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第3話 黒猫亭、最初の改革

「掃除はしたけど、次はどうする?」

「さて、どうしたものか」


 黒猫亭の入口に立った俺は、改めて店を見上げた。

 さっきまでなら、ただの古いカフェにしか見えなかったかもしれない。

 けれど、これから自分が立て直す店だと思って眺めてみると、目につくところがいくつも出てくる。

 とはいえ、いきなり壁を壊したり、新しい家具を買ったりするわけにはいかない。

 それから、俺たちは店の入口に立ったまま、何もせずに店内を眺めた。

 しばらくして、俺は口を開く。


「やっぱり、暗いな」

「照明なら十分だと思うけど」

「店の中にいると、そう感じるかもしれない。でも外から見ると違う」


 俺は扉を閉めて、少し離れた場所から黒猫亭を見る。

 やはり、店内の様子が分かりにくい。

 通りを歩く人からすれば、ここにカフェがあることは看板を見なければ気づかないかもしれない。


「照明の位置を変えられる?」

「できるけど……そんなことで変わるかしら」


 ルーシアが壁に取り付けられた小さな装置へ手を伸ばす。

 装置の中央には、小さな魔石が埋め込まれていた。

 日本にいた頃なら、電池がついているところだ。


 この世界では電気ではなく魔石がエネルギー源になっている。

 転生したときに与えられた知識のおかげで、その仕組みはなんとなく理解できていた。

 魔法使いが呪文を唱えて生活を便利にしているわけではない。

 魔石から得られるエネルギーを魔導具に利用することで、照明や調理器具など、さまざまな道具が動いている。

 俺が元いた世界でいうなら、電気と家電製品に近い。

 ただし、この世界ではその役割を魔石と魔導具が担っている。


「便利だよな、これ」

「そうね、店の備品を魔導具で一式揃えるのはさすがに値が張ったけど」

「へぇ、いい先行投資だったと思うよ。まあ、営業しつつ順次買い揃えていくのもありだけどね」

「それは……一言余計」

「ごめんごめん」


 俺が苦笑すると、ルーシアも小さく笑った。

 こういう何気ない会話をしていると、少しずつ彼女との距離が近づいている気がする。

 出会ったばかりなのに、不思議なものだ。


「それで、どうするの?」


 ルーシアが尋ねる。


「照明を少し入口側に寄せたい。外から店の中が見えるようになれば、それだけでも入りやすくなると思う」


「分かった。じゃあ、こっち」


 二人で魔導具を移動させ、もう一度外から眺める。

 さっきよりも店内に光が届き、入口から見えるテーブルが明るくなった。


「……どう?」

「うん。こっちのほうがいい」

「そんなに変わった?」

「劇的ってほどじゃない。でも、こういう小さな違いが大事なんだ」


 俺は店を見ながら答えた。


「店に入るかどうかなんて、客からすれば一瞬の判断だからな。わざわざ勇気を出して入らないといけない店より、『ちょっと入ってみようかな』と思える店のほうが強い」

「カズキは、そういう店に行ってたの?」

「よく行ってたよ。仕事帰りにふらっと適当な店に入ってコーヒーを飲んだりしてた」

「……そう」


 ルーシアが、少しだけ目を細める。


「じゃあ、この店もそういう場所にしたい?」

「できればな」


 俺は店の中へ戻った。


「仕事が終わった人が、『今日は疲れたな』って思いながらここに来る。席に座って、ルーシアのコーヒーを飲む。それだけで気持ちが楽になる。そんな店なら、俺は結構好きだ」

「……私も、そういう店にしたい」


 振り返る。

 ルーシアはカウンターの前に立って、古い店内を見渡していた。


 俺は店内を見渡した。

 新しい家具を入れて、壁を塗り直して、流行りの店みたいにすることだってできる。

 けれど、それが本当に黒猫亭に必要なのかは分からない。


「流行ってる店を真似する必要はないと思う。黒猫亭には黒猫亭の良さがあるんだから」

「……カズキ」

「ん?」

「私より、この店のことを考えてない?」


 ルーシアは少し困ったように笑った。


「いや、そんなことは――」

「あると思う」

「……そうかな」

「そう」


 言い切られてしまい、俺は苦笑した。


「俺はここに来たばかりだから、まだ客に近い目線で見られるんだと思う。これからルーシアさんがずっと守ってきたものを知っていきたい」

「……うん」


 ルーシアは小さく頷いた。

 その顔には、さっきまでの警戒心がほとんど残っていなかった。


「ありがとう」

「何が?」

「この店を残そうとしてくれて」


 俺は返事に困った。

 そんなつもりで言ったわけではない。

 ただ、良いものを見つけたから、無理に変える必要はないと思っただけだ。


「礼を言われるほどのことじゃないよ」

「私には大事なことなの」


 そう言われてしまうと、何も言えなくなる。

 俺は少しだけ照れくさくなって、視線を逸らした。


「……じゃあ、これからもっと大事にしよう」

「うん」


 ルーシアは嬉しそうに笑った。

 その笑顔を見ていると、ここを何とかしてあげたいという気持ちが、さっきより強くなってくる。


 それからも、店内の細かなところを二人で確認していった。


 入口から見たときに死角になっている席はないか。

 メニューはわかりやすい場所にあるか。

 客が座ったときに窮屈に感じないか。


 大きな変化ではない。

 けれど、実際に客として店を利用するつもりで眺めてみると、今まで気づかなかったことが次々と見えてくる。


「この席、少し暗いな」

「そこは私も気になってた」

「だったら、照明をもう少し調整しよう」

「うん」

「あと、メニューも少し分かりやすくしたい」

「今のままじゃ駄目?」

「駄目じゃない。ただ、初めて来た人には少し選びづらいかもしれない」


 ルーシアとメニューをチェックする。


「私は、コーヒーなら何でもいいと思うけど」

「その感覚は、コーヒーが好きな人だからだよ」

「……そうなの?」


 俺はメニューに並んだ名前を眺めた。

 最初に目に入るオリジナルブレンドとカフェオレはわかる。


 ただし――


 ・エルダの深煎り

 ・ベルウェルのミディアムロースト

 ・フローレのアロマコーヒー


 この3種類はコーヒー素人には違いが分かりづらい。

 それぞれ特徴が違うのだろう。


(エルダとかベルウェルって、豆の産地や種類という認識でいいはず)


 だったら、それをもっと分かりやすく伝えればいい。


「まずはこの3種類のコーヒーにはどういう特徴があるのかを書いておこう。コーヒー初心者にもわかるようにね」

「そうね、わかった」


 ここでもルーシアは意見をすんなりと聞いてくれる。

 素人目線の意見だからこそ受け入れてくれたんだろう。


「それと、メニュー数のことなんだが、ここは後で考えよう」

「後で?」

「ああ。今の俺たちには、まだ客がどんなコーヒーを好むのか分からないから」

「じゃあ、どうするの?」

「実際に店を開けて、客を見ながら決める」


 ルーシアは少し驚いた顔をした。


「最初から全部決めないの?」

「決められることと、やってみないと分からないことは別だからな」


 俺はそこで、自分自身にも言い聞かせるように言った。


「俺も本(ネットだけど)で読んだ知識だけで、全部うまくいくとは思ってない。実際にやってみて、駄目だったら直す。その繰り返しになると思う」

「……それなら、私も安心した」

「ん、何が?」

「カズキが何でも分かってる人だったら、ちょっと嫌だったから」

「えっ?」

「だって、私が何を言っても『違う』って言われそうでしょう?」

「そんなことしないよ」

「なら、いい」


 ルーシアはそう言って、顔を突き合わせてきた。


「私も、この店のことなら負けないから」

「頼りにしてる」

「……うん」


 その言葉が嬉しかったのか、ルーシアは少しだけ笑った。

 俺も自然と笑い返した。


 そうこうしているうちに、いつの間にか時間がかなり経っていた。

 朝だったはずの外の光は、いつの間にか高くなっている。

 窓から差し込む陽射しが、床の上をゆっくり移動していた。


「……腹減ったな」


 ふと呟いた瞬間、ぐうう、と盛大な音が鳴った。


「…………」

「…………」


 店内が静まり返る。

 俺は腹を押さえた。


「今のは、聞かなかったことにしてくれ」


 ルーシアに笑われるかと思ったが、彼女は申し訳なさそうな顔をする。


「そういえばあなた、行き倒れてたのよね……気が付かなくてごめん」

「全然大丈夫! コーヒー飲んだだけで元気でたから」

「そう、少し待ってて……」


 ルーシアは困り眉で軽い笑顔を作り、カウンターの奥へ向かった。


「何か作る」

「いいのか?」

「私だって、コーヒーだけ飲ませておくなんてできない」

「助かる」

「それに――」


 ルーシアが振り返った。


「これから一緒に店をやるんでしょう?」

「ああ」

「だったら、ちゃんと食べてもらわないと困る」


 そう言って、彼女はまた奥へ消えていく。

 俺はその背中を眺めながら、少しだけ笑った。

 この世界に来てから、半日。

 それなのに、いつの間にか俺には一緒に仕事をする人がいる。

 そう思うと、不思議と胸の奥が温かくなった。


 ただし、食の問題が片付いたと思ったところで、俺にはもうひとつ、大きな問題が残っていた。

 俺には、この世界で帰る家がない。

 当然、寝る場所もない。

 異世界での新生活は、どうやらカフェの経営だけ考えていればいいほど簡単ではないらしい。

読んでいただきありがとうございます!


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今後ともよろしくお願いします。

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