第十三章
街の人々から最初の事件の記憶が薄れた頃、二人目の死体が発見された。
事件現場は早朝の三省堂前。運が良いのか悪いのか、「ナルミヤ」に向かう途中の伸子がちょうどそこに居合わせてしまっていた。
大勢の巡査が現場を取り囲んでいる。その周りで伸子たち野次馬が、また一回り大きな輪を作っていた。前にいる巡査達の中に若松を見つけて伸子は大声で叫んだ。
「若松さん!」
驚いたのは若松である。振り向くとそこに思いっきり自分を手まねきしている伸子がいたからだ。伸子は必死で野次馬をくぐり抜け、規制線の内側にいる若松までなんとか辿りつく。彼の肩越しからうつ伏せた死体が間近に見えて、思わず顔を顰めた。
「店に行く途中なんだけどさ。びっくりだよ……もしかして、また?」
黒い詰襟の学生服を着たそれは地面に静かに横たわっていて、一瞥したところ、周りには血痕も争い合った形跡も無く、目を覆いたくなるような悲惨な状況でもない。まるで泥酔した学生が朝の到来に気付かず前後不覚に寝てしまっている、そんな風にも見えた。
けれどただひとつ、伸子の視線を釘づけにしたものがあった。
「あれは……」
もっとよく見たくて前に出ようと身体を捩る。
「ノンちゃん、駄目駄目。女の子は見ない方がいいよ」
若松に制されて確認出来なかったけれど、あれは確かにこんな現場にあるべきものではない。ついこのあいだ自分も同じものを持っていた。あり得ないことだと思った。そんな馬鹿な、と。紙に滲む墨汁のように、小さな疑惑がじわじわと伸子の裡に広がっていった。
朝から尋ね廻って、これが最後の店だった。
東亜高等予備学校の校長からアドバイスされた通り、健太郎は神保町界隈総ての中華料理店をあたっていた。普段全く気にもしていなかったが、意外と多いその店舗数に、今まで自分はこの街の一部分しか知らなかったのだなとつくづく思い知ると同時に、住み慣れた街の別の面を知って新たな感動を覚えてしまう。
日は暮れなずみ、もうそこまで夜が迫っていた。
何軒尋ね歩いても翔宇の手がかりはひっそりとなりを潜めて、影も形も見当たらない。不発続きの虚しい努力に、依頼を引き受けたことをほんの少し後悔していた。
──何弱気になってんだ! 情けないぞ、俺!
彼はぱんぱんと両頬を両手で叩いて気合いを入れた。目の前にある最後の一店。掲げら
れた、「漢耀楼」と金色の字で書かれた大きな看板を見上げる。
──ここが駄目なら、早稲田まで足を延ばすか……。
そんなことを思いながら、健太郎は縋るように店の中へと入った。




