第7話 ルーシアのスイーツが食べてみたい
「よーし、試作品作るぞ!」
朝の黒猫亭に、俺の声が響いた。
カウンターの上には、コレットが手配してくれた食材と、店にある小麦粉や砂糖、バターが並んでいる。
窓から差し込む柔らかな光が白い粉の袋を照らし、その隣にはナッツが山盛りになっていた。
俺は気合いを入れて腕まくりをする。
「……で、お前は何をするんだ?」
厨房に立ったルーシアが、じっと俺を見る。
黒髪を後ろでひとつにまとめ、白いシャツの上から黒いエプロンを締めた彼女は、普段の無愛想な雰囲気とは少し違って見えた。
特に、これから料理を始めるせいか、その黄色い瞳にはいつも以上の集中力が宿っている。
「もちろん手伝うよ」
「何を?」
「味見」
「……それは手伝いとは言わない」
「でも重要な仕事よ?」
「味見だけなら、私でもできる」
「いやいや、ルーシアさんが作ったものを食べて感想を言うのも立派な仕事だから」
「……あなた、本当に料理する気がないのね」
ルーシアが呆れたように息を吐く。
けれど、その口元にはわずかな笑みが浮かんでいた。
「だって、ルーシアさんの料理が食べたいんだよ」
「……っ」
ルーシアの手が止まった。
「……そういうことを、平然とした顔で言うな」
「え?」
「なんでもない」
ぷい、と顔を背ける。
けれど、横から見ると耳が赤い。
……なんだろう。
ルーシアはたまにこういう反応をする。
「……何だ?」
「いや」
じっと見ていたせいか、ルーシアが怪訝そうにこちらを振り返った。
「ルーシアさんって、意外と可愛いところあるよな」
「……」
今度こそ完全に固まった。
「……カズキ」
「はい」
「厨房から出ていけ」
「なんで!?」
「集中できない」
そう言いながらも、本気で怒っているわけではなさそうだった。
むしろ頬が赤い。
俺は慌てて視線を逸らした。
……俺も何を言ってるんだ。
異世界に来てから、どうにも人との距離感がおかしくなっている気がする。
「それで、何を作るんだ?」
気を取り直して尋ねると、ルーシアは小麦粉の袋を手に取る。
「ビスコッティ」
「ビスコッティ?」
「小麦粉と砂糖、それにバター。ナッツを混ぜて焼く。コーヒーに浸して食べたりするお菓子だ」
「ああ、あれか」
日本でも見かけたことがある。
細長い固めのクッキーみたいなやつ。
たしかにあれなら、コーヒーにつけて柔らかくして食べてもいいし、香りも楽しめる。
「それ、絶対に黒猫亭のコーヒーに合うと思う」
「そう思って選んだ」
ルーシアはそう言いながら、ナッツを包丁で刻み始めた。
トン、トン、と小気味いい音が厨房に響く。
大きさがほとんど揃っている。
包丁を握る手にも迷いがなく、ナッツを刻み終えると、そのままフライパンへ移して魔導コンロに火を入れた。
青白い光が魔導コンロの中央で揺らめく。
この世界には魔法というものはない。
“魔石”という鉱石から“魔力”と呼ばれるエネルギーを吸いだして動かす魔導具が、この世界では当たり前のように生活を支えている。
そんな不思議な光景を眺めているうちに、ナッツがじわじわと色づき始めた。
香ばしい匂いが鼻をくすぐる。
「……いい匂い。ナッツを炒ってるだけなのに、もう美味しそうだ」
「あなた、食べることとなると興味津々ね」
「だって……楽しみだろ」
ルーシアは呆れたように笑った。
その横顔があまりにも自然で、俺は思わず見入ってしまう。
普段は淡々としている彼女が、厨房に立つと別人のように生き生きしている。
ルーシアにとって、カフェ経営という仕事は単なる生活の手段じゃないのだろう。
「前に作ったときは、売れなかったんだよな?」
「ん? ええ、そうね」
ルーシアの手が止まった。
「パンの味には自信があった。でも、お客さんが求めているものとは少し違ったみたい」
少し寂しそうに笑った。
「それで、お菓子には挑戦する気になってくれたのか」
俺が言うと、ルーシアがこちらを見る。
「そうね。あと、やるからには工夫もする」
「どんなことをするんだ?」
「私が出来ることは味を工夫すること。今回はチョコレートを入れる」
「チョコレートか」
「ナッツとチョコレートなら相性もいいし、甘さも出せる。コーヒーと合わせても、ビターな味にすればコーヒーを邪魔しないと思う」
「……なるほど」
少し考えてから頷いた。
「悪くないでしょ?」
「すごくいいと思う! さすがルーシアさん。頼りになる」
それを聞いたルーシアは一瞬だけ目を見開いた。
しばらく黙って、小さく息を吐く。
「ふん……そういうところは、信用できる」
「そういうところ?」
「人を頼れるところと、自分が全部正しいと思ってないところ」
「まあ、俺の知識なんて本で見ただけだからな」
苦笑すると、ルーシアも少しだけ笑った。
「それでも、あなたは私には思いつかないことを次々言う」
「うん、だから二人で考えよう」
何気なく答えた言葉だった。
なのに、ルーシアはなぜか黙り込んだ。
「……そうね」
小さく呟いた彼女の横顔は、いつもより柔らかかった。
それからルーシアは、小麦粉、砂糖、卵、バターを混ぜて生地を作る。
そこへ炒ったナッツと刻んだチョコレートを加えて均等にする。
手で生地をまとめる動きは滑らかで、無駄がない。
「……やっぱり上手いな」
「カフェをやってるんだから、このくらいは普通」
「やってれば上手くなるものなのか?」
「そうね」
俺は厨房の様子を眺めながら言った。
「料理してるときのルーシア、すごく楽しそうだ」
「……そう?」
「ああ」
ルーシアは自分の手元を見下ろした。
そして、ほんの少しだけ笑った。
「……好きなんだと思う。コーヒーを淹れるのも、料理するのも」
「だったら、もっとたくさんの人に食べてもらおう」
「……うん」
返事は小さかった。
でも、その声には昨日までにはなかった力があった。
生地をまとめ、細長く形を整える。
そして魔導オーブンへ。
赤い光がガラス越しに揺れ、焼き始めた生地から少しずつ甘い香りが立ち上ってくる。
「……いい匂い」
「まず一回目の焼成」
俺がオーブンの前にしゃがみ込むと、隣からルーシアが覗き込んできた。
肩が触れそうなほど近い。
黒髪から、かすかにコーヒーと石鹸の混じったような香りがした。
「……近い」
「え?」
「ううん、何でもない」
ルーシアは少しだけ身体を離した。
俺も妙に意識してしまい、オーブンの中へ視線を戻す。
やがて生地の表面がやんわりと色づき、ルーシアが取り出した。
「これを切る」
まだ温かい生地を包丁で細長く切り分ける。
それを天板へ並べ、再びオーブンへ戻す。
二度目の焼成が終わる頃には、店内いっぱいにチョコレートとナッツとバターの香りが広がっていた。
ルーシアが焼き上がったビスコッティを皿に並べる。
細長い焼き菓子の表面には、ナッツとチョコレートが顔を覗かせている。
「完成」
「……おお」
思わず声が漏れた。
「これ、絶対美味しいやつだ」
「食べる?」
「もちろん!」
ルーシアが小さく笑う。
「じゃあ、コーヒーも淹れる」
いつものブレンドコーヒーがカップへ注がれる。
湯気とともに立ち上る苦みのある香りと、焼きたてのビスコッティから漂う甘い香りが重なった。
「いただきます」
まず一口。
ザクッ、と小気味いい音がした。
香ばしく焼けたナッツの風味が広がり、そこへチョコレートの甘さが重なる。
甘すぎない。
むしろ、その奥に残るほろ苦さが心地いい。
続けてコーヒーを飲む。
深い苦みが舌に広がった瞬間、さっきまで感じていたチョコレートの甘さが、もう一段鮮明になった。
「……うまい」
思わず呟く。
「本当に?」
「ああ。これ、かなりいい」
もう一口。
今度はビスコッティをコーヒーに少しだけ浸してから食べてみる。
固かった生地がコーヒーを吸って柔らかくなり、ナッツとチョコレートの香りが一気に広がった。
「ルーシアさん」
「何?」
「これにしよう。これを売ろう」
ルーシアは黙って俺を見る。
「黒猫亭の新しい看板商品にできると思う」
「……そんなに?」
「うん」
ルーシアはしばらくビスコッティを見つめていた。
やがて一つ手に取り、自分でも口へ運ぶ。
ザクッ。
ゆっくり噛みしめてから、コーヒーを飲む。
その横顔に、少しずつ笑みが浮かんでいった。
「……うん」
「どう?」
「悪くない」
「それだけ?」
「……かなり、いい」
ルーシアが照れたように視線を逸らす。
その表情を見ていると、俺まで嬉しくなった。
売上がどうなるかは、まだ分からない。
この一品が本当に客に受け入れられるかも分からない。
それでも、今はそれでいい。
俺たちは初めて、二人で考えて、二人で作った。
その皿の上には、昨日までの黒猫亭にはなかった新しい可能性が乗っている。
「じゃあ、次は売り方だな」
「うん、そっちは任せる」
「お任せあれ!」
黒猫亭の新メニュー『チョコレートとナッツのビスコッティ』。
俺たちの最初の商品開発は、こうして小さな一歩を踏み出した。
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