第4話 異世界生活、どこで寝る?
サンドイッチとコーヒー。
ふたりで昼食をとる。
こちらに来てから初めての食事だったが、日本と大きく変わらない食べ物で助かった。
しかもこんな美人とお食事ができるなんて、これはラッキー!
……なんてお気楽なことは20%ほどしか考えられないくらい、これからの店の経営と異世界生活について思い詰めていた。
と、その後も掃除をしたり、メニューやコーヒー、経営方針などの話し合いが続いた。
気がつけば、かなり長い時間をルーシアと話し込んでいた。
黒猫亭をどう変えていくのか。
どんな客層に来てもらいたいのか。
そして、この店でどんな時間を過ごしてもらいたいのか。
俺は日本にいた頃、仕事の合間にネットで読み漁っていたマーケティングの記事を思い出しながら、思いつくままに話していた。
改めて考えれば、少し調子に乗っていたのかもしれない。
俺は店を経営した経験なんてない。
経営者でもコンサルタントでもなく、ただネットの記事を読んでは「なるほど」と感心していただけの会社員だった。
それでも目の前に潰れかけたカフェがあり、自分の知識が役に立つかもしれないと思うと、口が止まらなかった。
「……つまり、今の黒猫亭には『誰に、何を楽しんでもらう店なのか』が足りないってこと?」
話を聞いていたルーシアが、カウンターに肘をつきながら尋ねた。
「そういうこと。『誰でも来てくれればいい』だけだと、店の方向性を決めにくいんだ。働いている人が仕事の合間に休める場所、っていう軸が決まれば、雰囲気もメニューも宣伝の仕方も自然とつながってくる」
「……なるほど」
ルーシアは腕を組み、しばらく考え込んでいた。
やがて、ふっと息を吐く。
「あなた、本当におもしろい人」
「それ、褒めてる?」
「半分くらいは」
「半分しかないのかよ」
俺が笑うと、ルーシアもわずかに口元を緩めた。
その笑顔が、妙に印象に残った。
初めて会ったときは、必要なことしか話さず、何を考えているのか分からない女性だと思っていた。
それなのに、一緒に話していると、ときどきこんなふうに年相応の表情を見せる。
それが、なんとなく嬉しかった。
日本にいた頃の俺は、仕事から帰れば一人だった。
適当に夕飯を済ませ、スマホで動画を流し見して、眠くなれば寝る。
職場でも必要な会話しかしない。
一人でいることには慣れていたし、それが自分に合っていると思っていた。
けれど今、こうして誰かと話をして、その相手が笑ってくれる時間を、俺は思っていた以上に心地よく感じている。
そんなことを考えているうちに、急に身体の力が抜けた。
「……ふぁ」
大きなあくびが出る。
慌てて口元を覆ったが、ルーシアにはしっかり見られていた。
「眠いの?」
「いや、ちょっと疲れただけだよ」
「それを眠いっていうんでしょう?」
「まだ大丈夫だって」
「その顔で?」
「……そんなにひどい?」
「かなり」
即答されて、俺は苦笑した。
転移してからずっと張り詰めていたせいか、気が抜けた途端に疲労が押し寄せてきたらしい。
「今日はもう休んだほうがいい」
「そうしたいのは山々なんだけどな」
そこで、俺はふと考え込んだ。
何か大事なことを忘れている。
「……俺、今日どこで寝るんだ?」
ルーシアが止まった。
「……あなた」
「はい」
「今まで、それを考えてなかったの?」
「……はい」
ルーシアは呆れたように目を細めた。
「本当に変な人」
「そこは心配してくれよ」
「心配してるから呆れてるの」
「なるほど……」
言われてみれば、その通りだった。
俺には、この世界で帰る家がない。
金もないし、知り合いだってルーシア一人。
日本へ戻る方法があるのかさえ分からない。
「……どうしよう」
ルーシアはしばらく黙ったあと、手をカウンターについた。
「……仕方ないな。しばらく、ここに住めばいい」
「…………え?」
「二階に部屋があるの。私の部屋とは別に、昔使っていた小さな部屋が残ってるから」
「でも、本当にいいのか?」
「お前、店を手伝ってくれるんでしょう?」
「それはもちろん」
「だったら、そのくらいはする」
ぶっきらぼうな言い方だった。
けれど、その瞳には迷いがない。
「……ありがとう、ルーシアさん。本当に助かる」
「そんなに改まらなくてもいいわよ」
「いや、本当にありがたいよ」
「……そう」
ルーシアは視線を逸らした。
長い黒髪が頬にかかり、その表情を隠している。
夕方の光が髪の輪郭を柔らかく縁取っていた。
「……ルーシアさん。やっぱり、優しいよな」
「っ……」
彼女の肩が、わずかに跳ねた。
「な、何を急に言ってるのよ」
「思ったことを言っただけだけど」
「……そういうところ」
「え?」
「なんでもない」
ルーシアはぷいっと顔を背けた。
その耳が赤くなっていることに、俺は気づいていた。
「夕飯、食べよう。今から作るから待ってて」
急に話を変えてくる。
「お、おう。なにか手伝おうか?」
「いいから座ってなさい」
「……はい」
ここに住まわせてもらうなら家事のひとつもやらなきゃと考えた。
しかし、断られてしまった。
俺が大人しく座ると、厨房から包丁の音が聞こえてきた。
しばらくすると、焼いたパンと、湯気を立てるスープが木製のトレーに載せられて運ばれてくる。
「うわ……いい匂いだ」
「冷める前に食べなさい」
「いただきます」
パンを一口かじると、焼けた小麦の香ばしさが口いっぱいに広がった。
続けてスープを飲めば、肉と野菜の旨味が身体の奥まで染み込んでいく。
「……うまい」
「そう?」
「うん。これ、本当に美味しいな」
「簡単なものだけよ」
「お昼のサンドイッチもそうだったけど、ルーシアさんは料理の腕もいいんだな」
「まあ、一人暮らししてればこれくらいね」
「そ、そうっすね」
(スーパーやコンビニの弁当で暮らしてた自分にはないスキルだ)
夢中になって食べていると、向かいに座ったルーシアがこちらを見ていることに気づいた。
「……何?」
「美味しそうに食べるなと思って」
「腹が減ってたからな」
「……そう」
ルーシアは、なぜか少し嬉しそうだった。
俺はその理由が分からないまま、またパンをかじった。
「そうだ」
「何?」
「これ、コーヒーと一緒に出したらいいんじゃないか?」
ルーシアが首を傾げる。
「パンとスープを?」
「う~ん、パンとスープに限らず食事メニューかな。仕事の合間に来る客なら、コーヒーだけじゃなくて軽く何か食べたい人もいるだろ。セットにすれば、初めて来た人も注文しやすいかもしれない」
「……それは、考えてなかった」
「コーヒーを美味しく飲んでもらうためなら軽食にすればいい。焼き菓子とか、軽いパンとか、これから少しずつ考えていけばいいと思う」
ルーシアはスープへ視線を落とした。
「……悪くないかも」
「だろ?」
「ただ、コーヒーの味を邪魔するようなものは嫌」
「分かってる」
「それと、私が納得できるものだけ」
「それも分かってるよ」
「……なら、考えてみる」
ルーシアが微笑む。
その表情を見て、俺も自然と笑っていた。
黒猫亭には、まだまだ可能性がある。
何より、ルーシア自身が思っている以上に、この店には魅力があるのだろう。
「……よし」
パンを食べ終え、俺は椅子から立ち上がった。
「今日はもう休む。明日から頑張ろう」
「それがいいわ」
ルーシアも立ち上がり、食器を片付ける。
「二階の部屋、案内する」
「うん」
俺は彼女の後について階段を上った。
古い木の床が足音に合わせて小さく軋み、ランプの光がルーシアの黒髪を淡い金色に染めている。
その後ろ姿を見ながら、俺は不思議な気持ちになった。
昨日まで俺は、この世界に存在すらしていなかった。
それなのに今は、目の前を歩く女性に拾われ、その店を手伝い、これから同じ建物で暮らそうとしている。
「……どうしたの?」
階段の途中でルーシアが振り返る。
「いや。なんか、不思議だなと思って」
「うん?」
「今日まで俺は、ここに来ることすら知らなかったのに、今はこうして泊めてもらおうとしてる」
「……私だって不思議だと思ってる」
ルーシアが少し困ったように笑った。
「店の裏で倒れていた見知らぬ男を拾ったと思ったら、その人と突然、店を立て直すことになって……そのうえ、今日から家に住ませるんだから」
「改めて聞くと、かなり怪しいな」
「かなりね」
二人で笑う。
やがて二階の奥まで進み、ルーシアが一枚の扉の前で立ち止まった。
「ここ」
扉を開けると、小さな部屋があった。
長く使われていなかったらしく、箱や古い家具が置かれているものの、窓もベッドも残っている。
「片付ければ、寝られると思う」
「十分だよ」
俺は部屋を見渡した。
はっきり言って質素。
けれど今の俺には、屋根があって眠る場所があるだけで十分だった。
「ありがとう、ルーシアさん」
「……うん」
ルーシアは少しだけ俺を見つめたあと、扉へ手をかける。
「じゃあ、おやすみ」
「おやすみ」
扉が閉じる直前、俺は声をかけた。
「ルーシアさん」
「何?」
「俺、この店をちゃんと立て直すから」
ルーシアが振り返る。
薄暗い廊下の中で、黄色の瞳が静かに輝いていた。
「……期待してる」
それだけ言って、彼女は扉を閉めた。
俺はベッドへ腰を下ろし、天井を見上げた。
今日一日だけで、本当にいろいろなことが起きた。
異世界へ来て、ルーシアと出会い、この店を一緒に立て直すことになった。
この先どうなるのか分からない。
それでも今夜、俺には眠る場所がある。
明日の朝になれば、仕事もある。
そして、その先にはルーシアがいる。
「……悪くないな」
窓の外では、異世界の街がある。
遠くから馬車の音が聞こえ、街のあちこちでは魔導具の明かりが灯っている。
昨日までとは何もかも違う場所なのに、俺はなぜか、ここでならもう一度やり直せるような気がしていた。
そう考えているうちに、疲れ切った身体が眠りへ引き込まれていった。
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