第十五章
「まただよノンちゃん。怖いねェ。これ見てよ」
数日後、毎朝一番に訪れる常連のお爺ちゃんの卓に注文のミルクセーキを置いて、伸子は差し出された新聞を覗きこむ。
「なになに……神保町連続殺人事件にまたも犠牲者。錦華小学校近くで遺体発見。身元は家族によって確認され、神田区に住む○○銀行行員、××××氏と判明。これまでの事件と同様、被害者に主だった外傷は無く死因も不明。犯人は同一人物と考えられる……」
「まったくこの街も物騒になったもんだ。警察はどうしちまったんだろう。早く犯人を捕まえてくれないと、安心して外も出歩けないよ」
「本当にさ、爺さんの言う通りだよ。お客さんの足も遠のいてるし、このままじゃ店の売り上げにもとばっちりが来そうだ」
いつものようにゴールデンバットをふかしながら、節子が調理場からぼやいている。そんな二人の会話を聞いていた伸子は、突然新聞をひったくった。
──ちょっとこれ……あの男の人……!
思わず言葉を飲み込んだ。記事と共に載っていた写真に目が強烈に吸い寄せられる。真ん中からきちんと分けられた独特の髪型は間違いない。この間の夜、賢芳と一緒に歩いていたあの男。
「あ、あの、ノンちゃん……」
新聞を両手で鷲掴んだまま珍しく険しい顔で呆然としている伸子を、人のいいお爺ちゃんは怪訝そうな顔をして眺めていた。
同じころ、健太郎もまた伸子と同じ思いを噛みしめていた。ひとつ湧き起った小さな疑惑はいつしか不審と猜疑になり変わって、健太郎の心を暗く覆う。
彼は、見渡す限り一面の、雑草が生い茂る荒れ果てた空地に独り佇んでいた。
そこには何も無い。跡形も痕跡も何ひとつ残っていなかった。
あの時は夜だったけれど、道順は確かに覚えていた。確かにこの場所だった。
──こんなことがあり得るのか?
荒地の中をまるで何か手掛かりでも捜すように虚しくあちこちを動き回る。控えた住所を何度も確認して辺りを見回す。けれどそれらすべてが徒労に終わってしまった。諦め、気を取り直して健太郎はその場を離れて足早に歩き出した。手帳に書き記してある、次なる住所は東亜高等予備学校に近い。ここからさほど遠くない。懐に忍ばせた手ぬぐいを取り出して、頭といい顔といい皆一緒くたにして拭きあげる。熱さと湿気が容赦なく纏わりついて、まるで体内が強力な熱で蒸されているようだ。きっと身体中を巡っている血液はもうすぐ沸点に達してしまうに違いない。全身汗びっしょりになりながら、十分ほど歩いて目的の場所へと辿り着いた。
嫌な予感は微かにあったけれど、いざそれが的中すると途端に気力体力共に萎えざるを得ない。目的の旅館は建っておらず、街の風景にすっかり溶け込んでしまっている古書店があるのみだった。住所は確かにここであり、辺りにそれらしき建物などただの一軒も見当たらない。健太郎は流れる汗を拭き拭きその古書店に入ってゆくと、店番をしている店主らしき、見事につるりと禿上がった親父に声をかけた。親父は茹でだこみたいに顔を真っ赤にした健太郎が本を購入する気がないと知ると、
「旅館なんて知らないね」
素気無く応えて店の奥へと消えていった。
健太郎はすごすごと店から出ると、手帳のページをめくって、二つの住所の書かれた一枚を乱暴に引き剥がしてそれをびりびりに千切って捨てた。
混乱して眩暈がおきそうになるのを必死に耐えて、彼は照りつける太陽の下、しばらく古書店の前で力無く立ちすくんでいた。




