる必要はない。


 周囲の土だけを緩め、下に残った土を少しずつ逃がす。石が動き始めたところで支えを作り、畑の外まで転がせばいい。


 土が低く鳴った。


 石の周囲に細い亀裂が走る。


「お、おい。畑まで崩すなよ」


「崩さないって」


 必要な範囲だけ。


 根の張っていない位置を選び、土の抵抗を減らす。


 石がゆっくり傾いた。


 そこへ力を加える。


 大石は、拍子抜けするほどあっさりと土から抜けた。


「ほら」


 そのまま畑の端まで運ぶ。


 男は石とエリアスを交互に見た。


「……半日かけても動かなかったんだぞ」


「俺は腕がいいからな」


「自分で言うか?」


「金をもらうんだから、それくらい言わせろ」


 受け取った硬貨を確認して、エリアスは満足して懐へ入れた。


 すると、隣の畑から別の声が飛んできた。


「魔法使いの兄ちゃん!」


「嫌な予感がするな」


「こっちも頼めるか!」


 予感は当たった。


     ◯


 昼になる頃には、エリアスは三つの仕事を片づけていた。


 傾いていた柵の支柱を起こし、周囲の土を締め直した。


 ぬかるみにはまっていた荷車は、車輪の下だけ地面を安定させて押し出した。


 ついでに外れかけていた車輪まで直してくれと言われたが、それは魔法より職人を呼んだ方がいいと断った。


「何でもできるわけじゃないぞ」


「大賢者の弟子でもか?」


「大賢者の弟子だからって車輪の軸まで専門になるか」


 そんなやり取りをしているうちに、働いていた農家の一人が昼食へ誘ってくれた。


 金は仕事の分として受け取った。食事は食事で、ありがたくいただく。


 焼いた芋と塩漬け肉、豆の入った薄いスープ。それに固めのパン。


 豪勢ではない。


 だが朝から歩き回ったあとには、十分うまかった。


「これも食え」


「いいのか?」


「石どけてもらったからな」


「それなら金ももらったぞ」


「飯くらい別にいいだろ」


「じゃあ遠慮なく」


 エリアスが二個目の芋へ手を伸ばしたところで、畑の端にいた女がしゃがみ込んだ。


 指先を土へ向ける。


 わずかに魔力が動いた。


「……ん?」


 エリアスの手が止まった。


 女の前には、細く盛られた畝がある。


 表面の土だけが、さらりと崩れた。


 畝の形はそのままで、植わっている作物も揺れていない。固まりかけていた表面だけが、細かくほぐれている。


「今の何?」


 芋を持ったまま近づくと、女が顔を上げた。


「畝ほぐしだけど」


「もう一回見せてくれない?」


「飯は?」


「食いながら見る」


「器用ねえ」


 女は笑って、少し離れた畝へ移った。


 もう一度、弱い土魔法を使う。


 エリアスは今度こそ魔力の流れを追った。


 掘り返す術ではない。深くまで干渉すれば根を傷つけるから、表面の固まった土だけを細かくほぐし、畝の形は崩さない。


「もっと強くやれば早いだろ?」


「作物までひっくり返してどうするのよ」


「だよな」


「雨のあとは固まりやすいからね。ちょっとずつやるのがいいの」


 エリアスは残っていた芋を口へ放り込み、急いで帳面を出した。


 畝ほぐし。根に届かない表面だけを、畝を崩さず、少ない魔力で繰り返しほぐす。


「兄ちゃん、本当にそういうのが好きなんだな」


 さっきの男が呆れたように言う。


「面白いだろ」


「俺には毎日の畑仕事だけどな」


「だから面白いんだよ」


 書きながら答えてから、エリアス自身が少しだけ首を傾げた。


 戦闘で使うなら、こんな土魔法は弱すぎる。


 石を持ち上げることも、大地を大きく変えることもできない。だが畑では、その弱さが必要だった。強ければ根を傷める。毎日使うなら魔力は少なく、失敗しにくい方がいい。仕事の邪魔をせず何度でも使えることに意味がある。


「小さいから、こうなったわけじゃないのか」


 力が足りないから小さいのではない。この仕事に合わせたら、この程度の力がちょうどいいのだ。


     ◯


 午後には、家畜小屋でも似たものを見つけた。


 牛の身体についた藁や細かな埃を、弱い風で払っている。


 以前の村で馬に使われていたものとよく似ていたが、今回の使い方はさらに慎重だった。


 毛の表面だけを撫で、耳や目の近くでは風をさらに弱める。牛が嫌がればすぐ止めた。


「強くした方が一気に落ちないか?」


 エリアスが尋ねると、世話をしていた老人が鼻で笑った。


「お前さん、自分の顔に強い風を吹きつけられて平気か?」


「嫌だな」


「牛だって同じだ」


「それもそうだ」


 また当然のことを言われた。


 この数日、そればかりだった。


 エリアスにとっては発見でも、ここで暮らす人間にとっては当たり前。


 だからこそ面白い。


「やっぱりいた」


 家畜小屋を出たところで、リディアが声をかけてきた。


 荷車には布や瓶、小さな生活道具が積まれている。


「今度は牛を見てるの?」


「正確には牛についた藁を飛ばす風」


「洗濯物の次は鍋。その次は牛」


「畑もあるぞ」


「忙しそうね、エリアス」


 名前を呼ばれて、エリアスは少し笑った。


「そっちは商売終わったのか?」


「半分くらい。あなたが畑で働いてるって聞いたから、見に来ただけ」


「俺を?」


「大賢者の弟子が農家の柵を直してるって聞いたら、ちょっと見たいでしょう」


「見世物じゃないぞ」


「で、お金は?」


「ちゃんともらった」


 そう言って懐の硬貨を鳴らす。


 リディアが楽しそうに目を細めた。


「そこは無料で助けてあげました、とか言わないのね」


「仕事は仕事だろ。俺だって飯を食う」


「うん。そっちの方があなたらしい」


「褒めてる?」


「わりと」


「じゃあ酒でも奢ってくれ」


「どうしてそうなるのよ」


「褒められた祝い」


「自分で払って」


 即答された。


 それでもリディアは笑っている。


 エリアスも笑った。


 最初は美人だから目が向いたし、今も美人だと思う。それに最近は、顔を見つけると、次に何を言ってくるかまで楽しみになっていた。口説けば軽く返され、魔法の話は分からないなりに聞いてくれる。商売の話になれば、こちらの知らないことを平然と言う。話していて退屈しない。


「何?」


「いや。今日も美人だなと思って」


「急に戻ったわね、いつものあなたに」


「安心しただろ」


「全然」


 そう言いながら、リディアはまた笑った。


     ◯


 その夜、宿で帳面を広げると、机の上が紙で埋まった。


 布あおぎ。


 火均し。


 蔵風。


 畝ほぐし。


 家畜の毛や身体から藁や埃を払う弱い風。


 数日前まで、民俗魔法と言えばラーデンの泥離し一つだった。


 今は違う。


 どれも派手ではない。料理には料理の、畑には畑の適した力加減がある。家畜の世話なら、なおさら強ければいいというものではなかった。


「小さい魔法だから、価値も小さい……じゃないんだな」


 エリアスは畝ほぐしの頁をめくった。


 同じ名前でも、畑によって少し違う。


 育てているものも違う。


 使う人によって、魔力を届かせる深さまで違っていた。


 火均しもそうだった。


 蔵風もそうだった。


 気づけば、帳面の余白には「違い」ばかりが増えている。


「……これ、どうまとめる?」


 魔法式だけなら書ける。


 けれど、それでは前より足りないことを、もう知っている。


 エリアスは椅子の背にもたれた。明日は歩き回らずに、腰を据えて集めたものをまとめよう。机の端へ紙を積み直しながら、そう決めた。


 農村の小さな魔法は、思った以上にたくさんあった。


 そしてどうやら、数を集めるだけでも終わらないらしい。

 

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