2話:揺らぎ始める平穏
早朝の穏やかな空気に包まれたギルドに職員の声が響く。
「北区域、緊急クエスト発令」
「小規模スタンピードの発生を確認」
「住民の避難を最優先」
「通常クエストは全て凍結。該当者は直ちに対応に移れ!」
(まじか、帰還したばかりで、まだ朝飯にありつけてないんだが)
「北区域か……小規模ってことだし、そこまで危険度は高くなさそうだ」
受付の空気は少しざわついていたが、横目で食堂を見ると女将さんはいつもと同じように落ち着いていた。
「避難誘導なら職員とワーカーで事足りるし、それよりも朝飯が先だな」
他人事のように聞き流し、水の入ったコップを手にすると椅子に腰を下ろした。
すると、カウンターから出てきた女将さんが近寄り、目の前に一つの袋が置かれた。
「? 俺が頼んだのは定食なんだけど……」
「ああ、だったんだけどね」
「だったんだけどねって……まさか!」
勢いよく受付に視線を向けると、そこには満面の笑みで手を振る受付嬢の姿があった。
(お前は鬼か!……いや、魔王に昇格だ!!おめでとう、こんちくしょうが!!)
「なんかごめんね。群れが南下するようだからってね、あの子がね、「あんたにっ」て」
(女将さん、あんたは悪くない……悪くないんだよ)
「はあ……なるほどワーカーの適性試験か」
「それと住民の避難だね、お仲間の長眼鏡はもう出発したよ」
(避難が優先任務って事か)
「わかったよ。で、袋の中身は?」
「今用意できるのはこのくらいでね、お代はいらないよ頑張ってね」
そう言われ開けてみると、クエスト依頼書と大量のパンの耳が入っていた。
「……せめてバターはつけてくれ」
――――――
街から数十キロ離れた村に派遣されたスカウトの一人、長眼鏡は高台から望遠鏡を覗き込み小さく息を吐く。
この辺りは草原が広がり、薬草採取や小動物の狩りクエストなどが主流のエリアで、広範囲の索敵が必要だった。
(……小さいな、ウサギか?)
数匹のウサギや小動物が草原を駆けていく。
この程度であれば警戒する必要もない、新人でも分かるレベルだ。
だが、その後ろにバッファローが現れた。その逃走経路が同じ方向に向かっていることが、長年の経験によって警戒レベルを引き上げさせた。
(……速いな、方向も同じだ……小規模ではあるんだが)
ただ逃げるだけならば方向が一致することはまれだ、こいつは逃走経路が限定されている可能性がある。
(嫌な予感がする……鳩を飛ばして増援を呼ぶか……)
望遠鏡を少し下げ、北側の茂みを睨みつけた時、背後から多くの馬の蹄の音と共に男の声が響き渡る。
「新人ワーカーは住民と共に南へ避難、民間人が優先だ分かるな!」
クリフは馬から降りると辺りを見回し、住民の避難状況、新人ワーカーの状態を確認し始める。
「長眼鏡はそのまま警戒を続けろ! 小規模だがスタンピードだ油断するな!」
後詰めの冒険者に指示を出し、門の閉鎖やモンスター避けのにおい袋を村の周囲にばらまき始めた。長眼鏡はその指示に小さく頷き再び望遠鏡に視線を通す。
その時だった、北側の茂みが動いたと思うと、草が一斉に揺れ、波のように広がった。
(……来るか!)
姿を見せたのはバッファローの群れだった、群れはやはり同じ方向へと駆け抜けていく。新人ワーカーや住民は胸を撫でおろしたが、クリフと長眼鏡は嫌な予感が的中すると確信する。
「まずいな、複数のモンスターの群れが来てるかもしれん。そっちはどうだ長眼鏡!」
「今のところは問題ありません!」
その緊迫したやり取りをみた新人連中は緊張感を増し、後ろから近づく足音に思わず武器に手をかけ振り向いた。
「……もぐ」
そこにはパンの耳をむさぼりながら、手を振るリードがいた。それを見た長眼鏡は思わず固まる。
(いや……なんで食えるの、この雰囲気の中で)
そのまま足を進めクリフの横に立つと
「もぐもぐ?」
「……はあ、せめて食い終わってから話しな」
呆れながらも、クリフは状況説明を始めた。それでも尚パンの耳に食らいつく姿に苦笑いを浮かべた。
「お前に無理させてるのは分かるんだが……」
もう少し真面目にと続けようとした時にデルヴァ―の一人が声を上げた。
「クリフさん! 新人のワーカーが一人居ません!」
「はあ? 全員避難したんじゃないのか! 長眼鏡!」
「了解! 確認します!」
(おいおいマジかよ、このタイミングで迷子はシャレにならんぜ!)
「どこだ……どこだよ子猫ちゃん……いたっ!いました! エリア外! 南に外れてます!」
同時にモンスターの群れを確認した長眼鏡は血の気を引くのを感じた。
「モンスター確認、グラント・リッパ―です!!」
「くそが、なんでそんなところに居るんだか! スレイヤーはまだか!!」
その声と同時に蹄の音がクリフの横を通り過ぎた。
「もぐっぐ!(親指を立てながら)」
「は?」
馬は瓦礫を駆けのぼると、門を超えて颯爽と駆けだした。
「……喋ろよな、ほんとに」
――――――
適性試験のエリア外で少年はしゃがみ込み、薬草をつまみ上げ目をきらめかせていた。
(……これってレアな薬草だよな?)
ターゲットの薬草は十分に採取してあるし、ギルドの資料じゃ十倍の価値があるって……
高鳴る胸を抑えきれず、思わず辺りを見渡す。
(もう少し先にもあるかも……)
境界線からはそんなに離れてはいない、もう少しぐらいなら大丈夫だよね。
少し進むと、また同じ薬草を見つける。同様にして暫くすると、淡く光るように群生している一角を発見した。
(すごい……こんなに近くにあるなんて)
興奮しながら駆け寄った瞬間―――
ドドドッ!
唸り声と共に、バッファローの群れが目の前を駆け抜けていった。
「うわ!……え?」
驚きの最中に、土と血が混ざり合った匂いが鼻を刺す。
(なんだ……今の……もしかして?)
数歩後ずさり振り向くと、さっきのバッファローと目が合った。その瞬間、心臓が跳ね上がる。声が出ないよう口を押えながら、刺激しないようにゆっくりと離れ始めた。
次第に視界が広がるにつれ、自分の置かれた状況に気が付き始めた。
(……え? なんでここに……)
バッファローは既に絶命して、その体を咥えているものがいた。
影に溶け込む黒い甲殻。
獲物を追い詰める十本の脚。
そして、一瞬で命を狩りつくす四本の大きな鎌。
グラント・リッパ―。
中型ではあるが、スレイヤーですらパーティーを組んで討伐するというモンスターが目の前にいる。
それを理解した少年の呼吸は止まった。
(……うそだろ……こんなところで)
足が震え声も出ない、薬草を握りしめた手が汗ばみ、静寂の中で死を覚悟した。
その時、遠くからの蹄の音が響いた。




