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リトライ  作者: 相原由紀
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夏の事件

 [020801]夏の事件


 八月のお盆も過ぎ、夏休みの終盤に達したころ、ボート部の夏季合宿に俺と由紀は体力強化の為参加させてもらった。期間は四泊五日であるが、我々は日本ジュニア選手権の予選で由紀が少々上まで勝ち抜いた為、一日遅れての参加となった。

 夏の合宿は各運動部が順に行うようになっており、ボート部は最期だった。寝泊りは、格技場が畳なのでそこを利用して、二部屋あるのでボート部のように男女ある場合は別々に使用できる。

 食堂も合宿用に開店してくれて、特別なメニューが提供される。但しボート部の場合昼食は距離が離れた浜で取ることになるので弁当となる。また、お腹が空くだろうと言うので夜食には、おにぎりと、簡単なおかずや漬物までたくさん作ってくれるのが、嬉しい限りだった。

 午前中は男女共、艇を出して、短距離の繰り返しである。由紀も女子ボート部の艇に乗せてもらって、交代してはオールを漕ぐ。以前より校内にある特訓マシンで何度もやっている為少し馴れると、充分ぺースに付いていける。

 昼食を挟み、休息してから我々は男子の艇に載せてもらった。これには理由がある。一日中監視の下で練習したのでは堪らないので、サボろうと言うのである。長距離遠征と言って、かなり遠い岬まで行って先生の目の届かない場所で泳いだり、魚介類を取るのである。艇には、水、醤油、モリや千枚通し、金網、そして水中眼鏡がなぜか搭載されている。

 サボると言っても距離が遠いので、結局行き返りで相当な練習量になる。ボート部五人と我々二人、計七人で交代しながら漕ぐ、由紀は一番、俺は三番と言う箇所を担当した。

 艇はナックルフォアと言う漕ぎ手が四人、コックスと言う舵取りが一名の編成である。コックスは楽そうに見えるが、合宿となると、掛け声の練習を大声で何回もやらされるので既に声が潰れて、擦れるような声しか出ない悲惨な状態だった。

 岬は普段練習している艇庫の前の砂浜からも見える。しかし、海上視程が良い時でも霞むくらいの距離であり、倍率の高い双眼鏡でも無い限り何をしているのかは見えない。

 岬の付け根には、小さな漁港と集落があるが、岬の先端へは両方側より急激な断崖になっており水際を辿って行けるようなことは無い、最近上部は開発され、別荘の分譲地となっているが、もちろんここからもロープ等でないと降りることはできない。よってここは近隣の住民や釣り人も立ち入ることが無い場所で、唯一の接近手段は船での接岸しかない。

 岩場が複雑に入り組んで、岩礁が潮の満ち引きによって隆起するので漁師の漁船もほとんど近寄ることもない。ボート部は志賀高が分校時代より何十年もこの場所を伝統的に受け継いでおり、どの手順で艇を進めて岸に接岸できるかのルートも伝授されている。

 周辺の海は、おどろくほど透明度が高い。水際からの岩場はしばらく続くが、直ぐに急激に深くなっており、断崖のように切り立って海底へと続き底は見えない。

 その昔、陸軍の飛行場があり、終戦直後に航空機をこのあたりの深みに投棄したと言うから、それらの残骸があるかもしれない。

 また、一箇所だけ砂浜が岩場に囲まれるようになっていて、そこに艇を引き上げることもできる。この砂浜も人間の介入が無いこともあって大きなアサリが少し掘るだけで沢山取れる。

 岩場も貝類が多く張り付いている。瀬戸貝や亀の手、そして大量に密集生息しているのがサザエを一センチくらいのミニチュアにしたような貝でヤドカリの大きさでありながら足が無く吸盤になっており岩に張り付いている。もちろん潜るとサザエも多く取れる。

 魚も岬の岩場と言うことで、ハマチが群れを作っており、鯛やメバル、キスゴ、コチ等も多い。素もぐりでは捕ることはムリだが、タコやカニも多い。

 そんな絶好の穴場に我々は艇をゆっくり入れた。

「由紀、水着持ってきた?」

「うん、この下に着てる」

 そう言うと、艇の後部甲板でTシャツと、トランクスを恥ずかしげも無く脱ぎ捨てた。『おー』と言う歓声が上がる。

 この夏、学校のプールがやっと完成し、水泳の授業用に一斉購入で支給されたスクール水着であるが、由紀のようなスレンダーには似合う。男子の場合、トランクスだけになって泳げるが、女子は、そうはいかない。

「何見てんのよーこんなので鼻血ださないでね」

 と、言うとそのまま海へ飛び込んだ。さすがに漁師の子である。泳ぎも問題ない。

「ねぇ、水中眼鏡取って」

 そして、大きく息を吸い込むと、潜っていった。他の者も、釣りを始める者、潜ってモリで魚を突く者、サザエを捕る者、皆好き好きな行動を開始した。

 俺も一泳ぎしてから砂浜で火を起こしはじめた。大きな石で周囲を囲み、大量に漂着している木の枝や材木を集め、その上に板網を載せる。しばらくすると獲物が届きはじめる。

 サザエや大型の貝類である。小さなサザエみたいなやつは、鍋に入れ海水で塩炊にする。ベラやコチが何匹か突けたので、それはナイフ状の小さな包丁で捌いて刺身にする。これらは子供のころから経験しているので何の苦労もない。

 一時間ほど経過すると全員が集合してきた。一番の獲物は大きなチヌが釣れたことである。釣り担当のものが、そこらへんにうようよいるフナムシを餌にしてたのに釣れたと大喜びである。これも、もちろん刺身にする。

 焼き上がり前のサザエに醤油を入れ、香ばしい香りがあたりにただよう。岬の岩上からは、うるさいくらいのセミの鳴き声、岩に当る海の波の音、潮の香り。なにもかもが俺には懐かしい。

 由紀は茹で上がった小さな貝の身を千枚通しの先で機用に一つづつ取り出して食べている。全員無言でただただ食べた。なにせ、ボート部はお腹が空くのである。

 田舎のサバイバルを満喫したあと、お土産用にバケツいっぱいのアサリを取った。そして日が傾く前に艇庫に着くべく、またボートを漕いで帰路についたのだった。

 学校に帰ってから、アサリは大きな桶に水を張り、塩を入れる。そうすると砂を吐いて食べれるようになる。明日の朝はアサリの味噌汁であることは間違いない。


 夜夕食後、男女ボート部で花火をした。ОBの大先輩が、差し入れのお菓子と一緒に持ってきたくれたのだった。

 この志賀高のボート部は志賀高事態が創立間もないのにもかからわず部の歴史は何十年とある分校時代から残る唯一の部である。よって前世でも良く先輩から言われた。

『浜辺でこっちを見てるオッサンがいたらОBと思え』と・・・

 艇庫にもその過去の栄光が沢山残っている。昔は何度も全国大会にも出場し、高成績も多く残したようであった。今は振わないが・・・

 消灯までの時間部員は、食堂の前や、その上の格技場の踊場等で各々涼んでいる。放送部からラジカラを借りてきていたので、FMラジオがBGMとして、いい感じで流れている。俺と由紀は少し離れたテニスコートのベンチに座っていた。

 空はあの時と同じく満天の星空で遠くの銀河まで見えそうなほど透き通っている。昼間のセミの鳴ぎ声は絶滅したように皆無で、その代わり気の早いコオロギやキリギリスの鳴き声が聞える。そこに涼しい風が抜けていく。

「なんだか、こんな安らぐ雰囲気って何十年ぶりのような気がする」

「えっ、そんな昔に思えるって歳の行った人が言うみたいね」

「もし、俺が五十歳くらいのオジサンだったらどーする?」

「べつに、いいんじゃないの?」

「歳行って、昔を懐かしむ寂しい老人でも?」

「哀愁漂うって言うのかな、そんなのもワビ、サビっぽくていいかもね。そうだったら、今のこの時間て、想い出に残るくらい貴重なのかな」

「うん、何十年経っても覚えてるよ。絶対に」

「だったら、これからも、もっともっといい想い出作らなきゃね」

「うん、過酷な未来が待ってたとしても・・・」

 由紀は、俺の肩に頭を乗せてくる。風の流れとともにシャンプーの香りがした。

「未来かぁ。智史は卒業したら大学行くんでしょ。市野沢先輩みたいに」

「うん、今のところそう思ってる。由紀は?」

「できれば、短大か、専門学校でもいいけど。行きたいよね」

 その答えかたは、何か不安があるようでもあった。

「そうなると、俺は四年か、由紀と二年一緒に学生生活ができる」

「あたしが先に就職して、お給料もらってーお小遣いあげれるね」

「なんかそれ、イヤだなー社会人としては由紀のほうが先輩になるのか」

「少しは、おごってあげられるって事よ」

「先輩ら、今ごろどおしてるかなー」

「夏だから帰ってきてるかもね。けど都会での生活って憧れよねー大学行っても何かクラブ活動とか、サークルとかやるの?」

「そこまでは、わからないよ。でもたぶん勉強のほうがメインになるから、運動会系は、ここでおしまいかもな。まっ今もプレーヤーではないし」

「ボート部の人が言ってたんだけど、スカウト断ったんだって?」

「あぁ。誘われたけど、もっとやりたい事あるからな」

「あたしの事ならいいんだよ。もう他の人との練習でもやっていけるし」

「いや違うんだ。プレーヤーになると自分だけじゃなくってチームのことも考えないとダメだし、そうすると掛け持ちなんてできなくなる。ソフト部もあるしね。それから一番思うのは、プレーヤーの育成って面白いんだよ」

「ボート部の人も残念がってたけどね。智史ってどっかでボートやってたことあるんじゃないかって」

「ははは、そうか。三十年前に少しだけな」

「前から少し変だと思ってたけど、未来のこと言ったり、大昔のこと言ったり・・・でもなんとなく最近わかってきた。智史なんか歳くってるって言うか、大人って言うか、そこらの高校生と違うのよね」

「それは、人徳があるとか、悟りを開いてるとか言ってほしいな」

「まっいいかぁ。そんな智史を好きなんだから」

「それって告白?」

「違いますよーだ。ただのゴマすり」

 いつの間にか、大きな月が二人を照らしていた。それは、大きく流れを変えていく二人を神様が見ているようでもあった。


 合宿も最終日になった。朝早く起きて外へ出ると既に由紀がテニスコート横の花壇に水をやっていた。そう、この花壇は春に先生に提案して造ったものだった。元々中庭にテニスコートがあるのでサイドの芝生だけで花壇等は無かった。あまりにも殺風景である。

 造成の材料である煉瓦や園芸用ブロックは購入してくれたので、俺たち何人かの有志で穴を掘り、土を入れ周りをブロックで囲った。そこに夏に向けた季節の花々を植えた。

 手入れや世話は、ほとんど由紀が一人でやっている。観葉植物の苗も家から持ってきてここで株分けできるまで育てるらしい。

 夏は、すぐ水分が蒸発するので練習が休みの時でも登校して水をまいていた。その努力の甲斐があって、今は夏の花が一斉に開花している。特に大輪のひまわりは大きくみごとな太陽のような花を付けている。職員室の窓には、朝顔が一面にツルを伸ばし、日陰を提供している。

 また、食堂の後部に丸テーブルを何脚か設置し、カフェテリアができた。そこのサイドや区切りに観葉植物や草花が置いてある。それも由紀が手入れしていた。

「夏の花って緑と赤のコントラストがきれいだよなー」

「でしょ。でも秋もステキよ」

「へーどんなのが咲くの?」

「秋って言えばコスモスでしょ。もうけっこう大きくなってるよ」

 俺には良くわからなかったが、背の高い人参みたいなのがそうだと言う。花はまだ付いてないが、細身で勢い良く何本も育っている。

「あたしね、こうしてる時が一番好きなの。嫌なことでも忘れられるし、毎日育っていくのが判るって、楽しいよ」

「実が生るやつがあったら、もっといいかも」

「キュウリやナスはダメよ。でも実が花のようにカラフルなものならいいかもね」

 何か栽培するものを考えているようである。そんな由紀の姿は、横からみていても楽しそうで、ガーデニングが最高に好きなことが判るくらいだった。

「来年の春くらいに収穫できる苗を入れるわ。その実の生るやつをね。きっと驚くよ」

「何?もしかしてスイカとか」

「あはは、それもいいけど、スイカはツルが地べた這い回ってたいへんなのよ。それに中身は赤いけど生ってる実の状態って青いだけだから。それよりもっとカラフルなやつ」

「教えてよー」

「ダメ、内緒。だって、感動してほしいんだもん」

 朝食を食べて、艇庫へ向け、俺と由紀はボート部員より先に出発した。学校から艇庫へは距離がある。俺は四月に中型二輪の免許を取った。バイクは二百五十CCのトレールタイプを親戚の従弟がもう乗らないと言うので、貰い受けた。フルフェイスのヘルメットも付いていたので、二人で乗る時の為にもう一つ由紀用だけ買った。

 そして志賀高の坂の下から百メートルくらいに親戚があり、普段はそこにバイクを止めさせてもらっていた。そして自転車で登校すると言うものである。帰りも、もちろん自転車で親戚まで行き、バイクで帰る偽装工作だった。

 バイクの利用は極めて有効で、練習が遅くなってもバスの発車時刻を気にする必要が無い。由紀を乗せて家まで送ることもしばしばあった。

 これは、明らかに見つかると問題になる。しかし俺は朝は部活の朝練並みに早いし、帰りは遅い。早朝、顧問をしている女子バレー部の練習の為早くから出勤する生活指導の白渕先生の車と良く出会う。ある時、こちらから『おはようございます』と、挨拶すると、『気をつけて、安全運転で行けよ』と言われた。

 夏の間もボート部の艇庫は遠隔地にあるので、バイクでの集合は担当顧問も黙認してくれていた。いや推奨してくれていた。


 今日も女子部員の一部は先生の車に便乗するが、大多数は自転車での移動である。俺らは一足先に自転車で親戚の家まで行き、そこからバイクで艇庫のある旧校舎へと向かった。

 志賀高は、元々他校の分校から、そのまま新設で最近開校したばかりである。始めは分校の施設と仮設校舎で、今の高台に新校舎が出来移転してきたのである。よって艇庫は、その旧校舎の前に取り残されるている状態である。旧校舎は地区の教育やスポーツ施設として町へ移管されている。

 バイクを艇庫の後ろに止め、俺と由紀は艇庫の扉を空け、その前の草むらに腰を降ろし、他の部員がくるまで一時の休息を満喫していた。青い空に、緩やかな波の音、少々熱いが今日も練習日和まちがいなしの天候だった。

 そんな時、突然、艇庫前のグランドに沢山のバイクが轟音を鳴らしながら侵入してきた。夏の季節、島全体観光で賑わうが、暴走族や得体の知れないツーリングの団体も多く現れトラブルを発生させていた。

 その光景を見て俺は、ハッと思った。これは前世と同じである。これから何が起こるかすぐ思い出した。

「由紀、たいへんな事になるかもしれない。もし、そうなったら、隙を見て逃げて、ボート部の連中に伝えて、それと警察にも。わかった?」

 由紀は、少し緊張した感じだが、即座に応じた。

「うん。わかった」

 その二十~三十台にもなるバイクの連中はグランドを一周すると真ん中に停車した。そしていきなり、何かを喚きながら俺と由紀の方へ石を投げながら近づいてくる。

俺は由紀を後ろにし、石があたらないようにした。八人ほどが、すごい剣幕で怒鳴りつけてくる。

「おまえら、何じろじろ見てるねん」

「メンチ切っとんのか、コラ」

 メンチとは、関西圏では、不良用語で、『ガンを飛ばす』と同意である。つまり、目が合ったことである。これがなぜダメなのかは、今もって、あまりよくわからない。

「コラっお前ら、何イチャついとるねん。目障りじゃ」

(って、そっちが来たのに目障りとは、いかがなものか・・・)

「俺らは、ここで部活が始まるのをただ待ってるだけだが」

「何が部活じゃ、ナメとんのか」

(もう意味がわからない。ただ揉めたいだけのように見える)

 一番戦闘的なヤツが俺の胸元を掴む。

「あなたたち、何をするのよ。あたしたち悪いことでもした?」

 由紀は怯えながらも、気丈に言いはなつ。

「ねーちゃん。かわいい顔して、気キツそうやのーいてもーたろか」

 と言うなり、そいつは、由紀の手を掴んだ。

「おい、いいかげにしてくれ、これ以上やると正当防衛を行使することになるぞ」

「何つべこべ言うとるんじゃ」

 更に由紀の手を引っ張り引き出そうとした。

「痛いよ、やめてよ!」

 俺はそいつの手を掴み、懐へと潜り込み、大外狩りで勢い良く倒した。そうすると、次のやつが、殴りかかってきたので、今度はその手を交し、背負い投げ、またまた他のやつが後ろから飛び掛ってきたので、向きを変えて小外狩りでひっくりかえした。

 前世、柔道の先生に声をかけられ、部活ではないが、格技場で柔道を時々やっていた。一応卒業するまでに初段の取得に至った。体が覚えていると言うか、いや体は別物なのだが感覚は残っていると言うほうがいいだろう。

 しかし、柔道の技が発揮できたのは、そこまでだった。何人も一斉に飛び掛ってこられ、後ろと前から両手を完全に押さえられた。そして、最初に投げたやつが、顔にストレートで殴りつけてきた。

 どうやら口の中を切ったようだった。鉄の味と匂いがする。次も顔にヒットし、今度は大量の鼻血が出た。

「由紀、早く!」

 由紀は心配そうだったが、やつらが俺を囲んだ隙にダッシュで駆け出した。その後、何発か更に殴られ、腹にもケリを食らって、そのまま意識が朦朧として倒れた。

 前世と少し違ってた。警察を呼びに行ったのが俺で、やられたのは他のボート部の仲間だったのだ。

 バイクの連中は、その後グランドから逃げるように走り去った。それと入れ替わりにボート部の仲間が走ってきた。

 由紀が心配そうに救急箱から消毒用の薬剤を出して顔に塗ってくれている。

「あいつら、あったまきちゃう。それにしても、酷くやられたわね」

 唇の横が大きく腫れ上がってるらしい。鼻血は、もうそれほど出てないが、破れたTシャツと、ジャージに大量の血糊が付いている。その他は痛みはあるが、骨折等はないようだった。

 しばらくすると、パトカーがサイレンを鳴らしながらグランドに入ってきた。この近くにある駐在所の巡査である。そしてまた二台のパトカーと、警官が六人ほど降りてきて、概要を聞かれた。

 事情をそのまま話した。そうすると二台は犯人を捜すのだろう。急いでまた出ていった。俺と由紀と、ボート部顧問の先生は駐在所で、詳しい事情聴取を行うと言うことで連れていかれた。


 何度も何度も、同じことを聞かれた。しばらくすると、さきほどのバイク連中の中の五人が連行されてきた。あたりをまだうろうろしていたらしく、暴力を振るった五人だけ連れてきたと言うことだった。

 どちらが加害者で、被害者かは一目瞭然。由紀も強く手を引っ張られた時にできたのだろう。腕の裏側に青あざができて内出血している。状況説明からも単なるケンカ等では無く、一方的な暴力事件であることが確認された。

 事が大きくなったので、はいそれでおしまい。なんて帰してくれない。何度も同じ質問をされ、犯人たちも個別に別室で事情を聞かれていた。かなりの時間が経過していった。

 生活指導の白渕先生も到着して、俺の姿を見てびっくりしていた。そして四時間くらい経った時、犯人の学校の生活指導の先生が、あわてて飛び込んできた。

 そう、前世もそうだったが、彼らも同じ高校生だった。和歌山の高瀬工業高校で、夏休み、二年と一年の三十人程度で、こっちの島へバイクツーリングに来たとのことだった。その後五人は退学、残りは一ヶ月の謹慎処分となったことを前世では聞いている。

 高瀬高の先生も警察から事情を聞かされ状況経過を理解したようだった。

「どうして、こんなことした」

 と、五人の生徒に怒りを堪えながら質した。

「どうしてって。あいつら、メンチ切ってきたから」

 今まで大人しくしていた由紀がキレた。

「あなたたち、そのメンチって何なの?大勢のバイクでグランドへ無断で入ってきたのよ。だれだってそっち見るでしょ。まさか目が合っただけで怒り出すなんてサルなの?」

「いちゃいちゃしてたし、目障りだったんで・・・」

「あきれちゃうわ。目障りって、あたしたち、くっついたり、キスでもしてた?ただ座ってただけだよ」

 そうすると、他の一人が加害者側の事情を話し始めた。

「夏休み暇なんで急に、皆でツーリングでも行こうかってなって、こっちに来たんです。けど、どこも泊めてくれる所無くって野宿して、イライラしてて、あそこへ行ったら仲のよさそうな二人がいて楽しそうだったので、だれでもよかったんです。当りたかったんです」

「あきれた。こんなシーズン中よ。当日いきなり何十人も行って、はいどうぞって空いている所なんてあるわけないでしょ。みんな、あなた達の計画性の無さが問題だよ。それに、これだけの事しといて、まだ一言も謝ってないよね。同じ高校生として、それでいいの?」

 高瀬高の先生は、それを聞いて、五人を全員が見ている前で平手で殴っていった。そして、『申し訳ございませんでした』と自ら言い、五人とともに何度も繰り返し、深々と頭を下げた。

「では、本件は傷害罪として検挙措置することになりますが、よろしいですね」

 と、両校の先生に警察の幹部らしき人が告げた。たしかに実際に血まで出しているので暴行ではなく傷害罪となる。しかし俺はここで彼らの処分について頭を過ぎった。

「すいません。ちょっと待ってください。彼らこのままだと退学ですよね」

「たぶん、暴力を振るったこの五人はそのくらいになると思います、後の者も一ヶ月程度の謹慎が妥当かと」

 と、高瀬高の先生は言った。

「それ、マズいですよ。退学なんて、全然いいことないです」

 周りは何を言いはじめたんだと言う雰囲気になった。

「こんなキズ、すぐ治ります。他には何も身体的に問題ありません。警察の方には、申し訳ないのですが、私は、単に自分でケガをしただけなんです。何も彼らとは接触してない。そういうことになりませんか?」

「ここまで事が大きくなって、実際相原も怪我してるし、何もなかったじゃ終わらんだろ」

 白渕先生は、高瀬高の先生のほうを見ながら、確認するように言った。

「先生、うちの生徒だったらどうします?今まで問題起こる度に何度も土下座して、これでもかってくらいお願いして、生徒の未来の為にって極力退学者を出さないようにされてますよね。彼らだって同じです」

 この白渕先生は、普段生徒からは『ブッチー』とか『ブチ』とかの愛称で呼ばれている。ブチは、怒るとブチッと切れるからと言うことらしいが、生活指導と言う性質上、問題を起こした生徒の指導と言うか、後始末を行うことになる。

 志賀高でも何人か既に退学者も出している。しかし、その都度なんとか更正の猶予を与えてほしいと、関係各所を駆けずり回るのである。時には校長や教育委員会とも張り合い、何人も退学者を謹慎に留め救われたものも多い。

 よって、不良からも人気がある。しかし悪い事をした者や嘘をついたものは、容赦なく殴る。殴られるほうも、自分が悪いと判ってるから納得するし、それを根に持つやつはいない。

 それら怖い反面、頑張ったやつには褒める。優秀な成績を出したら、自分のことのように一緒に喜ぶ。また趣味がオーディオやカメラで、由香には自分のカメラを提供してくれているし、放送部でも貴重な機材を貸してくれたりする。現代ではめずらしい人情派の教師である。

「先生、あたしもお願いします。退学になるなんて悲しすぎます。こんなアザなんて練習してても出来ます。あの人たちを救ってあげてください」

 由紀も退学と聞いて驚いたのだろう。被害者とは言え、自分が関わった人が、それで退学になるのは耐えられないはずだ。

「向こうさんの考えや方針もあるだろうし。何も無かったじゃ反って収まらんわなー」

 白渕先生は再び高瀬高の先生の方に目配せした。別に処罰を要求しているのでは無い。相手校の先生の立場を考えると、簡単に収めることが出来ないのも自分自身判っているからである。

「では、提案があります。罰や処分は当然行うとして、それをうちの学校で謹慎合宿をやってもらうってのはどうでしょうか?もちろん彼らの選択です。やり直したければ、過酷な合宿に参加し、完遂すればいいし、そのまま処分を受けるのも自由です」

「合宿ってどんな?」

「謹慎と言っても自宅でじっと暇をもてあますだけですよね。みっちりスポーツをやってもらいます、ボートですよ。規則正しい生活と、厳しい練習。そこで自分を見つめ直す機会も得られると思います。成功すれば、マイナスを一挙にプラスまで持っていけます。チャンスを与えてやって頂けませんか」

「それは建設的な案だが、我々だけの一存ではなんとも言えん。両方の学校でも検討しなきゃならんぞ。警察の方はいかがでしょうか?」

「こっちも記録には残す必要がありますが、両校で話合って頂ければ、立件は控えましょう。厳重注意と処分は両校預かりと言うことで」

 その後我々は学校へ帰り事の報告と、合宿の趣向を校長、教頭先生を始め各主任級の先生に伝えた。結果は当然直ぐにはでなかった。


 そして九月一日。二学期の始業式が始まった。いつも通りの挨拶や注意事項の後、白渕先生から説明があった。

「今日から一ヶ月、本校で和歌山の高瀬工業高校の生徒十二人が、合宿を行います。主にボート部の練習を行いますが、接点もあり、お互い学べることもあると思いますので、有意義な期間になるよう努めてください」

「よろしくお願いします」

 と、式の前より、丸刈りの威容な面々が整列していたのを見ていた志賀高生も、大きな勢いのある挨拶にド肝を抜かれた。

 始業式の後、高瀬高校の生徒と関係者で、合宿の開所式を行った。注意事項やスケジュール。時間割や合宿生活の内容が告げられた。

 後で白渕先生から聞いたところによると、退学処分の五人の内、一人は不参加、謹慎処分の中では八人が合宿に参加とのことである。

 宿泊は通常の合宿と同じ格技場である。まだ九月と言うことで寒さは問題無い。食事は食堂が担当してくれるが、昼はボート部の艇庫へ出ているので弁当にして届けてくれる。

 夜は夕方になるまでに学校に帰ってくるので問題ない。朝食についても作ってくれると言うことだったが、朝早くからお願いするのは申し訳無いのと、生徒が出来る限りやれることは自分らで行うと言うことで、由紀と由香が手伝いにくることを申し出てくれた。

 学校から艇庫までの移動は自転車になるが、これは今年卒業して不必要になった卒業生に問い合わせして台数を確保した。

 このような他校生の合宿は、初めてなので多少は戸惑ったが、何かと協力してくれる人々もあり、順調に進みだした。

 俺も最初の五日間ボートの初歩的な練習の習得に参加する為、特別に授業は免除してもらった。初日は昼前に出発して、ボートの基本的な扱いかたを説明した。艇を移動させる時の持ち方や、グリスの塗り方等メンテナンス、乗り移り方や禁止事項、注意事項まで様々。

 十二人なので二組に分けることにした。各組一人余るが、交代で行う。この六人が一つのチームとなり脱落者がでないように協力しあうことも認識してもらった。

 遅めの昼食が終わってから艇を実際に出すことになった。艇庫には艇が三艇あるので一度に両チーム出艇できる。最初は基本的な走法からだが、これが始めての者には馴れるまで難しい。

 ちょっと進みだすと、一人が切り込みと言い、オールの先を立てずに水面に入れてしまい脇腹に食い込ませる事態が多々発生した。そうなると四人のタイミングが取れないのと、水中に食い込んだオールで急停止する。

 初日はそんなものである。午後三時には艇を陸に上げ整備をする。そして放課後からの練習をする志賀高のボート部に引継ぎ、学校へと帰る。

 学校に着くと、夕食になる。少し早いが、ボートの練習でお腹は空腹なので丁度良い。後片付けの後、しばしの休息の時間となる。夜になるとミーティングを行う。

 風呂はこの季節なのでプールのシャワールームが使える。お湯も出るが水のほうが気持ちがいいくらいだった。洗濯は学校に備え付けの洗濯機があるので各自消灯まで行い干しておくと朝までには乾く。

 三日経つと、それなりの走行ができるようになってきた。まだまだタイミングが合ってないが、リズムが出てくる。このあたりで、フィニッシュと言う最後の引き込みの技とか、何段階かある速力やそれに合ったリズムを教える。

 そして、この時期に訪れるのが由紀も経験した笑えない現象である。そして例のごとくギャグやボケで火に油を注ぐ俺がいた。

 土日も休みは無い。これらの日は志賀高ボート部との試合を行った。結果は歴然としていたが、何が違うかは、大いに参考になるはずだった。まだこの時点では今年入った男子にも、女子にも負けるのが屈辱になり闘志も得られる。

 土日を含め一週間となると初めのころと比べ格段の進化を得ていた。そして日中の練習はボート部の顧問の先生や、高瀬高から監督に来た先生にバトンタッチできることとなった。


 俺は時々夜、お菓子等の差し入れを持っていった。高瀬高の面々と色々な話をしたが、中でも退学猶予の久保と言う者と仲良くなった。

「五人の中で一人残念だったな」

「俺も何度も説得したんだけど、あいつ辞めるきっかけを探してたみたいだったから、しょうがなかったんだ」

「そっか、まぁそれも道って言うやつかもな。自分で選んだんだから後悔はないと願いたいが・・・」

「俺も今回のことで、もう少し自分の道ってやつを真剣に考えてみようと思うよ。人生って一回キリだもんな」

(すまない。俺は二回目なんだが)

「そうだな。とにかく精一杯やらないと、この時期の時間って勿体無いって思うんだ。人生って先がまだまだ長いけど、今は、今だけ」

「青春ってやつか、なんか照れ臭いけど、それは言える。しかしお前はいいよなー由紀さんみたいな彼女いてて」

「いや、俺たち別に付き合うとか、お互いそんなの言ったことないんだ」

「そうなのか?俺たち全員に人気があるぞ。朝ご飯も美味しく作ってくれるし。それと由香ちゃんもいいなーちょっと不良ぽいところがかわいい」

「残念だが、由香は彼氏がいてるぞ」

「ちくしょーたぶんハンサムでスポーツ万能なやつなんだろうな」

(いや、決してハンサムではないと思うし、スポーツはからっきしダメなやつなんだが・・・)

 事実を言うと彼がもっとショツクを受けると思い俺はクッとだけ笑った。そんな日々が続いていった。

 俺は毎朝始発で家を出る由紀を途中の幹線道路の駅までバイクで迎えに行っていた。いつものように親戚のところからは自転車で登校し、由紀は朝食の準備を行い、俺は由紀の仕事だった植物の水遣りや手入れ、食堂の清掃を手伝った。

 そして高瀬高のみんなや、由紀、由香と一緒にご飯を食べる。後片付けは当番が決められており一緒に行った。残りの高瀬高の生徒は校内の清掃を自主的に行っていた。

 朝、志賀高生が登校してくると彼らは『おはようございます』と大きな声で一人一人挨拶をする。そうすると志賀高生も挨拶しなくてはならなくなる。と言う好い効果が出始めていた。

 ある日、台風の接近で数日海でのボート練習が不可能となった。この時は空いている教室を利用して特別の座学を行い志賀高生と同じスケジュールになる。昼食も同じ時間となり、食堂で高瀬高の生徒は固まってランチを食べていた。俺たちは、それを見てカフェテリア側の席へ誘っていっしょにコーヒーやジュースを飲みながら話を始めた。

「由紀さん、毎日朝早いの大変でしょ」

「ううん、今までお弁当作ってたから、あまり変わらないの。こっちで朝ごはんも食べれるし、大勢のほうが美味しいでしょ」

「でも、どうして僕たちに、ここまでしてくれるんです?」

 と、駐在所にいなかった高瀬高の生徒が聞いた。

「ちょっとね、言いすぎちゃったのよ」

「えっ何のことですか?」

「あーたしかに、あれは迫力あったなーバットで殴られるくらい」

 久保が、茶化す。

「えっ、だれがバットで殴ったって、あたし以外にそんな人いてるのか?」

 と、今度は由香が女の友達を数人連れてやってきた。それから、あれやこれや両校の生徒が入り乱れて就業前のチャイムまで賑やかな会話が続いた。

 放課後の図書室にも高瀬高の何人かが来たりもしていた。

「夜暇でしょ。だったら本借りて行っていいんだよ」

「俺、今までまともな本なんか読んだことないんだ」

「なら、星真一なんかどうかしら。硬い文学なんかじゃなくSFっぽく短編で読みやすいよ」

 本棚から一冊の本を取り出し、手渡した。たしかに分厚く無く小さい文庫本なので威圧感が無い。その生徒は、少し内容を確認してから、一冊の本に短い短編が何部が収められていることを確認して、これならいけそうと言うように借りて行った。


 合宿が終盤になった日曜日、気分転換も必要だと言うことになって、その日は完全な休養日となった。

 俺と由紀は、いつものように午前中はテニスの練習を行った。他の部活も盛んに行われている。午後からは花壇の増設を行うこととなった。由紀が新たに実の成る植物を植えたいとのことで拡張する為である。

「俺達も手伝いましょうか」

 と、久保が数人と中庭を訪れた。

「君達今日は唯一の休日なんだからゆっくりしたらどうだ」

「いや、返って何もすることないと暇だし、あんた達がやってるんだから、一緒にやってもいいだろ」

「じゃぁお願いしていいかしら」

 そのうち高瀬高の全員が参加して工事は驚くほど早く完成してしまった。

「しかし、これって何なんですか?」

 苗は由紀が親戚の農家から分けてもらったものらしい。十株ほどをけっこうゆとりをもって植えられていた。

「内緒よ、小さな花が咲いて、希望が実るのよ。甘すっぱくて、女の子のような匂いがするの。しかも分身して増えていくんだから」

「えーそんなの興味津々だなー」

 まだ株は小さく背も低い。今まで俺も見たことが無い葉を数枚付けているだけで何の実がなるのかは全く想像できなかった。

 後日この花壇は高瀬園と名付けられ木札が立てられた。彼らの足跡でもあり、希望や夢が実りとなることを暗示していた。

 その後、俺と久保は、格技場の二階のテラスから運動場を眺めながら在り来たりな話をしていた。

「しかし、この学校はいいよなー」

「どおして?お前のとこも一緒だろ」

「いや、俺らのとこは工業なんで女子がいないんだ。ここは女子のほうが多いくらいだろ」

「そっか、男子ばっかりなのか。はははっそれはたしかに刑務所みたいだな。けど女子高とかあって男子校の硬派って人気もあるし交流もできるんじゃないのか?」

「それが・・・高瀬はバカ工業で地区では通ってる。そんなお嬢さん学校は相手にしてくれないんだな」

「それは志賀もおなじだ。バカの志賀。隣に市原高ってのがあって、そっちに入れなかったのが志賀だから、時々恥ずかしい思いもする」

「えっお前や由紀さんみたいなのがいてて、そうなのか?この地区って偏差値相当高いのか」

「ははは、そんなことは無い。事実だよ。肩身がせまいくらいだから」

「どこも悩みはあるんだなーでも、お前ら見てると活き活きしてる。こっちも刺激を受けるし、何かやらないとダメだなって思うよ」

「俺も由紀だって、始めからそうじゃなかったんだ。相当びどかった。偶々いい先輩がいたことと、俺は特別にチャンスをもらった。君らと同じだよ。だからこれからの行動でどうにでも変われる。そう思うと希望や夢が持てるようになって日々時間が足りないくらいなんだ」

「希望や夢か、たしかにそんなの今まで無かった。けど俺もここから変われるような気がするよ。帰ったら、お前らに負けないくらいやってみるつもりだ」

「あぁ、応援してる。彼女も作れよ、学校なんか関係ない」

「けど由紀さんや由香ちゃんみたいなのがいいなームリだけど」

「ははは、それって隣の芝生だな」

 久保も事件の時はとんでも無いヤツと思っていたが、同じ高校生だと改めて認識した。俺の中では、けっこういいヤツになっていた。

 これも神様がくれたリトライなのだろうか?前世なら、こんな交わりも無かったし、久保も退学になってどのような人生を送ったのかは判らない。少なくとも今度のことで良い方向に転換できたことは間違い無いはずだ。いったいどこまで許容してくれるのだろうか?神様に聞いてみたい心境だった。


 合宿の最終日、日曜である。この日は朝から志賀高ボート部との最後の対決を行うこととなっていた。距離は六百メートル。通常の公式戦は一千メートルだから短期決戦だ。スタートと、ゴール、間の二百メートル間隔にもブイが設置された。

 俺は高瀬高艇のコックスの後ろにアドバイザーとして乗り込んだ。由紀と由香も応援に来ている。もちろん高瀬陣派として・・・

「作戦は簡単にいこう。始めの二百は力走、真ん中の二百はパトルまで落とす。最後二百は死ぬ気で。相手艇は無視、単純に自分らの力を出しきろう」

 相手は志賀高男子のエース組である。スタート点で艇の向きを微調整する。

「一番ちょい右・・・二番ちょい左」

「志賀いいか?!」

「高瀬いいか?!」

「おう!」

 と、一斉に声を上げる。この緊張感はボート特有のものがある。何も聞こえない。何も見えない。いや、見えているのは自分の膝だけである。

「用意!」

 一斉にオールを垂直に浸ける。

「パシーン」

 スタートの号砲と共に一斉に引き込み天を仰ぎ見る。青い空だけが視界に入る。整調の規則的な動作に全員がタイミングを合わせる。一ヶ月の練習だけで見事に様になっている。

 序盤はほとんど艇差が無い。競り合っている。しかし中盤になると、次序に艇速が低下してくる。無理をせず予定通りペースを落とす。最後の為、体力を温存するのである。

 志賀艇も基本通り落としてくる。しかし、ここで経験や錬度の差が出てくる。ピッチを落としたとしても、志賀艇のフィニッシュの力は強い。次序に艇差が開き始める。半艇身から一艇身と開いていく。

「気にするな、ペースを守っていこう。最後抜き返す!」

「力走ヨーイ」

 四百メートルのブイを通過した。全力でのピッチに変換を行った。それを見た志賀艇も力走を入れてきた。艇差は一定のままで変わらない。

 最終的に一艇身強の差でもってゴールした。全員仰向けになって放心状態だ。しばらくして起き上がると、志賀艇から拍手が送られた。

「お前ら、ここまで食い下がってきたら、県大会でもいい線いけるぞ」

 と、負けた高瀬艇に声がかけられる。更に。

「こっちもヤバかった。本気だしたぞ、たいしたもんだ」

 高瀬艇は手を上げて答えるのが全員やっとだった。

 早めの昼食を取ってゆっくり身体を休め次の試合に備える。

「おしかったね、でも最高にいい試合だったわ。感動しちゃった」

「負けたのにですか?」

「終わって帰って来たときの顔よ。みんないい表情してたぞ」

 由香は、それらを逃さずシャッターを切っていた。普段は個人プレーしかしてない由紀にはチームでの何とも言えない絆的なものを感じたのだろう。

 二回目の試合は志賀男子二軍だが、今まで勝ったことは無い。作戦は特に無い。ただ始めから少しでもいいからリードを取りたいと全員思っていた。それと一番と二番の選手を交代した。

 第二試合用意の号令がかかった。各自オールを持って艇へと進む。

「由紀さん。もし勝ったら、何か褒美を下さい」

 久保が、突然の提案をしてきた。

「僕は由香ちゃんにお願いします」

 由紀はしばらく考えていた。

「わかったわ。勝ったなら、全員にチューしてあげる。でもホッペよ。由香もいいよね」

「あーそのくらいならいいよ。でもこっちにも条件がある。負けたら全員素っ裸で泳いでもらうぞ」

 高瀬クルーからは、オーとか、ゲーとか歓声とも嘆きとも取れる複雑な怒号がまきおこった。

 第二試合、また最高の緊張感が辺りを支配する。ただ今度は何かが違う。だれも微動すらしない。極度に集中しているのがわかる

「用意!」

 オールが一斉に水に浸かる音。

「パシーン」

「行けー」

 力走でみるみる艇が加速する。フィニッシュする度に体が引っ張られる。序盤は同艇で差はない。志賀艇のコックスの掛け声が聞こえてくる。高瀬艇のコックスも負けないくらい声を張り上げている。しかし、艇を漕いでいるクルーには何も聞こえない、志賀艇も見えないはずだ。無心にオールに力を込めている。

 二百メートルのブイを通過した。しかしペースを落とそうとはだれもしない。ボートは単に体力や技だけの勝負ではない。ペース配分や艇の差による士気が大きく影響する駆け引きの世界がある。しかも他の球技やスポーツでは得られない極度の疲労と苦痛の中でのことである。苦痛のチキンレースである。

 意識的にペースを落とした志賀艇に対しそのまま力走を続けたので高瀬艇は、徐々に前進し、艇差を付けていった。四百手前で二艇身以上の大差ができた。全員これはやれるぞと言う思いが脳裏を過ぎる。

 しかし、ここから急激にペースも速度も落ち始める。当然だが、スタートから今まで力走なのである。持つはずがない。ペースは既にパトルからライトパトル程度まで低下している。志賀艇は、力走に転向したのだろう。差がどんどん短んでくる。

 これは先行しているほうが圧倒的に不利になる。先行艇からは後続艇が見える。しかも差が無くなってくるのも確認できる。戦意の崩壊につながる。勝ってて追い上げられた時の逆転はあっけないものとなる場合が多い。

 既に半艇身差まで迫ってきた。残りの距離を考えてもこのままだとゴール前には逆転されてしまうのは必至だった。『また負けるのか』と言う思いを各自感じているのだろう。それと苦痛に負けて『もういいかー』とも思うはずである。

 俺は叫んだ。そうだ、前世でも試合で同じようなパターンがあったと、一瞬心の中で感じた。

「おまえら、悔しくないのか!これで終わりか!」

「由紀や由香のことも考えてやれー毎日朝早くから付き合ってくれたんだぞ!」

「これが、あいつらへの気持ちか!たった、こんなもんだったのかー」

「力走十本ヨーイ」

 そうすると、苦痛の中にも歯をくいしばって笑顔すら見える者もいる。そして艇は勢いを取り戻したように再び進みはじめた。一旦狭まった差が、今度はまた開き始める。

 こうなると志賀艇が不利になる。一旦追いついたのが、並ぶ直前でまた引き離されることが判ると相手は体力をまだ温存していたのだろうと言うことで、戦意が消失するのである。

 結果、ゴールしたときには一艇身の差で高瀬艇の勝利となった。もうだれも限界だった。艇の上で倒れたまま泣き声が聞こえてきた。

 起き上がって、艇を岸へ着けた時には全員大泣きになっていた。由紀や由香も駆けてくる。残りの高瀬高のメンバーも含めて全員で抱き合って、歓声を上げて勝利をかみしめた。

「由紀さん、勝ちました。俺達やりました。キスは要りません。もっと大切なものをいっぱい頂きました」

 全員うなづいて、なっとくしている。

「でも、約束は約束だから」

 その後、高瀬高生は恥ずかしながら由紀と由香のキスを申し訳なさそうに受けていった。もちろん由香はシャッターを押した。由香の時は俺が撮った。

 艇を庫内に仕舞い、手入れをした後、艇庫内の清掃を行った。そして志賀ボート部に引渡し、海岸を後にした。


 学校に帰ってからは、寝泊りしていた格技場の掃除を行い、自転車もワックスで磨き上げた。そして最後の夕食として食堂でささやかな打ち上げが行われた。

 由紀と由香が昨日から仕込んでおいたから揚げが沢山出された。もちろん大好評だったのは言うまでもない。

「由紀さん、これ、こんなに美味しいのは何か秘密があるの?」

「あるよ。あなた達が勝ったからよ」

「そうなのかなー負けてても美味しいと思うけど」

「今度ぜひうちの学校に来て下さい。歓迎しますよ」

「バカか?俺達のとこ来たら、よってたかって裸にされてしまうぞ」

「あはは、たしかに、けどそれもいいかも」

「俺達の学校からも、そっちへ合宿に行くやつがいてると思うから、その時はよろしく頼むよ。男子だと思うけどな」

「あはは、でもあたしが、行ったら、あんたたちは奴隷よ。わかってるわね」

 と、由香が締めくくった。実際この後、この手の合宿は成果が出るとなって志賀高からも退学や謹慎処分者に猶予措置として交流が何度か行われた。

 志賀から行った生徒に聞くと、工業高校ではエンジン等の実習をみっちりやらされたと言う。元々そのような生徒はバイク、機械いじりが好きだったりしたことから、向こうの授業は天国のようなもので、好きなことを好きなだけやれたと、返って好評だったと聞く。もちろん久保や他のメンバーも友達のように親切に扱ってくれたと言うことだった。

 夕食の後食堂で閉所式が行われて、全員に合宿終了書が授与された。そして一人づつ両校の先生からも『良くがんばった』『いい試合だった』とか、言葉がかけられた。そして最後に関係者全員で記念写真を撮った。

 日が傾きはじめたころ、彼らが帰るバスが到着した。校門で全員最後の別れを惜しんだ。

「由紀さん、本ありかどうございました。全部読みました。楽しかったです」

「由香さん、彼氏と別れたら連絡下さい」

「南条、世話になった。こんな言いかた恥ずかしいのだが、お前みたいになるよ」

「久保は久保でいてこそ、お前だ、彼女できたら二人の写真でもおくってくれ。そしたら安心する」

 全員がバスに乗り込み、坂を下っていく。

「やっぱり由紀さんを取りにくる。またなー」

 久保が窓から乗り出し叫んでいく。バスは坂のコーナーを通過して見えなくなった。

「今回は大成功だったな、高瀬高の先生からも、お前に礼を言っといてくれとのことだった。これで全て解決だ。疲れたよ」

 と、白渕先生が横でため息をついた。俺もある意味同感だった。ちょっと今回はやり過ぎな感じがしたが、これも神様の与えてくれた利子だと思うことにした。



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