第15話 ストーリーテリング
「カズキ、ちょっと来て」
夕方。
客足が落ち着いた頃、ルーシアが俺を呼ぶ。
いつもの彼女とは違う、硬い声だった。
「どうした?」
「これ……」
カウンターの上に、一枚の新聞が置かれている。
俺は手に取って、目を走らせた。
端ではあるが決して小さくはない見出しが目に飛び込んでくる。
――『黒猫亭のコーヒーは本当に一流か?』
さらに、その下にはこう続いていた。
――『庶民向けの安価なコーヒーと、貴族御用達の洗練された一杯。その違いとは』
「……なるほど」
記事の内容を読み進める。
黒猫亭の人気が急上昇していることには触れている。
しかし、その一方でコーヒー豆の質や提供方法について疑問を投げかけ、貴族御用達として知られるシュヴァン・テラスと比較しながら、まるで黒猫亭のコーヒーが格下であるかのように書かれていた。
「露骨だな」
「……シュヴァン・テラスのしわざ?」
「断定はできない。でも、黒猫亭が急に注目され始めたタイミングで、こんな記事が出るのは偶然とは思いにくい」
ルーシアは唇を噛んだ。
「私のコーヒーが……偽物みたいに言われてる」
その声を聞いて、胸が痛んだ。
俺は彼女のコーヒーを知っている。
まだ客が一日に一人しか来なかった頃から、ルーシアは一杯ずつ丁寧に豆を挽き、客の様子を見ながらコーヒーを淹れていた。
人気がないからと手を抜くこともなかった。
むしろ、誰も見ていない時間ほど真剣だった。
「ルーシアさん」
「……うん」
「ルーシアさんのコーヒーが一流かどうかを決めるのは、新聞じゃない」
ルーシアが顔を上げる。
「実際に飲んだお客さんだ」
「……」
「だから、俺たちがやることは一つだと思う」
「何をするの?」
俺は新聞を閉じた。
こちらもマーケティング戦略で対抗する。
「黒猫亭のコーヒーが、どういうものなのかを知ってもらう」
「……うん」
「ここで使えそうなのは……」
俺の頭に一つの考えが浮かんでいた。
「ストーリーテリング戦略だ」
「ストーリー、テリング……?」
「商品の価値だけを説明するんじゃなくて、その商品が生まれた背景や、作っている人の想いまでを伝えることで、相手の感情に訴えかけ、認知してもらう戦略だよ」
俺はカウンターの奥を見る。
そこには、いつものようにコーヒー豆と器具が並んでいる。
「ルーシアさんのコーヒーには、ちゃんと物語がある」
「物語……?」
「そう! シュヴァン・テラスは確かに高級感や格式を売りにしてる。でも、俺たちは『コーヒーを楽しむこと』を提供してる」
「……」
ルーシアは黙って俺の話を聞いている。
「ルーシアさんのコーヒーは、ただのコーヒーじゃないでしょ? 自身で厳選した豆を、一杯ずつ丁寧に淹れて、お客さんに一番いい形で出してる。その背景やこだわりを、もっとお客さんに伝えないと!」
ルーシアはしばらく考え込んだあと、小さく頷いた。
「……背景を知れば、よりおいしく感じるということね。コーヒーへのこだわり、それは黒猫亭の強みだと思う」
「だろ? だから、黒猫亭のコーヒーには“物語”がある」
「それで、具体的にはどうするの?」
俺は得意げに笑う。
「例えば、こんな感じ!」
俺は店内用の黒板メニューを書き換えた。
『ルーシアのこだわりの一杯
黒猫亭のコーヒーは、ただの飲み物ではありません。
一杯ごとに、物語があります。
豆の生産地や焙煎方法、そのコーヒーの背景を、あなたにお伝えします。』
「これで、お客さんがコーヒーに興味を持つきっかけを作る!」
ルーシアはしばらく黒板を見つめたあと、小さく笑った。
「……あなた、次から次へとよく思いつくね」
「ルーシアさんが頑張ってるから……俺も店の役に立ちたい」
俺の素直な気持ちをルーシアに伝える。
真剣さが伝わったのか、ルーシアはしばらく無言になり――
「……ありがとう」
小声ではあったけど、ちゃんと聞こえる声で伝えてくれた。
その一言で胸がとても温かくなるのを感じる。
(こんな俺だけど、ちゃんと役に立ててるならうれしい)
そしてルーシアは淡々と二人分のコーヒーを淹れ始めた。
店内にコーヒーの香りが広がっていく。
その香りに包まれながら、俺は思った。
黒猫亭の戦いは、まだ始まったばかりだ。
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