第8話 新メニューの売り出し戦略!
俺はビスコッティを置き、改めて店内を見回した。
「よし、ここからは俺のターン。この新商品を売り方を考える」
「うん、任せる」
「まずやるのは宣伝だ」
俺はチョークを持ち、外に出る。
店先にある黒板メニューにはコーヒーの名前だけが並んでいる。
ここに新しくビスコッティを加える、というよりほぼ書き直しだ。
通りを歩いている人に気づいてもらうことが重要。
俺はチョークを手に取り、少し考えてから大きく文字を書き始めた。
『期間限定 黒猫亭特製 チョコレートビスコッティ』
最後に、ビスコッティの簡単な絵を添える。
「……よし」
少し離れて眺めていると、背後からルーシアの声がした。
「それだけでいいのか?」
「まずはこれで十分。『期間限定』って書いてあるだけで、今行かなければ食べられなくなるかもしれない、って感じる人が出てくるから」
「……なくなったら、もう食べられないの?」
「いや、そこは店の都合次第だけど」
「なら、嘘になるんじゃない?」
「……そういうところは真面目だよな、ルーシアさん」
「当然。客を騙してまで売るつもりはない」
真っ直ぐな目で言われて、俺は思わず笑った。
「分かってる。俺だって同じだよ。だから本当に期間限定にする。売れなかったらやめればいいし、評判が良ければまた作ればいい」
「……それならいい、のかな?」
「お客様の要望に応えて通常メニューになりました、とすればお店の都合ではなくなる。これも戦略だよ」
「そういうものなのね。でも、本当に要望があるなら続けたい」
納得したルーシアは黒板を眺めたあと、少しだけ口元を緩めた。
そのときだった。
「おう! なんだなんだ、今日は随分と甘い香りがするじゃねぇか!」
通りの向こうから、豪快な声が飛んできた。
振り向くと、赤いジャケットを羽織った女性が、大股でこちらへ歩いてくる。
ウルフカットの髪が揺れ、鋭い目つきをしているというのに、その顔には人懐っこい笑みが浮かんでいた。
「コレットさん!」
商人ギルドの会頭、コレット・リンドバーグだ。
「昨日はお菓子の材料ありがとう、早くて助かった」
ルーシアは礼を言いながら店内に案内する。
正直俺も、お願いしたその日の夕方に材料が届いたのは驚いた。
「商人はスピード命だからな、ガハハ」
コレットはそう言って豪快に笑うと、鼻をひくつかせた。
「……それより、この甘い匂いはなんだ?」
「新メニューです!」
俺が答えるより早く、ルーシアがカウンターの奥からビスコッティを持ってきた。
「チョコレートビスコッティ。コーヒーに合うように作った」
「ほう。そいつは興味深いな」
商人の目になったコレットは椅子に腰を下ろすと、差し出されたビスコッティを手に取った。
「じゃあ、遠慮なくいただくぜ」
豪快に一口かじった瞬間、コレットの眉が上がった。
「……おお?」
もう一口。
それから、目の前に置かれたコーヒーを飲む。
「こりゃいいな!」
店内に、コレットの明るい声が響いた。
「甘すぎねえのがいい。チョコの風味はちゃんとあるのに、コーヒーの邪魔をしない。それに、このザクッとした食感が癖になるな」
「本当ですか?」
「嘘言ってどうする。商売の話ならともかく、食い物の感想まで取り繕うほど俺は器用じゃねえよ」
おいしそうにザクザク食べるコレットにルーシアが勧める。
「コーヒーに浸して食べてみて」
コレットは残りのビスコッティをコーヒーに浸してから口へ運んだ。
「……なるほどな。こういう食べ方もあるのか、うまいうまい」
そのままの勢いでコレットは出されたビスコッティを全て食べてしまう。
「これは商人連中にも受けると思うぜ。甘いもんを欲しがる奴は結構いるし、仕事の合間にコーヒーと一緒につい頼みたくなる」
「よし!」
思わず拳を握る俺を見て、コレットが笑う。
「ただし、売れるかどうかは別の話だぜ?」
「……ですよね」
隣でルーシアが小さく頷いた。
「お客さんがどう感じるかは、実際に出してみなければ分からない」
「その通りだ。だからこそ面白いんだよ、商売ってのは」
コレットはそう言って、空になったカップをカウンターへ戻した。
「俺は気に入った。だが、最終的には店に来た客が決める。そこを忘れなきゃ、いいんじゃねえか?」
「はい。ありがとうございます」
その言葉に背中を押されるように、俺は笑顔で頷いた。
――その直後だった。
カラン、と小さなベルが鳴った。
反射的に入口へ目を向ける。
そこには、まだ若い商人風の男が立っていた。どうやら店先の黒板を見て、入ってきたらしい。
「あの……表の看板を見てきたんですが」
「はい!」
俺はすぐに立ち上がった。
「黒猫亭特製のチョコレートビスコッティですね。よかったら、コーヒーと一緒にどうぞ。今なら焼き上がったばかりですよ」
「じゃあ……それを一つ。それとコーヒーもお願いします」
「ありがとうございます!」
注文を受けている間、俺は胸の奥が熱くなるのを感じていた。
昨日までなら、店の前を通り過ぎていたかもしれない客が、今日は自分から扉を開けて入ってきた。
俺たちが考えて、店をきれいにして、看板を書いて、その結果として生まれた一人目だ。
カウンターの向こうでは、ルーシアがいつものように静かな手つきでコーヒーを淹れている。
その横顔を見ながら、俺は小さく息を吐いた。
まだ始まったばかりだ。
この店が本当に繁盛するかなんて、今の俺には分からない。
それでも、昨日までとは何かが違っている。
自分たちで考えて、手を動かして、その結果をお客さんに受け取ってもらう。
その繰り返しの先に、きっと黒猫亭の未来がある。
「……ルーシアさん」
「何だ?」
「結構いいスタートだと思わない?」
ルーシアはコーヒーを淹れながら、ちらりとこちらを見る。
「……そうね」
少しだけ口元が緩んだ。
小さな店の中に、コーヒーの香りと焼き菓子の甘い匂い、それから昨日までにはなかった来客の予感が広がっていく。
黒猫亭は今、ようやく本当の意味で動き始めた。
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