攻撃が効かないー
ミリィが魔力を集中させる。
「光よ〈フォトン〉」
人差し指から放たれた光が一直線に伸び、黒の歪んだ存在を貫いた。
確かに命中している。
揺らぎが一瞬強くなる。
だが、それだけだった。
致命的な損傷には至らない。
ミリィは小さく息を呑む。
「……効いて、いるはずなのに……」
手応えと結果が噛み合わない感覚が、焦りとして積もっていく。
魔族の体が、わずかに脈動した。
次の瞬間、全身から黒い触手のようなものが一斉に噴き出す。空間を這うように広がり、獲物を探すようにミリィへ殺到した。
「っ……!」
ミリィは即座に反応する。
「光の影を!」
足元の影が揺らぎ、その中から白く発光する腕が複数生み出される。それらは意思を持つように展開し、迫る黒い触手を次々と迎撃した。
光と闇が空中でぶつかり合い、衝撃が周囲に散る。
ミリィは歯を食いしばりながら、魔族の動きを見据えた。
ミリィは瞬間的に思考を巡らせる。
「……あとは……炎と!氷と!」
両手に魔力を集中させると、右拳には燃え上がる炎が、左拳には鋭い氷が宿る。
同時に、空間のあちこちで黒と白の触手がぶつかり合い、衝突音が重なっていく。
その混戦の中を、ミリィは一気に踏み込んだ。
距離を詰める。
迷いはない。
魔族の懐へ入り込み――
「っ……!」
右拳を振り抜く。炎が黒を焼き裂くように炸裂する。
間髪入れず、左拳が放たれる。氷が空間ごと押し固めるように衝突する。
二撃が同時に魔族を捉え、熱と冷気が交錯する。
衝撃が周囲へと広がった。
だが――魔族の輪郭は揺らいだまま、崩れない。
炎は確かに触れ、氷も確かに捉えたはずだった。
それでも、致命的な変化は何一つ起きない。
「これも……ダメ……」
ミリィの声が、かすかに漏れる。
拳を握ったまま、一歩、二歩と後退する。
距離を取るというより、押し返されるように体が下がった。
呼吸が浅くなる。視線は外せないまま、焦りだけが静かに積み重なっていく。
ミリィは一度だけ、ネックレスに吊るされた指輪に触れた。
冷たい金属の感触が、わずかに震える指先に伝わる。
「……あとは……」
小さく息を吸い込む。
その瞬間、全身の魔力と剣聖の理力が一気に解放された。
白い光が身体から溢れ出し、周囲の空気を押しのけるように膨張する。髪が揺れ、衣服が強くはためく。
「力を!倍の力を!!」
踏み出した一歩で、岩盤が砕けた。
地面が沈み、ひび割れる。
次の瞬間には、ミリィの姿はすでにそこになかった。
これまでとは比較にならない速度と圧力。
一瞬で魔族の間合いに入り込み、上段から叩き落とすように回し蹴りを放つ。
空気が裂け、衝撃が炸裂した。
打ち下ろされた回し蹴りが、魔族の中心を捉えた。
一瞬、確かな手応えがあった。
――裂けた。
黒い身体が、縦に割れるように分断され、左右へと崩れる。
「……やった!?」
ミリィの声が、思わず漏れる。
だが、その直後だった。
左右に分かれたはずの魔族の身体は、地面に崩れ落ちることもなく、ただ“揺れたまま”そこに存在し続ける。
まるで形だけが一度崩れたかのように、輪郭は保たれたまま。
そして――ゆっくりと。
何事もなかったかのように、元へと戻り始める。
裂け目が塞がるというより、時間を巻き戻すように。
黒が再びひとつに収束していく。
ミリィの表情から、一瞬だけ血の気が引いた。
一瞬、魔族の異常な再生に意識を奪われたその隙。
黒が揺らぎ、間髪入れず攻撃が降り注いだ。
見えない圧が連続して叩きつけられるように、ミリィの全身を襲う。
「っ――!」
咄嗟に両腕を前に出し、防御魔術を展開する。
白い光が膜のように広がるが、その上からさらに重ねて叩き込まれる衝撃がそれを軋ませる。
防ぎきれない。
ひび割れるような感覚と同時に、ミリィの体が弾かれた。
「……っ、ぁ……!」
勢いのまま後方へ吹き飛ばされ、岩を跳ねるように転がる。
地面に叩きつけられ、砂と破片が舞う。
呼吸が乱れ、視界が揺れる。
それでも、ミリィはすぐに手をついて起き上がろうとした。
衝撃でミリィの衣服は所々裂け、激しい戦闘の痕跡が残っていた。だが本人にとっては、そんなことに意識を割く余裕は一切ない。
今は一瞬でも遅れれば終わる。
「……っ、まだ……!」
ミリィは歯を食いしばり、震える腕で地面を押して立ち上がる。
視界が揺れても、魔族から目を逸らさない。
黒い存在は、何事もなかったかのようにそこに在り続けている。
ミリィは呼吸を整える間もなく、再び魔力を練り始めた。
ミリィは、荒い呼吸のまま立ち尽くしていた。
「殴っても蹴っても……ダメ。魔法も……あまり効果がない……どうしたら」
言葉が途切れるたびに、現実が重くのしかかる。
拳は確かに届いた。魔法も当たった。
それでも結果は変わらない。
目の前の魔族は、壊れない。
倒れない。
終わらない。
胸の奥が冷えていく感覚が、ゆっくりと広がる。
――勝てないのではないか。
その思考が、静かに侵食してくる。
視界の端が暗くなるような錯覚。
音が遠のく。
膝が、わずかに揺れた。
ミリィの心を、絶望が静かに支配し始める。
その時だった。
揺れていた黒い影が、ゆっくりと“膨らみ始める”。
歪んだ輪郭がほどけ、逆に内側へと収束していくような異様な変化。
空間そのものが重くなる。
ミリィの呼吸が止まった。
「まさか……進化しようとしているの!?」
黒は答えない。
ただ、形を変えていく。
戦闘の中で得た情報を基に、より“適した存在”へと再構築されていく異常な現象。
それはこの世界の魔族に与えられた特性――魔王からの加護。
戦えば戦うほど、適応し、強くなる。
「魔族は……戦うほど、強く……」
ミリィの声がかすれる。
理解した瞬間、背筋に冷たいものが走る。
倒せていないのではない。
“育ててしまっている”。
黒い影はさらに膨らみ、形を変え続ける。
圧が、先ほどよりも明らかに重くなっていく。
ミリィは一歩後退しかけて――踏みとどまった。
それでも、目は逸らさない。
「……それでも……止めなきゃ……」
「進化が終わる前に……倒さないと」
光も、火も、氷も。
剛力も、あの人の戦い方を真似た技も。
すべて試した。
すべて通じなかった。
ミリィの呼吸が、浅くなる。
それでも視線は逸れない。
「……あとは……」
指先が、ネックレスの指輪に触れる。
冷たい金属の感触。
その瞬間、意識が一点に収束した。
「時を……越える!」
淡い水色の瞳が強く輝く。
ミリィが踏み出した。
その瞬間――世界が止まる。
いや、正確には。
止まったと錯覚するほどの速度で、ミリィだけが動いている。
音も、空気の流れも、すべてが固定された世界の中で、ミリィだけが駆ける。
黒い魔族へ、一瞬で到達する。
「……っ!」
右拳。
左拳。
右足。
左足。
連続する攻撃が、止まった世界に刻み込まれていく。
だがそれは一撃ではない。
“無数”だった。
拳を振るうたびに、ミリィの残像が増える。
蹴りを放つたびに、さらに別の角度からミリィが生まれる。
全方位。
上下左右。
前後。
魔族を中心に、無数のミリィが同時に攻撃を叩き込む。
静止した世界の中で、ただ一点だけが暴風のように崩壊していく。
黒い影に、光の連撃が重なり続けた。
止まった時の中で、魔族の身体は確かに崩れていった。
拳が触れた部分が、ゆっくりと潰れる。蹴りが入った箇所が、抉れたように欠けていく。
そのたびに黒い粒子のようなものが散り、輪郭が薄れていく。
ミリィの連撃は止まらない。
一方的な攻撃が積み重なり、魔族の存在そのものが削られていく。
「……いける、かも!」
わずかな希望が、声に混ざる。
このまま削り切れば――終わる。
確かな手応え。
確かな変化。
だが、その瞬間だった。
削られているはずの“核”の奥で、何かが動いた。
崩れているのではない。
“合わせている”。
ミリィの攻撃を受けるたびに、魔族はその破壊を解析し、再構築している。
静止した世界の中でさえ、それは止まらない。
削られた部分が、別の形で埋め直されていく。
むしろ――攻撃のたびに、適応が進んでいく。
ミリィの動きが、一瞬だけ引っかかった。
(……違う)
このままでは終わらない。
この技は「削るための時間」ではない。
「進化させるための時間」になりつつある。
黒が、わずかに笑ったように見えた。
やがて、限界が来る。
止まった世界の中で動き続けていたミリィの身体に、遅れて“負荷”が一気に押し寄せた。
全身に鋭い痛みが走る。筋肉が悲鳴を上げ、骨の奥が軋むような感覚。喉の奥から、熱いものが込み上げてくる。
それでもミリィは止めなかった。
歯を食いしばり、歪む視界の中で攻撃を続ける。拳を振るたびに、意識が削られていく。
「……まだ……」
声にならない声。
だが、その瞬間だった。
ふっと、全身から力が抜ける。
支えていた“何か”が切れたように、膝が折れた。
「……っ……!」
地面に崩れ落ちる。
時を支配していた感覚が崩壊し、世界が一気に重さを取り戻す。
そして――
ミリィは、そのまま血を吐いた。
赤が砂の上に落ちる。
呼吸が乱れ、視界が揺れる。
それでも、目だけはまだ魔族を捉えていた。
呼吸を乱したミリィの目の前で、それは“完成”する。




