14話
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「どうぞどうぞ、突っ立ってないで」
橘涼に促されるまま、和也は雑居ビルの一室に足を踏み入れた。壁際には配線がむき出しの機材ラックが並び、床には照明用のスタンドと、飲みかけのエナジードリンクの缶が転がっている。配信の派手な演出からは想像できないほど、殺風景で、生活感のない部屋だった。
壁の一角には、再生数を示すらしいスクリーンショットが、何枚もプリントアウトされて貼られていた。百万、二百万という数字の隣に、赤いマジックで「祭り」「バズった」と書き込まれている。まるで、それ自体が誇らしい戦績であるかのように。
橘は椅子を二脚、向かい合わせに引き寄せると、そのうちの一つにどっかりと腰を下ろした。冷蔵庫から缶コーヒーを二本取り出し、その一本を、断りもなく和也の前に置く。
「座って座って。あ、これ回していいっすか」
言うが早いか、橘は三脚に固定されたカメラの電源を入れようとした。和也は、それを片手で制した。
「撮影と配信は、お断りしたはずです」
「えー、もったいない。じゃあ音声だけでも」
「それも、お断りします」
「モザイクかけるし、声も変えるんで、大丈夫っすよ。これがあるとないとで、企画の説得力、全然違うんすよね」
「お断りします」
橘は大げさに肩をすくめたが、それ以上は食い下がらなかった。かわりに、テーブルの上に置かれたスマートフォンを、画面がこちらを向くようにさりげなく動かした。和也は、それにも気づいていたが、あえて何も言わなかった。録られていると思って話す方が、余計なことを口にせずに済む。
「じゃあ、本題どうぞ。兄貴さん、なんの用っすか」
「先日の動画で紹介していた資料について、お聞きしたいことがあります。あれは、誰から受け取ったものですか」
「それ聞かれると思ったけど、言えないんすよねー。情報源の秘匿ってやつ」
「秘匿する義理が、そちらにあるとは思えません。あなたは、ジャーナリストではないですよね」
橘は、悪びれる様子もなく笑った。
「まあ、そうっすね。でも、情報くれる人がいなくなったら、俺も困るんで。それに――」橘は身を乗り出した。「兄貴さんこそ、なんで知りたいんすか。弟さんの裁判のためとか?」
「弟が、あなたの動画と重なることを言っていました。だから、本当のことを、知りたいだけです」
「重なること、って?」
「それは、言えません」
橘は、つまらなそうに口をとがらせた。
「なんだよ、ギブアンドテイクじゃないんすか。俺ばっかり出させるの、フェアじゃなくないっすか」
「俺、これでもけっこう顔広いんすよ」橘は、壁のスクリーンショットを親指で示しながら言った。「去年も、某アイドルの熱愛スクープ、あれ俺なんで。事務所から抗議来たけど、結局あっちが折れたし」
和也には、それが何かの自慢になっているのか、判断がつかなかった。ただ、この男にとって、事件も、不倫も、悲しみも、すべてが同じ棚に並ぶ「ネタ」でしかないことだけは、よくわかった。
和也は、あらかじめ考えていた言葉を、静かに口にした。
「今、私が調べていることが、もし何かの形になったら、真っ先にあなたに話します。他の誰にも先に話しません」
橘の目の色が、わずかに変わった。
「それ、マジで言ってます? 独占ってことっすよね」
「はい」
「兄貴さん本人が出てくれるってことっすか。顔出しで?」
「それは、その時にならないと、わかりません」
橘はしばらく、和也の顔をじっと見ていた。損得を計算しているのが、表情からそのまま伝わってくるようだった。やがて、橘は椅子の背もたれに体を預け、投げやりな調子で言った。
「まあ、いいっすよ。別に、隠すほどのことでもないし。というか、俺も正直、よく知らないんすよね」
「知らない、とは」
「情報くれた人、会ったこともないし、名前も知らないっす。ある日、事務所のメアドに、あの資料の画像がぽんって送られてきて。それだけ」
「差出人の情報は」
「フリーメールっすよ。適当な文字列のアドレス。本文には、短いメッセージが一個だけ」
橘は、スマートフォンを操作し、その画面を和也に向けた。文面は、簡潔だった。
「マーケ会社への発注は、私が担当しました。これ以上、見て見ぬふりはできません。事実を伝えてください」
「これだけです。名乗ってもいないし、会社名も、自分から書いてないっす。まあ、文面から、たぶん製薬会社側の、発注した本人だろうなとは思ってますけど」
「マーケティング会社の人間ではなく、製薬会社の――発注した側の人間だということですか」
「そう見えますよね。だって、『発注は私が担当しました』って、はっきり書いてあるし」
和也は、その一文を、頭の中で繰り返した。マーケティング会社ではなく、発注した張本人。つまり、白石の会社の内部にいる誰かだ。
「その後、やり取りは」
「二、三回くらいっすかね。俺から『続報ないですか』って送ったら、ぽつぽつ返ってくる感じ。今んとこ、それが一番いい情報源っす」
「会って話したいと言ったら、応じると思いますか」
橘は、心底おかしそうに笑った。
「無理無理。一回、直接会って話聞かせてほしいって送ったら、それきり既読すらつかなくなりましたもん。三日後くらいに、また新しい資料がぽんと送られてきましたけど」
「顔も、名前も出したくない、ということですか」
「そりゃそうでしょ。会社にバレたら終わりだろうし。てか、俺だって、正直そこまで興味ないんすよね。誰が、どんな気持ちで送ってきたかなんて」
橘は、悪気なく続けた。
「大事なのは、中身が本物かどうかと、数字になるかどうかだけなんで。動機とか事情とか、そういうの気にしてたら、この仕事やってらんないっすよ」
その言葉に、和也は返す言葉を、一瞬見失った。悠人の名前も、両親の死も、この男にとっては、これから先、同じように扱われる「中身」の一つでしかないのだろう。
「その人と、連絡を取る方法を、私にも教えてもらえますか」
「えー、それは、ちょっと」
橘は初めて、渋る素振りを見せた。
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