夢見る蛇の都 その37
ラピータ宮殿の前で、死に瀕したシュナン少年に付き添っていたはずのラーナ・メデューサは、突然その身を瞬間移動させられ、一瞬後には彼女は、見た事もないへんぴな農村のただ中に、一人ぽつんと立っていました。
彼女は村へと向かう、埃っぽいあぜ道の上に立っており、周りには田んぼや家畜小屋、それを取り巻く林や山など、どこの田舎でも見られる、のどかな田園風景が広がっていました。
メデューサが空を見ると、渡り鳥が数羽、くるくると旋回しているのが見えました。
どこからどう見ても、ただの、ど田舎の景色です。
どうしてシュナン少年たちと共に、ラピータ宮殿前にいたはずの自分が、こんな場所に飛ばされたのか、メデューサには理解出来ませんでした。
しかも実体を持たない、幽霊のような姿となってー。
それは先ほど村の子供たちが、自分の姿に全く気付かず、しかもメデューサの身体を、まるでそこに何も無いかのように通り抜け、走り去って行った事を見ても、明らかでした。
彼女の革製の靴を履いた両足は、あぜ道の上に立っているように見えて、実はその足裏は、少し地面から離れ、宙に浮いていました。
つまりメデューサは、まさしく幽霊のように、空中に浮遊していたのです。
おそらくメデューサの本体は、今だにラピータ宮殿の門前で、倒れ伏したシュナン少年に付き添い、魂の無い抜け殻のような状態となって、彼の傍に座っているのでしょう。
瀕死の状態のシュナン少年が、心配でたまらないメデューサは、何故よりによってこんな時に、自分が彼の元を離れ、こんな場所に、瞬間的に移動させられたのか、訳がわからず、いらただしげに、周りの景色を見回します。
そして、こんな場所に立ち止まっていてもしょうがないと思い、とりあえず何かの手がかりが、掴めるのではないかと考えたメデューサは、先ほど子供たちが走り去った方角にあると思われる、人間の住む村落を目指して歩き始めます。
まるで幽霊みたいに、地面から足裏が少し離れた状態で、道なりに移動する彼女の前に、やがて木の柵でぐるりと囲われた、人間の村の姿が、徐々に見えてきました。
なにやら、大勢の人々が上げる、賑やかな声も、風に乗って聴こえてきます。
やがて、その村の、木の柵で出来た出入り口にたどり着いたメデューサは、一瞬、柵の手前で立ち止まりましたが、ゴクリと息を飲むと、思い切って、木の柵の間のスペースをくぐり、村の中へと、足を一歩踏み入れました。
木の柵で出来た出入り口を通過して、村内に足を踏み入れた、メデューサの目の前に、その村落の全景が、一望の元に広がりました。
その村落は、メデューサの予想通りの、寒村でした。
百軒足らずの木造の小さな家屋が、点々と立ち並び、それぞれに、小さな畑と家畜小屋が、隣接しています。
おそらく、村人の人口は、数百人にも満たなかった事でしょう。
家と家の間を縫うように細い道が走っており、その道は、村の中央に設けられた、大きな広場につながっていました。
そこには、集会所として使われているらしい、大きな建物や、井戸の周りに作られた共用の水場があり、それに、野外で食事をする為の木のテーブルなども置かれており、どうやら村人たちが、共同で使っているスペースのようです。
そして、村の中に入り込んだメデューサにとって、予想外だったのは、そんな寒村だったにも関わらず、その日は、村全体が、華やかな雰囲気に包まれていた事です。
粗末な木造の家屋には、様々な意匠や飾りがほどこされ、見違えるように明るい雰囲気を、かもし出しています。
村人たちも、その多くが、一部の引きこもりを除いては外に出ており、農閑期だからか、畑仕事をしている者は一人もおらず、みんな普段の作業着とは違う、綺麗な服を身にまとい、明るい笑顔で立ち話をしたり、一緒に歩いたりしています。
(お祭りかー)
メデューサの頭に、その言葉が浮かんだ通り、その日はこの村にとって、年に一度の収穫祭、つまりはお祭りの日でした。
その年は、近年稀に見る豊作の年であり、村人たちは収穫の恵みを神に感謝し、その証として、大がかりなお祭りを開き、豊かな年であった事を、皆で喜び合っていたのです。
幽体となったメデューサが、大勢の村人たちが行き交う村の小道を、誰にも気づかれる事なく歩んで行くと、やがて収穫祭のメイン会場である、村の中央に位置する、大きな広場に出ました。
そこではやはり、老若男女を問わず、大勢の村人たちがひしめいており、互いの顔に笑顔を浮かべながら、つらい労働の日々が報われた証である、一年に一度訪れる、この良き日を、共に祝っていました。
村の中心的な場所である、そこは、今日は祝祭の場と化し、大勢の人々が広い敷地内のあちこちで、それぞれ、お祭りを楽しんでいるのが、見て取れます。
広場の真ん中に建てられた、神を祀る祠には、花や食べ物など、多くの貢物が捧げられ、その前の広いスペースでは、精一杯着飾った若い男女が、輪になって、楽しそうに踊っています。
またどこかで、祭りの噂を聞きつけたのか、旅芸人や行商人も、村にやって来ており、広場のあちこちで手品や曲芸を披露したり、また出店を開いて、珍しい食べ物を、ぼったくり価格で売っていました。
子供たちも、元気に広場の中を走り回り、周りに立つ大人たちは、それを談笑しながら、うれしそうに見ています。
一方、幽霊みたいな状態となって、その中に入り込んだ、我らがヒロイン、ラーナ・メデューサは、周囲にいる誰にも気づかれる事なく、群衆で混雑した広場内に立ち尽くしていました。
彼女は、そこで開催されている楽しげなお祭りの様子を、蛇の前髪の下からまぶしげに見つめながら、今まで感じた事の無い、激しい羨望のような気持ちが、胸にこみ上げるのを覚え、少し驚きます。
それほどまでに、周囲の村人たちの様子は、楽しげで幸せそうでした。
まるで、神の国の住人のようにー。
しかし、この貧しいながらも、精一杯盛大にお祭りが行われた年の、わずか数年後に、この地方を襲った大飢饉により、メデューサが今いる村を含め、多くの村々が大打撃を受け、多くの餓死者を出すと共に、人心も果てしなく、荒廃していく事になるのです。
無論、そんな事は、神ならぬメデューサには、知りようも無い事でした。
そんな風に、村の広場内で行われている祭りの様子を、棒立ちになって見つめていたメデューサですが、やがて、背後から自分に近づく、人の気配に気付き、思わず、後ろを振り向きます。
すると、メデューサがやって来た、村の正面出入り口のある方角から、あぜ道を歩き、広場内に入ろうとする、男女の姿が目に入ります。
それは、若い男女の二人連れで、女性の方は胸に、白い布で包まれた赤子を抱いており、どうやら、夫婦のようでした。
男性は黒髪で、やや小柄でしたが、精悍な体つきと顔をしており、澄んだ青い瞳が特徴的な、青年でした。
女性の方は、青灰色のちょっと変わった髪の色をしており、とても美しく、優しい顔立ちの人でした。
実は二人は、最近、村はずれの家に引っ越して来た、貧しい夫婦であり、呪い師を、その生業としていました。
二人は、今日が村の収穫祭である事を知ると、精一杯に着飾って、生まれたばかりの赤子と一緒に、お祭りの会場である、この広場まで、はるばるやって来たのです。
その若夫婦は、柵で作られた、村の出入り口の方につながっている小道から、大勢の村人たちで賑わっている、中央の広場の中に足を踏み入れると、そこで繰り広げられているお祭りの、華やかな様子や、大声で笑ったり叫んだりしている、見知らぬ人々の姿に気後れしたのか、二人してあたりを、キョロキョロ見回します。
しかし二人で、ヒソヒソ話した後で、何やら目標を見定めたのか、互いにうなずき合うと、人混みの中を肩を並べて、歩き出します。
彼らは、人混みで誰かとぶつからないように注意しながら、肩を並べて慎重に歩き、赤子を抱えた妻に歩調を合わせるように、ゆっくりと広場の混雑の中を、移動して行きます。
その若夫婦は、何故か、彼らの事が気になって、二人の姿が広場に現れた時から、ずっと注視していたラーナ・メデューサの、近くにまで歩み寄って来ましたが、当然ながら、幽体である彼女の存在には全く気づかず、蛇娘の傍を、そのまま通り過ぎて行きます。
そして、メデューサの側を通り過ぎた、その若夫婦は、広場の真ん中あたりにまで移動すると、そこに居並んでいる、行商人が食べ物などを売っている屋台の一つの前で、足を揃えて、立ち止まりました。
夫婦が立ち止まったのは、甘いパンケーキをぼったくり価格で売っている、中年の男が一人で取り仕切る、小さな屋台で、実は夫婦のうち夫である青年の方は、以前この中年男の作った屋台のパンケーキを、別の場所で食べた事があり、その美味しさは記憶に残っていました。
本日、青年は、妻と生まれたての息子と一緒に、この村で行われている収穫祭に、初めて参加しており、貧しいながらも、このお祭りを、家族と共に楽しもうと、心に決めていました。
そこで以前、食べた事のある、美味しいパンケーキ屋が、この村のお祭りにも屋台を出しているのを見かけた青年は、家族にもあの美味しいパンケーキを味あわせたいと考え、妻とも相談して乏しい手持ちのお金の中から、そのパンケーキを買うことにしたのでした。
そのパンケーキは、お祭り用のぼったくり価格で、普段より何倍も高かったので、懐具合の乏しい青年は、一個だけ買って、それを家族全員で、分ける事にしました。
屋台店の主人は、青年が貧しいのを察したのか、それとも、彼が以前にも、友人たちと一緒に、お客として来てくれたのを思い出したのか、小皿にパンケーキを、ごっそりと山盛りにして、サービスしてくれました。
青年は、その小皿にごっそりと盛られたパンケーキを、店の主人から受け取ると、妻である赤子を抱いた女性と共に、広場の外れに設けられた休憩スペースまで、移動しました。
そこは村人たちの憩いの場として、普段から広場の隅に設けられている休憩スペースで、木の廃材などを用いた、テーブルや椅子が置かれていて、今も何人かの村人が集まっており、休憩しながら談笑しています。
件の若夫婦は、休憩スペースで休む他の村人からは、少し距離を取るように、ポツンと離れた場所にある、大きな切り株に並んで腰を下ろすと、そこからお祭りの賑やかな様子を眺めつつ、屋台で買ったパンケーキを、仲良く二人で分けながら、食べ始めました。
互いの顔に笑顔を浮かべながら、幸せそうに、一皿のパンケーキを分け合って食べる、若夫婦。
妻である青灰色の髪の女性は、白い布に包まれた赤子を胸にかき抱きながら、夫の手の中にある、小皿に乗ったパンケーキを、細い指で少しずつちぎり、自分の口元に運んでいます。
夫である黒髪の青年は、そんな美味しそうにパンケーキを食べる妻の様子を、目を細めて見ながら、自分も少しずつ、小皿の上に乗ったパンケーキをちぎって、口の中に頬張り、味わって食べています。
そして、妻である女性が、パンケーキを細かくちぎったかけらを指でつまんで、胸に抱いた赤子の口にそっと含ませると、その子は、あまりの甘さにびっくりしたのか、父親譲りの青い目を大きく見開きながら、キャッキャッと笑います。
それを見た若夫婦も、また互いの顔を見つめると、楽しそうに笑い合います。
やがて、そんな風に切り株の上で並んで座り、パンケーキを分け合って食べる若夫婦の周りに、他の村人たちが集まって来ました。
若夫婦の知り合いの村人はもちろん、二人の事を知らない村人たちも、彼らの側に寄ってきて、あれこれ親しげに話しかけて来ます。
それは村にとっては新参者である、若夫婦に対する好奇心も、もちろんあったのですが、何と言っても、その主な理由は、妻である女性が胸に抱えている、シーツに包まれた赤子の、そのあまりの愛らしさが、村人たちの目を、強く惹きつけたからでした。
村人たちは、切り株に座った二人に親しげに話しかけ、赤ん坊の愛らしさを、誉めたたえます。
若夫婦は、大勢の村人たちに囲まれながら、何だか、照れ臭そうにしています。
若夫婦のために、屋台で買った食べ物を、親切に差し入れてくれる人も、何人もいました。
二人は、それをおずおずと受け取ると、恥ずかしそうにお礼を言いました。
そして、幽霊のような状態になったメデューサは、その一部始終を、少し離れた場所から、じっと見つめていました。
切り株に仲良く座る、幼子を抱えた、まだ若い夫婦と、彼らの周りを取り巻く、親切で優しげな村人たち、そして収穫祭で賑わう、暖かな雰囲気に包まれた、村内の様子をー。
貧しい村でした。
貧しい人々でした。
貧しい夫婦でした。
しかし、王侯貴族が持つ、どんな金銀財宝にもまさる価値を持つ、大切な何かが、この場所には確かにありました。
メデューサは、意を決したように前を向くと、たくさんの人々で賑わう、祭りの会場である広場を、横断するみたいに歩き始めます。
もちろん周囲には、大勢の村人たちがいましたが、精神体だけの状態となったメデューサを、見たり触ったり出来る者は一人もおらず、彼女は群衆で混雑する村広場のただ中を、誰にも気付かれる事無く、すり抜けるように移動して行きます。
まるで、幽霊みたいにー。
地面から少し浮いた、彼女の足は、広場の隅の方にある休憩スペースで、切り株の上に座る親子連れの方へと、真っ直ぐに向かいます。
うら若く美しい母親に抱かれた、青灰色の髪と澄みきった青い瞳を持つ、その天使のような赤子ー。
そう、まだ生まれたばかりの、シュナン少年の元へー。
[続く]




