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第6話 新メニューはなにがいい?

 俺は新しく買った服に袖を通し、鏡の前で自分の姿を眺めていた。

 ルーシアと似た雰囲気で仕事用の白いシャツに動きやすいズボン。

 その上から黒いエプロンを締めると、気持ちが引き締まった。

 黒猫亭の店員としての自覚がさらに芽生えてくる。


「……似合ってる」


 背後から声がして振り返ると、ルーシアがこちらを見ていた。

 いつもの黒髪を後ろでまとめ、店の準備をしている彼女の姿は、昨日までより少しだけ近い存在に感じられる。


「本当か?」

「……うん。ちゃんとこの店の人間に見える」


 そう言ってから、ルーシアは少しだけ視線を逸らした。

 耳が、ほんのり赤い。


「ルーシアさん、どうしたよ?」

「うん、この店に店員が増えるなんて思ってなかったから……」

「そっか……期待に応えられるように頑張るよ」

「頼んだ」


 ぶっきらぼう気味に返しながら、彼女はカップを並べ始めた。

 けれど、その口元にはほんの少しだけ笑みが浮かんでいる。

 そんな彼女を見ていると、俺まで自然と頬が緩んだ。


 よし。

 今日からが、本当の意味で黒猫亭を立て直すスタートだ。


「ここからが本番だな!」


 思わず拳を握る。


「じゃあさっそく、朝話したように新しい商品を考えよう!」


 ルーシアがカウンターから、少し考えるようにこちらを見る。


「朝から考えて何かいい案は思いついた? 私が作れる料理から選ぶって言ってたけど」


 買い物の道すがら、ルーシアから作れる料理は一通り聞いた。

 彼女はカフェで出るような料理からレストランのディナーっぽいものまで作れるらしい。

 コーヒーはもちろん、料理もできて美人だなんて、天は二物を与えたようだ。

 ただ、それでもカフェにこだわっているには理由があるのだろう。

 いつか聞いてみたいと思った。


「まずは目玉になるメニューがいいんだけど、迷うよなぁ。迷うんだよなぁ」

「ふふ、焦って決めることはない」


 呆れたように言われてしまった。

 けれど、ルーシアの表情はどこか楽しそうだった。

 昨日までなら、こんな軽口を叩く余裕すらなかったのだろう。

 俺がこの店に来てから、少しずつ彼女の見せる表情は変わってきている。

 それが、なんとなく嬉しかった。


「俺としては、コーヒーに合うものを増やしたいと思ってる」

「で、具体的には?」

「スイーツ!」

「料理で選ぶんじゃなかったの……」

「コーヒーを飲みに来た人が、もう一品頼みたくなるようなものであれば、客単価も上げられる」

「客単価……」

「一人のお客さんが、一回の来店で使う金額のこと」

「なるほど」


 ルーシアは頷いた。


「まあ、客単価もそうだけどさ……」

「うん」

「本当はルーシアさんの淹れたコーヒーを売りにしたいのに、料理を目玉にするのは違うかなぁって思ったんだ」


 それを聞いたルーシアは目を丸くし、ゆっくりと口を動かす。


「そっか……ありがとう」


 彼女の猫っぽい瞳は細く優しくなった。

 そんな目で見つめられてドキッとしてしまう。


「それで、何を作ればいい?」

「そこなんだよな」


 俺が腕を組んだ、そのときだった。

 店の入口から、軽やかな鈴の音が響いた。


 カラン、カラン。


「おう! やってるか!」


 よく通る女の声とともに、赤いジャケットを羽織った女性が入ってくる。

 最初に目を引いたのは、その堂々とした体格だった。

 肩幅が広く、がっしりしている。

 それでいて女性らしい身体つきもしっかりと残っていて、ジャケットの胸元が窮屈そうに見えるほど豊かな胸が張り出している。

 豊かな胸が張り出している。

 短めのウルフカットが揺れ、鋭い目つきが店内をぐるりと見渡した。


 でっか……怖そうな人だ。


 そう思った次の瞬間。


「ガハハハッ! 今日もいい匂いだな!」


 豪快な笑い声が店内に響いた。

 鋭い目つきとは裏腹に、その笑顔には妙な親しみやすさがある。


「……コレット」


 ルーシアが声をかける。


「おう、ルーシア! いつもの頼む!」

「分かった」


 ルーシアは慣れた様子で豆を取り出した。

 どうやら常連客らしい。

 女性はカウンター席に腰を下ろすと、そこでようやく俺に気づいた。


「……ん?」


 鋭い目が、こちらを捉える。


「お前さん、見ない顔だな」

「あ、はい。カズキ・フジサキです。昨日から、この店の経営を手伝うことになりました」

「へぇ、新入りか」


 女性の眉が上がった。

 そして俺のエプロンを見て、次に店内を見回す。


「ルーシアが誰かを雇うなんて珍しい、というか初めてじゃねえか」

「雇ったわけじゃない」

「じゃあ何だ?」

「……一緒にやるだけだ」


 ルーシアが答える。


 その言い方が妙に自然で、俺は少しだけ胸が温かくなった。


 “一緒にやる”


 たったそれだけの言葉なのに、ここが自分の居場所になりつつあるような気がした。


「ほう」


 女性はニヤリと笑った。


「そいつは面白ぇな」

「……あなたは?」


 俺が尋ねると、女性は自分の胸を拳で軽く叩いた。


「コレット・リンドバーグ。商人ギルドの会頭をやってる」

「商人ギルド? 会頭……?」

「商人ギルドっていうのは、街で商売してる連中をまとめてる組織だ。仕入れ先の紹介から商売上の揉め事まで、まあ色々と面倒を見てる」


 コレットは豪快に笑いながら説明した。


「簡単に言えば、商売人の世話焼き役ってところだな!」

「なるほど……」


 俺は頷きながら、彼女の胸元にある紋章入りのバッジを見る。

 商人ギルドの証なのだろう。

 それなら、この人はこの街の商売についてかなり詳しいはずだ。


「それで――」


 コレットが身を乗り出した。


「経営を手伝うってんなら、具体的に何をする?」

「まずは新しいメニューを作ろうと思っています」

「ほう!」


 コレットの目が輝いた。


「何を作るんだ?」

「まだ決めてません。ただ、コーヒーに合うスイーツを考えています」

「スイーツか……」


 コレットは顎に手を当てる。

 その表情が、さっきまでの豪快な笑顔から一転して真剣になった。


「そりゃ悪くねえな」

「何か思い当たることがありますか?」

「最近、商人連中の間で甘いもんが流行ってる」

「本当ですか?」

「ああ。長時間の商談や帳簿仕事で疲れた頭には、甘いものがいいって話が広まってな。特に若い連中が仕事の合間に菓子を買ってる」


 俺は思わず身を乗り出した。

 これは大きな情報だ。

 自分の頭の中だけで「コーヒーにはスイーツが合う」と考えるのと、実際の客層から需要が見えているのとでは意味が違う。


「ルーシアさん、やっぱりスイーツを作ろう」

「……あなた、最初からそう言っていた」

「そうなんだけど、今ので確信が持てた」


 俺が笑うと、ルーシアは呆れたように肩をすくめた。


「それで、何を作る?」

「う~ん、ルーシアさんの案も聞きたい」

「……私の?」

「コーヒーのことはルーシアさんが一番詳しい。だったら、そのコーヒーに合うものを考えるなら、ルーシアさんが作ったほうがいいかなって」

「……うん。考えてみる」


 そう言って、彼女はカウンターの奥へ向かった。

 けれど、横顔を見ると、耳が赤くなっている。

 ……何か変なことを言っただろうか。

 俺が首を傾げていると、コレットが豪快に笑った。


「ガハハハッ! なるほどな!」

「何がです?」

「いや、こっちの話だ!」


 意味が分からない。


 そのままコレットはルーシアへ視線を向ける。


「で、何か案はあるのか?」

「……昔、作ってた焼き菓子がある、コーヒーに合わせるためスイーツ」


 ルーシアの声が、ほんの少し柔らかくなった。


「なら、それを試してみよう」

「……うん」


 ルーシアが小さく頷いた。

 その横顔を見て、俺は思った。

 この店を変えるということは、何もかも新しくすることじゃない。

 ルーシアらしさは必要だ。

 それなら、きっと黒猫亭らしい店を作れる。


「じゃあ、さっそく材料を買ってこようか?」


 俺が尋ねると、コレットが笑った。


「それなら任せろ」

「え?」

「商人ギルドを甘く見るなよ? 食材の仕入れ先くらい、いくらでも紹介してやる」

「まだ試しに作ってみる段階で……」

「いいってことよ! 試しだろうが、本番だろうが任せな!」


 コレットは胸を張った。


「小さな店は、いい商品を思いついても材料を安定して仕入れられなきゃ続かねえ。そこを手伝うのも、ギルドの仕事だ」

「助かります!」

「ただし!」


 コレットが人差し指を立てる。


「試作品ができたら、俺にも食わせろよ?」

「もちろんです!」

「ガハハハッ! 楽しみだ!」


 豪快に笑うコレット。

 その隣で、ルーシアが静かにコーヒーを淹れている。

 湯を注ぐたびに立ち上る香りが、店の中へゆっくりと広がっていく。

 昨日まで、平均一人の客しか来なかった黒猫亭。


 それでも、この場所は少しずつ変わっていく。

 そんな予感がした。


「はい。いつもの」


 ルーシアがコレットの前へカップを置く。


「おう!」


 コレットは嬉しそうにカップを持ち上げた。


「やっぱり、ここのコーヒーは最高だな!」


 その言葉を聞いたルーシアが、ほんの一瞬だけ嬉しそうに目を細める。

 俺はそんな彼女の横顔を見ながら、拳を握った。


 コーヒーだけは誰にも負けない店。

 そこへ、ルーシアの作る新しい一品を加える。

 黒猫亭の改革は、ようやく次の段階へ進み始めた。

読んでいただきありがとうございます!


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