そして決勝戦ー
ミリィは壁際にしゃがみ込み、膝をぎゅっと抱えていた。さっきまで舞台の上で堂々と戦っていた姿が嘘のように、今は小さく縮こまっている。
肩がかすかに震え、指先が落ち着かないように服の裾を握りしめる。
「……もう……恥ずかしかった……」
ぽつりと漏れた声は、誰に向けたものでもなかった。
思い出したくない光景が頭の中をぐるぐると巡るたびに、顔がじわじわと熱を帯びていく。胸の奥がきゅっと締めつけられるようで、うまく息ができない。
そんなミリィの前で、オセが困ったように頭をかいた。
「ミリィ様ー……本当にすみませんってば……」
普段の軽い調子を保とうとしているが、どこか歯切れが悪い。
「さすがにあれはやりすぎたっす……ちゃんと反省してるっす」
ミリィはゆっくりと顔を上げる。
涙で少し潤んだ瞳が、じっとオセを見つめた。
「……ほんと?」
その一言は、疑いというよりも、ただ確認したいだけのように弱々しい。
オセは一瞬だけ言葉に詰まってから、すぐにうなずいた。
「マジっす。今度こそちゃんと、ミリィ様が安心して戦えるようにするっす」
その言葉を聞いて、ミリィは小さく息を吐く。
張り詰めていた何かが、少しだけ緩む。
それでも、完全には消えない不安が胸の奥に残ったまま、指先をぎゅっと握りしめた。
「……もう、変なのは……やだよ」
震える声で、しかしはっきりと伝える。
オセはすぐに頷く。
「わかってるっす。これからは『可愛い』と『強い』をちゃんと両立させる方向でいくっすよ!」
「……かわいい……」
その言葉を繰り返したミリィの頬が、ほんの少しだけ緩む。
ほんのわずかに、はにかむような笑顔。
「……それなら……いいかも……」
完全には納得していない。それでも、自分の気持ちを少しだけ受け止めてもらえたことが、心を軽くしていた。
オセはその表情を見て、ぱっと明るくなる。
「よっし!いい感じっすよ、その顔!」
軽く拳を握り、勢いよく言い放つ。
「さぁさぁ、いよいよ決勝っす!ここまで来たら、もう優勝しかないっすよ!」
その言葉に、ミリィはゆっくりと立ち上がる。
涙を指で拭い、深く息を吸う。
まだ少し緊張は残っている。けれど、それ以上に――
前に進みたい、という気持ちが胸の中で強くなっていた。
「……うん」
小さく、しかしはっきりと頷く。
「がんばって……くる」
その声には、さっきまでの弱さだけではない、確かな意志が宿っていた。
オセは満足そうに頷く。
「その意気っす!ミリィ様なら絶対いけるっす!」
二人は並んで、決勝の舞台へと向かう。
観客の歓声が、遠くからうねるように響いていた。
決勝の舞台。
観客の熱気が最高潮に達する中、ミリィはゆっくりと中央へ進む。
その対面に立つのは――
覆面の戦士。
顔は一切見えない。
目元も口元も、完全に布で覆われているため、表情を読み取ることはできない。
長い黒髪が襟元から三つ編みとなって垂れ、整った前髪だけが静かに揺れる。
深い紫の瞳が、覆面の奥からミリィをまっすぐに見据えている。
身長は高く、均整の取れた体格。
身に纏うのは、整えられたメイド服。
だがその足元は戦闘用――金属プレートの仕込まれたブーツ。
両手には鉄甲。
首には鎖。
静かな異質さを纏い、ただそこに立っている。
一切、言葉はない。
やがて――
覆面の戦士は、音もなく一礼した。
そして無言のまま、ククリナイフを二本抜く。
逆手に構えられた刃は、微かな光を反射する。
呼吸一つ乱れない。
その構えだけで、実力の高さが伝わってくる。
観客のざわめきが、少しずつ静まっていく。
張り詰めた空気の中――
「……あれ?」
小さく呟き、目の前の相手を見据える。
覆面の戦士は、何も語らない。
決勝の舞台に、緊張が張り詰めていた。
歓声は徐々に遠のき、観客たちも固唾を飲んで見守っている。
ミリィは目の前の相手を見つめ、小さく息を吸った。
そして、ゆっくりと口を開く。
「……あ、あの、パティ……だよね?」
覆面の戦士は、わずかに肩を揺らした。
次の瞬間、顔をそらす。
はっきりとした否定はない。
だが、その仕草が何よりも雄弁だった。
ミリィはさらに視線を向ける。
「顔隠しててもわかるよ……というか、顔以外そのまんまパティなんだけど……」
少し困ったように、首を傾げる。
「……どうして、それでいけると思った、の……?」
その問いは、純粋な疑問だった。
覆面の奥で、戦士の呼吸が一瞬だけ止まる。
だが、言葉は返ってこない。
代わりに――
ククリナイフを握る手に、わずかに力が込められる。
一歩、重心が前に移る。
「……」
沈黙のまま、構えが整えられる。
その姿勢が、すべてを語っていた。
戦う意思だけが、そこにある。
ミリィは小さく息を吐く。
そして、まっすぐに相手を見据えた。
「……よ、よくわからないけど...」
静かに構えを取り直す。
「とりあえず……ちゃんと戦うね」
観客席がざわめく中――
決勝の幕が、静かに上がろうとしていた。
覆面の戦士が、静かに踏み出す。
その一歩は小さい。だが、確かな圧があった。
次の瞬間――
両手のククリナイフが閃く。
左右から同時に繰り出される、鋭い斬撃。
ミリィは即座に反応する。
踏み込みながら、身体をわずかに傾け――
片手の手刀で、その刃を受け止めた。
乾いた金属音が響く。
続けて、もう一方の刃。
ミリィは反対の手で軌道をずらし、斬撃をいなす。
刃と刃が交錯するたびに、火花のような緊張が走る。
だが、覆面の動きは止まらない。
流れるように体を回転させ――
鋭い蹴りが放たれる。
ミリィはそれを見逃さない。
一瞬だけ重心をずらし、紙一重で回避する。
蹴りは空を切り、その風圧だけが頬を撫でた。
互いに一歩も引かない。
最小の動きで最大の攻防。
間合いは、常に紙一重。
ミリィの瞳が、鋭くなる。
「……やっぱり、強い……」
小さく呟く。
対する覆面は、無言のまま次の動作へと移る。
一切の無駄がない。
感情の揺らぎもない。
ただ――
勝つためだけの動き。
戦いは、さらに加速していく。
ミリィは、戦いの最中にもかかわらず、ふっと柔らかく微笑んだ。
「すごい……やっぱり、パティは強いんだね!」
その言葉は、心からの称賛だった。
その笑みに――
覆面の戦士の肩が、わずかに震える。
ミリィは気にせず、続ける。
「私……そんなに強いパティと戦えてる……見て!」
一歩、踏み込みながら、胸の内をまっすぐにぶつけるように言葉を紡ぐ。
「私……こんなに強くなったんだよ……もう守られてばかりいた、あの頃とは違うの」
その声には、過去を乗り越えた強さが宿っていた。
覆面の震えが、さらに大きくなる。
片手を、覆面の口元へと寄せる。
何かを堪えるように。
何も言わないまま、ただ揺れている。
ミリィは、その様子を見つめたまま、優しく、しかしはっきりと告げた。
「……だから、今日は勝つね……パティに、今の私を見て欲しいから!」
その瞬間――
ミリィの瞳に、強い光が宿る。
迷いのない、まっすぐな意志。
揺るぎない決意。
その姿を見た覆面の戦士は――
一度、両手に持っていたククリナイフを手放した。
床に落ちる乾いた音。
そして――
両手で口元を覆う。
長く、静かな沈黙。
観客のざわめきさえも、遠く感じるほどの間。
やがて――
ゆっくりと手を離し、再びナイフを拾い上げる。
そして、静かに構えを整えた。
その動きには、さきほどまでとは違う重みがあった。
ミリィもまた、構えを変える。
両手を前に。
その手刀に――
魔力と、剣聖の理力が宿る。
純白の光が、静かに立ち上る。
光は揺らぎながらも、確かな力を帯びていく。
舞台の空気が、さらに張り詰める。
観客は息を呑み――
誰もが、この一瞬を見逃すまいとしていた。
そして――
二人は、同時に動き出す。




