最終決戦ー
巨漢のグラップラーが数人がかりで運び出されていく。
その様子を、ミリィは横目で見送った。
「あと……2つ」
小さく呟く。
その声は、かすれている。
だが、その瞳はまだ死んでいない。
「第9試合、開始!!」
宣言と同時に――
気配が消えた。
「……っ」
次の瞬間には、もういない。
視界から消える。
そして。
背後。
殺気。
ミリィは反射で、地面へと身を沈めた。
頭上を、ナイフの刃が風を切って通過する。
髪をかすめる鋭い一撃。
そのまま前転。
距離を取る。
石畳に手をつき、体を起こす。
――その瞬間。
直感が叫ぶ。
危険。
ミリィは反射的に後方へ飛んだ。
直後。
さっきまで立っていた場所に、数本のナイフが突き刺さる。
カン、カン、と乾いた音。
息が詰まる。
「……っ」
一瞬の油断も許されない。
視界に捉えられない相手。
気配も薄い。
見失えば、すぐに攻撃が来る。
張り詰めた空気。
ミリィの頬を、汗が一筋伝った。
呼吸が、浅く速くなる。
それでも視線は動かす。
見えない敵を、必死に追うように。
ミリィは、浅く息を吐いた。
「残りの体力がないから……最短、最速で……決めます」
誰に聞かせるでもない、小さな呟き。
その瞬間。
暗殺者の気配が、消える。
――同時に。
ミリィの姿も、消えた。
観客席がざわめく間もなく。
次に現れたのは、舞台の端。
そこに、暗殺者の姿が浮かび上がる。
だが――
その背後に、もう一つの影。
ミリィ。
「なにぃ!?」
暗殺者が振り返ろうとする。
間に合わない。
ミリィの身体が、わずかに沈む。
次の瞬間。
肘が、鋭く突き出された。
背中へ。
深く、正確に。
「……っ」
声すら出ない。
衝撃が体の芯を貫く。
暗殺者の力が、その場で抜けた。
崩れるように、地面へ倒れ込む。
静寂。
ミリィは、その場でゆっくりと拳を振り上げた。
勝利の合図。
一拍遅れて、審判の声が響く。
「勝者!剣聖ミレニアム!」
試合終了が告げられた。
そしてー始まる。
「第10試合目――最終決戦、開始!!」
熱狂に包まれた闘技場に、最後の対戦者が現れる。
銀髪。
白い肌。
整った顔立ち。
貴族のような装いに身を包んだ、紳士的な男。
背は高いが、線は細い。
この場にはあまりにも不釣り合いな、優男だった。
ミリィは、わずかに首を傾げる。
「……?」
男は優雅に一礼した。
「初めまして。剣聖殿。私は北の王国アールヘイトの貴族で、ヴィルズン・バタルザーグと申します。以後、お見知り置きを」
その所作には、一切の隙がない。
ミリィも、わずかに姿勢を正す。
「当代の剣聖、ミレニアム・ジ・プレミアムです。よろしくお願いします」
短い沈黙。
そして。
ヴィルズンが、微笑んだ。
「それでは――参ります」
言い終えるより早く。
その身体が、崩れた。
いや。
霧となって、ほどけた。
輪郭が曖昧になり、そのまま空気へと溶けていく。
完全に。
消失。
観客席がざわめく。
「消えた……?」
「魔術か……?」
ミリィは、その場で動かない。
視線だけを巡らせる。
「……なに、これ?」
そのとき。
ひやりとした感触が、ミリィの首筋に触れた。
短剣の刃。
背後から。
「剣聖様は――吸血鬼をご存知ですか?」
耳元で囁く声。
ミリィは微動だにせず、答える。
「……不死の王……のことでは、か?」
「結構。さすがでございます」
わずかに楽しげな響き。
「……あなたがその、吸血鬼、と?」
「それはご自身の目でお確かめください」
言い終わるより早く。
ミリィの脚が跳ね上がった。
真上へ。
しなやかに、鋭く。
爪先が、背後を正確に捉える。
ヴィルの顔面へと、直撃――
したはずだった。
だが。
手応えが、ない。
霧。
再び、その身体がほどけるように散った。
空気の中へと、消える。
残るのは、何もない空間。
ミリィはそのまま足を下ろし、わずかに息を吐く。
視線だけが、静かに動く。
どこにいる。
気配は、ある。
だが、掴めない。
霧の中に溶け込むように。
ヴィルズンは、どこにでもいて、どこにもいなかった。
ミリィが、わずかに目を細める。
意識を研ぎ澄ます。
感知。
気配を、探る。
――その瞬間。
「後ろ!?」
反応した時には、遅かった。
首筋に、冷たい感触。
そして――
突き立てられる。
牙。
「……っ!?」
声にならない息が漏れる。
身体が、止まる。
動かない。
指一本、動かせない。
力が抜けていく。
だが。
痛みは、ない。
それどころか。
じわりと、何かが広がる。
首筋から。
身体の奥へ。
甘く、痺れるような感覚。
熱が、巡る。
脳が揺れる。
思考が、溶ける。
「……ぁ……」
力が入らない。
立っていることすら、曖昧になる。
吸われている。
何かを。
生命を。
それでも。
身体は拒まない。
むしろ――受け入れてしまう。
抗えない。
抗う意思すら、薄れていく。
身体の奥から広がる感覚が、さらに強くなる。
熱が巡る。
意識が揺れる。
力が抜けていく。
立っていることすら曖昧になり、膝がわずかに震えた。
ミリィの唇が、かすかに開く。
「……ぁ…あぁ…....はぁっ」
吐息が漏れる。
抗うべきだと、どこかで分かっている。
だが。
身体が言うことをきかない。
思考が霞む。
力が抜けていく。
そのまま、崩れ落ちそうになる中で――
かすかに。
意識の奥で、何かが引っかかった。
かすかな引っかかり。
沈みかけた意識の底で、何かが灯る。
――声。
あの、乱暴で。
ぶっきらぼうで。
それでも、どうしようもなく――懐かしい声。
思い出した。
「……っ」
ミリィの指先が、ぴくりと動く。
ぼやけた視界の奥で、何かを掴もうとする。
「あの……人……」
途切れそうな意識の中で、名前にならない想いが浮かぶ。
胸の奥が、熱くなる。
違う。
これは、さっきの熱じゃない。
もっと――強いもの。
「……見て、ほしい……」
かすれた声。
震える唇。
「今の……私を……」
その瞬間。
ぎしり、と。
動かないはずの腕に、力が入った。
吸血鬼の牙が刺さったまま。
ミリィの手が、ゆっくりと持ち上がる。
震えている。
それでも。
確かに、動く。
「……まだ……終わって、ない……」
次の瞬間。
体内を巡っていた“それ”が、逆流した。
純白の光が、再びミリィの身体から溢れ出す。
牙を伝い、流れ込んでいたものを――
押し返すように。
ヴィルの目が、わずかに見開かれた。
「……ほう?」
ミリィの瞳が、再び焦点を取り戻す。
霞んでいた視界が、戻る。
「……っ、はぁ……っ」
荒い呼吸。
だが、意識は戻った。
そして――
ミリィの手が、ゆっくりと首元へと伸びる。
牙を、掴むように。
ミリィの手が、首元へ伸びる。
その指先に――力が宿る。
魔力。
そして、剣聖としての理力を。
右手が、眩く輝いた。
ヴィルがわずかに眉をひそめる。
「これはいけませんね……」
霧へと変じようとする、その瞬間。
間に合わない。
ミリィの右手が、確かに掴んだ。
ヴィルの首を。
「何!? 霧化、できない!?」
驚愕の声。
だがミリィは止まらない。
「はああああああっ!!」
叫びと共に、腕に力を込める。
そのまま――引き抜く。
まるで、霧そのものを引き裂くかのように。
ヴィルの身体が、強引に実体へと引き戻される。
「な、なんだと!?」
そのまま、振り回す。
細身の身体が、宙を描く。
そして――
叩きつける。
轟音。
地面が砕ける。
一瞬の間も置かず。
ミリィの左拳が、輝いた。
純白の光を纏い。
振り下ろされる。
ヴィルの腹へ。
直撃。
ヴィルの身体が、大きくくの字に折れる。
呼吸が止まる。
声も出ないまま、その場で沈黙した。
だが――
終わりではない。
ミリィは、すでに次の動作へ移っていた。
右足が、大きく天へと突き上がる。
真っ直ぐに。
迷いなく。
その踵に――光が宿る。
純白の輝き。
先ほどよりも、さらに強く。
さらに大きく。
まるで収束するように、凝縮されていく。
空気が震える。
観客席が息を呑む。
誰もが理解する。
――これで終わる、と。
そして。
振り下ろされる。
一気に。
躊躇なく。
踵が、落ちる。
次の瞬間――
轟音。
光が弾ける。
衝撃が、舞台を中心に広がる。
視界を白く染める閃光。
音が遅れて、全てを飲み込む。
闘技場一帯が、光と衝撃に支配された。
光が消える。
音が、ゆっくりと遠のく。
残されたのは――静寂。
闘技場全体が、凍りついたように動かない。
誰もが、息を止めていた。
その中心に立つのは、ミリィ。
そして――地に沈むヴィル。
やがて。
審判が、恐る恐る歩み寄る。
状況を確認し。
ゆっくりと、ミリィの左手を取った。
そして――高く掲げる。
「剣聖ミレニアム――10戦勝ち抜きにつき、今大会の優勝者とする!!」
その宣言が響いた瞬間。
堰を切ったように、歓声が爆発した。
「うおおおおおおおおおお!!」
「すげぇぇぇぇぇぇぇぇ!!」
闘技場が揺れる。
地鳴りのような歓声。
誰もが見ていた。
その戦いを。
その覚悟を。
その執念を。
そして――その美しさを。
やがて、その熱狂は一つにまとまる。
「ミ・リ・ィ!」
「ミ・リ・ィ!」
「ミ・リ・ィ!」
止まらない。
終わらない。
ただひたすらに、彼女の名が呼ばれ続ける。
その中心で。
ミリィは、静かに立っていた。
――すべてを、やり遂げたままに。
鳴り止まないミリィコール。
その中心で、ミリィはそっと目を閉じた。
意識を研ぎ澄ます。
感知魔法の感度を、限界まで引き上げる。
広がる。
無数の気配。
観客、一人一人。
そのすべての中から――
たった一人を、探す。
願うように。
縋るように。
――そして。
ゆっくりと、瞳を開いた。
小さく、息を吐く。
「いるわけ……ないですよね……」
かすかな笑み。
どこか、諦めたような。
「さっきの声も……きっと……私の願望から聞こえた、幻聴……」
そう言い聞かせる。
自分自身に。
ミリィは、最後の力を振り絞るように顔を上げた。
観客席へ向けて、大きく手を振る。
そして。
深く息を吸い。
全力で――投げキッス。
歓声が、さらに爆発する。
「うおおおおおおお!!」
「最高だ!!」
沸き上がる熱狂。
それを背に。
ミリィは、ゆっくりと歩き出した。
通路へ。
足取りは、重い。
それでも、一歩ずつ。
前へ。
視線の先。
遠く、登場口。
オセとアナ。
そして、剣聖の盾の仲間たち。
待っている。
――そう。
今の自分には、支えてくれる人がいる。
応援してくれる人がいる。
それで、十分。
それ以上を望むなんて――贅沢だ。
そう、言い聞かせる。
歩く。
一歩。
また一歩。
その途中で。
ぽたり、と。
涙が落ちた。
ミリィは、はっとする。
「……あれ……?」
自分でも気づいていなかった。
涙。
止まらない。
頬を伝って、零れていく。
震える手が、首元へ伸びる。
下げている指輪を、両手で包み込む。
ぎゅっと。
大切なものを守るように。
「……会いたかった……」
声が、震える。
「会いたかったよぉ……」
もう、隠さない。
涙も。
声も。
子供のように、泣いた。
泣きながら、それでも歩く。
止まらない。
止まれない。
前へ。
自分の足で。
最後まで。
やりきるために。
そして――
登場口へと辿り着く。
その先で、アナの胸に飛び込む、その瞬間まで。




