1話:日常の綻び
森の中から小鳥の鳴き声が聞こえ始め、ウサギの気配もそっと伝わってくる。そばの草原は、朝日に照らされゆっくりと色鮮やかになっていく。
そこを通る一本の道に何本も刻まれた轍が、行き交う人の多さを物語っていた。早朝というだけあって馬車の姿は見えないが、その道をとぼとぼと歩くフードを被った一人の青年がいた。
「あ~まじで怠い。報酬に騙された感が半端ないわ」
溜息交じりに視線をあげながら、小さく毒づく。その先には城壁に囲まれた町がみえた。
……やけに恨めしく映るな、ほんとに。
疲れた体に鞭を打ち足を進めると、近づくほどに城壁は存在感を増していった。
長年の風雨の跡や戦の傷などが刻まれているが、それでも崩れる気配は微塵もない。
門へと続く道には、すでに数人の往来があった。荷を積んだ商人、簡素な装備の冒険者たち。
朝の冷たい空気の中で、それぞれが淡々と自分の役割をこなしている。
フードの青年も、その流れに混じる様に歩を進めた。
「……ほんと、毎日よく回るもんだ」
小さく毒づく声は誰に届くわけでもなく朝の空に消えて行き、暫くすると門の影が視界を覆った。
城壁に設けられた門は、分厚い木製の扉で閉じられていた。その両脇には、二人の門番が規律正しく立っている。
「毎回思うんだが、あの扉一人じゃ開けられねぇよな……二人でいるのは正解か」
門番たちがこちらに気付き、軽く視線を向けてきた。
「お、リードじゃねえか。今お帰りか」
門番の一人が、気軽そうに軽く手を上げる。その横でもう一人の門番が、半ば呆れたように口を開いた。
「おい、また死にそうな顔してるじゃねえか」
「うるさいよ…元からだっての」
溜息交じりに応じながら懐を探る。
「……あれ?」
「おいおい、またか?」
門番がニヤニヤと笑いながらさらに続けた。
「ギルドカードがないと通せないぞ。最悪、三日ぐらいは外で暮らすことになるな」
「は?そんな制度だったの?」
「今決まった、今朝な」
「ふざけんな―――」そう吐き捨てかけた瞬間、指先に堅いものが触れた。
懐の奥から引き抜いたそれは、紛れもなくギルドカードだった。
「あった、ありましたよ」
「よし、通っていいぞ」
門番はニヤニヤしながら手を振った。
リードは引きつった表情で軽く手を上げて返し、そのまま門へと歩を進める。
分厚い扉の隙間を抜けると、空気の質がわずかに変わった。
(……なんだろな。通っただけなのに、すげぇ負けた気がする)
目の前には、いつもの街の朝が広がっていた。
人の動きと、建物の間を抜ける風がいろんな匂いを運んでくる。
(ふう……ようやく戻ってこれた感じだな)
少々感慨に浸っている間に、その横を重装備の探索者たちが通り過ぎていく。金属のこすれる音と、やけにしっかりとした足取り。
(あれは……デルヴァ―の探索組か)
一方で、自分の装備は軽い。動きやすさを優先した簡素なものだ。
(まあ、俺はスカウトだし。まあ、デルヴァ―向きじゃないよな)
「とりあえず、なんか食っとくか」
腹のあたりを軽く押さえながら、屋台の方に視線を向け歩き始める。
その時横から声が掛かり、視線を向けると見慣れた顔がそこにあった。
「よぉ、戻りか」
「クリフかよ…おう、今戻ったとこだ。ちなみに腹が減って倒れる寸前なんだがな」
腹を押さえながら、ぐったりと肩を落とす。
「夜勤だったのか?」
眉をひそめて、さっと視線を走らせて顔色を確かめる。
「報酬に目が眩んだ結果だな」
苦笑しつつ首を回した。
「で、今は?」
「後悔してるよ。……はぁ、あの時ちゃんと内容確認しときゃよかったわ」
肩を落としながら、心底うんざりした声で言う。そして、クリフは肩をすくめると、少しだけ真面目な顔をした。
「そっちの方は大変そうだな。情報交換ついでだ歩きながら話そうぜ。ギルドに行くんだろ?飯もそこで済ませろよ」
半ば押し付けるような誘い方だった。
(まあ、断る理由もねぇか)
「はぁ、解ったよ……で、ダンジョンの方はどうなんだ?」
「相変わらずだ。外ほど派手な変化はねえよ、今んとこな」
「他のデルヴァ―たちは?」
「俺含めて似たようなもんだよ、日に何度も潜って稼ぐだけだ」
クリフはそれだけ言うと、軽く息を吐いた。
二人は足を進めながら、変わり映えしない日常の怠さをそのまま引きずっていた。
(結局、どこもそんなもんか)
その背を追って歩き出す。話をしながら進んでいるうちに、次第にギルドの建物が視界に入ってくる。その建物は重厚なつくりで、城壁と同じく歴史の深さがうかがえた。その前には絶えず人の影が行き交っている。
行き交う人の流れを軽く避けながら、クリフに続いてギルドの扉をくぐる。中からは人のざわめきと、木製の床を踏む音が響いていた。
「んだぁ、今日はやけに人が多いな」
その呟きに反応するように辺りを見回すと、受付付近には依頼書を手にした冒険者たちが集まっていた。
(ああ、ジョブ登録か)
ワーカーから上がった連中が一斉に来る時期だったな、そして別の受付に目を向ける。
「ワーカーもそうだが、スレイヤー試験の受験者も多いみたいだな」
(まあ、俺には縁のない話だが)
幸い報告書を提出する窓口は混んでない、さっさと仕事を終わらせて飯とするか。
「じゃあな、リード」
クリフはそう言うとクエスト受付の方へと歩いて行った。
その背中を見送ると報告窓口に向かう。
ワーカーの列からは「ランクを上げて有名になる」といった希望に満ちた声が断片的に聞こえてくる。
(元気なもんだな……)
一方で、スレイヤー試験の列からは、報酬や依頼の質について現実的な言葉が飛び交っていた。
(まあ、夢と現実ってやつか)
(ランクが上がるってことは、それだけ危険も増えるって事だがな)
「言うだけ野暮ってもんか」
そう呟いて考えを振り払い、報告窓口へと足を進める。
(今回の依頼は夜間の生態調査だったな。本来なら、もっと時間をかけてまとめる類のやつなんだけど……)
(まあ、この時間に来る奴もいないか)
案の定、報告窓口に並ぶ者はいなかった。そこには明るい声で対応する新人らしき受付と、奥で報告書を仕分ける慣れた職員の姿があった。
「お疲れさまでした。報告書をお預かりします」
明るい声と共に、受付嬢は笑顔のまま手際よく書類を受け取った。依頼を振る側の人間らしい慣れた動きで、新人とは思えないほど無駄がない。
「その他に成果の提出はございますか?」
夜間調査を斡旋してきたのはこの人だが、その内容を見ていないのか?
正直なところ単独任務にしては難易度が高かったんだが…
(この笑顔、殴りたくなるな……いや、しないけども)
「いや……まあ、広範囲の移動と調査だとね、これが限界かな」
「なるほど。この短期間で報告を受けられるとは思いませんでした。お見事です」
「はぁ……ありがとうございます」
(あれ?素直に褒められた……前言撤回しておこう)
「あとは、気になる所とかございましたか?」
そう聞かれてもな……自分のエリアでは問題なかったはずだが……
「あっ、そういえば担当外だったんだが、かなり北の方に小型モンスターの群れがいたかな」
「北……ですか?」
「ん、なにか問題でもあるの?」
受付嬢は僅かに表情を曇らせると棚から周辺地図を取り出し、とある場所を指さした。
「今回のワーカーさん達の適性試験ですが、このエリアで行われます」
「……草原エリアだな。薬草採取がメインみたいだけど」
「ええ、本来であれば問題ない範囲です」
彼女はわずかに間を置き、どこか言いにくそうに続けた。
「数日前に依頼した数名から……まだ北側の報告が届いていません」
彼女の不安もわからないわけじゃないが、さすがに距離がありすぎる。
何かに追い立てられない限りは、そうそう問題は起きないだろう。
「まあ、報告がないことにはね。ここで何を言っても始まらないよ」
「そうですね、何かあったらすぐ依頼しますね」
(やっぱ撤回はなしだ……この子、鬼ですわ)
「……まあ、頼もしいスレイヤー連中もいるしね」
会話を切り上げ、何気なくワーカー達へと視線を向ける。その中の一人と偶然にも目が合った、さっきのやり取りが気になっていたのかもしれない。
(不安にさせちまったか? ……まあ、多少の緊張感があったほうが生き残りやすいか)
その少年は一度受付の方に視線を向け、手続きを終えるとこちらへ歩み寄り、緊張した面持ちのまま口を開く。
「あの、スカウトの方ですよね?」
「ああ、そうだけど」
(さっきの話を詳しく聞きにきたのか、将来有望ってとこか)
「へぇ……装備の状態がいい、日頃から手入れしてるね」
(ジョブ的にはデルヴァ―あたりか)
少年は一瞬こちらの装備に視線を走らせ、少し言葉を選ぶように口を開く。
「ええ。その、何と言いますか、スカウトの人って……戦闘は弱―――」
「うぉおおい! 待て待て待てって!」
反射的に手を伸ばし、少年の口を押える。
あたりを見回し、誰も気にしていないのを確認してから手を離した。
「……悪いな、というか言葉を選ぼうか」
引きつった笑顔とこの一言で少年も理解してくれたようだ。軽く咳を一つして仕切りなおす。
「先に言っとくが、スカウトは戦闘職じゃない。だが、戦えない訳じゃないんだよ」
(まあ、スレイヤーと比べると見劣りするかもしれんが……)
「スカウト、デルヴァ―、スレイヤー……それぞれ情報、探索、討伐に特化した職業なんだよ」
少年はこくりと頷いたが、その目はまだ追いついていない。その様子を確認し、静かに続けた。
「でもな、どのジョブでも一番大事なのは同じだ」
「生きて帰ること。情報を持ってな。……それができれば十分だ」
言いながら、リードは少年の胸元を二度軽くノックした。
「ここに刻んどけ」
そのあと、ほんのわずかに表情を緩める。
「今は実感がなくてもいい。いずれ分かる」
その言葉に少年は小さく頷いた。
「はい、頑張ります!」
返事は少しだけ力を帯び、足早にクエストエリアへと向かっていった。
少年の背中を見送り、ギルド内へと視線を戻す。
そういえば、まだ北方面に向かったスカウトたちの報告は来てないな。
(予定より少し遅いか)
「飯でも食ってりゃその内くんだろ」
食堂に向かい、ギルドの定食を注文する。
――その直後だった。ギルドの受付の奥から報告をする職員の声が聞こえる。
「北方面の調査班から伝書鳩が届きました!」
(ようやく報告が来たか、これでしばらくはゆっくり……)
次の瞬間、ギルド内に緊急要請が響いた。
「北区域、緊急クエスト発令」
「小規模スタンピードの発生を確認」
「住民の避難を最優先」
「通常クエストは全て凍結。該当者は直ちに対応に移れ!」




