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第24話 貴族の陰謀

 今日はチョコビスコッティをお土産にと大量に買っていかれるお客さんがみえたので、急遽ルーシアはビスコッティを焼き、店内には甘い香りが漂っていた。

 店内には数人の客がいて、それぞれが思い思いにコーヒーを楽しんでいる。


「……なんだ?」


 俺は窓の外へ視線を向けた。

 通りを歩いていた男が、黒猫亭の看板を見上げている。


 目が合った。


 男は何かを連れの女性に話しかけると、二人揃ってこちらを振り返った。

 そして、気まずそうに視線を逸らし、そのまま足早に通り過ぎていった。


「…………」


 まただ。


 ここ数日、似たような光景を何度も見ている。

 店の前を通り過ぎる人が、以前より妙にこちらを気にしているのだ。


「カズキ」


 カウンターの奥から、ルーシアの声がした。


「どうしたの? さっきから外ばかり見てる」

「ああ……」


 俺は一度、店内へ視線を戻した。


「最近、ちょっと変じゃないか?」

「やっぱり、カズキも気づいてたのね」


 ルーシアはコーヒーを淹れながら、小さく息を吐いた。


「何人か、常連のお客さんが来なくなった」

「やっぱりか」

「それだけじゃない。昨日、いつも来ていた商人が店の前まで来たのに……入らずに帰っていった」

「それは……」


 俺は眉をひそめた。

 単なる偶然なら、それほど気にする必要はない。

 商売をしていれば、客が来ない日くらいある。


 でも、今回は違う。


 黒猫亭の評判が上がり始めてから、客足はずっと右肩上がりだった。

 それがここ数日、まるで何かにブレーキをかけられたように鈍っている。


「……嫌な感じだな」

「ええ」


 ルーシアがカップを置く。

 その瞳には、珍しく不安の色が浮かんでいた。


 俺は思わず、その横顔を見つめた。


 ルーシアにとって黒猫亭は大切な場所だ。

 ようやく客が増えて、笑顔で働けるようになったのに、こんなところでつまづきたくはない。

 そう考えていた、そのときだった。


 カラン、カラン!


 いつもより勢いよく扉のベルが鳴った。


「カズキ! ルーシア!」


 飛び込んできたのはコレットだった。

 いつもの豪快な笑みは消えている。

 慌ただしく店内へ入ってきた彼女は、肩で息をしながら扉を閉めると、すぐに俺たちを見た。


「コレットさん?」

「悪い。急いで来た」

「何かあったんですか?」

「ああ」


 コレットはカウンターまで歩いてくると、低い声で言った。


「黒猫亭の評判が、落とされてる」

「……え?」


 ルーシアの手が止まった。


「どういうことです?」

「街で妙な噂が流れてるんだよ」


 コレットは周囲を確認するように店内を見渡した。


「『黒猫亭のコーヒーには変なものが入っている』とか、『安い豆を高級品だと偽って売っている』とか……そんな話が出回ってる」

「そんな……!」


 ルーシアが強く拳を握った。


「嘘。店で使っている豆は、私が自分で選んでる。それに、偽って売るなんてそんなことしない」

「俺も分かってる」


 コレットはすぐに答えた。


「だからこそ、問題なんだ」


 俺は腕を組んだ。


「それって、ただの言いがかりじゃないのか?」

「ああ。普通の悪評なら、ここまで短期間に同じ内容が広がることはねぇ」


 コレットの顔から、普段の豪快さが消えていた。


「商人ギルドに入ってくる情報を見ても、同じような噂が別々の場所から出てる。まるで誰かが意図的に流してるみたいにな」

「……つまり」


 俺は静かに息を吐いた。


「黒猫亭の評判を落とそうとしている人間がいる」

「そういうことだ」


 ルーシアは唇を噛んだ。


「どうして……?」


 その声には怒りよりも、悲しさが滲んでいた。


「私たちは、誰かに迷惑をかけたりはしてないはずなのに」

「それは……」


 俺は言葉を探した。

 確かに、俺たちは誰かを攻撃したわけじゃない。

 ただ、客が喜ぶ店を作ろうとしてきただけだ。

 コーヒーを美味しくして、料理を増やして、店を綺麗にして、名前を知ってもらう。

 それだけだった。


 なのに、それが誰かにとっては都合が悪かったらしい。


「……シュヴァン・テラスか?」


 俺が呟くと、ルーシアがこちらを見る。

 コレットは首を横に振った。


「最初は俺もそう考えた。だが、違う」

「どうして?」

「シュヴァン・テラスなら、もっと別のやり方をする」


 コレットの目が鋭くなる。


「それに、あそこにはアデリナがいる。あの女はこんな回りくどい真似をするタイプじゃねぇ」

「たしかにそうか……」


 俺も頷いた。

 アデリナなら、真正面からルーシアに戻ってこいと言うだろう。

 実際、彼女はそうしてきた。

 なら、今回の相手は別人だ。


「じゃあ……誰なんです?」


 ルーシアが尋ねる。

 コレットは少しだけ間を置いてから、答えた。


「おそらく貴族だ」

「……貴族?」


 店内の空気が、一瞬で変わった。

 俺は思わずルーシアを見る。

 彼女も驚いたように目を見開いていた。


「黒猫亭が貴族の機嫌を損ねるようなことをしたんですか?」

「むしろ逆だ」


 コレットは苦々しく笑った。


「黒猫亭が、貴族にとって無視できない店になっちまったんだよ」

「無視できないって、どういうことだよ……」


 コレットはカウンターに肘をつき、声を落とした。


「昔から、この街じゃ上質なコーヒーってのは一部の貴族や金持ちが楽しむものだった。もちろん庶民だって飲めるコーヒーはある。だが、質のいい豆を使った本格的な一杯となれば話は別だ」

「……」

「ところが黒猫亭は、それを変えた」


 俺の胸に、嫌な予感が広がる。


「庶民でも少し金を出せば、本当に美味いコーヒーを飲める。それどころか、貴族が飲んでいるものと変わらない品質の一杯を楽しめる。それが口コミで広がった」


 コレットはそこで一度、ため息をついた。


「それを面白く思わない貴族がいるってことだよ」

「……自分たちだけのものじゃなくなったから?」

「そういうことだ」


 ルーシアが呆然と呟く。


「でも……コーヒーよ?」

「ああ。コーヒーだ」


 コレットは苦笑した。


「商人の俺から見ても馬鹿げた話に聞こえる。だが、人間ってのは、自分だけが持っているものを他人に渡したくない生き物だからな」


 俺は黙り込んだ。

 日本にいた頃にも、似たような話はいくらでもあった。

 高級ブランド、会員制の店、限定商品。

 商品そのものの価値だけじゃない。

 「自分だけが持っている」ことに価値を感じる人間は、確かにいる。


 黒猫亭が提供しているのは、ただのコーヒーじゃない。

 貴族だけのものだった「上質な一杯」を、誰でも楽しめるようにしてしまった。

 それが一部の人間にとっては、特権を奪われたように感じるのだろう。


「……くだらない」


 ルーシアがぽつりと言った。


「私は、誰かから何かを奪いたいわけじゃない。ただ、美味しいコーヒーを飲んで、少しでも癒されてほしいだけなのに」


 拳を握る彼女の横顔を見て、俺は胸が締めつけられた。

 ルーシアは、この店のためにずっと一人で頑張ってきた。

 朝から晩まで客が来なくても諦めなかった。

 そんな彼女の大切な場所を、くだらない理由で潰されるなんて――。


「……させない」

「カズキ?」


 ルーシアがこちらを見る。


「黒猫亭を潰させたりはしない」


 自分でも驚くほど、声が低くなっていた。

 コレットがニヤリと笑う。


「そう言うと思ったぜ」

「でも、どうする?」


 ルーシアが尋ねる。


「噂を流してる相手を探す?」

「それも必要です。でも――」


 俺は少し考えた。

 やるべき事はマーケティング戦略。

 悪い噂を一つずつ否定して回るだけでは、追いつかない。

 誰かが「黒猫亭はまずい」と言えば、そのたびに「違います」と説明する。

 それでは、ずっと相手の土俵で戦うことになる。


「だったら、こっちからもっと強い情報を流せばいい」

「もっと強い情報?」

「黒猫亭のコーヒーが本物だっていう事実を」


 ルーシアが瞬きをする。


「……でも、どうやって?」

「一人でも多くの人に飲んでもらう。そして、飲んだ人に『美味しかった』と言ってもらう」


 俺は店内を見渡した。

 ここには、すでにそのための材料が揃っている。


 ルーシアのコーヒー。

 店を応援してくれるコレット。

 黒猫亭を気に入ってくれているリリア。

 そして、常連になってくれた貴族のヴィクトルさんもいる。


 俺は拳を握った。


「悪い噂が広がるなら、それ以上の速さで黒猫亭の本当の評判を広げる」

「……口コミで、噂を押し返すってこと?」

「そう、その通り!」


 ルーシアの表情に、少しずつ光が戻っていく。


「それなら……できるかもしれない」

「ああ。今までだってそうしてきた」


 店を変えて、メニューを増やして、客に喜んでもらって、俺たちは一つずつ、黒猫亭を作ってきた。

 だったら今回も同じだ。

 誰かに壊されそうになったなら、俺たちの手で守ればいい。


「ただし、今までとは違う。相手は、黒猫亭を潰す理由を持ってる。だから、こっちも本気でやらないといけない」


 ルーシアは黙って俺を見つめていた。

 やがて、その唇がゆっくりと弧を描く。


「……分かった。私もやる」


 彼女はカウンター越しに、俺へ手を差し出した。


「黒猫亭を守るんでしょう?」


 その手を見つめる。

 細くて白い指。

 水仕事を続けてきたせいか、よく見ると小さな傷も残っている。

 その手を、俺はそっと握った。


「もちろん、ルーシアさんの力も必要だ」


 触れた瞬間、ルーシアの肩がぴくりと揺れた。

 黄色の瞳が、驚いたように俺を見る。

 俺も、思った以上に近い距離に彼女の顔があることに気づき、急に心臓が騒がしくなった。


「……あ」

「……何?」

「いや、その……」


 手を離そうとすると、ルーシアの指が一瞬だけ俺の手を追った。

 けれど彼女自身もそれに気づいたのか、慌てて手を引っ込める。


「……とにかく」


 耳まで赤くしたルーシアが、少しだけ俯く。


「一緒に、頑張りましょう」

「……ああ」


 胸の奥が、妙に熱かった。


 そんなやり取りを見ていたコレットが豪快に笑う。


「ガハハ! なんだ、お前ら。敵を前にしてずいぶん仲がいいじゃねぇか!」

「コレットさん!」

「ほら、さっさと作戦を考えろ。俺も商人ギルドから情報を集めてやる」

「ありがとうございます」

「礼はいいって。俺も黒猫亭のコーヒーを飲めなくなるのは困るからな!」


 コレットは笑いながら店を後にする。


 誰が相手だろうと関係ない。

 貴族だろうが、商人だろうが、黒猫亭を潰そうとするなら――。


「……負けるわけにはいかない」


 隣を見る。

 ルーシアも、まっすぐ前を見ていた。

 その瞳には、もう迷いはない。

 俺たちの店を守るために。

 そして、これからもこの場所で一緒に笑うために。

 黒猫亭は、初めて本当の意味で大きな敵と向き合うことになった。

読んでいただきありがとうございます!


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今後ともよろしくお願いします。

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