第13話 手が、震えていない
大牟田源治は、第五層から上がる昇降機の中で、自分の手のひらを見ていた。
震えていない。
十二年、この層から上がるときは必ず震えていた。魔素の濃い場所に長くいると、手の細かい筋肉から先に効いてくる。指がうまく開かなくなって、装備の留め具が外せなくなる。ベテランほど、上がってから缶を開けるのに時間がかかる。それがこの仕事だと思っていた。
今日は、六時間潜った。
いつもより二時間長い。
それで、震えていない。
◇
三週間前からだった。
最初は気のせいだと思った。
次に、装備を替えたのかと考えた。替えていない。八年前のままだ。
食事も変えていない。金がないから変えられない。
変えたことが一つだけある。
三層で、トマトを一つもらった。
あのときのことは、はっきり覚えている。缶コーヒーが空で、その日も朝から何も食っていなかった。差し出された赤いのを、両手で受け取った。潰したら悪いと思ったからだ。
噛んだら、皮が薄かった。
あれから、時間があるときは畑に寄って、余りをもらっている。金を払うと言ったら「配ってるだけです」と言われた。実際、あの男は探索者が通りかかるたびに、割れたやつや形の悪いやつを渡している。
大牟田は昇降機を降りて、記録端末に潜行時間を打ち込んだ。
画面に、今月の累計が出る。
到達階層、第七層。
指が止まった。
◇
十二年、五層より下に行ったことがない。
行けないのではない。行くと、帰ってこられなくなる。
六層から先は、一日で上がりきれない。中層に近づくほど魔素が濃くなって、体が保たない。だから五層で日銭を稼ぐ。それが十二年続いた理由で、同期に置いていかれた理由でもある。
今月、七層に三回行っている。
三回とも、日帰りで戻ってきている。
大牟田は端末の前に立ったまま、しばらく動かなかった。
七層は、同期が十年前に到達した層だ。あいつは今、中層のクランで班長をやっている。年賀状が来なくなって五年になる。
後ろから来た若い探索者に「すいません、どいてもらえます」と言われて、ようやく横にずれた。
ホールの隅で装備を外しながら、留め具に指をかけた。一度で外れた。
◇
その日の夜、大牟田は掲示板に書き込んだ。
712 名無しの探索者
十二年五層止まりだったんだが、今月七層まで日帰りで行けてる
装備も飯も変えてない
なんだこれ
713 名無しの探索者
覚醒おめでとう
そういう時期あるらしいよ
714 名無しの探索者
>>712
等級は?
715 名無しの探索者
F級のまま
等級は変わってない。潜行時間だけ伸びた
716 名無しの探索者
それただの体調では
717 名無しの探索者
三週間ずっと体調いいってことある?
718 名無しの探索者
>>712
なんか始めた?サプリとか
大牟田はしばらく考えて、正直に打った。
719 名無しの探索者
三層の畑のトマト食ってる
720 名無しの探索者
は
721 名無しの探索者
出た
722 名無しの探索者
例の畑おじさんか
まだ枯れてなかったのかあれ
723 名無しの探索者
wwwwww
トマトで七層行けたら苦労しねえよ
724 名無しの探索者
プラシーボ乙
725 名無しの探索者
待て
その畑の動画、三日前に新しいの上がってるぞ
三十秒のやつじゃなくて二十分のほう
726 名無しの探索者
>>725
誰が見るんだよ二十分も
727 名無しの探索者
見た
なんか、おかしい
◇
728 名無しの探索者
>>727
何が
729 名無しの探索者
LEDの波長。赤と青しか吊ってない
植物工場の配光そのままだわあれ
730 名無しの探索者
>>729
園芸やってる人?
731 名無しの探索者
いや職場が植物工場
あの吊り方、素人じゃない
あと土が三層のやつじゃない。上から敷いてる
732 名無しの探索者
じゃあ何なんだあのおっさん
733 名無しの探索者
二十分の動画、十四分あたりから見てくれ
測定器を三か所に刺してる
同じ畝の中で三か所測る意味、分かるやつおる?
734 名無しの探索者
濃度に偏りがあるって分かってるってことだよな
なんで分かるんだ
735 名無しの探索者
こいつ、失敗して分かったんじゃないか
十七分のとこで枯れた株の写真出てる
736 名無しの探索者
>>735
見た。根が炭になってる
典型的な魔素過剰
737 名無しの探索者
え、待って
過剰で焼けるってことは、適量があるってことにならんか
738 名無しの探索者
あ
739 名無しの探索者
あ
740 名無しの探索者
誰かこの畑の人特定しろ
◇
スレッドは、その夜のうちに千を超えた。
伸び方が、前とは違っていた。三十秒の切り抜きが回ったときは、笑いのレスが縦に積まれていくだけだった。今回は、同じ話題に別の人間が別の角度から食いついて、枝が横に広がっている。
植物工場の従業員。園芸の趣味人。魔素の測定機器を扱っている会社の営業。専門の違う人間が、それぞれの言葉で同じ二十分の動画を見ていた。
灯の二十分の動画は、翌朝までに再生数が四万を回った。
コメント欄は、笑いから質問に変わっていた。
『十四分の三点測定、あれ何やってるんですか』
『枯れた株の写真、もっと見たいです』
『この人、前職どこですか』
『農家の人、名前なんていうんですか』
灯はそのコメントを、朝の電車の中で追っていた。
二十分の動画は、切り抜きではない。彼女が五時間撮って、自分で切って、自分で並べたものだ。
三年やって、初めて自分の切り方が届いた。
だが指は、コメント欄をスクロールし続ける。
特定まだ? という書き込みが、三つ並んでいた。
その下に、こういうのもあった。
『底辺配信者が金脈掘り当てたなw』
灯は電車の窓のほうを向いて、しばらく画面を伏せた。
ガラスに自分の顔が映っている。三年前より、少し痩せた。
◇
その日、俺は畑にいて、何も知らなかった。
カブを抜いていたら、通路のほうから足音が二つ来た。
顔を上げると、見たことのない探索者が二人立っていた。
「あの」
「はい」
「ここ、野菜、売ってもらえるって聞いて」
二人とも、俺より年下だった。装備が新しい。金を持っている探索者の格好だ。
「売ってはいないんですが」
「え」
「余ったのを、配ってるだけです」
二人は顔を見合わせた。それから片方が言った。
「じゃあ、余ってますか」
俺はかごを見た。
その日の収穫は、四十六個だった。トキさんの店に四十個持っていく約束をしている。残りは六個だ。
畝は二本しかない。壁際の再馴致区画は、まだ半分も育っていない。
二人に三個ずつ渡した。金は受け取らなかった。値段を決めていなかったからだ。
礼を言われて、通路の角まで見送った。曲がる直前に、片方が振り返ってこう言った。
「あの。名前、聞いてもいいですか」
答えようとして、少し迷った。
迷った理由は、自分でもよく分からない。
名乗ったところで何も変わらないはずだ。それでも、口が動かなかった。




