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曇花  作者: 凛
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第二十章

「伸子、カーテン開けろ!」

「へ? なに、カーテン?」

 健太郎の叫びに尻を叩かれて、伸子は腰の抜けかかった身体を何とか動かして、思いっきり背後の窓のカーテンを開けた。ひとつ、またひとつ。すべての窓のカーテンを勢いよく開けてゆく。すると窓から夜明けを告げる清澄な眩い光が、幾筋も真っ直ぐに部屋に射し込んだ。短い夏の夜は瞬く間に行きすぎ、部屋は足早に訪れた朝の太陽の光で充満してゆく。陽光は燦々と降り注ぎ、容赦なく賢芳の身体を射し貫いた。辺り一面の静寂を引き裂いて、苦しみもがく幽鬼の哀しい悲鳴がその唇から迸り出た。


「嫌……やめて……お願い、部屋を暗くして……そうしないと私の身体は……」

 賢芳は苦悶の表情を浮かべた顔を両手で覆い、虚空を掻きむしり、若松を捕えようと、最期の瞬間まで執拗に震えるその右手を差し伸べた。

 強烈な光に晒されて咲き乱れていた満開の曇花がみるみる間に萎れてゆく。賢芳の悲痛な断末魔の叫びが千切れて、その姿も揺らめく陽炎の如く、清々しい早朝の空気の中へとあっけなく昇華されていった。

 ……まるで一夜限りの可憐な花が一輪、力無く萎んでゆくように。


「ここは……」

 顔を覆っていた両手を離して辺りを見回すと、そこは雑草生い茂る荒れ放題の空地だった。健太郎が若松を抱きかかえたまま、地面にへたりこんでいる。遠く離れたところに、その健太郎の高下駄が投げ捨ててあった。

「おい、伸子、ちょっと……立たせてくれ」

 健太郎は若松の身体を地面にそっと寝かせると、伸子に向かって手を伸ばした。

「何? 兄ちゃん、もしかして腰抜かした?」

 意地悪くにやにやしながら伸子は健太郎に手を貸した。張り詰めていた緊張と恐怖から解放されて、老人のようにぎこちない動作で、情けなくもよろよろと立ち上がる。


「『会華號』消えちゃったね」

 朝日が目に突き刺さって、伸子は眩しそうに空に向かって掌をかざす。

 あの豪奢な建物も、優しそうな賢芳の両親も色とりどりの贅沢な料理も総て幻影。孤独な幽鬼が見せた、哀しいまやかしだったのだ。

「無念の死で、うかばれなかった彷徨える魂……か。哀れだな」

「そうだね……だけど、賢芳ちゃんの気持ち、何となく分かるような気がするな」

 何かを問いたげな表情をして健太郎は伸子を見た。

「誰だって独りはいやだよ」

 二人の心に震災の悪夢がちらりと過った。父と母の顔がほんの一瞬脳裏をかすめた。

 健太郎は伸子の頭をその大きな掌でくしゃくしゃと撫でた。そしてくるりと後ろを向いて若松の脇にしゃがみ込むと、軽く頬を叩く。

「おい、若松。夜勤さぼった上に、いつまでも甘ったるい夢みてんじゃねえよ」

 自分に向けた、健太郎の見慣れた背中が、伸子には何だかとても大きく頼もしく、そして少し寂しく感じられた。


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