第14話 コーヒーとスイーツとお嬢様
新しく始めた『コーヒー&スイーツセット』は、俺たちが予想していた以上の反響を呼んでいた。
昼下がりの黒猫亭には、以前の閑散とした空気がもう残っていない。
若い女性客がコーヒーを片手に談笑し、カウンターではルーシアが次々と注文をこなしている。
「エルダの深煎りと、ビターショコラタルトのセットを」
「はい。少々お待ちください」
ルーシアが慣れた手つきで豆を挽き始める。
立ち上る香りに、客の一人が思わず顔をほころばせた。
三種類のコーヒーと、それぞれの個性を引き立てるスイーツ。
組み合わせを考えたのはルーシアだ。
俺はマーケティングの知識を使って、三種類に絞ることを提案しただけで、味のことについては彼女に任せた。
結果は大成功だった。
「この組み合わせ、すごく好きだわ」
「俺はベルウェルだな。あのフィナンシェがよく合う」
「三種類全部試してみたいな」
そんな声が店内のあちこちから聞こえてくる。
以前は一日に一人しか来なかった店が、今では満席になることも珍しくはない。
その光景を眺めながら、俺は密かに胸を張っていた。
――やっぱり、ここまで変わると嬉しいな。
けれど、本当に嬉しそうなのは俺よりもルーシアだった。
忙しそうに動き回りながらも、客が「美味しい」と言うたびに、少しだけ口元が緩む。
その横顔を見ていると、俺まで嬉しくなってしまう。
そんなときだった。
「わぁぁぁっ!」
ドアが開き、カランカランとベルが鳴るのとほぼ同時に、店内にはひときわ明るい声が響いた。
何事かと思って振り返る。
入口近くに、一人の少女が立っていた。
ふわりと揺れるピンク色の髪に、宝石のような碧い瞳。
白を基調にしたフリル付きのエプロンドレスは、まるでお菓子の国からそのまま抜け出してきたかのようで、店内の落ち着いた雰囲気の中では少しだけ浮いて見える。
けれど本人は、そんなことなど一切気にしていないらしい。
少女の視線は、カウンターに並べられたスイーツへ釘付けになっていた。
「すごい……! どれも美味しそう……!」
目を輝かせながら、ショーケース(保冷魔導具)の前を行ったり来たりしている。
「えっと……お客さん?」
俺が声をかけると、少女はようやくこちらに気づいた。
そして、ぱっと顔を輝かせる。
「あっ、すみません! つい夢中になってしまいました!」
「いえ、構いませんけど……そんなにスイーツが好きなんですか?」
「はいっ!」
間髪入れずに返事が来た。
少女は胸の前で両手を握り、満面の笑みを浮かべる。
「私、甘いものには目がないんです! 美味しいお菓子を見つけたら、食べずにはいられません!」
その真剣な顔に、思わず笑ってしまった。
「それなら、うちの新作は気に入ってもらえると思いますよ」
「本当ですか!?」
少女が一歩近づく。
「どれがおすすめですか?」
「そうですね……俺は三種類ともおすすめですが」
「全部……!」
少女の目がさらに輝いた。
「もう、どれか一つだけなんて選べませんね!」
その言い方があまりにも堂々としていたので、俺は思わず吹き出した。
「なるほど。じゃあ、コーヒーは一杯でスイーツ三つ、という注文もできますけど」
「いいえ、三種類のセットを全部です!」
即決だった。
すると、今度はルーシアが少しだけ驚いた顔をする。
「……本当に全部?」
「はい!」
「……食べきれるの?」
「大丈夫です!」
少女は小さな拳を握って胸を張った。
「甘いものは別腹ですから!」
「別腹……」
ルーシアが呆れたように呟く。
その表情が少しだけ柔らかく見えて、俺はまた笑ってしまった。
少女はそんな俺たちを見て、今度は姿勢を正した。
「そういえば、まだ名乗っていませんでしたね!」
スカートの裾をちょこんと摘み、少女は優雅に一礼する。
「リリア・マルグレーテと申します!」
「……マルグレーテ?」
その名前を聞いた瞬間、俺は思わず聞き返した。
マルグレーテ商会。
以前にコレットさんから教えてもらったことがある。
この街でも有数の大商会で、食品を中心に幅広い商品を扱っている。
高級食材から庶民向けのパンまで、食に関する者なら知らない人はいないほどの商会だ。
「もしかして……あのマルグレーテ商会?」
「はいっ! その一人娘です!」
少女は誇らしそうに胸を張った。
「なるほど……」
思わずリリアを見る。
さっきまでショーケースの前で「どれも美味しそう!」と目を輝かせていた少女が、実は大商会の一人娘だとは驚きだ。
そんな俺の視線に気づいたのか、リリアは少し首を傾げた。
「どうしました?」
「いや……大商会のお嬢様なのに、ずいぶんスイーツに夢中なんだなと思って」
「もちろんです!」
リリアは満面の笑みを浮かべた。
「美味しいものを探すことは、商会のお仕事と同じくらい大切なんです!」
「お仕事と同じ?」
「はい!」
リリアは真剣な顔で頷いた。
「だって、美味しいものを知らない商人が、美味しいものを人に届けられると思いますか?」
その言葉に、俺は少しだけ目を見開いた。
ただのお菓子好きなお嬢様かと思っていた。
けれど、その目には商人らしい鋭さが宿っている。
「……なるほど」
「だから私は全部食べます!」
「そこに戻るんですね」
「はい!」
即答だった。
ルーシアまで小さく笑っている。
「……変わった子」
「褒め言葉として受け取ります!」
そう言ってリリアは、また嬉しそうにスイーツへ視線を向けた。
その後、リリアは本当に三種類のスイーツをぺろりと平らげた。
エルダとショコラタルトを味わったあとには「この苦味がいいです!」
ベルヴェルとフィナンシェでは「ナッツの香りが最高です!」
最後にフローレとシフォンケーキを口にしたときには、幸せそうに目を閉じていた。
「……美味しかったです」
最後の一言だけは、それまでとは違って静かだった。
その表情を見たルーシアが、少し嬉しそうに笑う。
「気に入った?」
「はい!」
リリアは大きく頷いた。
「また来ます! 絶対に!」
「ありがとうございます」
ルーシアがそう答えると、リリアは嬉しそうに笑った。
「それと……お姉さん」
「なに?」
「コーヒー、とっても美味しかったです」
ルーシアの手が、一瞬だけ止まった。
「……はい」
短い返事だったけれど、耳がほんの少し赤くなっている。
俺はそれを見逃さなかった。
――やっぱり、ルーシアはコーヒーを褒められるのが一番嬉しいんだな。
そんなことを考えていると、リリアが俺のほうを見た。
「それから、お兄さん!」
「ん?」
「このお店、とっても素敵ですね!」
「ありがとう」
「お兄さんが作ったんですか?」
「このお店はルーシアさんが開いて……いや、ルーシアさんと俺の二人で一緒に作ってる」
「……一緒に」
リリアは俺とルーシアを交互に見た。
それから、にっこり笑う。
「お二人は、とっても仲良しなんですね!」
「えっ?」
思わず言葉に詰まった。
隣を見ると、ルーシアも同じように固まっている。
「べ、別に……そういうわけじゃ」
「そうなの?」
「……」
ルーシアが黙り込んだ。
その横顔が、ほんのり赤い。
俺も妙に意識してしまい、何を言えばいいのか分からなくなった。
そんな俺たちを見て、リリアは楽しそうに笑った。
「ふふっ。なんだか面白いお二人ですね!」
そう言って、リリアは店を出ていった。
扉が閉まり、ベルの音が小さく響く。
店内に静けさが戻る。
「……」
「……」
なぜか俺とルーシアの間には、妙な沈黙が残っていた。
「あの子、よく見てるな……この店のこと」
「……そうね」
ルーシアはそう答えると、誤魔化すようにカップを片付け始めた。
その耳は、まだ少し赤かった。
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