魅せるための戦いー
舞台に上がると、対戦相手はすでにそこに立っていた。
全身を黒い甲冑で覆い、無機質な光を宿す面頬。
長大な槍を静かに構え、その姿だけで圧を放っている。
ミリィはその対極の位置に立ち、震える瞳で相手を見つめた。
「こ……こわい、よぉ……」
声はか細く、今にも崩れそうだ。
それでも。
唇をきゅっと結び、無理やり笑顔を作る。
目にはうっすらと涙。
だが、視線は逸らさない。
――オセの言葉。
③舞台に上がったら観客席に笑顔で手を振る。そして何か叫ぶべし。
その一瞬、ミリィは小さく息を吸い込むと――
くるりと背を向けた。
「……えっ?」
対戦相手がわずかに動く。
しかしミリィは、そのまま観客席へと向き直る。
そして――
両手を大きく振り上げた。
「……み、みなさーん……!」
満面の笑み。
ぎこちなさはある。
けれど、全力の笑顔。
「が、がんばります……!」
その一言と共に、手を振る。
最初は戸惑っていた観客たち。
だが――
「……おおおおお!!」
一人、また一人と声を上げる。
「応援するぞ!!」
「ミレニアムー!!」
「がんばれ剣聖!!」
歓声が、波のように広がっていく。
会場全体が、ひとつの大きな声に包まれた。
その熱気の中で。
ミリィは少しだけ目を丸くして。
「……あ……」
小さく息を漏らす。
そして、指輪にそっと触れる。
震えは、まだ残っている。
けれど――
さっきまでとは、違う。
「……みんな……」
微かに微笑みながら、呟く。
その背後。
黒甲冑の男が、ゆっくりと槍を構え直した。
次の瞬間――
試合開始の合図が、静かに響いた。
ミリィが振り返った瞬間。
――黒い槍が、視界を裂いて迫っていた。
鋭い切先。
空気を切り裂く圧。
だが、ミリィは――
軽く、ステップを踏む。
ほんの一歩。
その動きだけで、槍は紙一重で空を切った。
「……っ!」
観客席から歓声が弾ける。
「避けた……!」
「今の見えたか!?」
歓声が一段と大きくなる。
対戦相手はすぐさま踏み込み、連続で突きを放つ。
鋭い連撃。
だが――
ミリィはそれを、まるで踊るように避けていく。
体をひねり、半歩引き、くるりと回転しながら。
一つひとつの突きが、彼女の身体をかすめていくが――当たらない。
「……こ、こわい……っ……」
小さく震えた声が漏れる。
それでも。
止まらない。
オセの言葉が、頭の中に響く。
④――まずは攻撃をよける。
踊るように。
軽やかに。
「……っ……」
ミリィは一度、深く息を吸う。
――動く。
今度はさらに滑らかに。
一歩、二歩。
体重移動は軽く、視線は相手から離さない。
突き。
回避。
突き。
回転して回避。
繰り返すたびに、動きが研ぎ澄まされていく。
やがて――
「おおおおお!!」
観客席から、大きな歓声が上がった。
「すごい!当たらない!」
「踊ってるみたいだ……!」
「これが剣聖か……!」
さっきまでの疑念は、歓声に塗り替えられていく。
ミリィは、息を切らしながらも。
ほんの少しだけ、目を細めた。
「……よけ、られてる……」
小さく、安堵の言葉。
その背後で――
槍はなおも、止まらず迫り続けていた。
歓声がさらに大きくなる中。
ミリィの頭の中に、オセの言葉が浮かび上がる。
⑤――観客が盛り上がり出したら、次は攻撃。
小さく震えながらも。
ミリィは――一歩、踏み込んだ。
初めて、自分から。
踏み込みは一瞬。
槍が突き出される。
だが、その軌道を見切り――
「……っ」
ミリィは片手で槍を叩き落とした。
乾いた金属音。
軌道が大きく逸れ、槍の切先はそのまま闘技場の石畳へと突き刺さる。
「なっ……!」
相手が体勢を崩す。
その隙を逃さない。
さらに一歩。
間合いを――詰める。
距離は、ほぼゼロ。
「……えっと……」
ミリィは小さく呟く。
頭の中で、オセの言葉を反芻する。
⑤――観客が盛り上がり出したら、次は攻撃だけど、まだ一撃では倒さないこと!
「……軽く、軽ーく……当てるだけ……」
右手をゆっくりと振り上げる。
「……よいしょっ」
ぱしん、と。
ほんの軽い、平手打ち。
兜越しに、相手の頬を打った。
その――
瞬間。
轟音。
「――――ッ!!」
大気が震え、衝撃が爆ぜる。
相手の身体が、石畳へと叩きつけられた。
地面が砕け、石の破片が飛び散る。
砂塵が舞い上がる中――
沈黙。
ミリィは、固まったまま手を見つめる。
「……あれ?」
呆然とした顔で、地面にめりこんだ黒い甲冑を見下ろす。
観客席は、一瞬の静寂の後――
「……うおおおおおおおおお!!!」
爆発するような歓声に包まれた。
誰もが理解している。
今の一撃が、“軽い”はずがないことを。
だが。
本人だけが。
まだそのことに気づいていなかった。
通路の先。
その光景を見届けたオセロット・ラハムは――
ゆっくりと顔に手を当てた。
「……はぁ……」
深いため息。
指の隙間から覗く視線は、呆れと焦りが入り混じっている。
「いやいやいや……」
小さく首を振る。
「“軽く”って言ったじゃないすか……」
頭を抱えたまま、再び視線を闘技場へ。
そこには――
石畳に沈み込む対戦相手と、ぽかんとしたままのミリィ。
「……ミリィ様……」
ぼそりと呟く。
その声には、諦めと同時に、どこか誇らしさも滲んでいた。
「やっぱり……規格外すぎるっすよ……」
顔を覆ったまま、肩を落とす。
それでも、視線だけは離さない。
――この“やばい剣聖”を、どうやって世間に見せていくか。
その難題を、改めて思い知るオセだった。
石畳に沈み込んだ対戦相手を前にして――
ミリィの表情が一瞬で青ざめた。
「や……やばい……またオセに叱られる……」
慌てて一歩、二歩。
意味の分からない小刻みな動きでその場を行ったり来たりする。
「ど、どうしよう……えっと……えっと……」
ぐるぐると回る思考の中で――
ふと、思い出す。
「……そうだ……最後の指示で……挽回すれば……」
頭の中に響く、オセの言葉。
⑥――相手を倒したら。
その瞬間。
「……っ……」
ミリィの頬が、耳まで一気に赤く染まった。
「ほ……本当にやるんだよね……」
顔を両手で覆う。
「やだなぁ……恥ずかしいよぉ……」
小さく左右に頭を振りながら、もじもじと身体を揺らす。
「でも……やんないと……もっと叱られる……」
ぎゅっと拳を握る。
そして――
ゆっくりと、顔を上げた。
赤面したまま。
それでも、背筋を伸ばし。
凛とした空気を纏う。
観客席へと、ゆっくりと向き直る。
遠目からは分からない。
だがその表情は――
赤面、涙目、震え。
三つが揃ったまま。
それでも。
踊るように一歩、踏み出す。
優雅に。
そして――
微笑む。
ぎこちなくも、精一杯の笑み。
両手をゆっくりと唇へ運び――
観客に向けて。
投げるように。
「……っ」
小さく息を吸い。
両手を大きく投げ出す――
投げキッス。
一瞬の静寂。
次の瞬間――
「うおおおおおおおおおお!!」
割れんばかりの歓声が、闘技場を揺らした。
「やばい!今の見たか!?」
「かわいい!強い!なにあれ!?」
「剣聖最高!!」
熱狂。
爆発するような歓声の中で。
ミリィは――
投げキッスのポーズのまま固まっていた。
顔は真っ赤。
目は潤み。
手足は小さく震えている。
「は……恥ずかしい……よぉ……」
か細い声が、ぽつりと漏れる。
その背後。
通路の奥。
オセロット・ラハムが――
拳を握りしめていた。
小さく、しかし力強く。
その表情には、満足と誇りがはっきりと浮かんでいた。




