第百二十七頁 不和
「クウヤ!」
スカーレッドがシュヴァルツェンバッハ宅に入るなり、その名を呼んだ。
しかし最も大きく反応したのはその人物ではなかった。
「何事だ!」
既に夢の中に訪れていたレオンハルトは跳ね起きた。
「すみません……もうお休みになってたんですね……」
「当たり前だ!こちとら生誕の儀で寝てねえんだよ!陽が落ちるまで分娩の間で仮眠はとったが、家でも休ませてくれ」
「本当にすみません!」
スカーレッドは深々と頭を下げた。
今日一日で様々なことが起こりすぎており、レオンハルトが休んでいないことを失念していた。また夜間にも関わらず、大きな声で人の名を呼んでしまった。
この二点に対する反省だった。
「クウヤと話がしたくて……緊急事態とか非常事態ではないんです。配慮が欠けていました。本当にすみません」
レオンハルトの目を見て、要件と謝罪の意を伝え、もう一度深く頭を下げた。
「何も起きてないならいい。静かに頼むぞ……」
レオンハルトは横になりながらそう言うと、再び夢の中へと引き返した。
「クウヤ。ちょっといい?」
今度は小さな声でクウヤを呼んだ。
呼ぶときのトーンがいつもと違うことにクウヤは気づいた。
普段はもっと朗らかな表情で、「ヤ」のあとに少し余韻がある。
しかし今回は語尾がピタッと止まり、珍しく真顔だった。
クウヤは「いいよ」とだけ返事をした。
「外来て」
スカーレッドは先に反転して屋外へ向かった。
クウヤも彼女の後をすぐに追いかけた。
「ねえクウヤ。私に隠してることない?」
先ほどと同じようなトーンでスカーレッドは尋ねた。
クウヤの方は向かず、彼には背中を見せていた。
「隠してること?ねーよ、そんなの」
思い当たる節がない。
なぜそんな質問をするのかクウヤには理解ができなかった。
「嘘つかないで!」
「うそじゃない!」
「じゃあ!」
スカーレッドはクウヤに顔を見せた。
「強い生気を浴びたって何?」
「——!」
彼女が聞きたいことをクウヤは察した。
息が詰まる思いだった。
クウヤは下唇を噛んだ。
今にも泣き出しそうで、力のない幼馴染の声。対照的な険しい顔。
涙を湛えることと怒りを露わにすること、どちらも我慢しているに見える。
——はぐらかそう。
考えは浮かんだが、心が許さなかった。
「ビゼーから、きいたのか?」
目を見ることができなかった。
彼の目線は彼女の靴を追っていた。
「うんうん。何も。だって、ビゼーくん、本人から聞いた方がいいって言うから……だから、まだ何も知らない」
スカーレッドは首を振ってから答えた。
彼女が自分の顔をしっかり見ているのをクウヤは感じた。
逃げ出したくなった。
一度はぐらかしている分、罪悪感が大きい。
後ろめたい気持ちがのしかかり、首に角度をつけていく。
「……」
どう伝えればいいのか。
自分の足元を見つめて考えた。
「だから……」
スカーレッドが声を発した。
「教えてほしい。クウヤの言葉で。だって、強い生気を浴びた経験があるかないかって話でこんな空気になるのおかしいじゃん!そんなに話しづらいことなの?」
クウヤは拳を強く握って開いた。
「ごめん……オレ、おまえからもらった剣……人を……こ、殺すのに使った……」
「えっ……こ、ろ……」
スカーレッドは目の焦点が合わなくなった。言葉のパワーが強すぎて、脳が理解を拒んだ。
だんだんと表情が緩んでいく。
「こ、殺す?そ、そんなあ〜、もうやめてよ。冗談でしょ?そんなんいいから……」
緩んだ表情は十秒たたずして強張った。
「本気……?」
クウヤの首がチョコンと動いたのを確認した。
「ど、どういうこと?」
「ホントごめん!」
クウヤは深々と頭を下げた。
「謝罪とかいいから!どういうことなの?ちゃんと説明して!」
スカーレッドはクウヤの脳天に向かって叫んだ。
言葉が足りないせいだけではない。
彼女にとってクウヤの告白はあまりにも情報過多だった。
脳の大半を埋め尽くす「殺す」という動詞。何をどう肉付けすればこの言葉の意味が理解できるのか。
咄嗟にブレインストーミングを繰り広げた。やけに頭は回るが、思い浮かぶのは類義語や関連性の高い単語ばかりだった。
思考で脳が焼けそうだった。
故に、彼女は答えを求めた。
「その、オレ、アネキがいて」
「お姉さん?そうなんだ……」
この場面での初出し情報。
詳しく聞きたい気持ちを抑えて、軽いリアクションに留めた。
「……で、殺した……」
「は?」
論理の飛躍がスカーレッドを悩ませた。
クウヤの回答には脈絡が一つもない。
「オレがぜんぶわるいんだ。ごめん」
ほとんど何も理解できないまま、クウヤの謝罪の言葉が鼓膜を通過した。その言葉は明確な意味を伴わないまま脳に到達した。
その影響でスカーレッドは冷静だった。判明した事実を並べていく。
「何?クウヤは私があげた剣でお姉さんを殺したってこと?」
「……うん」
クウヤは言いづらそうに呟くように返事をした。
「——信じられない」
スカーレッドは冷たく言い放った。
しかし強い感情はこもっているものの吐き出した言葉に棘はなかった。
不思議なことに彼女の心に怒りの感情は不在だった。
代わりに強い呆れと失望感が同居していた。
スカーレッドはより冷静になった。
「ねえ。じゃあクウヤはなんでここにいるの?殺人は犯罪だよ?自首しなよ」
知人に寄り添う言い方ではなかった。
声色からは感情が読み取れない。
表情はなく、人形が機械音声を使っているようだった。
「……」
「ねえ!」
クウヤが言い淀んでいると、感情を爆発させた大きな声が轟いた。
悲鳴ともとれるような汚い音だった。
先ほどとは打って変わって歯を食いしばり、綺麗な二つの瞳は潤んでいる。
「し、死体がなくなったんだよ……きえたんだ」
「は?」
「だから……じしゅしてもいみないみたいなこと、ビゼーが言ってた……」
「……」
スカーレッドの思考は再び掻き乱された。歯車に誤差が生じて噛み合わなくなった。それぞれの事実が単体で別個に回転運動を続けている。
「はぁ……」
スカーレッドは一つ、ため息をついた。続けてクウヤに尋ねた。
「剣はどこ?」
クウヤはようやく首を擡げた。
「中」
スカーレッドはシュヴァルツェンバッハ宅に入った。
数秒後、出てきた時は剣も一緒だった。
彼女はクウヤの方へ歩み寄る。
ちょうど真横で足を止めた。
「私、言ったよね?剣は護身用だって。意味も説明した。信じてたのに……」
顔を合わせない。それどころか互いの体の方に顔も向けず、互いに正反対の方向を見つめながら話した。
「そういう使い方する人に剣なんか預けられないから」
「ごめん……」
クウヤは力なく言葉を漏らした。
次の瞬間スカーレッドはクウヤの方を向いた。
「謝るくらいなら、最初からやらないでよ!」
スカーレッドはクウヤの耳に直接声をぶつけると、全速力でその場から離れた。
剣を抱えて、涙を振り撒きながら、一目散に駆けていった。
ムラに戻ってきたビゼーたちが見たのはちょうどその様子だった。
走り去るスカーレッド。
対照的に呆然と佇むクウヤ。
彼らが最後に見たスカーレッドの様子を考慮すれば、何が起きたのか想像することは容易だった。
表現し難い複雑な感情を帯びたビゼーとミクリは遠くからスカーレッドの走路を追い、クウヤを見守ることしかできなかった。
クウヤとスカーレッドはこの件以来、しばらく言葉を交わさなかった。
次回 障壁




