剣聖の盾、出陣ー
白の波が、大地を埋めていた。
純白のマント。
風に揺れるそれらは、統一されていない装備の上に無造作に重なりながらも、不思議と一つの意思を感じさせる。
騎士もいれば、軽装の戦士もいる。魔術師、盗賊、商人風の男、貴族らしき女。
雑多で、無秩序で――それでいて、誰一人として弱くは見えない。
それが「剣聖の盾」だった。
その最前列に、一人の少女が立つ。
白の甲冑。
長く伸びた茶髪。
堂々とした姿勢で、群衆を見渡す第1王女。
アナリスタ・グランドベルド。
「――諸君」
その一声で、ざわめきが収まる。
「今回の依頼は他国領内における魔族討伐。規模は中規模、だが油断は禁物ですわ」
凛とした声が響く。
「しかし――」
そこで、彼女はわずかに笑みを浮かべた。
「我らには、誰がいるか。言うまでもありませんわね?」
その瞬間、空気が変わる。
期待。
熱。
狂気にも似た一体感。
視線が、一斉に後方へと向けられた。
――そこにいる。
小さな影。
白いブレザーに短いマント。
華奢な身体。
首元に揺れる、指輪の連なり。
ミレニアム・ジ・プレミアム。
剣聖。
その少女は――
震えていた。
肩が、小さく上下する。
視線は落ち、足取りは頼りない。
隣から、小さな声が飛ぶ。
「ミリィ様、背筋」
黒髪の少年が、腕を組んで見上げている。
「ほら、今めっちゃ見られてますよ。いつものやつです、いつもの」
軽い調子。
だが、その目は鋭い。
「……で、できますか?」
少女は、こくりと頷く。
震える指が、ネックレスの指輪に触れる。
すう、と息を吸って。
一歩、前へ。
ざ、と音が鳴る。
剣聖の盾が、自然と道を開けた。
誰も指示していない。
それでも、そうなるのが当然であるかのように。
ミリィは、その中央へと立つ。
視線が、突き刺さる。
怖い。
逃げたい。
声が、出ない。
それでも。
「……あ、あの……」
小さな声が、風に乗る。
一瞬で――静寂が落ちた。
誰一人、動かない。
ただ、彼女の言葉を待つ。
「……えっと……み、みなさん……その……」
喉が震える。
涙が、にじむ。
それでも、逃げない。
「……む、無理は……しないでください……」
ぽつり、と落ちた言葉。
あまりにも弱々しくて。
あまりにも頼りなくて。
――それなのに。
「……怪我、とか……しないように……」
ぎゅ、と指輪を握る。
「……わ、わたしも……がんばりますので……」
最後は、ほとんど消え入りそうな声だった。
沈黙。
――次の瞬間。
「応ッ!!!!」
爆発した。
地を揺らすような歓声。
誰もが拳を握り、武器を掲げ、叫ぶ。
「ミリィ様の御言葉だ!!」
「無理はするなってよ!!!」
「つまり死ぬなってことだ!!!」
「当然だろうが!!!」
統率はない。
だが意思は一つ。
そのすべてが、彼女へと向いている。
ミリィは、びくりと肩を震わせる。
「ひっ……」
「ほら来た。毎回ビビるんすよね」
オセロットが呆れたように笑う。
「ミリィ様、ちゃんと届いてますよ。バッチリっす」
視線の先。
白の群れは、すでに戦う顔になっていた。
恐怖も、不安も、迷いもない。
ただ一つ。
“剣聖のために”
その意思だけが、場を満たしている。
ミリィは、少しだけ顔を上げる。
そして――小さく、頷いた。
出陣の時は、来ていた。
歓声が、ゆっくりと収まっていく。
熱気は消えない。
だが、それは散漫なものではなく、戦場へ向けて研ぎ澄まされていく。
その中心で――白の甲冑が一歩前に出た。
「――静粛に」
アナリスタの声が、鋭く場を断ち切る。
瞬間、ぴたりと音が止んだ。
先ほどまでの喧騒が嘘のように、全員の意識が一点に揃う。
彼女は満足げに頷き、剣聖の盾を見渡した。
「今回の任務は遠征ですわ。補給線の確保、現地との連携、情報の整理――すべてを万全に整える必要があります」
ゆっくりと、言葉を置いていく。
「よって」
一拍。
「戦闘に参加しない者は、ここに残りなさい」
ざわり、と空気が揺れた。
「後方支援は極めて重要ですわ。物資、治療、伝達――どれが欠けても前線は成り立ちません」
視線が流れる。
一人ひとりを見定めるように。
「“戦える者”のみで向かいます」
言い切った。
そこに迷いはない。
そして。
「選別は各自で行いなさい」
命令ではない。
だが――拒否もない。
剣聖の盾は、基本的に対等。
だからこそ、この言葉は重い。
自分で選べ、ということ。
戦うか、残るか。
その責任を、各々が背負う。
数秒の沈黙。
やがて――。
音もなく、人の流れが分かれ始めた。
前へ出る者。
後ろへ下がる者。
誰も口を開かない。
だが迷いもない。
自分がどこにいるべきか、それぞれが理解している。
やがて、その動きは止まる。
前に残った白の群れ。
その数――四百。
密度が変わる。
空気が、明らかに重くなる。
残った者たちは、全員が戦う顔をしていた。
アナリスタは、その光景を見て、静かに頷く。
「……よろしい」
満足の色が滲む。
「選ばれたのではなく、自ら選んだ者たち」
その声は、どこか誇らしげだった。
「ならば――」
剣を、抜く。
白の刃が、陽光を受けて輝いた。
「その覚悟に、私が応えますわ」
高く掲げる。
「剣聖の盾、戦闘部隊――出陣準備!」
「応ッ!!!」
四百の声が、重なる。
大地が震えるような咆哮。
それを背に。
ミリィは、また小さく肩を震わせた。
「……よ、よんひゃく……」
「多いっすね」
隣で、オセロットが軽く言う。
「まぁでも、このくらいがちょうどいいんじゃないですか?」
気楽な口調。
だが、その目はすでに戦場を見ている。
「ミリィ様が前出る前に、だいたい片付きますよ」
「そ、それは……」
困ったように視線を落とすミリィ。
その様子に、オセロットは肩をすくめた。
「ほらまた。そういう顔する」
少しだけ、声を落とす。
「ちゃんと使ってくださいよ、“盾”なんすから」
言葉は軽い。
けれど、その意味は重い。
ミリィは、答えない。
ただ――。
胸元の指輪に、そっと触れた。
白の群れが、動き出す。
それは統率ではない。
だが確かな一体感を持った、“盾”の進軍だった。
隊列は、静かに街を抜けていく。
先頭を行くのは騎馬。
その後ろに、幌付きの荷馬車が連なり、さらにその中央に――一際守られるようにして、一台の馬車があった。
白の装飾。
簡素でありながら、どこか気品のある造り。
その中に、ミリィはいた。
外では、規則的な蹄の音と、装備の擦れる音が続いている。
四百の戦闘員。
さらに後方には補給のための人員と物資。
小規模な遠征としては、十分すぎる規模だった。
街道の両脇には、人が並ぶ。
町人、商人、子供、老人。
その視線は一様に――白へと向けられていた。
翻る旗。
純白の布地に刻まれた紋。
――純潔のミレニアム。
その名を掲げた旗が、風を受けてはためく。
「ミリィ様だ……」
「剣聖様……」
「本物か……?」
ざわめきは、決して大きくはない。
だが確かに、敬意と熱を帯びていた。
馬車の中。
ミリィは、膝の上で手を組んでいた。
指先が、わずかに震えている。
「……すごいっすね」
向かいに座るオセロットが、外をちらりと見て言う。
「完全に“スター”じゃないですか」
「す、すたー……」
聞き慣れない言葉に、首をかしげる。
「えっと……あの……」
「人気者ってことです」
「そ、それは……ちがいます……」
すぐに否定する。
視線が落ちる。
「わたしは……そんな……」
「はいはい」
軽く流す。
オセロットは肘をつきながら、にやりと笑った。
「じゃああれ、なんなんすかね」
顎で外を指す。
歓声。
手を振る子供。
頭を下げる大人たち。
そのすべてが、この隊列に向けられている。
「ミリィ様が歩くだけで、街が祭りみたいになるんすけど」
「うぅ……」
小さく呻く。
居心地が悪そうに、肩を縮める。
「見られるの……苦手で……」
「知ってます」
即答だった。
だからこそ、面白いとでも言いたげに。
「でもまぁ、いいじゃないですか」
少しだけ、声の調子が変わる。
「ちゃんと見とけって話ですよ」
窓の外。
白の波。
騎馬が駆け、兵が歩き、荷が運ばれる。
統率は曖昧。
だが崩れない。
それは――。
「ミリィ様の“盾”なんで」
当たり前のように言う。
「勝手に集まって、勝手に戦って、勝手に守る」
肩をすくめる。
「ほんと、めんどくさい連中ですけどね」
けれど、その口元はわずかに緩んでいた。
「でもまぁ」
一拍。
「強いっすよ。あいつら」
ミリィは、少しだけ顔を上げる。
揺れる馬車の中で、そっと外を見る。
白いマントが、視界を横切る。
その背中。
頼もしくて。
でも――どこか、危うくて。
「……みなさん……」
小さく、呟く。
指が、またネックレスの指輪に触れる。
隊列は進む。
街を抜け、やがて人の気配は途切れ、視界は広い街道へと開けていく。
空は高く、風は穏やか。
平和な世界の中を――。
剣聖と、その盾は進んでいく。
戦いへ向けて。




