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2月:あまくてほろにがいチョコレート

 ふわり。女の子は柔らかい草の上に降り立ちました。きょろきょろとあたりを見渡すと、女の子よりもっと小さい子どもからよぼよぼの老人まで、とてもたくさんの人間が遊具で遊んだり、ベンチでうつらうつらとしたり、思い思いにくつろいでいるようです。もちろん女の子はこんなにたくさんの人間を見るのは初めて。とても驚きましたが、なかでも一番驚いたのは、誰もが女の子の作った『商品』を従えているということ。小さい子も老人も、みんな一つずつ頭のあたりに浮かべています。女の子も試しに手を離してみましたが、『商品』はふわふわとどこかへ行ってしまいそうであわてて掴みなおしました。

 それにしてもこの遊具は楽しそう。女の子は子どもたちが笑い声を上げながら駆け回ってるのを見て、何か『商品』を持ったままでも遊べそうなものはないかと探し始めました。色とりどりの『商品』は子どもたちがどんなに走り回ってもぴったりとついて行きます。

 ふと、明るく光ってみえる『商品』に気がつきました。ベンチに座る若い男の人のもののようです。女の子は気になって、そっとベンチに近寄りました。

「わぁ、きれい…!」

 ぼうっと優しく、暖かなオレンジ色に光る『商品』があまりに素敵で、女の子は思わずそう呟いていました。男の人はそれに気づいて顔を上げ、にっこり笑って答えました。

「この箱かい? 綺麗だろう、指輪が入ってるんだ」

 『商品』のことだとは思わなかったのか、手に持っていた小さな箱を開けて女の子に見せてくれました。確かに綺麗な箱には小さな指輪が入っていて、『商品』に負けず劣らず素敵でした。

「これもきれいだけど、『商品』がきれいだったから」

 女の子はオレンジ色の『商品』を指さしましたが、男の人はちょっと不思議そうに首をかしげるだけ。どうやら男の人には『商品』は見えていないようです 。女の子は少しとまどいましたが、気を取り直して聞きました。

「この指輪、どうするの?」

 明らかに男の人には小さすぎます。紐にでも通して、首に下げるのかと少女は首をかしげました。

 男の人は照れくさそうに、顔を赤らめて答えました。

「彼女にね、あげるんだ」

「彼女?」

 男の人は頷いて、小さな箱を優しくなでました。

「これからここで会う約束をしてるんだ。緊張して、早く来すぎてしまったんだけどね……」

 女の子がじっと見つめているのに気がつくと、男の人はより一層幸せそうに顔を綻ばせて聞きました。

「彼女が来るまでの間、僕の話を聞いてくれるかい?」

 女の子は頷きました。




 僕と彼女はね、六年前の今日、付き合い始めたんだ。ほら、今日ってバレンタインデーだろ、 ……え、知らないのかい。女の子が、好きな男の子にチョコをあげたりする日さ。元々はヨーロッパだかの聖人にちなんだものらしいんだけど……まあ、とにかくそういう日で。その時は高校生か。僕は元々その人のことがずっと気になってたんだ。あの人は優しくて、明るくて、少しドジなところもあるけど本当にいい人なんだよ。で、そんなんだから当然クラスの人気者でさ、正直あきらめてたよ。僕なんて地味で目立たない奴だったし。

 でもね、そう、今日だよ、六年前の今日。学校に行ったら机の中に、綺麗にラッピングされたチョコが入ってたんだ。貰ったのは初めてだったから舞い上がっちゃって。しかもだよ、小さなメモが一緒に入ってたんだ。『お話があります。放課後、体育館の裏に来てください』って、可愛い丁寧な字で書いてあったよ。ベタだよなぁ、今思い返せば笑っちゃうよ。……ベタ? まぁ、よくあるなんのひねりもない文面だったってこと。

 メモには名前が書かれてなかったんだけど、舞い上がってた僕はそんなこと気に止めもしなかった。誰がいるんだろう、と思って体育館の裏を覗いて、そこに立っているあの人を見つけたときの驚きと言ったら! そう、あの人だったんだよ、僕にチョコをくれたのは!

 僕は精一杯なんでもない風を装って彼女の前に立ったのさ。何故って、だって幸せで幸せで死にそうだなんて格好がつかないじゃないか。あの時の彼女、今でも昨日のことみたいに覚えてる。顔を真っ赤にして、ずっと足をもぞもぞさせてたな。癖なんだよ、彼女の。緊張したときのね。彼女はつっかえながら、

『チョコ、見てくれましたよね。ずっと前からあなたが気になってました。……付き合ってくれませんか』

 って言ってくれた。そのとたん格好付けなんてどこかへとんでっちゃって、思わず声が裏返ってしまったよ。

『よ、よろこんで!』

 ってね。あ、こら笑わないでくれよ。恥ずかしいじゃないか。ほんと、嘘みたいなベタな展開だよなぁ。でも本当にあったんだな、これが。後で聞いたらさ、彼女、真面目なたちだから、緊張したらかちこちになっちゃって、こういう展開しか思いつかなかったんだってさ。こういうところも可愛いんだよなぁ彼女!

 ……こ、こほん、ん。その後も色々とあったよ。彼女と一緒にいるのはとっても幸せだったけど、何回かは喧嘩もしたなぁ。でもその度に自然と仲直り出来てきたし、仲も深まってきたような気がするんだ。そしたら彼女、私たちチョコみたいね、って言うんだ。ほら、チョコって甘いだけじゃないだろ。ちょっと苦かったりする。でもその苦さがあるから、より甘さが引き立つんだって、彼女はいつも言ってる。




「僕と彼女、相性は最高なんだって気がするよ」

 男の人はいとおしそうに、指輪の入った小さな箱を見つめました。

「六年前は彼女の方からだったけど、今回は僕の方から気持ちを伝えるんだ。『結婚してください』ってね」

 その時でした。軽やかな足音がして、男の人ははっと顔を上げました。

 向こうからやってくる女の人が一人。男の人はより一層緊張に背筋をぴんっと伸ばしました。

「い、行ってくるよ。応援してくれるかい?」

 男の人は女の子の方を振り返って聞きました。女の子は大きく頷いて見せました。

 固い動作で女の人へ向かう男の人の背中を見つめながら、ふと女の子は女の人の『商品』と男の人の『商品』が対になっていることに気がつきました。二つともまったく同じ形。全く同じ、暖かなオレンジ色。『商品』が対になっているから、二人は相性が合うのかしら、と女の子はふと思いました。

 男の人は何かを彼女に言って、綺麗な指輪を示しました。女の人は両手で口を押さえて、こくりと大きく頷きました。それから勢いよく、男の人に飛びつきキスをしたのです。

 なんだか心にぽっと、暖かいオレンジ色。ずっと見ていたくなるような、幸せな光景でした。

 でも、突然びゅううっと強い風が舞いました。女の子は思わずぎゅっと目をつぶりました。

 ふわり。体が浮く感覚がして目を開けたときには、女の子は再び空高く舞い上がっていました。





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