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純潔のミレニアム  作者: K.K.
エピソード5ー剣聖様の受難ー
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大切な手紙ー

剣聖の盾本部。


王都の一角に構えられたその施設は、アナリスタの主導で整えられたものだった。


その一室。


執務室の机に、ミリィは突っ伏していた。


肩が小刻みに揺れている。


泣いていた。


机の上には、封書が山のように積み上がっている。


白、白、白。


すべてが彼女宛てのものだった。


「ミリィ様!休んでる暇なんてないっすよ!今日中に全部読んで返事書いてくださいね!」


オセの声が容赦なく飛ぶ。


「……無理だよぉ……こんなにあるのに……」


顔を上げる気力もなく、くぐもった声で返す。


「あのさぁミリィ様。俺、先週から言ってましたよね?今日までだって」


淡々とした指摘。


ミリィがゆっくりと顔を上げる。


涙で少し潤んだ目。


「そ……それは……」


言い訳が続かない。


「それなのに、買い物したいー!カフェに行きたいー!て遊んでたのはどこの剣聖様っすか?」


追撃は容赦がない。


「……だ、だって、もうずっと朝から深夜まで仕事してて……息抜きが……」


必死の抗弁。


「息抜きはしたでしょ?今は仕事の時間っす」


一刀両断。


「で、でもこんなにたくさん返事なんて……」


視線が、山積みの封書へと落ちる。


終わりが見えない。


「ファンレターに返事をするのは基本っす!大事なことっすよ?」


オセの言葉は正論だった。


机の上に積まれているのは、すべてミリィ宛てのファンレター。


一通一通、目を通し、返事を書く。


それが当然のように求められている。


ミリィの字は、驚くほど綺麗だった。


だが、書くのは遅い。


とても遅い。


だからこそ、この量は致命的だった。


ミリィは震える手で一通を手に取る。


封を開ける。


中の文字を目で追う。


そして、ペンを持つ。


……止まる。


次の一文字が、出てこない。


積み上がった封書の山を見て、再び思考が遠のく。


終わりが、見えなかった。


涙で滲む視界の中。


それでもミリィの手は止まらなかった。


一通ずつ、封を開ける。


文字を追う。


返事を書く。


淡々とした作業の繰り返し。


時に、胸が温かくなる言葉に触れ。

時に、過剰な熱にわずかに怯えながら。


それでも、前へ進める。


やがて──


ふいに手に取った一枚で、指が止まった。


「あれ?……これ、は?」


封書ではない。


一枚の葉書。


差出人の名はない。


だが、その筆跡に見覚えがあった。


独特な、癖の強い線。


整っているとは言い難い、乱れた文字。


言うなれば、ひどく汚い字。


だが。


ミリィの目が、大きく見開かれる。


「も……もしかして……」


胸が早鐘のように鳴る。


震える指で、そっと裏返す。


そこに記されていたのは──


ただ一言。


短い、たった一行の言葉。


それを見た瞬間。


ミリィの頬を、涙が伝う。


悲しいわけではない。


寂しいわけでもない。


ただ、胸が熱くて仕方がなかった。


その様子に気づき、オセが顔を上げる。


「……ミリィ様?どうしたんすか?」


ミリィは葉書を両手で包み込むように持つ。


大切に、大切に。


そのまま胸へと押し当てる。


そして顔を上げる。


オセへ向き直る。


これまで一度も見たことのない表情。


満面の笑み。


涙に濡れながら、それでも輝いていた。


「あの人が……私に会いに来てくれる!」



それからのミリィは、明らかにおかしかった。


誰の目から見ても。


泣かない。


いや、正確には違う。


泣きそうになる瞬間は、確かにある。


だが次の瞬間には──


にへら、と。


力の抜けた笑みを浮かべている。


感情の波が、どこかで途切れているようだった。


執務も。


訓練も。


対外対応も。


すべてを、これまでになく精力的にこなしていく。


それどころか──


自分から提案すらする。


今までのミリィからは、考えられないことだった。


常に受け身で、誰かに促されてようやく動く彼女が。


今は、自ら動いている。


その変化は、あまりにも急で。


あまりにも極端で。


オセとアナは、言葉を失っていた。


ただ、互いに視線を交わす。


何かがおかしい。


明らかに、良くない方向に。


だが原因は分かっている。


あの一枚の葉書。


それを境に、すべてが変わった。


二人は何も言わない。


言えない。


ただ、戦々恐々とした面持ちで。


変わってしまったミリィを、見守ることしかできなかった。


執務室。


机に向かうミリィの手は、止まることがなかった。


さらさらとペンが走る。


一通、また一通。


積まれていた封書は、確実に減っていく。


その背中は、妙に軽やかだった。


オセが、その様子をじっと見ている。


そして、口を開いた。


「ミリィ様……最近なんかおかしくないっすか?」


ミリィは振り返らない。


手も止めない。


ただ、口元だけが緩む。


「えー?そんなことーないよぉー」


明るい声。


軽い調子。


まるで、本当に何も問題がないかのように。


だが──


その違和感は、隠しきれていなかった。


疲れているはずだった。


あれだけの量を前にして、泣き崩れていたはずの少女が。


今は、何事もなかったかのように筆を進めている。


弱音も吐かない。


手も止めない。


ただ、笑っている。


それが、オセには恐ろしかった。


以前のミリィなら。


きっと、泣いて。


机に突っ伏して。


「むりですぅ……」と駄々をこねていたはずだ。


それが、今はない。


欠けている。


何かが、確実に。


「……あの葉書、誰からだったんすか?」


オセの問いが、静かに落ちる。


その瞬間。


ミリィの手が、ぴたりと止まった。


「……えー……なんでー?」


わずかに間を置いて、軽い調子で返す。


そしてすぐに、何事もなかったかのようにペンを走らせ始めた。


さらさらと。


一定のリズムで。


「だって、あの葉書来てから、ミリィ様ヘンっすよ?みんな心配してるっす」


オセの声には、いつもの軽さはなかった。


まっすぐな言葉。


ミリィは手を止めない。


視線も上げない。


ただ、微笑んだまま答える。


「心配なんていらないよー 私は今、とても調子がいいだけー」


柔らかい声。


明るい響き。


だが、その笑みは──


どこか、貼り付いたようだった。


ペン先が紙を擦る音だけが、部屋に響く。


途切れることなく。


一定に。


オセは何も言わなかった。


ただ、その背中を見ている。


笑っているはずなのに。


なぜか、ひどく遠く感じた。


「……明後日の闘技大会、今からでもキャンセルしません?」


オセの言葉が、静かに落ちる。


その瞬間。


ミリィの手が止まった。


ゆっくりと、振り返る。


「……なんで……?」


そこにあったのは、先ほどまでの笑顔ではなかった。


無表情。


感情の色が、すべて抜け落ちている。


「だってミリィ様、絶対ヘンっすもん。何かあったら……」


言い切る前に。


「ダメェッ!」


絶叫。


空気を引き裂くような声だった。


オセが言葉を失う。


ミリィの顔。


それは、これまでに一度も見たことのないものだった。


必死で、焦っていて。


どこか、壊れかけている。


「今度の闘技大会は……絶対に出ます」


低く、押し殺した声。


だが、その奥には揺るぎない決意があった。


「いや……でも」


オセがなおも言おうとする。


だがミリィは何も返さない。


無言のまま立ち上がる。


椅子が小さく音を立てる。


そのまま、扉へ向かう。


足取りは迷いがない。


扉の前で、一度だけ立ち止まる。


背を向けたまま。


「心配してくれてるのに……ごめんなさい。でも……絶対に出ますから」


それだけ言って。


扉を開ける。


そして、そのまま出ていった。


残されたのは、静まり返った部屋と。


動けないままのオセだけだった。


脱衣所。


衣擦れの音が小さく響く。


ミリィは静かに服を脱ぎ、整える余裕もなくそのままにして、浴室の扉へと手をかけた。


開く。


冷たい空気が流れ込む。


そのまま、足を踏み入れる。


シャワーの栓をひねる。


勢いよく、水が落ちてくる。


躊躇いなく。


頭から、浴びた。


「……つめたぃ……」


小さく、息が漏れる。


季節はまだ秋。


水は容赦なく体温を奪っていく。


それでも、止めない。


むしろ、その冷たさがちょうどよかった。


熱を帯びた身体。


落ち着かない胸の内。


それを押し流すように。


ただ、じっと浴び続ける。


あの人が来てくれる。


その言葉だけが、頭の中で何度も繰り返される。


きっと、闘技大会を見に来てくれる。


だから──


情けない姿は、見せられない。


あの人は、昔の自分しか知らない。


弱くて、泣いてばかりだった頃の自分。


だから。


今の自分を。


強くなった自分を。


見てほしい。


水音の中で、呼吸が乱れる。


視界がわずかに揺らぐ。


ふいに。


足元がぐらりと崩れた。


そのまま、力が抜ける。


床に、へたり込む。


「ダメ……ダメだよミリィ……」


かすれた声。


震える指が、床を掴む。


「今は……がんばらないと……」


水が、止まらず降り注ぐ。


「……あの人に……私を見てもらうんだから……」



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