↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
22/39

第22話 悔しいです

 空の畝が、八メートル。


 三十株を全部抜いた。巻いた葉のまま抜いたものが十四、まだ形を保っていたものが十六。形を保っていても、葉柄を折れば断面に褐色の栓が入っていた。時間の問題だった。


 赤い灰土が、二か月前と同じ状態で並んでいる。

 俺が持ち込んだ作土だけが、上に薄く残っていた。堆肥の匂いがまだする。この層の匂いに混ざって、そこだけ外の土の匂いがした。

 抜いた株を袋に詰めるのに、二時間かかった。根まで丁寧に掘り出す。根の状態を記録するためだ。


「三十万だぞ」


 大牟田が言った。区画料が三か月で四十五万、資材と電気を入れれば、もっといく。だが大牟田の言っている三十万は、たぶん、彼にとって想像できる最大の金額だ。


「はい」

「三十万、土に埋めたようなもんだろ」

「はい」

「悔しくねえのか」

 その質問は、この日、二人から別々に来ることになる。


  ◇


 灯がカメラを持ったまま、畝の端に立っていた。

 撮っていない。レンズにキャップがかかっている。


「悠真さん」

「はい」

「悔しくないんですか」


 俺は抜いた株を袋に詰める手を止めた。


 この二か月、同じ質問を何度かされている。二百七十回で止まった動画の日も、八十円の値段をつけた日も、矢代さんに何も言い返さなかった日も。

 そのたびに、俺は何か別のことを答えてきた。


 今日は、別のことが思いつかなかった。


「悔しいです」


  ◇


 灯がカメラを取り落としかけて、ストラップで受け止めた。


「え」

「悔しいです」

「二回言いましたね」

「はい」


 大牟田がスコップの手を止めて、こちらを見ていた。


「兄ちゃん、あんた、そういうの言うんだな」

「言います」

「初めて聞いたぞ」

「口に出したのは、初めてです」


 俺は袋の口を縛って、次の株に手を伸ばす。

 根が土から離れるとき、細い音がした。細根が切れる音だ。よく張っていた証拠で、それが余計にこたえる。


「でも、抜かないと次のデータが取れないので」


  ◇


 二人が黙った。


 灯がしばらくして、小さい声で言った。


「そこが、その、なんていうか」

「はい」

「ずるいです」

「ずるい、ですか」

「悠真さん、悔しいって言った直後に、それ言うんですか」


 言われて、初めて自分の言葉の並びに気づいた。


 悔しい。だから抜く。

 その二つは、俺の中では順番に繋がっている。悔しいから止まるのではなく、悔しいから次に行く。

 説明しようとして、うまくいかなかった。


「順番が逆なんです」

「逆」

「悔しいのが先で、抜くのが後です。逆にすると、抜けなくなるので」

「順番が逆だと、どうなるんですか」

「抜くのを先にすると、悔しくなくなります。そうなると、次に同じことをやります」


 灯はしばらく黙って、それからキャップを外した。


「撮ります」

「どうぞ」


  ◇


 再設計に、丸一日かけた。


 紙に描いたのは、第三層とはほとんど別の畑だった。


 畝を高くする。地表から三十センチ上げて、葉の位置を魔素の薄い高さに持っていく。第三層では地面近くが濃かったから、逆のことをしていた。

 トンネルの形を変える。密閉して外気を遮るのではなく、下から上へ空気を流す。葉の周りの空気を動かし続ければ、葉面に触れる魔素の総量が減る。

 作物を変える。第三層で使った葉物は、葉の面積が大きすぎる。ここでは豆にする。葉が小さく、茎が立ち、実が上につく。

 馴致の測り方を変える。地表ではなく、葉の高さで測る。測定器を刺すのではなく、支柱に括りつけて空中で測る。


 豆の品種を決めるのに、二時間かかった。葉が小さく、茎が立ち、実が上につく。条件を満たすものを種苗のカタログから六つ選んで、そのうち生育日数が短い二つに絞った。

 図面の隅に、換気の風速も書き込んだ。毎秒〇・三メートル。速すぎると葉が乾き、遅すぎると魔素が滞留する。この数字に根拠はない。第三層の湿度管理から逆算しただけの当て推量だ。

 当て推量を書くのは久しぶりだった。第三層では、二か月かけて全部の数字に根拠をつけた。


 最後の一項目を書いたところで、ペンが止まった。


 これは、俺の手順ではない。

 第三層の手順を作るのに、二か月かかった。第五層の手順を作るのに、また二か月かかる。第八層なら、また別の二か月がいる。


 層の数だけ、二か月がいる。


  ◇


 夕方、昇降機ホールで三人になった。


 大牟田が缶コーヒーを二本買ってきて、一本を俺に投げた。金は受け取らなかった。


「兄ちゃん」

「はい」

「なんでそこまでやるんだ」


 この人がこの質問をするのは、二度目だ。

 一度目は、三株焼いた日だった。あのときは答えなかった。


「やり方が分かれば、俺じゃなくてもできるので」


  ◇


 大牟田が缶を口から離した。

 灯がこちらを見た。


「……それ、どういう意味ですか」


 灯の声が、いつもより低かった。


「そのままの意味です」

「悠真さんじゃなくても、って」

「はい」


 俺は缶のプルタブを開けた。


「いま、この工程を最後まで通せるのは、たぶん俺だけです。三雲さんにも同じことを聞かれて、そう答えました。そうしたら、それがいちばん危ないと返されました」

「危ない?」

「そのときは意味が分かりませんでした。でも、たぶん、こういうことなんだと思います」


 俺は空になった第五層の畝の方角を指す。


「俺が一人で失敗すると、失敗したことが誰にも残らないんです。三十株焼けたのは、俺の頭の中にしかない。俺が明日いなくなったら、次に第五層で畑をやる人は、また三十株焼きます」


  ◇


 灯がカメラを構え直した。


「それ、もう一回言ってもらえますか」

「同じことを二回は言えません」

「じゃあ今のでいいです。撮れてました」


 灯はカメラを下ろして、それからこう続けた。


「あたし、五時間撮って二十分に切ってるんですけど」

「はい」

「切ったやつも、消してないんです。全部残してます」

「そうですか」

「三年ぶんあります」


 俺は缶を飲み干した。

 三年ぶんの素材が、どこかのハードディスクに全部残っている。その意味を、このときの俺は考えなかった。

 缶を潰して、ホールのごみ箱に入れた。金属が跳ねる音が、天井まで届いて返ってきた。


  ◇


 その夜、工程表の第五層のページに、新しい一行目を書いた。


『五層 やり直し 一日目/畝高三十センチ/葉面高で測定』


 その下に、日付を並べた。

 七日ごとに三段階。二十、三十五、五十。


 九月十四日まで、罫線だけが並んでいる。


 ページを閉じようとして、思い直した。

 最後の欄の下に、括弧つきでこう足した。


『(今回の失敗記録は、別紙に残すこと)』


 別紙の一枚目には、こう書いた。


『第五層 一回目 全滅/三十株/原因=葉面からの魔素侵入を想定していなかった

 第三層の手順をそのまま適用したことが誤り

 同じ失敗を防ぐには、着手前に「効く部位」を確かめること』


 効く部位。

 大牟田が喉を叩いて教えてくれたことを、俺は聞いた三日後に忘れていた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。