第21話 見ているだけの三日間
一日目。
俺は畝の前にしゃがんで、葉を裏返している。
巻きは進んでいた。縁から内側へ、筒に近い形まで丸まっている株が四つ。昨日は二つだった。
巻いていない株の葉も、触ると硬い。厚みが出ている。植物が水を守ろうとするときの反応だが、ここの湿度は第三層より高い。守る相手が水ではないということだ。
測定器を刺す。地表二十一、一メートル上で二百三十八。
地表は馴致どおりに落ちている。落ちていないのは、上のほうだ。
メモを取って、写真を撮って、それで終わりにする。
水はやる。光は当てる。それ以外は何もしない。
これが工程だ。
原因が分からないうちに手を出すと、次に何が起きても、何が効いたのか分からなくなる。分からないまま偶然うまくいくのが、いちばん質が悪い。二度目は再現できないからだ。
塩害地では、この「見ているだけ」を三年やった。
◇
二日目。
同じ場所に、同じ姿勢でしゃがんだ。
巻いている株が六つになっている。
葉の裏をルーペで見た。気孔の並んでいるあたりが、白い粉を吹いた状態になっている。指で擦っても取れない。組織そのものが変わっている。
においを嗅いだ。青臭さがない。健康な葉は、裏返して顔を近づけると必ず青い匂いがする。これは、焦げた灰土と同じ匂いがした。
大牟田が後ろに立っていた。
「兄ちゃん」
「はい」
「昨日も同じことしてたよな」
「はい」
「今日も見てるだけか」
「はい」
大牟田はスコップを地面に立てて、その柄に手を置いた。
「なんかしてやれよ」
◇
「濃度、下げりゃいいだろ。三層でやってたみたいに」
「下げると、分からなくなります」
「何が」
「下げたことが効いたのか、時間が効いたのかが」
大牟田の眉が寄った。
「その間に枯れたらどうすんだ」
「枯れます」
「枯れるって、あんた」
「枯れたら、原因が分かります」
言ってから、言い方を間違えたと思った。
大牟田はしばらく黙っていた。それから、スコップを担いで背を向けた。
「俺には分かんねえよ、そういうのは」
背中がそう言って、通路のほうへ歩いていった。
止めなかった。止める理由が、うまく言葉にならない。
◇
その日の夜、灯からメッセージが来た。
『大牟田さん、今日すごく機嫌が悪かったです』
『あたしにも「あの兄ちゃん何考えてんだ」って言ってました』
俺は返事を打とうとして、消した。
三度打って、三度消した。
最後に送ったのは、この一行だ。
『十四のとき、うちの畑が全滅したことがあります』
既読がつくまで、二十秒かかった。
『え』
『それ、どういうことですか』
俺は続きを打たなかった。
打つべきことは分かっていたが、文字にすると全部が嘘くさくなる。父が待たなかった話。三ヘクタールが一週間で白くなった話。母がハウスの前にしゃがんでいた光景。
そのどれを書いても、いま第五層で起きていることの説明にはならない。
携帯を伏せて、工程表を開いた。
◇
三日目。
巻いている株が九つになっていた。三十株のうち、三分の一だ。
俺はしゃがんで、そのうちの一枚に手を伸ばした。
もぎ取った。
葉柄のところで、ぷつりと音がする。
断面を見た。
◇
維管束が詰まっていた。
葉から水と養分を運ぶ管が、内側から塞がっている。褐色の栓が、点々と並んでいた。
根で焼けた株は、根の先から炭になっていた。これは逆だ。葉の側から詰まって、そこから下へ向かっている。
葉から入っている。
第三層の魔素は地面に溜まって、根から入る。だから俺は根を守る設計をした。作土を敷いて、粒径を揃えて、地表で濃度を測った。
第五層の魔素は宙に浮いている。探索者は喉から効くと大牟田が言った。植物は葉から効く。
俺の工程は、全部「根から入る」前提で組んである。
作土の厚み。畝の高さ。測定点の位置。換気の方向。遮光の考え方。
前提が違えば、全部が違う。
◇
しゃがんだまま、動けなかった。
原因は分かった。
分かった時点で、もう遅い。九株は戻らない。残りの二十一株も、同じ環境に置いてある以上、同じ経過をたどる。
俺は立ち上がって、換気扇のスイッチに手をかけた。
風量を上げれば、空気中の魔素は減る。減れば、進行は止まるかもしれない。
手を止めた。
止めた理由は二つある。
一つは、いま風量を変えると、この三日間のデータが使えなくなること。
もう一つは、それが対症療法でしかないこと。空気中の濃度を下げるなら、そもそも第五層で作る意味がない。第三層でやればいい。
俺はスイッチから手を離して、工程表を出した。
◇
アパートに戻ったのは、二十二時過ぎだった。
段ボールから、青いファイルを出した。
『第二農地 土壌改良記録』。三雲さんに貸したのは写しで、原本はここにある。
二ページ目を開いた。
九年前の自分の字で、こう書いてある。
『同一区画内でも、土壌の物理性が異なる箇所は必ず個別に測定すること』
その下に、もう一行あった。
『土壌ごとに侵入経路が異なる。前提を疑うこと』
◇
この二行を、俺は九年前に書いている。
書いた理由も覚えている。塩害地の二年目、水路に近い一角だけ塩が抜けきらず、苗を三十株無駄にした。あのとき、俺は「同じ畑だから同じ土だ」と思っていた。
同じ間違いを、四月に一度した。壁際と中央の粒径が違うことに気づかず、三株焼いた。
そして今度は、層が違えば侵入経路が違うことに気づかないまま、三十株を植えた。
二度目までは、勉強だ。
三度目は、何と呼べばいいのか分からない。
慣れ、だろうか。第三層で二か月成功が続いて、俺は「自分の手順」を持ったつもりになっていた。手順を持つというのは、前提を固定するということだ。固定した前提は、疑いにくくなる。
九年前の俺のほうが、たぶん慎重だった。
ファイルを閉じて、机に置いた。
◇
携帯が鳴った。灯からだった。
『悠真さん、明日行きます』
『大牟田さんも来るそうです』
少し間があって、もう一通。
『さっきの、畑が全滅したって話』
『聞かなくていいですか』
俺は五分考えて、こう返した。
『いつか、話します』
既読がついて、それきりだった。
◇
翌朝、第五層に降りると、大牟田が先に来ていた。
畝の前で腕を組んで、巻いた葉を見下ろしている。振り返らずに言った。
「増えてんな」
「はい」
「昨日より」
「三つ増えました」
大牟田は俺のほうを向いた。
「で、原因は」
「葉です」
「葉?」
「ここの魔素は、根じゃなくて葉から入ってました」
大牟田はしばらく巻いた葉を見て、それから自分の喉を叩いた。
「俺と一緒か」
「はい」
大牟田は「ふうん」と言って、それから、こう続けた。
「じゃあ、あんたの三日間は、無駄じゃなかったってことか」
俺は答えなかった。
無駄ではない。だが、九株は戻らない。
その二つが同時に成立することを、どう言えばいいのか、まだ分からなかった。




