闘技大会ー
広大な円形の闘技場。観客席は高くせり上がり、各国の旗と紋章が並んでいる。
静寂の中に、微かなざわめきだけが漂っていた。
「……あの子が……」
「本当に剣聖なのか……?」
疑念と好奇の視線が、中央に立つ少女へと注がれている。
ミレニアム・ジ・プレミアム
二つ名は「純潔のミレニアム」
白を基調とした剣聖の正装に身を包み、静かに呼吸を整えている。
だが、その手は――ほんのわずかに震えていた。
首元のネックレスに指が触れる。
十の指輪のひとつ。
「……だ、大丈夫……です……」
小さく呟く声。
審判の声が響く。
「第一回戦、開始」
その瞬間――
対戦相手が一歩を踏み出した。
重装鎧に身を包んだ騎士。
巨大な両手剣を構え、地を鳴らす。
「手加減はしない」
低く響く声と同時に、男の身体が前へ。
圧倒的な速度。
一瞬で距離が詰まる。
――だが。
動きが止まった。
ぴたり、と。
空気が凍りついたかのように、男の身体は前傾のまま硬直している。
「……え?」
誰かの困惑の声が漏れる。
審判が慌てて駆け寄り、男の様子を確認する。
脈を取り、瞳を覗き込み――
「……気絶、している……?」
場内がざわめく。
「どういうことだ……?」
「何が起きた……?」
観客も、対戦相手の陣営も、誰も理解できていない。
男は倒れもしない。
ただその場で、意識だけを失っている。
そして――
中央に立つ少女は、何もしていないかのように静かに立っていた。
わずかに息を整え、指輪に触れる。
「……あの……その……」
おずおずと周囲を見る。
「……大丈夫、ですか……?」
その問いに答える者はいない。
審判が困惑しながら、ゆっくりと手を上げた。
「……勝者、ミレニアム・ジ・プレミアム」
沈黙の後、ざわめきが広がる。
何が起きたのか、誰にも分からない。
攻撃の音も、衝撃も、倒れる瞬間さえもなかった。
ただ一つだけ、確かな事実。
――剣聖は、一瞬で勝利した。
その“方法”だけが、誰にも見えていなかった。
闘技場の裏手、選手用の通路。
勝者として戻ってきたミリィは、控えめな足取りで歩いていた。
まだ胸の鼓動が落ち着かないまま、ネックレスの指輪にそっと指を添える。
その先で――
腕を組み、壁に寄りかかる影。
オセロット・ラハム。
不機嫌そうに、じっとミリィを見ていた。
「……おかえりなさい……?」
ミリィは小さく首を傾げる。
「えっと……ちゃんと勝った、よ?なんか怒って、る?」
両手の人差し指をつんつんと合わせながら、上目遣いで様子をうかがう。
だが、オセの表情は崩れない。
「ミリィ様さー、あの勝ち方はないでしょーがっ!」
いきなりの強い声。
ミリィはびくりと肩を揺らす。
「……え?なんで?なんでダメ?」
「いいっすか!?」
一歩踏み出し、真っ直ぐに言い放つ。
「ミリィ様は今、世間中から疑われてんすよ?」
「……あうっ……」
胸を押さえるミリィ。
その言葉が、心に突き刺さる。
「舐められまくってんすよ!?」
「……っ……」
再び胸を押さえ、視線を落とす。
「剣聖を襲名したものの、こんな平和な時代に実績なんて出せるわけねぇんすから、だ・か・ら・こ・そ!」
オセは強く言い切ると――
人差し指をミリィの顔に押し付けた。
「“何をしたか分からない勝ち方”が一番ダメなんすよ!」
ミリィは押された指を見つめたまま、固まる。
「……えっと……」
小さく息を吸って。
「……ちゃんと、勝てて、なかった…かな?」
不安そうに問いかける。
オセは少しだけ言葉を詰まらせる。
「勝ってはいるっすよ。そこは完璧」
「……よかった……」
ほんの少しだけ、安心したように表情が緩む。
「でも」
すぐに、オセの声が鋭くなる。
「“どうやって勝ったのか”が誰にも分かんねぇのは、ダメっす」
ミリィはゆっくりと瞬きをした。
「……どうして……ですか……?」
その問いに、オセは真っ直ぐ答える。
「信頼されねぇからっす」
一拍。
「ミリィ様は“強さ”を見せる必要があるんすよ」
「……強さ……」
ミリィは自分の両手を見つめる。
震えは、もうほとんど止まっていた。
ネックレスの指輪に触れる。
「……私……」
小さく呟く。
「……怖いんです……」
その言葉に、オセは一瞬だけ目を細める。
「知ってますよ」
軽く、けれど即答。
「だからこそ、やり方が大事なんす」
ミリィはゆっくりと顔を上げる。
「……オセ…」
「なんすか、剣聖様」
「……次は……ちゃんと、見せます……」
震えはまだある。
けれど、その瞳はまっすぐ前を向いていた。
闘技場の控え室へ戻ったミリィとオセ。
まだ戦いの余韻が残る中、二人はそのまま地面に腰を下ろした。
オセは腕を組み、軽く顎をしゃくる。
「いいっすか?俺の言った通りに、戦ってくださいね?」
「……うん」
ミリィは素直に頷いた。
「じゃあ作戦いきますよ。まず――」
オセが話し始める。
ミリィはその横で、真剣な表情で「ふむふむ」と頷きながら聞いている。
時折、理解が追いつかないのか、目をぱちぱちと瞬かせる。
「いや、違う違う。そこはもっと大胆に」
ポカリ。
オセの手が、軽くミリィの頭を叩く。
「……あうっ」
「今の顔はダメっす」
再びポカリ。
「ちゃんと“できる顔”してください」
「……う、うん……!」
叩かれながらも、ミリィは真面目に聞き続ける。
その様子に――
周囲の空気がざわつき始めた。
控え室にいた選手たちが、思わず顔を見合わせる。
「……あれ、剣聖だろ?」
「いや、今……従者に殴られてなかったか……?」
「……え、あれが剣聖?」
さらに、通りがかった職員までも足を止める。
「名前だけ……ってことか?」
「いやでも、さっきの試合……」
「正体、分からなすぎるだろ……」
疑念と困惑。
剣聖という存在への期待と、それを裏切るような“光景”。
だがその中心では――
ミリィが真剣にオセの言葉を聞き、何度も頷いていた。
「……オセ、次はちゃんと、見せるね」
「最初からそうしてくださいよ」
軽く、もう一度ポカリ。
「……あう……」
小さく声を漏らしながらも、ミリィは指輪に触れて、ゆっくりと息を整える。
次の戦いへ。
誰もが理解できない“剣聖”の戦いが、静かに準備されていく。
闘技場。
第2試合の開始を告げる鐘が鳴る。
重い扉が開き、登場口から一人の少女が現れた。
ミレニアム・ジ・プレミアム。
白い正装に身を包み、ゆっくりと一歩を踏み出す。
会場から、そこそこの歓声が上がった。
だが――その奥に混じるのは。
「名ばかりの剣聖」
「貴族の令嬢が金で買った肩書だろ」
「どうせ試合も八百長だ」
「強いわけがない」
冷たい言葉が、空気を刺すように響く。
ミリィの足が、一瞬だけ止まりかける。
――胸が、痛い。
呼吸が浅くなる。
心臓が締め付けられるように跳ねる。
けれど。
表情には出さない。
「……っ……」
指輪に触れ、ぎゅっと握る。
震える手足を押さえつけるように。
背筋を伸ばす。
①――品位と高貴さ。
ゆっくりとした歩み。
一歩、一歩。
優雅に。
静かに。
それでも、膝がわずかに震えている。
観客の視線が突き刺さる。
「……っ……」
息を整える。
オセに言われた通りに。
②――時折、観客に目を向ける。
立ち止まり。
ぎこちなく顔を上げる。
観客席へ視線を送る。
――微笑む。
震えた、ぎこちない微笑み。
それでも――目を逸らさずに。
数秒。
静寂。
やがて。
「……おお……」
誰かが息を呑む。
「……あれ……」
ざわめきが変わる。
「……ちゃんと、こっち見て……」
「……笑ってる……?」
空気が、少しずつ変わる。
そして――
歓声。
さっきまでとは違う、明確な“歓喜”の声。
ミリィは小さく目を見開いた。
「……これで……いいの……?」
ぽつりと、呟く。
「……喜んでるから……いいんだよね……?」
胸の奥の痛みは消えていない。
それでも――
ほんの少しだけ。
指輪を握る手に、力が戻った。




