謹慎
[031201] 謹慎
高校三年の二学期もあと少し、ついに卒業までのカウントダウンが始まったような雰囲気が学年全体にも満ちていた。就職や進学の内定者が既に出はじめ、新たな希望に夢膨らませる者、最後の追い込みとばかり、必死に学業に専念する者と、それぞれの道に向け突き進む雰囲気が卒業までの時間を加速させていた。
由紀は、やはり自ら就職の道を選択した。就職担当の先生からは、特別に推薦を貰えることを伝えられていたが、一般的に優良な企業には興味を示さなかった。それは会社として名の通っている企業からの募集要項には、ほとんどが事務職であり、本当にやりたい仕事とは、かけ離れていたからだった。
また、それらの企業は阪神地区に存在しており、自宅を出なくては、ならないことも多少の影響をもたらしていた。元々、進学が可能であれば都会への憧れもあり、支障がないはずであるが、家庭の状況を考えた時、進学を断念し就職を決意した時点で、少しでも家計を支えると決断したのだから、給与や待遇が劣っていても、自宅から通える地元のほうが断然有利であるとの考えからだった。
自分自身だけのことなら、多少はムリをしも色々な制度や特典を利用して短大程度は、なんとかなったかもしれない。事実、両親とも、進学を勧めてくれていたくらいだ。しかし内情を知る由紀としては、それは負担をかける以外の何物でもなく、まして兄弟のこれからのことを考えれば、自分だけ甘えることなど到底できなかったのだ。
せめて地元なら好きなことがしたいと言う希望をもって既に数社の面接や会社訪問を行っていた。そんな中から、就職担当の先生はあまり良い顔をしなかったが、希望の会社、いや体裁はそうであるが、小さな園芸や植物を扱う店舗からの応募に興味を示した。
従業員は全員でも八名程度で、園芸器具の販売や植物、花々の栽培から販売、種子等の卸を行うところであった。
直接業務の内容を店舗に赴き、熱心に聞いたり見たりした結果、何から何まで、全ての業務に参加してほしいとの要請で、由紀としては、まさしくやりたい自分に合った仕事であると判断し、即日採用内定を貰っていたのだった。
俺も、そのことに賛成した。好きなことを仕事にできることは、何をもっても最高なことで、金銭的な優劣では比較できないことであると前世でも思っていた。由紀なら、華やかなオフィスでのОLでも立派に仕事をこなすことができる。しかし、それがやりたいことでない場合、単なる仕事として割り切らなければならなく、つまらない限りである。
俺は、市野沢先輩のような工業系で名の通った学校はムリだった。しかし、先生の推薦で、それなりの総合大学の理工学部を特別推薦枠で受験することができた。一次の個別学力試験は先月初め行われ、通過の通知が来ていた。続いて期日までに論文を提出し、最終的に面接が行われ合否の判定となる予定であった。
両方とも自信はあった。いや、このときとばかり、前世のアドバンテージを思い存分に使わせてもらった。論文も既に今月に入ってすぐ郵送され、合格の判定を得ていたので、後は面接を待つのみだった。
由紀も俺も進路については一段落付き、土曜日には少し羽をのばそうと言うことになった。午後からの図書室は福留君に任せ、俺たちは村田商店にクーポンを出してもらっているお好み焼き屋、恋花に向かった。そしていつもの通り、モダン焼きと、ブタ玉を頼み半分づつする食べ方で、お腹をいっぱいにした。
そして、市原の商店街で買い物がしたいと言うことで、バイクに乗り換え、向かった。帰るとき、早苗ちゃんにノートを買うのを忘れたらしく文房具店の前でバイクを止めた。由紀はヘルメットを脱いで『ちょっとだけ待ってて』と、言って店の中に入っていった。
そして何冊か買ったのだろう。袋に入ったノートをカバンの中に仕舞い、またバイクの後ろに乗り、ヘルメットを被ったのを確認してから出発した。その日は家まで送っていった。
問題が起きたのは月曜日の昼休みのことであった。昼ごはんが弁当の日で、いつものように四人で集まろうとしていたが由紀の姿がみえない。由香がさがしてくると言って出ていった。
しばらくして、由香が大慌てで帰ってきた。
「大変、由紀が、ブチたちに捕まってる」
俺は嫌な予感とともに、土曜日のことが頭を過ぎった。職員室の前にいってみると、由紀は奥の談話コーナーに座らせられ、周りを担任や学年主任、そしてブチら五人ほどに囲まれ、何か尋問されている。
「あたしが悪いんだから、あたしを罰してください」
「みつかったのは、あたしでしょ、だからそれで、いいじゃないですか」
などと由紀の声だけ聞こえてくる。職員室の入り口には生徒の人垣ができている。俺はもっと前へ行くべく『ちょっとすまない。前へ行かせて』と言いながら、最前列へ行かせてもらった。
「だれが乗ってたかは言わないんだな」
「しらない大人の人かもわかりませんよ」
「学生服着てたって言うぞ」
「じゃぁ他校の人かもしれません」
「そんな答えで、通らないだろ、うちの学校の生徒だろ?」
「だれだっていいじゃないですか、あたしがバイク乗ってたのは、まちがいありません。だから・・・あたしを、・・・処分してください・・・おねがいします」
ついに、由紀は泣き出してしまった。俺はいてもたっても、いられなくなって、飛び出していた。
「先生、由紀をいじめるのは、そのくらいにしてやってくださいよ。わかってるじゃないですか、由紀と一緒にいてるやつなんか」
「ダメ!智史は関係ないの、あたしが悪いんだから・・・」
「由紀、もういいよ、ここまでかばってくれて。もうじゅうぶんだよ」
「ちがう、ちがう。あたしがバイク乗ってるの見られただけなの、あたしが悪いの」
由紀は、自分がバイクから降りるときヘルメットを取った為に顔を見られたと言うミスと、俺が運転していたことが発覚すれば謹慎になり、大学の面接にも行けなくなることを恐れて自分が全て悪いのだと感じているのだろう。
「お願いですから。あたしならどうなってもいいんです・・・だから、智史だけは・・・」
由紀は擦れる声でそれだけ言うのがせいいっぱいだった。床に崩れ落ち、泣いている。
「先生、運転していたのは、間違いなく俺です」
由香が飛び込んできて、由紀を抱きかかえて職員室から連れていってくれた。
「認めるんだな」
「はい、そのとおりです」
この騒動の間、ブチは一言もしゃべらなかった。ただ、まいったなーと言わんばかり、頭を撫で回していた。
教室に戻っても由紀は席で泣いていた。由香が横で心配そうに背中を撫でていた。
「ありかとう。由紀のせいじゃないし、注意がたりなかったのは俺なんだから」
「ごめんね。こんなことになっちゃって、ごめんなさい・・・」
俺は、人目も気にせず由紀を抱きかかえた。そして、ゆっくり立たせ、図書準備室へつれていった。
この事件も前世で起こったことであった。ただし由紀ではなく、男子の友人だった。その友人は先生達の尋問にあっさり俺の名前を暴露したものだった。
現世では由紀を巻き込んでしまった。そして悲しい思いをさせたことが残念だった。
処分が下ったのは突然だった。その日は弁論大会の日で午前中、体育館に全校生が集まり、各クラス代表による弁論が行われていた。
この事件がきっかけだったかは定かでないが、男子の弁論は校則やバイクに対する内容がほとんどで、会場は威容な盛り上がりをみせていた。
一種の決起集会みたいな感じがするほどだった。ちなみに、前世の記憶と言うか情報によると、来年からはテーマが厳格に定められ、自由な弁論大会でなくなったとのことだった。
俺はいつものとおり、舞台横で放送機器の調整を担当していた。そこへ担任の先生が来て、午後から親を呼ぶので昼一番に校長室の前に来るようにと言うことだった。
俺は昼休み、校長室の前で待っていた。そうすると、オカンを庇うように由紀が案内してきた。何分田舎の母親である。学校からの呼び出しは、悪いことをした息子を警察にでも引き取りに行くように、おどおどとして、それだけは申し訳なく思った。
「おばさん、智史は、悪くないの。あたしのせいで、こうなったんです。ごめんなさい」
由紀は深く頭をさげた。
「いいんだよ、それも男の甲斐性だからね」
なんとも、そのあたりは古い言いまわしだったが、納得させられる。
しばらく待っていると、ブチが出てきて、中に入ってと招きいれられた。志賀高教職員の主だった先生が全員集合している。
部屋は会議机がコの時型にならべられ、真ん中に校長、そして教頭、両サイドが各学年の学年主任、横には、三年の全担任、そして生徒指導のブチ、その他数名が回りを取り囲んでいた。
そして、中央前後に椅子が二つ置いてある。俺は前へ、オカンは後ろへ座るように指示された。
「では、始めます」
を、かわきりに、学年主任の先生から、まず事件の概要がつげられた。そして、校長の判決文の読み上げがはじまった。
「・・・よって右のものを一週間の自宅謹慎に処す」
「以上です」
と、再び学年主任の言葉が終わる前に、ブチが、言いだした。
「本件、自宅謹慎となっておりますがー以前会議でありましたようにー就職や進学の優先と言うことでー対象者は、期間中面接と重なっておりー、その日は面接優先と言うことで、よろしいですな?」
と、全員を見回し、確認するように言った。だれも反論する先生は、いなかった。
俺がずっと口を曲げていたのを見てかどうか、校長が、
「何か言いたいことは、あるかね?」
と、尋ねてきた。俺は、前世では、『何もありません』と言ったのだったが、現世では、これを待っていた。
「では、せっかく発言のチャンスを、唯一始めて与えられましたので、少々申し上げてよろしいでしょうか?」
あえて、確認をとった。
「言ってみたまえ」
「まず、この処分について、残念ながら私は、何の反省もしておりません。反省の意味すら判らないのが現状です。また、処分の前に何らかの発言の機会があるものと思っておりましたが、即処分判決とは、いかがなものでしょうか?」
一同唖然となるのは、言うまでもない。立って終わろうとしていた先生も座りなおした。
「当事案は、何をもって有罪とされたのかが特にわかりません。日本国の法律におきましても現年齢においての運転免許の取得は認められており、恐れ多くも、国家が定める厳正なる国家試験にて、運転の技能があると認められ、それを行使しただけであります」
「まして、各省庁、県令、町令、そして校則においても、不可と認められる条令、条項は無いものと思います。運転業務におきましても、道路交通法を遵守し、何ら違反を行った事実も無く、極めて優良なる運行に終止したものであります。これをもって何の罪を負うものか、不明であります」
俺は、強弱を付けて発言を行っていった。また、この時期、三無い運動が始まったばかりで生徒手帳にある校則の禁止事項は、まだ記載されていない。
「今日は弁論大会ですので、もうしばらくお付き合いください」
「先生方は、たぶん。三無い運動にて、本件を立件されたと思われますが、この三無い運動とは、単なる一、社団法人つまりPTAが定めた独善的な決議によるもの。よって今回の処罰は重大な違法行為であると認識します」
「また、この三無い運動につきましては、現政府も批判的であり、文部省におきましても指導要領に提示された形跡もございません。よって社団法人と県教育委員会による運動は、何の拘束力や権限も無いものと考えます」
室内は俺以外静まりかえっていた。
「この問題については、ここにお集まりの先生方個人として、不定的な考えの方も多くおられることも承知しております。ただ、神聖なる教職者も組織の一員であることは免がれません。残念ながら秩序を維持する為には従わざるを得ないでしょう」
「ただ、推進派の先生方のお気持ちもわかります。事故や暴走の防止を求めての行為だと思います。ありがたいことです。しかし、ここで間違ってはなりません。私の小学校六年時の恩師であった先生が言っておられました『味噌とクソをいっしょしたらダメだ』と、つまり、似てるからと言うだけで、事の本質を見間違えるなと言うことです。暴走族に入るのに免許を取るのでしょうか?そんな律儀な暴走族はありえません、ヤツらの大部分は無免許です。事故についても、それを起さないよう指導教育する道と取り違えていませんでしょうか」
なおも、俺の弁論は続く。
「古代ギリシャにおいて偉人でありますソクラテスが収監されたときのことです。弟子の一人が『悪法に従う法はない』と、しかし、ソクラテスは『悪法もまた法也』と言われたそうです。事ここに至り、私も彼のように、耐えがたきを耐える道を選択すべきではないかと考え処分には従うつもりです。ただ魂までは従えません」
「以上です。格別な想い出をありがとうございました」
そう言うと、先生達は怒りもせず、呆れたみたいな態度で解散となった。俺はオカンの肩に手をかけ、退出した。
扉を開けると、由紀、由香、村田がびっくりするように飛び退いた。たぶん隙間から聞いていたのだろう。
「よかったね。面接だいじょうぶなんだね」
由紀はうれしそうに微笑んだ。
「しかし、おどろいたなー南条が謹慎なのに、先生が怒られてるみたいだったよ」
と、村田は何かを思案しているみたいだった。
その後すぐブチが中から出てきた。
「先生、助かりました。ありがとうございます」
「あーそのくらいはなんとかなる。けど、これ反省文の用紙なんだが、ムリだわな」
と、言い反省文の紙を丸めて頭をなぜながら、まいったなーと言う仕草で帰っていった。
次の日の朝、今日から謹慎なので、何もすることが無い。バイクの整備でもしようかと玄関前で工具箱を開いて準備していると。なんと制服のままカバンを持った由紀が立っていた。
「おはよ。来ちゃった」
「学校は?」
「さっき電話して、あたしも一週間謹慎しますって言っといた。でも学校には行ったのよ。バスの乗り継ぎで」
いつも通りバスで学校まで行き、そこから、こっち方面から行っているバスに乗せてもらったらしい。そのバスは車庫であるこの近くの営業所に再び帰るから都合が良いのであった。また、夕方学校へ行くバスの発車時刻を聞いてきており、それに乗ればまた学校で自分の帰る方面のバスに乗れるのである。
それから毎日由紀は来た。それは謹慎と言うより、ひさびさに二人だけの時間がゆっくり流れる期間であった。
金曜日は面接の日であった。もちろん由紀も一緒に行くと言い、待ち合わせは連絡船の出ている港となった。この時期、以前まで就航していた客船は高速艇に変わっていたが、唯一朝の一便だけ従来の客船がまだ運航されており、俺たちはその便に乗ることにした。
船名は[たんしゅう丸]五百トンである。前世の記憶では、まもなく売却され、フィリピンで余生を送ることになる。子供のころから都会へ行くのに何度も乗った懐かしい船である。
俺たちは、船内に入らず上甲板デッキにあるベンチに座り、ゆっくり流れる遠くの景色を眺めていた。
「寒くない?」
二人とも制服の上にコートを着ていたが、この時期の潮風は少しだけ寒い。
「うん、平気。ここでいるほうが、くっついていられるから」
俺は由紀の手を握りポケットに入れ、頭を重ね合わせた。
「今日の面接、受かったら四年間別々になってしまうよな」
「四年て、今までの三年より長いんだね。でも休みのときには帰ってこれるんでしょ」
「もちろん。飛んで帰ってくるよ。一目散に」
「あたし、待ってる。サンタクロースのお兄さんを」
「ああ、つむじ風追い越しながら、必ず迎えにくるよ」
それから電車を乗り継ぎ、大学に着いた。広いキャンパスに何棟もの建屋が並んでいる。この他にも多くのキャンパスがあるそうだが全容は把握できない。案内では入学センターの総務受付へ来るように指示されていた。案内図に従って迷いながらも目的のカウンターにたどり着くことができた。
そこで何通もの書類を貰い、二十三号館の八号研究室に向かうよう指示された。目的の部屋に着くと、既に二人ほどが同じように面接の順番を待っているようだった。
『次の人』と、呼ばれるので順次入室していった。そして、俺の番が来た。一礼して入り所属学校と名前を告げた。
その部屋は十坪程度の広さに、ところ狭しと様々な書類や書籍が氾濫していたが、ところどころに緑の観葉植物が置いてあり、無機質を和らげていた。
正面に白髪が半分ほどの担当教官らしき人物が座っていた。そして自分は教授だと告げた。
「今日は君で最後だ。入試論文読ませてもらったよ。なかなか面白い内容だった。少々質問させてもらいたいんだが。おっまーそこに気楽に座ってくれ」
と、言うとコーヒーを入れ始めた。俺の分もあるようだ。なんだか想像していた面接とは異なる。
「でだ、課題テーマはセンサーと先端技術なんだが、君は厚みセンサーを選んだと言うことだよな」
「はい、固定物の距離計測や探傷にも利用できる、非破壊検査用途です。対象物への損傷はありません」
「超音波を利用と言うことだが、ここで計算されている使用周波数と分解能なんだが、これは一波長以上の性能も可能となっているが、どう言うことか説明してもらえるかな」
「伝播波の到来時間を計測するとき、単に波の強弱で受け止めるなら、一波長程度の分解能しか精度は得られません。しかし、連続バーストで何回も計測すると、任意の位相位置について再現性が得られるはずです。そうすれば使用周波数は問題ではなく、波形位相の一点について検出すれば、伝播波周波数の何倍もの精度が得られるということです」
「なるほど、単発じゃなく、連続バーストか、たしかにそれで再現性が出れば位相角での検出もできるか・・・」
「もちろんその時間を計測する高速、高分解能なカウンタが必用です。そのカウンタの精度が距離計測の分解能です」
教授は、腕を組み考え込んでいた。この方式が実現するのは少し後のことであるが理論的には予測できるし、アイデアとしては革新的なはずだ。
「実証実験はやったのか?」
「とんでもないです。機材や予算がありません。予測だけです」
「あっすまない。つい、普通の研究者と錯覚してしまった。君は高校生だったな。このテーマは後日一緒に検討しよう。それと、君は寮を希望だったな。この書類持って今日、寮へ行ってくるといい。早めに決めないと定員があるからな」
「えっ・・・て、ことは合格なんですか?」
「そういうことだ。君には先に言ってもいいだろう。面接は論文が本人によって書かれたかを確認するだけだ。論文が通っており、本人なら問題無いということだ。実は君の論文が専門的すぎるので、だれかが書いたか、丸写しなのかと思ってたが、まー時々未来から来たような思考やアイデア出すやつがいるからな」
(まさしく、そう言うことなんですが・・・)
俺は由紀を入り口で待たせてあったので、急いで向かった。
「由紀、合格らしい」
「えっそうなの?やったじゃない。おめでとう智史」
「ありがと。で、早速寮へ行って見てこいってさ。奈良の富雄って所らしい」
「うん、いいよ行きましょ。お祝いもしなきゃね」
そうして、道中のショツピングモールで昼ごはんを食べた。ささやかだが、大きなパフェを頼んで二人で食べた。
奈良と言うと遠いような気がしたが、急行ですぐだった。寮は富雄の街中を見下ろすような高台にあった。駅からも近い。訪問すると寮を管理する寮長が出迎えてくれた。
「学生課の総務から連絡貰ったよ。とりあえず中を見て入寮するか判断してくれ。その女の子は?」
「彼女も今日試験だったんです。同じ日なので田舎者どうし、一緒に行ってこいってなって、付き添いです」
「あのーもし良かったら向学の為、どんなところか見せて頂けませんでしょうか?」
「ああ、いいよ。普段男ばっかりだから、女の子なんてめずらしいからな。それと今日は平日なので、ほとんど出払ってるから」
一階は食堂とカフェテリア、そして娯楽室には卓球台があった。二階から四階まで個室の部屋が何十室も並んでいた。その中の一部屋を見せてもらった。二段ベットが両サイドにあったが、一部屋を二人で使用しているそうだ。屋上もあり、洗濯もできるし、そこからの眺めが最高に気分がよかった。
由紀はめずらしそうに、あっちや、こっちを眺めては、へーと言っていた。寮は二年間だけ利用できると言うことだった。その後は自分で新たなアパート等を見つけて退寮しなければならない。
俺は、気に入ったので早速書類を貰って、後日届けを郵送することになった。
帰る前に駅のモールでラーメンを食べ腹ごしらえをして、少しだけショッピングをした。外の通りにもアクセサリーの路上販売等をしており、可愛い金属のネックレスやイヤリング。様々な形状のものが並べられていた。由紀がトイレに行った隙に俺は小さなものを一つ買った。
夕方帰りはラッシュに重なった。二人ともこんなに人の多い電車は、初めてだったが、朝のようにすし詰め状態ではなかったので適度に寄り添って揺られながら到着を待った。
俺のコートを両手で掴み離れまいとしている由紀を片手で支え、もう片方をドアの取ってを持って位置を維持する。
しかし時々上を見上げて俺がいるのを確認するような仕草が少し悲しげなのは、もうすぐ訪れる孤独への恐怖を表しているようだった。
帰りの船は高速艇となった。乗客もそれほど多くはなく俺達は由紀を窓側にして並んで座った。さすがに帰路は長かったので既に日は暮れ、暗闇の海を船は突き進んだ。遠くの陸地は稲光が時折光って一瞬見える山の稜線が幻想的で美しくさえ見えた。
「今日はありがとうな」
「ううん、あたしが付いて行くって言ったんだから。楽しかったし。智史の行く学校や寮も見れたし満足だから」
「なんか、俺だけ行くって、申し訳ないと言うか、すまないっていうか、俺も地元で就職するか、家を継いだら、ずっと一緒にいられるのに・・・」
「何を言うのよ。そういうふうに思わないで。あたしなら今日で、スッパリ気持ちを切り替えたんだから。憧れとか、そんなの無いって言えばウソになる。けど、新しい社会人としての夢に向かうって決めたの。だから今日で最後なの」
「由紀らしいな。テニスを始めたときと、同じだよな」
「ねぇ、あの時、どおして、あたしのテニスに付き合おうって思ったの?一番のきっかけって何?」
「そうだなーこれかもしれない」
と、言って由紀のブラウスの第一ボタンを指差した。
「えっ、どう言うこと?」
「今もそうだけど由紀、ずっと冬服のときキッチリ止めてるだろ。そんなヤツいないよな。だから・・・」
「そうなんだーそんなところに目がいく人も、いないかもね」
由紀は少し嬉しそうに、肩にもたれかかって来た。俺は手を回し、だきよせてやった。しばらくすると由紀は疲れたのか寝息を立て始めた。高速艇の緩やかな揺れが心地よかったのかもしれない。
気丈に、切り替えたって言うが、夢や希望の変更なんて、簡単なことではない。新たな決意や覚悟も必要だろう。しかもこれから別々な長い期間を思うと由紀の自分へのケジメは辛かったはずだ。
四年間と言ったが、実際には就職して、生活の基盤ができなければサンタにはなれない。俺はできるだけ早く迎えにいけるよういっそう努力することを由紀の寝顔を見ながら誓った。
そして、ポケットから露天で買ったアクセサリーを由紀の薬指に通した。丁度いいサイズだったので安心した。
入港のアナウンスが流れる。乗客も荷物を纏めたり、あわただしくなった。由紀も目を覚まし、コートを着ようとする。
「あっ、これ何?」
自分の指に嵌っているピンクゴールドの指輪を見て、不思議そうに見つめている。
「さっきのアクセサリーの露天のやつだから安物だけど」
「もしかして・・・」
「うん、もしかしてでいいよ。約束の印。見習いサンタクロースから」
由紀はなにも言わず、俺の頬にキスをした。そして涙を一つだけ流した。
土日は、由紀も就職の準備や家の用事で来ることはできなかった。月曜日、学校へ行くと、ちょっとした騒ぎがあった。
だれもが、謹慎明けを歓迎してくれた。その原因は号外村田商店だった。謹慎の経緯やその後の発言等、記事にして纏められていたのだった。
「なー村田。この俺がソクラテスってのは、オーバーじゃないか」
「見出しはインパクトと簡潔にって言っただろ」
「これじゃどっかのスポーツ新聞だろ」
「そうか、そんなにいいのか?」
村田は何か勘違いをしているようだった。そして、三無い運動はこれから益々引き締められ、取り締まりも激しくなって行く。何年後かに撤廃されるまで。
歴史的には何の変化も無いだろう。そんな大きな変革は許されるはずもないことだったが、廃止されるとき、少しでも当時こんなことがあったと、思いだされる程度の影響であるはず。改めて、時の流れの強靭さを実感させられる出来事だった。




