3話
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夜が明けても、その動画は消えなかった。
配信サイトのアーカイブは通報によって数十分で削除されたが、その頃にはもう、無数のアカウントが自分のスマートフォンに保存した映像を、思い思いの切り取り方で再投稿していた。十五秒、七秒、三秒――ある投稿は白石が最後に見せた「手の動き」だけを、スローモーションにして繰り返し再生するように加工されていた。
朝七時の時点で、関連動画の総再生数は延べ三百万を超えていた。トレンドには「#白石」「#配信殺人」「#ワクチン被害者」といったタグが並び、それぞれのタグの下で、まったく異なる物語が同時進行で組み立てられていった。
最初に勢いを持ったのは、白石を糾弾する流れだった。
「これ、どう見ても認めてるよね」 「土下座しかけてる時点で、後ろ暗いことあったってことでしょ」 「製薬会社の役員がこんな態度取るって、相当やばい案件だったんじゃないの」
引用リポストの数字は、一時間ごとに桁を変えていった。ある大手まとめアカウントが「【動画あり】製薬会社役員、被害者遺族の前で謝罪か」という見出しをつけて投稿すると、それはさらに数十万回拡散された。ニュースサイトの速報欄にも、控えめな見出しながら「配信中に男性が死亡 20代男に事情聴取」の文字が並び始めた。
昼のワイドショーでは、コメンテーターたちが神妙な顔で議論を交わしていた。
司会者が慎重に言葉を選ぶ一方で、画面の下に流れるSNSのコメント欄は、そうした慎重さとは無縁の速度で加熱していった。
一方で、加害者である青年に対しても、朝のうちに一つの転換点が訪れていた。
ネット上で「特定班」と呼ばれる有志たちが、配信の内容――両親の死、ワクチン、誰にも聞いてもらえなかったという訴え――をキーワードに、過去の投稿を掘り起こし始めたのだ。数時間のうちに、彼の本名が桐生悠人であることが拡散され、彼が匿名で参加していたある掲示板の書き込みが発見された。そこには、二年前から積み重ねられてきた、家族を失った悲しみと、誰にも理解されなかった孤独が、赤裸々に綴られていた。
「これ本人の書き込みだよな……普通に、かわいそうじゃん」 「両親二人ともって、相当だろ。それを誰も取り合わなかったって話、闇深すぎる」 「声を上げられなかった人の、最後の手段だったのかもね」
この瞬間から、彼を指す言葉が変わり始めた。「犯人」「殺人鬼」という言葉と並行して、「代弁者」という言葉が使われるようになったのだ。
彼が参加していたコミュニティの中でも、反応は複雑だった。ある古参のメンバーは、匿名の掲示板にこう書き込んだ。
「正直、複雑な気持ちだよ。あの子がずっと辛そうにしてたのは知ってた。でも、こんな結末を望んでたわけじゃない。俺たちのコミュニティのせいにされるのだけは、勘弁してほしい」
一方で、別のメンバーはこう返した。
「でも、事実として、あの子の話を最初にちゃんと聞いたのは俺たちだろ。それを都合よく『陰謀論のせい』ってまとめられるのは、こっちが納得いかない」
正義感でも罪悪感でもない、居心地の悪い沈黙が、そのコミュニティ全体を覆っていた。
昼過ぎには、ある野党議員が自身のアカウントで「行政の相談窓口が、こうした孤立した声をすくい上げられなかった構造的な問題を、真剣に検証すべきだ」と投稿し、これに対して与党側の議員が「まず殺人という行為そのものを断罪すべきだ」と反論する一幕もあった。政治的な立場の違いまでもがこの事件に重ね合わされ、議論はますます、当初の被害と加害の話から離れていった。
昼を過ぎた頃、あるチャンネル登録者数の多い時事解説系ユーチューバーが、事件についての解説動画を公開した。冒頭で彼は、神妙な顔つきでこう語った。
「今回の件、僕は簡単に『英雄』とも『殺人鬼』とも言いたくないんですよ。ただ、この青年が置かれていた状況――誰にも話を聞いてもらえなかったという状況そのものは、たぶん、僕らの社会が本気で向き合ってこなかった問題だと思うんです」
その動画は公開から数時間で百万再生を超え、コメント欄には「よくぞ言ってくれた」という賛同の声と、「結局、人殺しを擁護してるだけじゃないか」という反発の声が、ほぼ同じ量だけ書き込まれていった。批判が殺到したことを受け、彼はその日のうちに二本目の動画を公開し、「誤解を招く表現があったことをお詫びします。人を殺していい理由には、決してならないと思っています」と釈明した。だが、一度火のついた炎上は、釈明程度では収まらず、彼のチャンネル自体が「炎上系」として新たな消費の対象になっていった。
同じ頃、ある匿名の呼びかけをきっかけに、「桐生悠人の裁判費用を支援する会」と名乗るクラウドファンディングのページが立ち上がった。開設からわずか数時間で、目標金額の何倍もの支援金が集まり、それ自体がまた新しいニュースとして報じられた。「人殺しに金を渡すな」という抗議のコメントが殺到する一方で、支援者の数は増え続けた。ページを立ち上げた発起人のもとには、賛同のメッセージだけでなく、「お前も同罪だ」「住所特定した」といった脅迫めいた書き込みも次々と届くようになり、開設からわずか一日で、発起人は一時的にアカウントを非公開に切り替えることになった。
対照的に、白石の家族に関する情報は、ほとんど誰の目にも留まらなかった。ある地上波のニュース番組が、白石の妻とみられる女性に短時間だけマイクを向けた映像を放送した。
「主人が、何をしたというんでしょうか……私たちにも、家族がいたんです」
涙をこらえるような、震えた声だった。だが、その映像がSNS上で拡散されることはほとんどなく、まとめサイトに引用されることもなかった。数字にならない声は、この日、どこにも届かないまま消えていった。
その一方で、白石を擁護する発言をした一部のアカウントは、たちまち「敵」として認定され、過去の投稿を掘り返されて攻撃の対象になった。逆に、青年を擁護する側のアカウントの中にも、勤務先や出身校を特定されたと訴える者が現れ始めた。誰かを断罪したいという熱量は、いつのまにか、目の前の事件そのものよりも、意見の異なる相手を叩くことの方に向かい始めていた。
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