第二十一章
「すまん、迷惑かけて」
意識を取り戻し、健太郎と伸子から総てを聞かされた若松は荒れ地に座り込んだまま、すっかり意気消沈している。夜はすっかり明けて、夏の早朝の、まだかろうじてひんやりとしたすがすがしい空気が三人を包みこむ。
「気にすんなって。命が助かっただけでも儲けもんだ」
両腕をうんと伸ばして大きな伸びをすると、健太郎はぽんぽんと腰を叩く。
「……賢芳……亡くなっていたのか……」
自分の身勝手な欲望の為に三人の人間の命を奪った、悪霊としての一面を持った賢芳。けれど、人生の一番美しく花開く時を待たずして、無碍に散らされてしまった彼女に憐憫の情を寄せるのは、果たしていけないことだろうか?
がっくりと項垂れたままの若松に長尾兄妹はかける言葉を失くしてしまう。
「それより、伸子。何で若松が危ないって分かったんだ?」
健太郎が思いだしたように訊いた。
「知りたい?」
「勿体ぶるなよ」
「『聊斎志異』だよ。この間東京堂で買った本」
自慢げに腕を組んで伸子は言うが、健太郎にはさっぱりわけが分からず、肩をすくめる。
「その本にはさ、幽霊や狐が綺麗な女の人に化けて、人間の男を誘惑してその精気を吸い取って殺しちゃうとか、まさに賢芳ちゃんを地で行くような話がいっぱい載ってたんだよね。それを思い出したってわけ。どう? あたしってすごいでしょ?」
兄を出しぬいた優越感で伸子は得意満面だ。
「おまえ、今、この状況の、この空気を読めよ! 若松、また落ち込むだろうが」
健太郎は思い切り顔をしかめると、小声で伸子に耳打ちした。
「うわっ、ごめ~ん」
照れ隠しの伸子のビンタが勢いよく健太郎の肉厚の背中に容赦なく飛んだ。
「痛ッ! この野郎……」
その屈託ない、いつもながらの兄弟漫才を見て若松の頬が優しく緩んだ。
「大丈夫だよ、ノンちゃん。俺、もう吹っ切れたから。それよりか、ノンちゃんの名推理、もっと聞かせてくれないか?」
「ホント? いいの? じゃあ、お言葉に甘えて……」
ひとつ偉そうに咳ばらいをした。
「三省堂で若松さんと一緒に居合わせた、あの二人目の殺人現場に落ちていたのが、萎れた曇花だったの。絶対他の花じゃない。あたしが『会華號』で賢芳ちゃんから貰った曇花、やっぱり翌朝には萎んじゃって捨てたんだけど、それと同じものだった。それに若松さん言ってたじゃない? 最初の事件の時にも遺体の背中に萎れた花が落ちてたって。夜に咲いて朝萎んでしまう花。賢芳ちゃんがいつもどこかに身に付けていた大好きな花。そんな珍しい花は、あの『会華號』にしかないでしょう? あの三人目の人といい、被害者は必ず何かしら賢芳ちゃんと関わってたと思うんだ。だから犯人は間違い無く賢芳ちゃんで、その彼女とデキかかってる若松さんが絶対に危ないって思ったというわけ」
「デキかかってるって……おまえ、もうちょっとマシな言葉使えないのかよ。仮にも小説家目指しているヤツが」
呆れたように健太郎がため息をつく。
「精気を吸い取る、か……それが死因……なるほど、だから被害者は皆外傷が無かったわけだ……ノンちゃん、ご明察。おかげで命拾いしたよ。それにしても犯人がまさか幽霊だったとはな」
若松はじっと掌を見つめた。この両腕で確かに抱きとった震える賢芳の華奢な身体の重み、滑らかな髪の感触、潤んだ黒い瞳、交わされた言葉の数々……それらすべてが偽りだったとは思えない。思いたくない。憑かれていたのだと嗤われようと、翔宇の身代わりだろうと、彼女といた束の間、自分は確かに幸せだったのだ。




