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純潔のミレニアム  作者: K.K.
エピソード5ー剣聖様の受難ー
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限界を越えてー

その場で、空気が一瞬だけ止まった。


ベッドに横たわるミリィは、すでに戦場の装備をほとんど失い、呼吸だけがかろうじて動いている。


白いシャツとスカートだけの姿。シャツの裾とスカートが風に揺れていた。


装飾も防具も、ひとつずつ外されていくたびに、まるで戦うための重さだけが剥がれていくようだった。


アナは静かに手を伸ばす。


その指先が、ミリィのネックレスに触れた。


「これも外しましょうね」


いつもの落ち着いた声。


だが、その一言だけが、妙に近く響いた。


ミリィの視線が、わずかに揺れる。


アナの指先が留め具にかかる。


控室の空気が、ほんのわずかに張りつめた。


その瞬間、ミリィの表情が崩れた。


目が大きく見開かれ、呼吸が一気に乱れる。


「それは……それはダメぇ……やめて……私から取らないで……いやぁぁぁ……」


声が途切れ途切れに漏れ、次の瞬間には堰を切ったように涙が溢れた。


大粒の涙が頬を伝い、止まらない。


戦場で見せていた強さも、笑顔も、そのまま崩れていく。


小さく体を丸めるようにして、首元を必死に押さえる。


まるでそれが最後の支えであるかのように。


「……っ、ミリィ?」


アナの指が止まる。


そのまま、息を詰めたまま一歩遅れて手を引いた。


「……ご、ごめんなさい」


声がわずかに揺れる。


「ほら……取らないわ。取らないから……泣き止んで……」


そう言いながら、アナはミリィの頭にそっと手を置いた。


撫でる。


ゆっくりと、落ち着かせるように。


ミリィはその手にすがるように、しゃくり上げながら小さく頷いた。


「……ほんとに……?」


「ええ、ほんとに」


アナは静かに答える。


控室には、戦いの前とはまったく別の、静かで脆い時間だけが流れていた。


オセが苛立ち混じりに声を上げる。


「魔術でなんとかならないんすか?」


すぐに団員の一人が首を横に振った。


「無理です。回復魔術は本来、本人の体力を使って傷を癒すものです……今は逆効果になります」


申し訳なさそうな声だった。


沈黙が落ちる。


アナはミリィを見たまま、小さく息を吐く。


「これはもう……いつ倒れてもおかしくありませんわ」


誰もそれ以上、言葉を続けられなかった。


視線だけが、ベッドの上のミリィに集まる。


そのとき。


控室に呼び出しの声が響いた。


「そろそろ次の試合が始まります。ご準備を」


空気がさらに重くなる。


誰も動けない。


その沈黙の中で。


ミリィが、ゆっくりと起き上がった。


壁に手をつきながら、身体を支えるようにして立ち上がる。


足元が揺れる。


それでも、前へ出ようとする。


「……いってきます」


かすれた声だった。


オセとアナが、同時に動いた。


左右から支えるように肩を取る。


一瞬だけ、視線が交わる。


そして頷く。


アナが静かに言う。


「わかりました……最後までお供しますわ」


オセも短く息を吐く。


「俺たちが見届けますよ!ミリィ様」


ミリィは目を閉じたまま、かすかに笑った。


「……ありがと、う……」


そのまま、二人に支えられながら控室を出ていく。


足取りは不安定で、それでも止まらない。


歓声の向こうへ、再び向かっていった。


ミリィが登場口から姿を現した瞬間、会場が一気に沸いた。


これまでの重装備や外套姿から一転し、白いシャツにスカートという軽装になった姿は、観客に様々な憶測を走らせる。むしろ動きやすさを優先したのだと受け取る者も多く、その異様さを正確に理解している者は少ない。


割れるような歓声が、空気そのものを震わせる。


「剣聖ミレニアム!!」


「軽くなってる!本気モードか!?」


「まだいけるのかよ!!」


「行けえええ!!」


ミリィは、そのすべてに応えるように、ゆっくりと手を振った。


笑顔。


だがその目は、どこか遠い。


意識は薄く、身体だけが前に進んでいるようだった。


一人で、舞台へ向かって歩いている。


足取りはわずかに不安定で、ときおり呼吸が浅くなる。


それでも止まらない。


やがて中央へと立つ。


「第6試合、開始!!」


審判の声が響くと同時に、空気が変わる。


対戦相手は初老の魔術師だった。


杖を軽く持ち、ローブの裾を揺らしながら静かに立つ。


「……ここまで立つか、剣聖よ」


低い声。


次の瞬間。


杖が地面を軽く打つ。


魔力が解放される。


魔法陣が空中に展開し、複数の火球が生まれた。


ゆらゆらと浮かぶ炎。


それが一斉にミリィへと向きを変える。


「……っ」


ミリィの体が、わずかに遅れて反応する。


火球が放たれる。


一直線に。


容赦なく。


観客の息が止まる。


炎が、ミリィへと殺到した。


ミリィの右手に、淡い魔力が集まる。


火球が目前に迫った瞬間。


その手が、鋭く振り抜かれた。


空気が裂けるように、魔力の衝撃が走る。


火球は一つずつ軌道を逸らされ、弾かれ、霧散していく。


「……っ!」


魔術師がすぐに次の詠唱へ移る。


だが、その一瞬が遅かった。


ミリィはすでに踏み込んでいる。


距離は一瞬で消えた。


魔術師の目が見開かれる。


「な……!」


ミリィの手が伸びる。


杖を掴む。


そのまま力任せに引き抜き、地面へ放り捨てた。


金属と木が転がる音。


魔術師の反応は間に合わない。


ミリィの拳が、軽く腹部に当たる。


しかしその一撃だけで十分だった。


「ぐっ……」


魔術師の体が崩れ落ち、そのまま意識を失う。


静寂。


次の瞬間。


ミリィはその場でゆっくりと息を吐き、両手を上げた。


勝利の合図。


観客席が一拍遅れて爆発するように沸き上がる。


「剣聖だ……!」


「まだ勝つのかよ!」


「すげぇ……!」


審判が前に出る。


「勝者!剣聖ミレニアム!」


声が響き、試合終了が宣言された。


その様子を、登場口の影からオセとアナ、そして剣聖の盾の団員たちが見ていた。


舞台の中央で、ひとり勝利の手を上げるミリィ。


その姿は、もはや勝利者というより、何か別の存在のようにすら見える。


オセが、ぽつりと呟いた。


「……つ、つえぇ」


いつもの軽口は出てこない。


ただ、純粋な驚きだけが漏れていた。


アナは目を細めたまま、静かに言う。


「限界を越えたことで……普段の無駄な緊張が出てないのかも……」


一拍置いて、続ける。


「……さすがですわね」


その言葉には、評価でも皮肉でもなく、ただ事実を見ているような重さがあった。


誰もが言葉を失う中、舞台の上では歓声がなおも鳴り止まない。


そして、その中心に立つミリィだけが、まだ次を見ていた。


「第7試合、開始!!」


審判の声が響いた瞬間、空気がまた一段階変わる。


舞台に現れたのは、小柄な少女だった。


その周囲に、獣のような影が揺れる。


狼型の魔獣――ベロン。


全部で5体。


低く唸りながら、ミリィを中心に円を描くように動き始める。


観客席がざわつく。


「魔獣使いか……」


「数が多いぞ」


ミリィは、舞台の中央でただ立っていた。


視線は定まっていない。


呼吸も浅い。


まるで周囲の状況を捉えきれていないような、ぼんやりとした立ち姿。


魔獣使いの少女が笛を口に当てる。


鋭い音。


それが合図だった。


一斉に、ベロンが動く。


地面を蹴る音が重なる。


四方から、同時に跳躍。


ミリィへと殺到する。


「……っ!!」


次の瞬間、ミリィの身体がわずかに動く。


だが完全には間に合わない。


爪がかすめる。


布が裂ける音。


血が舞う。


さらに別の影。


牙が迫る。


ミリィは身をひねり、紙一重で致命傷を避ける。


それでも、浅い傷が次々と刻まれていく。


「うわっ……!」


「危ない!!」


観客席から悲鳴が上がる。


ベロンは再び距離を取り、円を維持したまま唸り声を上げる。


ミリィはその中心で、まだうまく状況を掴めていないように立っていた。


意識が一瞬、深く戻る。


ミリィの目の焦点が、鋭く合った。


次の瞬間。


跳びかかってきたベロンの一体に対し、ミリィは動いた。


踏み込み。


そのまま、両の太ももで首元を挟み込む。


空中で体を逆立ちのように返し、軸を捻る。


「っ……!」


そのまま勢いを殺さず、地面へ叩きつけた。


石畳が砕ける音が響く。


1体目、沈黙。


間髪入れず、左右から2体が同時に迫る。


ミリィは立ち上がる流れのまま、体を回転させる。


回し蹴り。


左から、右から。


衝撃が重なり、2体が同時に吹き飛ぶ。


2体目、3体目、沈黙。


残る2体。


一体がさらに距離を詰める。


ミリィはその動きを受け止めるように踏み込み、首に腕を回す。


そのまま力を抜かず、体ごと持ち上げるようにして後方へ投げ落とす。


4体目、地面に沈む。


そして最後の1体。


唸り声を上げながら、慎重に間合いを測る。


観客席はすでに息を呑んでいた。


ミリィはその一体を見据えたまま、ゆっくりと指先を動かす。


「……来て」


挑発とも、誘いとも取れる仕草。


一瞬の静寂。


そして――


観客がどよめいた。


「まだ余裕あるのか……!?」


「あの状態で……!?」


魔獣が低く唸り、再び跳躍の構えを取る。


ミリィは動かない。


ただ静かに、次の一手を待っていた。


沈黙に耐えきれず、最後のベロンが跳びかかる。


空気が一瞬、鋭く引き締まった。


その瞬間。


ミリィは一歩も動かず、ただ静かに右手を上げる。


そして――人差し指を、額にそっと当てた。


触れたのは一瞬。


次の瞬間、魔獣の動きが止まる。


まるで糸が切れたように、その場に崩れ落ちた。


どよめきが走る間もなく。


ミリィの姿が消える。


いや、正確には――動きが速すぎて見えない。


気づいた時には、魔獣使いの少女の背後にいた。


「……っ」


少女が振り向くより早く。


ミリィの手刀が、首筋へ静かに落ちる。


鋭い一撃。


少女の体から力が抜け、そのまま崩れ落ちた。


ミリィはその体を、倒れないようにそっと支える。


だが、その瞬間だった。


膝が折れる。


「……っ」


地面に落ちかける身体を、必死に踏みとどめる。


呼吸が乱れる。


視界が揺れる。


それでも、左手が上がった。


勝利の合図。


一拍遅れて、審判の声が響く。


「勝者!剣聖ミレニアム!!」


次の瞬間、会場が割れるような歓声に包まれた。


「うおおおおおお!!」


「また勝った!!」


「剣聖だ!!剣聖!!」


その中心で、ミリィはまだ立っていた。


震えながら、それでも倒れずに。


挿絵(By みてみん)


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