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第23話 商人ギルドのコレット

 昼下がりの黒猫亭には、穏やかな時間が流れていた。

 ルーシアの一定のリズムで響くミルの音に混じって、客同士の小さな話し声が聞こえてくる。


 そんな中、カランと入口のベルが鳴った。


「よう、二人とも。邪魔するぜ!」


 聞き慣れた豪快な声に振り向く。


 コレットが赤いジャケットを翻しながら、いつもの調子で店へ入ってきた。

 肩にかかった髪を無造作に揺らして、大きな笑みを浮かべている。


「コレットさん!」

「おう、ルーシア。カズキ。相変わらず繁盛してるじゃねぇか!」


 コレットは店内を見回すと、満足そうに頷いた。


「前に来たときより客が増えてる。商人ギルドの連中も、この店の話ばっかりしてるぜ」

「本当ですか?」

「ああ。だからこそ、今日はちょっと話がある」


 そう言ったコレットが、いつになく真面目な顔をした。

 俺はその表情を見て、背筋を伸ばす。


「……何かあったんですか?」

「まあな。とりあえず、いつものを一杯もらえるか? 話はそれからだ」

「分かりました」


 ルーシアが頷き、さらっとコーヒーを淹れる。

 コレットはカウンター席に腰を下ろし、運ばれてきたカップを両手で包むように持つ。


「……ふぅ。やっぱりここのコーヒーは落ち着くな」

「ありがとう」

「いや、礼を言うのはこっちだ。仕事の途中にここへ来ると、頭が切り替わるんだよ」


 コレットは一口飲んでから、ちらりと俺を見る。


「それにしても、よくここまで立て直したよな。最初に聞いたときは、正直どうなることかと思ったぜ」

「俺一人じゃ無理でしたよ。ルーシアさんがいたからできたんです」

「……カズキ」


 隣にいたルーシアがこちらを見る。

 その黄色の瞳が、少しだけ揺れた。


「俺は経営や宣伝を考えることはできても、コーヒーを淹れることはできない。店の味を作ってるのはルーシアさんですから」

「……そう」


 ルーシアは短く答えただけだった。

 けれど、頬が少し赤くなっている。

 コレットはそんな俺たちを見て、ニヤリと笑った。


「へぇ。ずいぶん息が合ってきたじゃねぇか」

「そ、そうですか?」

「見てりゃ分かるって。上手いこと二人でこの店を回してるよな」

「……そうね」


 今度はルーシアが、静かに頷いた。

 その声には、少しだけ誇らしさが混じっていた。


「ただな……」


 コレットの声が低くなる。


「今日は、その店についての話なんだ」


 俺とルーシアは顔を見合わせた。


「商人ギルドの中で、黒猫亭をギルドの直営店にしないかって話が出てる」


 コレットはカップを置き、腕を組んだ。


「……直営店?」


 ルーシアの眉がわずかに寄る。


「簡単に言えば、ギルドが店を買い取り、経営権を持つってことだ。資金も人手も出す。仕入れもギルドの流通網を使える。今よりずっと安定するだろうな」

「それなら……悪い話ではないんじゃないですか?」


 俺がそう言うと、コレットは頷いた。


「そう。だからこそ、やっかいなんだ」

「やっかい?」

「ギルドに入れば、当然ながらギルドの方針に従ってもらうことになる。メニューも、価格も、仕入れも、人の使い方もな。売上を伸ばすためなら、今の黒猫亭とは違う店にされる可能性もある」


 俺は黙って考えた。

 確かに、ギルド直営になれば、もっと大きな店にできるかもしれない。

 もっと設備を整え、もっと多くの客を呼び込める可能性だってある。


「……私は嫌」


 ルーシアが、はっきりと言った。

 思わず彼女を見る。

 ルーシアはカウンターに手を置いたまま、まっすぐ前を見ていた。


「誰かに経営を決めてもらいたいわけじゃない」


 静かな声だった。

 けれど、その言葉には迷いがない。


「ここでコーヒーを淹れて、疲れた人が少し休んで、それで帰っていく。私は、そういう店を続けたい」

「……ルーシアさん」


 彼女がこちらを見る。


「それに……」


 ほんの一瞬、言葉に詰まった。

 そして、視線を逸らしながら続ける。


「……カズキは私のことを理解してるから経営を任せられる」

「え?」

「……だから、今の黒猫亭が好きなの」


 彼女はこちらを見ない。

 けれど、耳まで赤くなっているのが分かった。

 俺の胸が、不意に熱くなる。


「……俺も」

「え?」

「俺も、今の黒猫亭が好きですよ」


 ルーシアがようやく顔を上げた。

 視線がぶつかる。

 その瞬間、どちらからともなく少しだけ気まずくなって、俺たちは同時に視線を逸らした。


「おいおい……」


 向かいからコレットの呆れた声が飛んでくる。


「人の目の前でそういう空気を作るなよ。こっちが恥ずかしくなるだろ」

「いや、俺たちは別に……」

「はいはい。そういうことにしといてやるよ」


 コレットは豪快に笑った。

 それから、再び真剣な表情に戻る。


「ま、俺も同じ意見だ。ギルドが黒猫亭を欲しがる理由は分かる。商人として見れば、今の黒猫亭はかなり価値があるからな」

「価値……ですか?」

「ああ。コーヒーそのものだけじゃねぇ。店の雰囲気、客層、ブランド、それに――」


 コレットは店内を見渡した。


「ここに来れば、ちゃんとしたコーヒーが飲めるっていう評判だ」


 その言葉に、ルーシアの目が細くなる。


「……それは嬉しい」

「だからこそ、ギルドは欲しがる。だけどな、俺も反対だ」


 コレットは拳を軽く握った。


「コレットさん……」

「黒猫亭は、ギルドの看板を背負って儲けるための店じゃねぇ。ルーシアとカズキが、自分たちで作ってきた店だろ?」


 俺は思わず笑った。


「その、そんなふうに考えてくれて、ありがとうございます」

「礼なんていらねぇよ。俺はただの商人だ。自分が好きな店が、金儲けの都合で変えられるのが嫌なだけさ」

「それ、十分すぎるくらい嬉しいですよ」


 コレットは照れくさそうに鼻を鳴らした。


「……まあ、困ったときは言え。ギルドの中で話を通すくらいなら、俺にもできる」


 その言葉に、ルーシアが深く頭を下げた。


「ありがとう、コレット」

「おいおい、頭を下げるなって。俺はこの店のコーヒーが好きなんだ。なくなったら俺が困る」


 そう言って笑うコレットを見ながら、俺は改めて思った。

 黒猫亭は、もう俺たち二人だけの店じゃない。

 コレットのように応援してくれる人がいて、ここで笑ってくれる客がいて、少しずつ名前を広げてくれる人たちがいる。


「……守りたいですね」


 俺が呟くと、ルーシアがこちらを見る。


「黒猫亭を?」

「はい。それと……」


 俺は少しだけ迷ってから、彼女の目を見た。


「ルーシアさんが大切にしてきたものも」

「…………」


 ルーシアは何も言わなかった。

 ただ、ほんのり赤くなった頬を隠すように、カウンターの向こうへ顔を背ける。


「……そういうこと、急に言うのやめて」


 小さな声だった。


「……困るから」


 けれど、その口元には隠しきれない笑みが浮かんでいた。

 コレットはそんな俺たちを見て、盛大にため息をつく。


「……こりゃ、ギルドより先に俺が疲れそうだな」


 コレットは笑いながら残ったコーヒーを飲み干し、椅子から立ち上がった。


「じゃあ、俺は戻る。ギルドの連中には、こっちから話をしておく」

「本当にありがとうございます」

「だから礼はいいって。それより――」


 コレットは扉へ向かいながら振り返る。


「黒猫亭は黒猫亭らしくやれ。それが一番だ」

「「はい!」」


 ルーシアと俺の声が重なった。

 コレットは満足そうに笑うと、扉を開けた。

 カラン、とベルが鳴る。


「また来るぜ!」

「いつでもどうぞ!」


 扉が閉まり、コレットの姿が通りの向こうへ消えていく。

 店内には、再び穏やかな空間が満ちていた。

 俺は隣に立つルーシアを見る。


「……ギルド直営の話、簡単に断っちゃったけど大丈夫だった?」

「大丈夫」


 ルーシアはそう言って、二人分のコーヒーを淹れ始める。


「私は、今のこの店を続けたいから」


 その横顔には、以前にはなかった強さがあった。

 そして俺は、そんな彼女の隣に立っていられることが、少しだけ嬉しかった。


「じゃあ、これからも頑張ろう」

「……ええ」


 ルーシアは小さく頷いた。


 その横顔を眺めながら、俺は思う。

 黒猫亭を守る。

 そのためなら、俺にできることはまだあるはずだ。

 そして、できることならこの場所で、これからもルーシアの隣にいたい。

読んでいただきありがとうございます!


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今後ともよろしくお願いします。

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