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第43話 おおむた運搬

 退院の日は、朝から雨だった。


 病院の玄関で、大牟田源治は自分の荷物を自分で持とうとして、看護師に止められていた。

 三か月半、点滴と検査と、リハビリだった。魔素中毒の後遺症は、主に筋力の低下として出る。


「兄ちゃん」


 大牟田は俺を見つけると、片手を上げた。


「あんたのせいじゃねえからな」


  ◇


 挨拶より先に、それを言った。


「聞いたぞ。あの配信の子が、あんたに食ってかかったって」

「はい」

「あれは違う。俺が確かめなかっただけだ」


  ◇


「通販のページ見て、変だと思ったんだよ。写真の背景が白かった。あんたの畑にあんな背景はねえ。木箱の角も欠けてねえし」


 大牟田は玄関の椅子に座り直した。


「変だと思ったのに、注文した」

「なぜですか」

「在庫があるって書いてあったからだ」


  ◇


「あんたのは、九月から無かったからな」


  ◇


「食えねえと、五層で手が震えるんだよ。四か月ぶりだった。あれ、久しぶりだと余計にこたえるんだ」

「はい」

「だから、三倍でも買った。三倍でも安いと思ったんだ」


  ◇


 俺は、何も言えない。


  ◇


「兄ちゃん」

「はい」

「あんたのトマトの味は、忘れてねえ」


  ◇


「四月に、昇降機ホールでもらったやつだ。あれと、通販のやつは、いま思えば別もんだった。食ったときは分からなかったけどな」


  ◇


「分からなかったんだよ。四か月食ってても」


  ◇


 その一言を、俺は、蒲田さんからも聞いている。


  ◇


 俺は退院の手続きを手伝って、荷物を持って、駅まで一緒に歩いた。

 大牟田は途中で二度、立ち止まった。息が上がるからだ。三か月半で、そのくらい落ちる。

 筋力は戻る、と医師は言っていた。血中の魔素はもう検出されない。ただ、しばらくは深く潜れない。


 三月に入って、大牟田は第五層に戻った。


 等級はF級のままだった。三か月半潜っていないので、実技審査の期限も切れている。

 だが、彼が申請したのは昇級ではなかった。


  ◇


 運搬業の登録だった。


  ◇


 協会には、探索者資格とは別に、層内運搬業という登録区分がある。

 装備や物資を、探索者の代わりに層内へ運ぶ仕事だ。危険が少ないぶん、単価も安い。登録者は全国で二百人ほどしかいない。


 浅層は、危険が少ないという前提が成り立たなかった。だから誰も登録しなかった。


  ◇


 この登録を、彼は自分で見つけてきた。入院中に協会の規則集を全部読んだそうだ。

 三か月半、他にすることがなかった、と本人は言っている。


 浅層の魔物の湧出頻度が、去年から下がっていた。


 協会の観測記録に出ている。第三層はもともと年に二回から四回だが、その周辺、第一層から第五層までの湧出件数が、前年比で三割減っていた。


 原因は、記録には書かれていない。


  ◇


 三雲静は、それを起草作業の途中で見つけた。


 彼女は基準の起草担当として、過去十年の浅層データを洗っている。その過程で、湧出頻度の推移が魔素濃度と相関していることに気づいた。


 魔素が薄い場所では、魔物が湧きにくい。


  ◇


 六十アールの畑が固定した魔素の量は、第三層全体の濃度を三百二から三十一まで落とした。

 層は繋がっている。第三層の濃度が下がれば、隣接する層の分布も動く。


 その結果として、浅層全体の湧出が減った。


  ◇


 誰も狙っていない。


 俺は野菜を作っていただけだ。

 その副産物として、探索者が死ににくい層が、いくつかできた。


  ◇


「兄ちゃん、これ見てくれ」


 三月の下旬、第五層の昇降機ホールで、大牟田が台車を押してきた。


 荷物用の四輪台車で、側面にガムテープで紙が貼ってある。

 手書きで、こう書いてあった。


『おおむた運搬』


  ◇


「なんですか、それ」


 灯が笑った。


「いや、笑うとこじゃねえだろ」

「だって、字が」

「字は、しょうがねえだろ」


  ◇


 大牟田は台車を叩いた。


「浅層専門だ。一層から五層まで。装備と物資を運ぶ。時給じゃなくて、一往復いくらでやる」

「儲かるんですか」

「儲からねえよ。でも、死なねえ」

「単価は」

「一往復で二千円だ。三往復で六千円。日給一万に届かねえのは、前と変わらん」


  ◇


「浅層は、去年から出なくなった。俺が十二年通ってて、去年から明らかに減ってる。だから、運ぶ仕事が成立するんだ」

「協会は、原因を出してますか」

「出してねえよ。減ったってことも、公式には言ってねえ。現場が勝手に気づいてるだけだ」


 大牟田は台車のハンドルを握った。


「五年前だったら、この仕事はできてねえ」


  ◇


 俺は、台車を見ていた。


 側面のガムテープが曲がっている。文字も曲がっている。

 だが、車輪は新しかった。中古の台車に、車輪だけ新品を入れてある。


「車輪、替えたんですか」

「替えた」


 大牟田は台車を少し前後に動かした。


「灰土は柔らかいからな。細い車輪だと沈む。沈むと荷物が傾いて、留め具に負荷がかかる」

「留め具」

「そうだ」


 その二文字を、大牟田は少し強く言った。

 灯が横で、俯いた。


  ◇


 その日、大牟田は三往復して、六千円を稼いだ。


 十二年間、彼が一日で稼いでいた額の、半分にもならない。

 だが、上がってきたときに手が震えていなかった。魔石を掘っていないから、深く潜らないからだ。

 留め具は、一度で外れた。


  ◇


 夕方、三人でまるとみに寄った。


 トキさんは店じまいの途中で、大根の売れ残りを箱に戻していた。


「あんた、生きてたのかい」

「生きてました」

「顔が細くなったね」

「四キロ落ちました」


 トキさんは大根を一本、大牟田に渡した。


「持ってきな。煮て食え」

「金は」

「いらないよ。病み上がりから金は取らない」

「そういう決まりがあるのか」

「いま決めた」


  ◇


 俺は、店の脇に立っていた。


 三か月半、ここには何も卸していない。

 トキさんは値札を出したままにしている。『板橋産 かぶ 一束二百八十円』。売るものがないのに、出したままだ。


「トキさん」

「なんだい」

「その値札」

「ああ。出しとくと、聞かれるんだよ。今日はないのって」


  ◇


「聞かれるうちは、まだ商売だからね」


  ◇


 帰り道、灯と二人になった。


 大牟田は台車を置きに、別の道へ曲がっていった。


  ◇


 街灯の下で、俺は足を止めた。


  ◇


「火野さん」

「はい」


  ◇


「明日、協会に行きます」


  ◇


 灯が振り返った。


  ◇


「……何しに」


  ◇


「頼みに」


  ◇


 灯は、何かを聞こうとして、口を開いた。


 開いて、聞かなかった。


  ◇


 俺は、何を頼むのかを言わなかった。

 言わなかったのは、隠したかったからではない。


 十四年、俺は誰にも何も頼んだことがない。

 塩害地のプロジェクトが打ち切られたとき、続けさせてくださいとは言えなかった。会社が潰れたときも、残してくださいと口にしていない。区画が封鎖された日には、解いてくださいと言う相手すら分からなかった。


  ◇


 三月三十一日。

 基準の起草は始まっていて、封鎖は解けていない。畑には二か月以上入れていない。


 明日、初めて頼みに行く。


  ◇


 その言い方を、俺はまだ、練習していなかった。


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