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純潔のミレニアム  作者: K.K.
エピソード4ー剣聖の盾ー
22/48

目指すは大武道館ー

アナリスタはバルコニーの入り口付近に立ち、広場を見下ろしていた。


視界いっぱいに広がる人の群れ。その中心に立つのは、一人の少女だった。


剣聖ミレニアム・ジ・プレミアム。


ミリィ。


その名が繰り返されるたび、広場の空気が震える。


「ミリィ!!」

「ミリィ!!」


歓声は波となり、途切れることなく広がっていく。


アナリスタは口元に手を当てたまま、その光景を静かに見つめていた。


表情は落ち着いている。


だが、視線だけが妙に鋭い。


まるで、目の前の現象を一つずつ確かめているかのように。


バルコニーの先では、ミリィがぎこちなくも手を振り続けている。


それに応えるように、群衆の熱はさらに増していく。


アナリスタは小さく息を吐いた。


――ここまで、想定以上。


その言葉だけが、静かに頭の中を流れる。


視線は群衆でも、国でもない。


ただ一点。


少女の存在そのものに向けられている。


この反応。


この広がり方。


この“熱”の生まれ方。


アナリスタはわずかに目を細めた。


何かが、形になりかけている。


まだ誰も言葉にしていないもの。


まだ誰も明確に理解していないもの。


それを、今この瞬間だけが確かに生み出している。


アナリスタは口元の手をそのままに、静かに視線を戻した。


その横顔には、感情らしいものはほとんど浮かんでいない。


ただ――何かを観察し、組み立てているような静けさだけがあった。


群衆の熱が、限界を超えて膨らんでいく。


名前を呼ぶ声が重なり、広場全体が一つのうねりになっていた。


アナリスタは、その光景を静かに見つめていた。


口元に手を当てたまま、視線だけが鋭く動く。


――足りない。


ふと、そんな感覚がよぎる。


この熱量、この反応、この広がり方。


まだ収まりきっていないものがある。


どこかで、もっと受け止める“形”が必要になる。


アナリスタはわずかに目を細めた。


視線の先には、手を振り続けるミリィ。


その一挙一動に、群衆が応え続けている。


このままでは、いずれ限界が来る。


熱は必ず行き場を失う。


ならば――


どこへ導くべきか。


アナリスタは、誰にも聞こえないほど小さく息を吐いた。


「.....」


「……目指すべきは、そこですわね」


広場の喧騒に紛れて、その言葉は消える。


けれど、視線だけは確かに一点を見ていた。


この熱を収める器。


この存在を正しく響かせる舞台。


まだ名もないそれの形を、頭の中で静かに組み上げていく。


そして、その先にあるものを、当然のように思い描いていた。


ミリィは、広場の熱に包まれたまま、ゆっくりと息を整えていた。


どこまでも続くような歓声。


その中心に立たされていた自分は、まだ現実感が薄い。


けれど、ただ一つだけ分かる。


――ここで終わるのだと。


ミリィは手すりから離れ、一歩後ろへ下がった。


そして、ぎこちないながらも、深く頭を下げる。


精一杯の礼だった。


何に対しての礼なのか、自分でもうまく言葉にはできない。


それでも、この場に向けて、今できるすべてだった。


広場の空気が、一瞬だけ柔らかくなる。


歓声は途切れないまま、しかしどこか余韻を帯びた響きに変わっていく。


その背後で、アナリスタが静かに前へ出た。


落ち着いた声が、広場全体へと届く。


「皆さま、剣聖ミレニアムへの敬意に感謝いたしますわ」


その一言で、空気が“終わり”を理解する。


熱は消えないまま、形を変えていく。


興奮から、満足へ。


叫びから、余韻へ。


ミリィは小さく息を吐き、アナリスタに支えられるようにしてバルコニーの奥へと下がっていった。


しかし、その瞬間だった。


足元がわずかに乱れる。


緊張が解けた反動か、ほんの小さな段差につまずき――


ミリィの身体が、ふらりと傾いた。


「……っ」


視界が揺れる。


次の瞬間、体勢を崩したまま前につんのめる。


咄嗟に踏ん張ろうとするが、うまく力が入らない。


そのまま、よろめくように一歩、二歩。


広場へ戻るような動きに見えたその瞬間――


群衆の空気が一気に弾けた。


「危ない!!」

「ミリィ様!!」

「支えて!!」

「下がって!!」


応援と悲鳴と、混乱と心配と歓喜が入り混じった声が一斉に上がる。


さっきまでの統一された歓声とは違う、むき出しの反応。


誰もが同じ方向に手を伸ばしそうになるほどの動揺だった。


ミリィは何が起きているのか分からないまま、ただ目を瞬かせる。


その背を、アナリスタがしっかりと支えた。


「大丈夫ですわ」


小さく囁く声は、落ち着いている。


ミリィはかすかに頷き、そのまま導かれるようにバルコニーの奥へと姿を消していった。


残された広場には、まだ余韻が残っている。


名を呼ぶ声は、すぐには消えなかった。


「つ……疲れたぁ……」


バルコニーから室内へ戻るなり、ミリィはその場にしゃがみ込んだ。


華やかな空間から切り取られたような静けさの中で、呼吸だけがやけに大きく響く。


だが、その静けさの中にも、確かに残っていた。


あの大観衆の声。


名前を呼ぶ熱。


押し寄せるような視線と、揺れる空気。


それらがまだ、耳の奥や肌の感覚に焼き付いて離れない。


手足が小刻みに震えていた。


けれどそれは恐怖ではない。


ただ、圧倒的な何かを受け止めきれなかった余韻――純粋な興奮だった。


そのミリィの頭に、そっと手が乗せられる。


優しく、落ち着いた重み。


アナリスタだった。


「お疲れ様でした。ミレニアム……いえ、ミリィ」


その声に、ミリィはゆっくりと顔を上げる。


まだ呼吸の整わないまま、視線だけを向ける。


「……アナリスタ様……」


その一言は、さっきまでの喧騒とは対照的に、静かに落ちていった。


アナリスタは、ミリィの頭に手を置いたまま、ふっと息を整えるように目を細めた。


そして、静かに告げる。


「……アナとお呼びなさい」


ミリィの瞳が揺れる。


頭の中で言葉の意味を追いかけるように、瞬きを繰り返した。


アナリスタは改めて、柔らかくも揺るがない声で続ける。


「ミリィ、貴女にはそう呼んでほしいの」


「……わかりました……アナ様」


ミリィがそう返した瞬間、アナリスタはゆっくりと首を横に振った。


微笑みは崩れていないのに、どこか譲る気配がない。


「アナ、ですわ」


「……」


ミリィは一瞬固まる。


言い直しの意味が、まだうまく飲み込めていない。


おそるおそる、言葉を探すように口を開いた。


「……アナ……さん?」


「アナ、ですわ」


間髪入れずに返る。


さらに少しだけ距離を詰めるように、アナリスタは言い直す。


「ア・ナ」


ミリィの肩がびくりと跳ねる。


それでも逃げられないまま、必死に言葉を探し直す。


「……アナ……ちゃん?」


「アナよ!」


ぴしゃりと声が落ちた。


続けて、はっきりと、強く。


「アナと呼び捨てになさい!」


その瞬間、ミリィの体が小さく跳ねる。


「ひ……ひぃ……」


目に涙が滲み、震えながら後ずさりかける。


さっきまで群衆の前で笑っていた少女とは思えないほどの、完全な防御反応だった。


アナリスタは、怯えかけているミリィの様子など気にするでもなく、淡々と続けた。


「それと、敬語もやめなさい。私に遠慮はいりません」


一拍置いて、当然のように言い切る。


「何せ私は、貴女の騎士団、“剣聖の盾”の筆頭なのですから」


その言葉に、妙な説得力があった。


そしてそれが事実かどうか以前に、アナリスタの中ではすでに“決定事項”であることも。


さらに、話は止まらない。


「これからは週に一度は王宮にいらっしゃい。運営方法や運用について話し合いましょう。それから――」


ミリィはまだ涙目のまま、瞬きを繰り返していた。


さっきまでの歓声と熱狂の余韻も、アナリスタの手のひらの上で起きているような混乱も、まだ頭の中で整理できていない。


なのに、次から次へと“予定”が積み上がっていく。


「騎士団の広報方針も必要ですわね。衣装や呼称の統一、それから民衆との接触頻度の管理も――あぁ、いえ、これは少し急ぎすぎかしら」


言いながらも、止まる気配はない。


むしろ、考えが整理されるほどに言葉が増えていく。


ミリィは小さく息を吸ったまま、完全に置いていかれていた。


「それから――」


まだ続くその声を前に、室内の静けさだけが少しずつ遠のいていく。


まるで、“剣聖の盾”という名前が、今この瞬間から現実として形を持ち始めていくように。

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