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大賢者の弟子は、忘れられた魔法を拾いに行く  作者: Atelier Lotus文庫
第三章 暮らしの中の魔法

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第11話 鍋の火、蔵の風

 翌日の昼前、エリアスは北へ向かう街道沿いの小さな集落に入った。


 昨日の村を出てからも、目は勝手に忙しく動いていた。


 軒下の薬草、井戸端の桶、積まれた薪。昨日までならただの農村の景色だったものが、今はどれも怪しく見える。


「腹が減ってなかったら、もう少し探すんだけどな」


 結局、魔法より先に空腹が勝った。


 集落の中央にあった食事処へ入り、煮込みと黒パンを頼む。奥では年嵩の女が鍋を見ながら忙しく手を動かしていた。


 料理が来るまでのあいだ、エリアスは何となく厨房を眺める。


 大きな鉄鍋の下で薪が燃えている。


 火力そのものは強くない。


 だが女が鍋をかき混ぜたとき、指先からごく小さな火の魔力が炉へ流れた。


「……ん?」


 炎が一瞬だけ形を変え、片側へ寄っていた熱が鍋底の周囲へ薄く広がる。女は何事もなかったように木杓子を動かしていた。


 エリアスは立ち上がった。


「ちょっと見せてもらっていいか?」


「鍋を?」


「火の方」


「食事は逃げないよ。座って待ってな」


「いや、今の魔法」


 女が振り返った。


「火均しのことかい?」


「火均し?」


 名前を聞いた瞬間、エリアスの顔が明るくなる。


 女はそれを見て、少し引いた。


「そんなに嬉しいものかね」


「知らない魔法だからな」


「ただ鍋を焦がさないためのもんだよ」


 女がもう一度指を動かす。


 エリアスは今度こそ見逃さなかった。


 火を強くしているわけではない。


 熱が偏った場所だけを拾い、その周囲へ薄く逃がしている。


 戦闘で使えば何の役にも立たないほど小さいが、鍋の前ではその小ささがちょうどいい。


「誰でも同じようにやるのか?」


「同じわけないだろ。鍋が違えば火の当たり方も違うし、煮るものでも変えるよ」


「これ、見ても?」


「焦がさないならね」


 エリアスは厨房の邪魔にならない位置まで寄り、魔力の流れを追った。


 基本は単純な火魔法だった。


 だが、鍋底の厚い部分には少し長く、薄いところにはほとんど触れない。薪が崩れて片側の火が強くなれば、そこへ合わせて流し方も変わる。


 料理が違えば、熱の残し方も違うという。


 エリアスは席へ戻ると、運ばれてきた煮込みを食べるより先に帳面を開いた。


 火均し。弱い火魔法で熱の偏りを均す。鍋、炉、薪、料理によって調整が変わる。


「冷めるよ」


「分かってる」


 言いながら一口食べる。


「うまい」


「そりゃよかった」


 女は呆れた顔で笑った。


     ◯


 食事を終えたあとも、エリアスは集落の中を歩き回った。


 火均しは一軒だけのものではなかった。


 別の家では浅い鍋を使い、熱を中央へ寄せすぎないよう細かく逃がしていた。さらに別の家では、炉の形そのものが違った。


 同じ火均し、同じ火魔法でも、魔力を流す位置や強さ、時間は違った。


「基本だけ抜き出せば、一つにまとめられるな」


 エリアスは最初、そう考えた。


 火を直接強くするのではなく、熱の偏りをならす。そこだけを魔法式として整理すればいい。


 だが、三軒目の使い方を見たところで手が止まった。


 一軒目の式をそのまま二軒目へ持っていけば使いにくく、二軒目の調整を三軒目で使えば、むしろ火が偏る。平均を取ればきれいな式にはなるだろうが、どの家でも微妙に使いにくい魔法が出来上がる。


「……きれいにしたら駄目なのか」


 ラーデンの泥離しでは、土地を見る必要があった。


 ここでは、同じ集落の中ですら違う。


 鍋も炉も薪も、作るものも違う。土地というより、家ごとの道具や仕事が魔法の形を変えていた。


「何を難しい顔してるの?」


 聞き覚えのある声に振り向く。


 荷物を積んだ小さな荷車の脇に、リディアが立っていた。


「また会ったな」


「昨日、自分もこっちへ来るって言ってたでしょう」


「そうだった」


「忘れてたの?」


「火均しを見つけた」


「質問の答えになってないわよ」


 リディアは笑いながら荷車の紐を結び直した。


「リディア、この辺の家って鍋も結構違うんだな」


「そりゃ違うわよ。買えるものも、昔から使ってるものも家ごとに違うもの」


「炉も?」


「違うでしょうね。私、鍋は売るけど炉までは売らないから詳しくないけど」


 そこでリディアは、少し先の家を顎で示した。


「保存の仕方なら、あっちも見てみたら?」


「何かあるのか?」


「知らない。でも、あの家は穀物を多く置いてるから。あなたなら何か見つけるんじゃない?」


 商売で家々を回っている人間が知っていることを口にしただけだ。


 エリアスはすぐにそちらへ向いた。


「行くの?」


「行く」


「ほんと魔法には早いわね」


「美人の話もちゃんと聞いてるぞ」


「はいはい」


     ◯


 教えられた家の貯蔵場所は、母屋の裏にあった。戸口から奥まった場所まで、わずかに空気が動いていた。


「これも風か」


 家の主人に尋ねると、「蔵風」と返ってきた。


 弱い風を蔵の中へ細く通し続ける術だった。袋や吊るしたものを揺らさず、空気が溜まりやすい場所を避けるように、入口から奥へ流れを作っている。


 エリアスは壁際まで歩き、風の筋を確かめた。


「入口から真っ直ぐじゃないんだな」


「真っ直ぐやったら、奥の棚の裏に風が回らんからな」


 なるほど、と帳面へ書く。


 次の家では、入口の向きが違った。


 置いてあるものも違う。


 そこで使われる蔵風は、最初の家とは途中で風を曲げる位置が違っていた。


 エリアスは道端の石へ腰を下ろし、帳面を膝に置いた。


 火均しも蔵風も、基本構造だけならきれいに整理できる。だが、それではなぜ風をここで曲げるのか、なぜあの鍋では火を弱くするのかが分からない。式を整えるだけで、家ごとの違いが生まれた理由まで消してしまうところだった。


「同じ魔法なのに、同じじゃないんだな」


 呟きながら、昨日の布あおぎの頁も開いた。


 干し方が違えば風の流し方が違った。


 今日の火均しも、蔵風も同じだ。


 エリアスは三つの頁へ、それぞれ新しく余白を取った。


 布あおぎ。


 火均し。


 蔵風。


 まだ論文と呼べるほどではない。


 けれど、魔法式だけを書いて終わる気はもうなかった。


 使われる場所と、そこにある道具。何のためにその形になっているのか。書くべきことが、また増えた。


 少し離れた道を、リディアの荷車が通っていく。


「エリアス!」


 名前を呼ばれて顔を上げる。


「明日は東よ!」


「分かってる!」


「今度は置いてかれないでね、魔法使いさん!」


 からかうように手を振り、リディアはそのまま進んでいった。


 エリアスも笑って手を上げる。


 それから帳面へ視線を戻した。


 農村には、小さな魔法がたくさんある。


 だが、ただ数が多いだけではない。


 同じ名前で呼ばれていても、その中身は暮らしに合わせて少しずつ違っている。


 なら、もっと見比べたい。


 鍋や蔵でこれだけ違うなら、畑や家畜の仕事には何があるのか。


 帳面を閉じ、エリアスは立ち上がった。


 明日も、まだ先へ行けそうだった。

 

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