遭遇!魔族ー
ミリィは、弾かれたように立ち上がる。
「……行きます!」
勢いのまま、丘を飛び出そうとしたその瞬間、手首を強く掴まれた。はっとして振り返る。アナの瞳が、まっすぐにミリィを捉えている。
「少し待ってから行きましょう。苦戦しているところに現れた方が……」
冷静な判断。合理的な提案。
だが――ミリィの手が、わずかに震える。一瞬の沈黙。次の瞬間、その手を振り払った。
「わたしは……」
声が揺れる。それでも、止まらない。
「わたしの仲間に、髪の毛ほどの傷も受けて欲しくないんです」
はっきりとした言葉だった。怖いはずなのに、震えているはずなのに、それでも一歩も引かない。
アナは、その姿を見て言葉を失う。オセが、ふっと息を吐いた。
「……あーあ。こうなると思ったっすよ」
肩をすくめるが、その目はどこか楽しげだった。
ミリィは、もう振り返らない。丘を蹴る。白のマントが翻り、次の瞬間には風の中へと飛び出していた。
ミリィは走りながら、息を整える。
一瞬、目を閉じる。
意識を沈める。
――魔力感知。
周囲の気配が、静かに広がっていく。
空気の中に混ざる“違和感”。
人のものとは違う、濁った魔力。
強い。
ひとつ、いや、複数。
前方――斜面の奥。
ミリィの目が開く。
「……あそこ……!」
次の瞬間、地を蹴る。
小柄な体が、一気に加速する。
足場の悪い岩場を迷いなく踏み抜き、跳ぶ。
風が後ろへ流れる。
白いマントが翻り、空気を裂く。
一直線に。
反応のする場所へ。
ミリィは、ためらいなく駆けていく。
岩場の奥、風の抜ける開けた斜面。
先行していた五人一組の一隊が、同時に足を止めた。
空気が、歪む。
何もないはずの空間に、黒が滲んだ。
影のようで、影ではない。
輪郭が定まらず、揺れ続ける“何か”。
それが、そこに現れた。
「――接敵」
低い声。
即座に陣形が広がる。
前衛が間合いを詰め、後衛が下がる。
無駄のない動き。
一人が踏み込む。
速い。
常人では捉えきれない踏み込み。
剣が、振り抜かれる。
――当たらない。
刃が、すり抜ける。
手応えが、ない。
「なっ――」
言葉が終わる前に、その体が弾き飛ばされた。
見えない何かに叩かれたように、横へ吹き飛ぶ。
岩に叩きつけられ、動かない。
間を置かず、左右から二人が斬り込む。
連携は完璧。
逃げ場はない。
だが――黒が揺らぐ。
二つの刃が、同時に空を切る。
そのまま、腕が振られた。
ただ、それだけ。
二人の体が浮く。
叩きつけられる。
鈍い音。
動かない。
後衛が詠唱に入る。
短く、速い。
強化された魔術が放たれる。
光が炸裂する。
直撃。
だが――消えない。
煙の中で、黒はそのまま立っている。
揺れながら。
変わらず。
無傷で。
「……なんだ、これ……」
誰かの声が震える。
次の瞬間、その人物の体が崩れ落ちた。
胸に、何かが通っている。
何も見えない。
結果だけが、そこにある。
陣形が崩れかける。
それでも、誰も退かない。
踏み込む。
斬る。
当たらない。
弾かれる。
倒れる。
それでも――止まらない。
白のマントが翻り続ける。
一歩でも、前へ。
時間を稼ぐように。
ただ、耐えるように。
その中心で。
魔族だけが、何も変わらずそこに在り続けていた。
岩場の奥、開けた斜面。
白の一団が、すでに展開していた。
五人一組。間合いを取り、包囲するように散開している。
その中心に――魔族。
黒く歪んだ影のような体。地面に触れているはずの足が、わずかに浮いている。
空気が重い。
一人が踏み込む。
速い。
人の域を越えた踏み込み。ミリィの加護を受けた一撃。
だが――届く前に、止まった。
見えない何かに、弾かれる。
次の瞬間、その騎士の体が横へ吹き飛んだ。
地面を転がり、岩に叩きつけられる。
「――っ!」
声にならない息。
間髪入れず、別の二人が左右から斬り込む。
連携は完璧。
だが、当たらない。
魔族の体が、揺らぐ。
刃がすり抜ける。
そのまま、腕が振られる。
ただそれだけで――二人が同時に弾き飛ばされる。
一人は宙を舞い、もう一人は地面に叩きつけられ、動かない。
距離を取っていた後衛が詠唱に入る。
魔術が放たれる。
直撃。
爆ぜる光。
だが――消えない。
煙の中から、黒がそのまま現れる。
傷一つない。
「なんだ、あれ……」
誰かが呟く。
次の瞬間、その声の主の胸が抉れた。
何も見えなかった。
ただ、結果だけがそこにあった。
陣形が崩れる。
統率はある。恐慌もない。
それでも――通じない。
一撃が重すぎる。
防げない。避けきれない。
一人、また一人と地に伏す。
それでも、誰も逃げない。
白のマントが翻る。
前に出る。
斬る。
通じない。
倒れる。
それでも、前に出る。
時間を稼ぐように。
ただ――耐えるように。
その中心で、魔族だけが、何も変わらずそこに立っていた。
最後の一人が、踏みとどまる。
膝は震え、呼吸は荒い。
それでも、剣を下ろさない。
目の前の黒から、視線を逸らさない。
周囲には、倒れた仲間たち。
動かない。
それでも――退かない。
「……来いよ……」
かすれた声。
震えを押し殺すように、構え直す。
魔族が、揺らぐ。
黒が、わずかに収束する。
次の瞬間。
振るわれた。
見えない一撃。
空間ごと抉るような圧。
避けられない。
防げない。
それでも、剣を構えたまま――。
その瞬間。
間に、白が割り込む。
小さな背中。
細い腕。
だが、その一歩は迷いがなかった。
ミリィが、そこにいた。
振り抜かれた一撃を――受け止める。
衝撃が、地面を砕く。
足元の岩がひび割れ、砂塵が舞い上がる。
それでも、ミリィは動かない。
両腕で受け、押し返すように立っている。
ぎり、と歯を食いしばる。
「……だめ……」
小さく、呟く。
震えている。
それでも。
一歩も、退かない。
衝撃を、受け止めたまま。
ミリィの足元で、岩がきしむ。
押し潰されるような圧。
それでも、退かない。
そのまま、ほんのわずかに視線を動かす。
横。
倒れている。
一人。
さらに奥。
二人。
動かない。
呼吸も見えない。
もう一人。
腕が、不自然に折れている。
最後の一人は――さっきまで立っていた場所で、崩れていた。
胸の奥が、ひどく冷える。
視界が、ぐらりと揺れる。
呼吸が、浅くなる。
音が遠のく。
指先の感覚が、薄れていく。
「……ぁ……」
力が、抜けかける。
膝が、落ちそうになる。
意識が、沈む。
このまま――。
その瞬間。
ぎり、と歯を食いしばる。
足に、力を込める。
沈みかけた意識を、無理やり引き戻す。
「……だめ……」
震える声。
それでも、はっきりと。
倒れない。
ここで、離さない。
ミリィは、攻撃を受け止めたまま――踏みとどまる。
ミリィは、歯を食いしばる。
腕にかかる圧を、そのまま押し返す。
足元が沈み、岩が砕ける。
それでも、一歩――前に出る。
「……っ!」
小さな体が、ぐっと踏み込む。
次の瞬間。
受け止めていた一撃を、押し返した。
空気が弾け、黒がわずかに揺らぐ。
その隙に、ミリィは両手を開く。
魔力が、一気に広がる。
淡い光が、周囲を包む。
「……大丈夫……大丈夫だから……」
震える声のまま、魔術を展開する。
倒れている四人へ、光が伸びる。
傷口が、ゆっくりと閉じていく。
砕けた骨が、音もなく戻る。
止まりかけていた呼吸が、かすかに動く。
命が、繋がる。
ミリィは、手を広げたまま、必死に魔力を流し続ける。
視線は、前から逸らさない。
目の前の魔族を、見据えたまま。
一歩も、退かない。
やがて、四人の胸がゆっくりと上下し始める。
乱れていた呼吸が、少しずつ落ち着いていく。
ミリィはそれを確認すると、ふっと息を吐いた。
広げていた手を閉じ、回復の光を止める。
次の瞬間、すぐに魔力を切り替える。
「……守って……」
小さく呟くと同時に、五人の周囲に薄い光の膜が展開される。
防御魔術。
重ねるように、何層も。
倒れている四人と、最後の一人を包み込む。
それを確認して――ミリィは、ようやく前を見る。
魔族。
真正面から、視線が合う。
黒く歪んだ体。
形を保っているのかすら曖昧で、輪郭が揺れ続けている。
どこが顔なのかも分からない。
それでも、“見られている”と分かる。
ぞわり、と背筋が粟立つ。
「……っ」
思わず、肩が震える。
息が止まる。
怖い。
本能が、そう告げている。
足が、わずかに後ずさる。
それでも――止まる。
逃げない。
ミリィは、小さく息を吸った。
震えたまま、魔族を見据える。
ミリィは、その場で大きく息を吸う。
肺いっぱいに空気を入れて、ゆっくり吐き出す。
もう一度。
震えを押さえ込むように、深く、何度も繰り返す。
肩の揺れが、少しずつ収まっていく。
それでも、完全には消えない。
怖さは、そのまま残っている。
それでも――。
ミリィは、一歩踏み出す。
足場の岩が、わずかに砕ける。
距離が、縮まる。
目は逸らさない。
真正面から、魔族を見据える。
そして――。
右拳を、振り抜く。
小さな体からは想像できない踏み込み。
一直線の一撃。
空気が弾ける。
音が遅れて追いかける。
迷いのない、ただまっすぐな拳。
だが――当たらない。
拳は確かに届いた。
間合いも、速度も、完璧だった。
それでも。
手応えが、ない。
触れたはずの感触が、そのまま抜ける。
まるで空気を殴ったように、拳がすり抜ける。
ミリィの目が、わずかに見開かれる。
「……え……?」
理解が追いつかない。
その一瞬。
黒が、揺らぐ。
すぐ目の前で、魔族の気配が膨らむ。
来る。
本能が叫ぶ。
ミリィは、反射的に体を引く。
次の瞬間、さっきまでいた場所の地面が抉れた。
見えない一撃。
一拍遅れて、衝撃が広がる。
砂と岩が弾け飛ぶ。
ミリィは距離を取りながら、息を乱す。
「……効かない……」
小さく、呟く。
拳を握り直す。
震えは、まだ残っている。
それでも。
目は逸らさない。
相手を見据えたまま、次の一手を探す。
ミリィは、拳を引く。
息を整えながら、意識を集中させる。
両手、両足へと魔力を流し込む。
じわりと、光が宿る。
白い輝きが、四肢を包む。
空気が、わずかに震える。
「……っ」
小さく息を吐き、踏み込む。
さっきよりも深く。
速く。
距離を一気に詰める。
右の拳が、再び放たれる。
今度は――通る。
黒に触れた瞬間、わずかな抵抗。
確かに、当たった。
魔族の輪郭が、かすかに歪む。
だが――浅い。
手応えは、薄い。
効いてはいる。
だが、足りない。
すぐに左の蹴りを重ねる。
連撃。
白い軌跡が、空を裂く。
そのたびに、黒がわずかに揺れる。
削れている。
確かに。
それでも――ほんのわずか。
決定打には、遠い。
ミリィの息が、荒くなる。
それでも動きを止めない。
震えたまま、踏み込み続ける。
効かせるために。
ただ、必死に。




