当代の剣聖の力ー
振り下ろされた瞬間、視界が白に塗り潰された。
世界が消える。
空も、岩場も、魔族の輪郭も、すべてが一つの光に飲まれていく。
音は遅れて切り離されるように途切れた。
風も、金属の軋みも、誰かの息遣いさえも消えていく。
残るのはただ、白だけ。
何も見えないのに、確かに“何かが起きている”という圧だけが全身を満たす。
時間の感覚が曖昧になる。
一瞬なのか、永遠なのか、それすら分からない。
そして――その白の中心で、剣の余韻だけが、かすかに響いていた。
白がゆっくりと晴れていく。
視界が戻ると、そこにあったはずの魔族の気配は消えていた。
痕跡もない。
岩場の裂け目も、空気の歪みも、まるで最初から何も存在しなかったかのように静まり返っている。
数拍の沈黙のあと、あちこちから遅れて声が上がった。
「……なっ、なんなんっすか!これはっ!」
オセが叫ぶ。
肩に掛けた白いマントを必死に押さえながら、目だけを戦場の中心へ向けていた。
アナもその場に崩れるように座り込む。
優雅さも何もなく、反射的にマントを身体に巻きつけるようにして震えを隠す。
「な……なぜこんなことに!?」
声は強いのに、視線だけが落ち着かない。
岩場には、さっきまでの戦闘の気配だけが残り、それ以外はすべて削り取られていた。
ただ一つ、ミリィの立っていた場所だけが、異様なほど静かだった。
白が晴れた瞬間、静寂は一度だけ戻り――そしてすぐに崩れた。
あちこちから悲鳴が上がる。
「俺、俺の鎧が!」
岩場の片隅で、騎士が自分の姿を見下ろして叫ぶ。
「な、なんでだよ!さっきまでちゃんとあっただろ!」
別の方向では、魔術師の少女が顔を真っ赤にしてしゃがみ込む。
「あ、あたし、なんで裸に!?」
慌てて白いマントを引き寄せるが、風に煽られて余計に隠しきれない。
さらに少し離れた場所で、剣士が両手を振り回していた。
「待て待て待て!なんだこりゃあっ!」
武器も装備も衣服も最初から無かったかのように消し飛んでいた。
誰もが状況を理解できないまま、混乱だけが連鎖していく。
岩場のあちこちで、白いマントが必死に引き寄せられ、戦場というより騒然とした混乱の場になっていた。
白が晴れたあと、残っていた現実はあまりに単純だった。
装備も、衣服も、ほとんどが消えている。
金属の鎧も、革装備も、布の服さえも、形を保っていなかった。
残っているのは――肩に掛けられていた白いマントだけ。
それが唯一の“残存物”だった。
岩場のあちこちで、人々が慌ててそれを引き寄せる。
「ちょ、待て……なんで!?」
「とりあえず隠せ!隠せ!」
「こっち見んな!」
誰もが白いマントを必死に身体に巻きつけている。
戦場だったはずの場所は、一瞬にして混乱した避難所のような様相になっていた。
マントだけが風に揺れ、静かにそこに残っている。
その中心には、変わらずミリィが立っていた。
地面に突き立てられたジ・プレミアムに寄りかかるようにして、ミリィだけがそこに立っていた。
他の者たちとは違い、彼女の衣服は無事に残っている。
白い光の余韻の中で、ただ一人だけ“整った姿”のままそこにいるのが、かえって場違いに見えた。
ミリィは視線を落とし、申し訳なさそうに肩をすくめる。
「ご……ごめんなさい。わたしの剣皇は……戦いに関係するものを全部消し飛ばしちゃうので……その……ごめんなさい」
ぺこり、と頭を下げる。
その言葉に、沈黙は一瞬だけ止まった。
次の瞬間。
「そんなの……聞いてませんわよっ!」
アナの声が岩場に響く。
白いマントを必死に押さえながら、普段の優雅さが完全に崩れている。
「先に言ってくださいよ!」
オセも地面にしゃがみ込みながら叫ぶ。
周囲でも同様の声が次々と上がる。
「いやマジで説明不足だろ!」
「戦い以前の問題だってこれ!」
「なんだこの仕様!」
混乱と抗議が一斉に噴き出す中で、ミリィはさらに小さくなっていく。
ジ・プレミアムだけが、何事もなかったかのように静かに地面に突き立っていた。
ミリィはジ・プレミアムの刃をこつんと軽く拳で叩きながら、肩を落とした。
「やりすぎないでって……お願いしたのにぃ……」
剣は何も答えない。ただ、静かにそこに在るだけだった。
その横から、白いマントを腰に巻いたオセが歩いてくる。
「……なんでパンツまで消えるんすか?」
死活問題みたいな真顔だった。
ミリィは視線を泳がせる。
「……本当は武器だけ消すはずなんだけど……」
言いながら、さらに小さくなる。
「なんか……初めて使ったから、気合い入れちゃった……みたいで」
「気合いで下着まで持ってくのやめてくださいよ!」
オセが即座に突っ込む。
そのやり取りを、周囲の白いマントたちが遠巻きに見ている。
怒る気力と笑う気力が同時に尽きている顔だった。
アナは胸元にマントを押さえながらも、視線だけは真っ直ぐにミリィへ向けていた。
「それにしても……戦う力を消す、とは……一体どこまでの力が?」
問いかけられたミリィは、少しだけ指を口元に当てて考える。
「え……えー……わかんないけど……」
視線が泳ぐ。
「たぶん魔王くらいなら消せたんじゃないかなーって」
少し間を置いて、申し訳なさそうに付け足した。
「魔王核は消せないけど」
その一言が落ちた瞬間、空気が変わる。
アナの目が見開かれた。
そして、振り返る。
「皆のもの!見ましたか!この剣聖の力を!」
岩場のあちこちで、マントをどうにか巻きつけながら格闘していた面々が顔を上げる。
手は忙しいまま。だが視線だけがアナに向く。
アナはそのまま一歩前へ出る。
「今の力こそ!当代の剣聖の力!」
声が山肌に響く。
「戦う力を――全て消し去る正義と慈愛に満ちた力!」
一拍置いて、さらに強く。
「そして、魔王すら打ち倒せる究極の力!」
その言葉が岩場に落ちた瞬間、沈黙が走る。
次の瞬間。
「……魔王すら?」
「今の……あれで?」
「いや、普通にやばくないか?」
あちこちから、驚嘆と困惑が混ざった声が上がる。
白いマントの群れは、まだ半ば混乱しながらも――その中心に立つミリィを、確かに見直していた。
アナの声は、まだ少し乱れた呼吸を整えながらも、はっきりと岩場に響いていた。
「剣聖と剣皇の力は、その代の剣聖によって変わります」
マントを押さえ直し、続ける。
「ミリィ様の父君、先代の剣聖グラム様は、比類なき真っ直ぐなお方で、真正面から幾多の魔族を殲滅し、彼の通り過ぎた後には何も残らなかったと言います」
その言葉に、周囲がわずかにざわつく。
ミリィは剣に寄りかかったまま、小さく視線を落とした。
「お父様の剣皇は……洗練されていて綺麗だった……なぁ」
ぽつりとそう言いながら、自分の手の中のジ・プレミアムを見る。
白銀と黄金が絡み合う刃は、今は静かに光を落ち着けていた。
アナは一度だけ頷き、言葉を続ける。
「さらに先々代のマルジット様は、やはり全てを焼き払い、数多の魔王封印にもご尽力されたと聞きます。そして――」
そこで一拍置く。
視線が、ミリィに向く。
「当代のミリィ様は、炎で焼くでも、力で叩き潰すでもなく、光で消し去る」
岩場に静寂が落ちる。
アナの声だけが、その中でまっすぐに続いた。
「さすが誰よりも何よりも、優しさと慈愛に満ちた方の……ミリィ様らしい力かと」
その言葉のあと、しばらく誰も声を出さなかった。
白いマントの群れは、それぞれの形で沈黙している。
白いマントの隙間で、誰かがぽつりと呟いた。
「……誰も傷付けない……でも戦いを終わらせる……」
少し遅れて、別の声が続く。
「魔族や魔王も、瞬殺……?」
沈黙のあと、息を呑むように一言。
「これは……すごいぞ」
さらに小さく、どこか感嘆に近い声が落ちる。
「なんて、素敵な力」
「優しい...優しすぎる力だ!」
「当代の剣聖様は、本当にーお優しい」
その言葉をきっかけに、空気が変わった。
恐怖や混乱ではなく、別の熱が生まれていく。
誰かが名前を呼んだ。
「ミリィ!」
それに別の声が重なる。
「ミリィ様!」
また一人、また一人。
最初はばらばらだった呼び声が、やがてひとつのうねりになる。
「ミリィ!」
「ミリィ様!」
白いマントの群れの向こうから、岩場全体に響いていく。
それは戦いの喧騒ではなく、確かに“支持”と“確信”の声だった。
山岳そのものが、その名を繰り返しているようにこだました。
「ミ・リ・ィ!」「ミ・リ・ィ!」「ミ・リ・ィ!」
山岳にこだまする声は、いつまでも途切れなかった。
白いマントの群れが、同じ名を繰り返すたびに空気が震える。
その中心で、ミリィは少しだけ肩の力を抜いた。
「……お疲れ様」
小さくそう呟く。
その瞬間、ジ・プレミアムがふっと光を落とし、何事もなかったように消えた。
余韻だけが空中に残る。
オセが隣で、少し遠くを見るように呟いた。
「……あん時も……そういう力だったんすね」
ミリィは少し考えてから、曖昧に首を傾げる。
「……どうだろう……?」
言葉を選びながら続ける。
「……あの時は無我夢中だったから……能力なんてなかったのかも」
その返事は、戦場の中心にしてはあまりにも静かだった。
だがその静けさのまま、周囲の“ミリィ・コール”だけが、まだ山に響き続けていた。




