10話
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「現時点で、報道されている文書の真偽については確認中でございます。ただ、もし事実であった場合、関係者の皆様に深くお詫び申し上げます」
「確認中って、また同じ言葉ですか」
記者の一人が食い下がる。
「何度もそう仰っていますが、これでは隠蔽と受け取られても仕方ないのでは」
「決してそのようなつもりは……」
「白石さんご本人は、この施策についてどこまでご存知だったんですか」
「担当部署が異なりますので、その点についても、現在確認を――」
「また確認ですか」
その様子は生中継で流され、SNS上ではリアルタイムで切り抜かれていった。
「また『確認中』か。もう笑えるレベル」 「隠す気満々じゃん、この会社」
夕方には、当該マーケティング会社の社長を名乗るアカウントが謝罪文を公開し、「一部施策において行き過ぎた表現があったことは事実であり、深く反省しております」と認める形になった。これにより、報道された文書の信憑性はほぼ確定的なものとして扱われるようになっていった。
その製薬会社のオフィスの片隅で、一人の社員が、誰もいない給湯室で、スマートフォンの画面を見つめていた。橘涼の動画の再生数が、刻一刻と増えていくのを、ただ黙って見ている。
あの発注書を作成したのは、他でもない自分だった。上からの指示を、そのまま文書に落とし込んだだけのつもりだった。反論する立場でもなかったし、深く考える余裕もなかった。ただ、あの投稿サンプルが実際に世に出て、誰かを傷つけているらしいと知ったときから、胸の奥に小さな石が沈んだままだった。
誰かに恨みがあったわけではない。ただ、この重さを、自分一人で抱え続けることが、どうしてもできなかった。それだけだった。
その社員は、ポケットの中のスマートフォンを、もう一度だけ握りしめた。それから、何事もなかったかのように、給湯室を後にした。
夜のニュース特集では、有識者と称する大学教授がコメントを寄せていた。
「今回の件は、企業が『正しさ』を掲げながら、その裏で弱い立場の人々を踏みにじっていたという、極めて象徴的な構図だと思います。声を上げられなかった人々の孤立感を、逆に利用しようとしていたわけですから」
こうした論調が積み重なるにつれ、悠人に対する世論も、目に見えて軟化していった。
「結局、あの青年も、ずっとこういう構造の被害者だったってことだよね」 「両親のこと、誰にも取り合ってもらえなかったって配信で言ってたけど、その『取り合ってもらえない』苦しみを、企業側が意図的に増幅させてたってことでしょ。これは同情するわ」 「もちろん殺人は許されないけど、追い詰められた背景を考えると、単純に『異常者』では片付けられないと思う」
前日までコメント欄を占めていた「殺人鬼」という言葉は、この日を境に急速に影を潜め、代わりに「構造の犠牲者」という表現が使われるようになっていった。
翌日の昼、和也は珍しく、同じ職場の同僚から連絡を受けた。事件のことを知っている数少ない相手の一人だった。
「和也、大丈夫か。ニュース、見たよ」
「ああ……見た」
「なんかさ、流れ変わってきてるよな。あの製薬会社の話。正直、最初は『家族がおかしくなって人を殺した』ってだけの話だと思ってたけど、ここまで出てくると、単純な話じゃなかったんだなって」
「そうだね」
和也はそれだけ答えるのが精一杯だった。
「お前の弟さんのこと、俺、よく知らないけど……もし本当にこういう構造があったんだとしたら、全部お前の弟さんが悪いって話でもないんじゃないか」
同僚は励ますつもりで言ったのだろう。だが和也の中では、その言葉はどこか座りが悪いまま、うまく着地しなかった。
「ありがとう。でも――」
「でも?」
「まだ、分からないことが多すぎるんだ」
電話を切った後、和也は再び、橘涼の動画を開いた。文書の文面を、何度も目で追う。「ターゲット層の心理的孤立感を煽る方向性で検討願います」――その一文を読んだとき、和也の中で、何かが小さく音を立てた。
『みんな、笑ってたんだ』 『僕らの外側の話だよ』
拘置所のアクリル板越しに聞いた、あの平坦な声が、頭の中で重なる。
これは、悠人が言っていたことと、無関係ではないのではないか。
そう思った瞬間、これまで漠然としていた「調べなければならない」という思いが、初めて具体的な輪郭を持ち始めた。誰が、いつ、どうやってこの資料を手に入れたのか。橘涼という配信者は、なぜこのタイミングでこれを公開したのか。
和也は動画のコメント欄を遡り、橘涼の他の投稿や、活動拠点らしき情報がないか、探し始めた。深夜のノートパソコンの光だけが、暗い部屋を淡く照らしていた。
これまでのように、誰かが与えてくれる説明を、ただ待つつもりはなかった。
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