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第17話 作業の効率化! ルーシアの負担を減らしたい

 朝の黒猫亭には、焼きたてのパンの香りが満ちていた。

 窓から差し込む淡い朝日が、まだ誰も座っていない客席を柔らかく照らしている。

 その静かな店内で、厨房だけが慌ただしく動いていた。


 ルーシアが魔導オーブンの扉を開くと、香ばしく焼けたパンが姿を現した。


「よし……これでパニーニ用のパンは大丈夫ね」


 長い黒髪を後ろでまとめたルーシアが、焼き上がったパンを手際よく並べていく。

 その横では、焙煎されたコーヒー豆が休めてあり、別の作業台にはスイーツの材料が並んでいる。

 俺は客席のテーブルを拭きながら、その光景を眺めていた。


 コーヒー豆を焙煎する。

 パンを焼く。

 スイーツを仕込む。


 それが終われば、今度は開店だ。

 客が来ればコーヒーを淹れ、注文が入ればパニーニを焼き、空いた時間には洗い物までこなす。


 以前の黒猫亭なら、それでも問題はなかった。

 客が少なかったからだ。

 けれど今は違う。

 黒猫亭には、朝から客が訪れるようになった。

 昼になれば席が埋まり、コーヒーとパニーニを楽しむ客に加えて、スイーツを注文する客も増えている。


 店が繁盛する。

 それは俺たちが望んでいたことだ。


 だけど――。


「……ルーシアさん」

「なに?」


 呼びかけても、彼女は作業の手を止めない。


「ちょっと休んだら?」

「もう開店前。休んでる暇なんてない」

「いや、でも……」


 俺が言葉を濁す。

 ルーシアはようやく顔を上げた。

 黄色の瞳が、まっすぐ俺を見る。


「何?」

「……最近、忙しすぎないか?」

「そう?」


 俺は思わず苦笑した。


「前は客が一人しか来なかった店だぞ。それが今は、朝から仕込みで動き回ってるじゃないか」

「そうね……」


 ルーシアがちらりと店内を見る。

 カウンター横には持ち帰り用のチョコビスコッティが並んでいる。


「……嬉しいことじゃない」


 ルーシアは小さく笑った。


「お客さんが来てくれるのは、ずっと望んでいたことだから」

「それは俺も嬉しい」


 俺は頷いた。


「でも、店が繁盛してルーシアさんが倒れたら意味がないだろ」

「……」


 ルーシアが黙った。

 俺はその横顔を見ながら、少しだけ声を落とした。


「だからさ。そうだな……作業の効率化を考えないか?」

「効率化?」

「ああ。もっと楽に仕事が回るようにするんだ」


 ルーシアは腕を組み、少し考えるように眉を寄せた。


「……例えば?」

「まず、仕込みを前倒しする。パン生地やスイーツの生地を前日に準備しておけば、朝の仕事が減るんじゃないか?」

「それなら、もうやってる」

「え?」

「パン生地は前日に仕込んで冷やしてあるし、ビスコッティも閉店後に作ってる」

「……」


 いきなり出鼻をくじかれた。


「じゃあ……コーヒー豆は?」

「必要な分だけ焙煎してる」

「スイーツも?」

「できるだけ前日に仕込んでる」

「…………」


 俺は黙り込んだ。

 そういえば、俺が寝室へ上がったあとも、ルーシアは厨房に残って仕事をしていた。

 それを見ていながら、俺は勝手に「効率化すればいい」と考えていたらしい。


「……そうか」


 俺は頭を掻いた。


「じゃあ、俺の提案はあんまり役に立たないな」

「そんなことない」


 ルーシアが言った。


「カズキが考えてくれたこと自体は嬉しい」

「でも、現場のことを何も知らない俺が、知ったようなことを言ってただけだ」

「……」

「ごめん」


 素直に頭を下げる。

 すると、ルーシアが少し困ったような顔をした。


「謝らなくていい」

「でも――」

「カズキが来る前は、私一人で全部やってたから」


 その言葉に、俺は顔を上げた。

 ルーシアは厨房を見渡している。


「パンも、コーヒーも。掃除も仕入れも、売上の計算も全部」

「……全部、一人で」

「ええ。私がやりたくてやっているお店だもの」


 その横顔は、頑固なくらい真っ直ぐだった。

 彼女にとって、この店はただの仕事場じゃない。


「……そっか」


 俺はそれ以上、何も言えなかった。

 ただ、ひとつだけ思った。


 ――そんなルーシアを、一人で頑張らせたくない。


「だったら、別のところを考えよう」

「別のところ?」

「ああ」


 俺は厨房を見渡した。

 そして、ある一点で視線を止める。


「パニーニだ」

「パニーニ?」

「今、注文が入るたびにルーシアがコーヒーを淹れながら作ってるだろ」

「そうね」

「だったら、そこを俺も担当できるようになればいい」


 ルーシアが目を瞬かせる。


「カズキが?」

「俺も作り方を覚える」

「……料理、できるの?」

「日本にいた頃は、それなりに」


 正直に言えば、料理が得意というほどではない。

 けれど、パニーニなら練習すればできるはずだ。


「具材はまとめて仕込んであるわけだから、俺とルーシアのどっちか手が空いてるほうが作ればいい」

「……そうね」


 ルーシアがパニーニ用の具材を見る。

 燻製した鴨肉、チーズ、そしてソース。


「確かに、それなら私がコーヒーを淹れている間に、カズキが焼けるわね」

「逆もできる」

「うん」


 ルーシアの表情が少しずつ変わっていく。

 さっきまでの疲れた顔ではない。

 仕事について考えるときの、あの真剣な顔だ。


「……やってみる?」

「もちろん」


 ルーシアが小さく笑った。

 その笑顔を見て、俺も自然と笑ってしまう。


「じゃあ、まずは私が教える」

「よろしくお願いします、先生」

「……先生?」


 そう言いながら、彼女は少しだけ頬を緩めた。


「じゃあ、こっちに来て」

「はい」


 俺は厨房へ入る。

 ルーシアが隣に立ち、パニーニの作り方を説明してくれる。


「まず、パンはここを持って……そう。力を入れすぎると潰れるから気をつけて」

「こうか?」

「うん。……もう少しだけ、優しく」


 ルーシアの手が俺の手元に伸びる。

 指先が重なった。


「……」

「……」


 ほんの一瞬。

 それだけなのに、妙に近く感じた。

 ルーシアから、コーヒーと焼きたてのパンが混ざったような、店の中でいつも感じる香りがする。


「……力、入りすぎ」

「わ、悪い」


 慌てて手を離す。

 ルーシアも少しだけ視線を逸らした。


「……別に」


 その耳が、ほんのり赤くなっている。

 俺の胸も、なぜか落ち着かなかった。


 ――仕事を教えてもらっているだけなのに。


 そんなことを考えていると、ルーシアが小さく咳払いをした。


「次は焼く」

「おう」


 俺たちは何事もなかったように作業へ戻った。


     ◇


 それから数日。

 俺はルーシアに教えてもらいながら、パニーニ作りを覚えていった。

 最初はきれいに具材を挟むだけでも手間取ったが、何度か繰り返すうちに少しずつ形になっていく。

 パンの焼き加減にも注意する。


 ルーシアがコーヒーを淹れている間に俺がパニーニを焼き、俺が客席で接客している間にはルーシアが厨房を担当する。

 ほんの少しの変化だった。


 けれど――。


「お待たせしました。鴨の燻製肉とチーズのパニーニです」

「わあ、早い!」


 客が驚いた顔をする。


「前より待たなくて済むようになったわね」

「焼きたてなのに、こんなに早いなんて助かるよ」

「ありがとうございます」


 俺が笑顔で頭を下げる。

 客が美味しそうにパニーニを頬張るのを見届けてから、厨房へ戻る。

 そこではルーシアがコーヒーを淹れていた。


「……どう?」


 俺が尋ねると、ルーシアはカップを置いてこちらを見る。


「いいと思う」

「本当か?」

「前より楽になったわ」


 その言葉だけで、十分だった。

 俺がこの世界に来て、黒猫亭で働き始めてから、まだそれほど長くない。

 それでも今は、自分がこの店の役に立てていると実感できる。


「よかった」


 思わず笑みがこぼれる。


「……カズキ」

「ん?」

「ありがとう」


 いつもより小さな声だった。


「私、ずっと一人でやらなきゃって思ってたから」

「……」

「誰かに手伝ってもらうって、こんなに楽なんだって……少し分かってきた」


 ルーシアは照れたように視線を落とす。


「だから……これからも頼っていい?」


 胸の奥が、どくんと鳴った。


「もちろん」


 俺は笑って答えた。


「俺も、もっと頼ってもらえるように頑張るよ」


 ルーシアは一瞬だけ驚いた顔をして、それから小さく笑った。


「……うん」


 以前より少しだけ余裕を取り戻したルーシアと、その隣で慣れない手つきながらパニーニを焼く俺。

 二人で作る黒猫亭は、また一歩理想の店へ近づいていた。

読んでいただきありがとうございます!


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今後ともよろしくお願いします。

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