エピローグ
「あ……ああ……!!」
私の日記の朗読を終えたドミニク様は、怯えるように後退りながら、日記を床に落としてしまった。
私は日記を拾うと、ドミニク様の目を真っ直ぐに見つめる。
「いかがですか? これで私とリリー嬢、どちらが噓をついているか、おわかりいただけましたね?」
「リ、リリー……! これは何かの間違いだよな!? 君は僕のことを、騙してなんていないよなッ!?」
「え、ええ! もちろんですドミニク様! 私は絶対、噓なんてついていません!」
「では、この日記帳に書いてみていただけますか? 『私は噓をついていない』と」
「――!」
私がリリー嬢に日記とペンを差し出すと、リリー嬢はブワッと全身から冷や汗を吹き出し、死人みたいな顔になった。
あらあら、本当に追い詰められた時の人って、こんな顔をするのね。
「さあ。噓をついてないなら書けますよね? どうなんですか?」
「あ……うぅ……あぁ……!」
「リリー!? 書いてくれよ、リリーッ!!」
「う……うぅ……うああああああああああああああああああああああ」
「リリーッ!!?」
途端、リリー嬢は半狂乱になりながら、この場から逃げ出した。
うん、これで今度こそ、言い逃れはできないわね。
「さて、これにて私の無実は証明されましたよね、ドミニク様?」
「あ…………うん。も、申し訳なかった! まさかあの女が、あそこまでのクズだとは思わなくてさ……」
「あら? あなた様もひとのことは言えないのではありませんか、ドミニク様?」
「な、何だと!?」
「だってそうでしょう? 根の葉もない噓にまみれた日記を鵜吞みにし、それを学園中に勝手にばら撒くなんて、これは紛れもない名誉毀損ですよ」
「グッ……!?」
「しかも私という婚約者がいる身でありながら、他の女性とも関係を持つなんて。――とてもあなた様とは、男女の絆を築けるとは思えません」
「そんな……!?」
ドミニク様は、迷子の子どもみたいな顔になった。
「先ほどの婚約破棄宣言、謹んでお受けいたします。後日我が家からも、正式な書面をお送りしますので」
「ま、待ってくれヒルデ!! 僕を捨てないでくれよ、ヒルデッ!!」
「失礼いたします」
「ヒルデエエエ!!!」
私は軽くドミニク様に頭を下げると、会場を後にした。
ここから先の学園生活、ドミニク様にとっては地獄かもしれませんが、どうかご健闘をお祈りしていますわ――。
「ふぅ」
薄暗い中庭に出た私は、一人で夜空に浮かぶ満月を見上げる。
今回の件は災難だったものの、結果的には得をしたとも言える。
あのままドミニク様みたいな男と結婚していたら、私は遅かれ早かれ不幸になっていただろうし。
「ヒルデ様」
「――!」
心地良い声音が私の鼓膜を震わせたので振り返ると、そこには天才魔導具技師の、ユルゲンさんがいつもの不敵な笑みを浮かべながら立っていた。
後で伺おうと思っていたところだから、ちょうどよかったわ。
「――ユルゲンさん、このたびは厄介なことに勝手に巻き込んでしまい、誠に申し訳ございませんでした」
私はユルゲンさんに、深く頭を下げた。
「フフフ、いえいえ、とても面白いものが見れましたので、ボクは気にしておりません。どうかお顔をお上げください、ヒルデ様」
「ユルゲンさん……」
ああ、やはりこのお方は、ドミニク様と違って器が大きいわね。
「むしろヒルデ様のあの咄嗟の機転、感服いたしました。まさかただのノートで、あの窮地を脱するとは」
「うふふ、ユルゲンさんにそう言っていただけるのは、恐縮ですわ」
「フフフ」
そう、あのノートがユルゲンさんの発明品だというのは、真っ赤な嘘だったのだ。
あれはただの日記帳に過ぎない。
流石のユルゲンさんでも、真実しか書けないノートなどという、神懸ったものを発明するのは、現時点では難しいだろう(将来的にはわからないが)。
昨日リリー嬢の日記が学園中にばら撒かれた時点で危機感を抱いた私は、自分の日記帳にここ最近のリリー嬢のことを急いで書き、もしもの時はこれをユルゲンさんの発明品ということにしようと画策したのだ。
ユルゲンさんの名前を出せば、十中八九みんなは信じるだろうという公算はあった。
少なくともリリー嬢自身は、自分が噓をついていることをわかっている。
だからこそ、あんな存在しない架空の魔導具に、屈してしまったのだ。
「……むしろ、お礼を言いたいのはボクのほうですよ、ヒルデ様」
「え?」
ユルゲンさん?
私何か、お礼を言われるようなこと、しましたっけ?
「この学園に入学して間もない頃、魔導具オタクと周りからバカにされていたボクのことを、唯一肯定してくださったのは、あなた様ではないですか」
「……!」
ああ、そういえばそうでしたね。
当時のユルゲンさんは、まだ無名の魔導具技師だったので、魔導具の研究だけに没頭しているユルゲンさんを、周りの生徒たちは一様に冷笑していた。
でも、私は一つのことにあれだけ心血を注げるユルゲンさんを、心から尊敬していた。
だからこそ、せめて私だけでもユルゲンさんの味方でいようと、陰ながらずっと応援していたのだ。
私の見立て通り、ユルゲンさんはあっという間に天才魔導具技師として頭角を現すようになり、その途端、ユルゲンさんのことを冷笑していた人たちも、手のひらを返して賞賛するようになったけれど。
「ボクが心が折れずに魔導具の開発を頑張れたのは、ひとえにヒルデ様のお陰です。いつかきっと、ちゃんとお礼を言いたいと思っていました。――本当に、ありがとうございました」
「……ユルゲンさん」
今度はユルゲンさんが、私に深く頭を下げられた。
「うふふ、では今回の件で、おあいこということにしましょう」
「フフ、そうですね。――ところでヒルデ様」
「はい?」
ユルゲンさんがいつになく、真剣な顔になった。
いつも飄々とされているユルゲンさんのこんなお顔、初めて見たわ――。
そのあまりのギャップに、思わず私の胸がトクンと一つ跳ねる。
「ヒルデ様とドミニク様との婚約は、破棄されるのですよね?」
「え、ええ、近いうちに、そうなると思います」
それが、何か……?
「では、正式に破棄されましたら、その時はあなた様を、食事にお誘いしたいのですか、よろしいでしょうか?」
「――!」
ユルゲンさんは春の木漏れ日みたいな、柔らかい笑顔を浮かべた。
……ユルゲンさん。
「――はい、喜んで。楽しみにしておりますわ」
「やった! 美味しいパエリアを出す店を知ってるんです。是非一度、ヒルデ様にも食べていただきたいと思ってたんです」
「まあ、パエリア大好きです、私も」
夜空に浮かぶ満月だけが、「お安くないぜ」とでも言いたげな顔で、私たちを見ていた――。
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