珍客、現る
翌日は珍しくクロエとトリスタンの双方が非番だった。
かねてから婚約者同士で過ごそうと約束していた通り、二人は公爵邸の秘密基地で顔を突き合わせていた。
床の上に毛足の長いラグを敷き、座卓の上には茶菓子やお茶が並んでいる。
服装はくつろぐためのゆったりとした造りで、互いに侍女や侍従も伴っていない本当の二人きりだ。
「クロエ様。どうして俺が怒っているかわかりますね?」
昨日の出来事を聞いたトリスタンの問いかけに、クッションの上で寝そべっていたクロエは視線を上げた。
クロエの頬に視線を向けたトリスタンは、自分のほうが大怪我をしたような顔をしている。
「そんな怪しい男、王妃に突き出せばよかったのに。こんな傷まで作って……あなたに何かあったら、俺は」
「心配してくれるのかい?可愛い人」
裸足で胡坐をかいたトリスタンの膝に乗り上げるようにして抱き着くと、誤魔化そうとしないでください、と睨まれる。
「ごめんね。あの時は直感的に、生かしたほうが良いと思っただけだ。たぶん、あの男が守りたい誰かのために命乞いをしていたから」
「そんなもの、言い逃れのためならいくらだって、でまかせが言えるでしょう」
「そうだね。でも、父上の密偵でも王妃の裏は取れなかっただろう?あなたの血が付いたシャツも普通に焼却処分されたようだし」
クロエはトリスタンの頭越しに机へ腕を伸ばすと、父から借りてきた密偵たちの報告書を手に取って見せた。
そこには調査の結果、エウラリア王妃に何ら怪しい点がなかったことが記されている。
「今回もリケッツアや王妃がローラン家の滅亡を企んでいるなら、よほど上手く隠しているらしい。私たちの勢力だけで調べきれないなら、リスクをとって他から助力を得るのも手段だ」
「それが、その怪しさ満点の男だと?」
「……一人で先走ったのは悪かったと思っているよ。父上にも怒られた。その上で、密偵に奴を見張ってもらっている。今のところ、私の追跡魔法を排除するつもりはないようだ」
「だからといって信用できないでしょう。まず間違いなく、リケッツアの密偵で王妃の手の者じゃないですか」
「信用できるかできないかはこれから確かめる。ところでトリスタン」
クロエはトリスタンの膝の上でくるりと体勢を変えると、まだ何か言いたげな婚約者の顔を下から覗き込んだ。
「レオノール王女殿下を味方に引き入れたいと思わないか?」
「……はい?」
クロエの問いかけにトリスタンはきょとんとして、たちまち顔をしかめた。
「いや。いやいやいや、どうやって!?それができたら苦労はしませんよ!あんな女、鉱血病の治療さえできなければ何度嬲り殺しても足りないのに!」
「うん、気持ちはわかるけどそういう私怨はひとまず置いておいて。彼女の行動は、どうも不可解な点が多いんだよな。レオノール様は、本当にあなたのことが好きなのかな?」
そう聞かれるとトリスタンは一瞬言葉に詰まった後、気まずそうに視線をそらした。
「それは……俺も正直、疑問に思ったことはあります。あの女、本当は俺のこと嫌いなんじゃないかって」
例えばレオノールはよくトリスタンのことを「トリス」と呼ぶ。
他国では本名を縮めた愛称で呼びあう行為は親愛の証だが、ここはマグノリアだ。
真理の追究を至上命題とするマグノリアの魔術師は、真名の改変を嫌う。
マグノリア人、特に魔術師を、名前をもじった愛称で呼ぶことは大変な無礼に当たるのだ。
ちなみにミラの「ちぃ兄さま」呼びのように、本名と関係のない愛称は問題ない。
「はじめは王女がリケッツア寄りの感性で、愚かだからあんな呼び方をするのかと思っていましたが……」
「レオノール様はきちんとマグノリア流の魔術師教育を履修されている。この国の宮廷で持て囃されているあの方が、知らないはずない」
トリスタンのことを「トリス」と呼ぶたびに、本当はお前のことなど好きではないと主張していたのだとしたら。
レオノールはあの態度を、誰かに強制されていたことになる。
王女である彼女に不本意なことを強いられる人物は、そう多くない。
「王女殿下にも何か事情があるのだとしたら、私はそれが知りたい。あわよくばこちら側についていただきたい」
「……あの女にどんな事情があろうと、俺は反対です。王女のせいで、何度クロエ様が命を落としたことか」
「トリスタン。前に、男は大きなおっぱいが好きなんですよ、ってルイ殿が言ってた話をしただろう?」
「今なんでそんな話を持ち出したんです!?」
真剣にまじめな話をしていましたよね!?と詰め寄るトリスタンをなだめて、クロエは言葉を続けた。
「あのときあなたは、『ミラや義姉上に死ぬほど嫌われるがいい』と言っていたけれど。実際に、ルイ殿の秘密を二人に話した?」
「それは……言っていません。兄の発言は、俺が王女に侍っていたときクロエ様を慰めるためだったのでしょう?言い方に問題はありますけど俺に原因のあった話だし、そもそも今の兄には何の非もないことですから」
「うん。それって、レオノール殿下にも同じことがいえるんじゃないかと思うんだ。時戻し前に彼女は私の治療を拒んだけれど、それは今のレオノール様の罪ではない」
話の流れを察して渋面になるトリスタンの頬に手を添えて、クロエはすまなそうに微笑んだ。
「あなたが私を思って殿下に憤ってくれるのは本当に嬉しいよ。でもね、トリスタン。愛も憎悪も、真実を見極める目を曇らせることがある」
クロエは猫のようにしなやかな動きでトリスタンの膝から降りると、ゆったりとした羽織を脱いで、外出や人に会うとき身に着けるきっちりとした上着を手に取った。
「クロエ様?どちらへ?」
「信用できるかできないかはこれから確かめる、と言ったろう?おいで、トリスタン。二人でおもてなしすべき重要なお客様だ」
昨日仕込んだ追跡魔法の反応と、父の密偵から送られてくる魔法の合図を読み取ったクロエは、不敵な笑みを浮かべてトリスタンに手招きをした。
ローラン公爵邸の桜の大木はすっかり花を落とし、日差しを受けた葉が青々と輝いていた。
その桜の根元に、金髪の男が立っている。
少年と青年の間くらいの年頃で商人風のケープをまとった、一見ただの平民らしき彼は、クロエたちの気配を感じてこちらを振り返る。
「わが家へようこそ、カルロ殿。楽にしてくれたまえ」
「お招きどうも。密偵疑惑のある胡散臭い男を屋敷に招き入れるなんて、大胆なお嬢さんやな」
「お褒めにあずかり光栄だが、敵地のど真ん中のような場所へ堂々とやってくるあなたほどではないさ」
クロエは近くの東屋へカルロを案内すると、トリスタンと三人で席につき、防音の魔法を巡らせた。
「信じてもらえるかはわからないが、ここには私たち三人だけで、余人の耳はない。早速話を聞きたいところだが、まずは改めてあなたの……あなた様のお名前を伺ってもよろしくて?」
途中でお嬢様言葉に切り替えたクロエの様子に、「もう半分察しとるやん」とカルロが苦笑した。
「そう言われても、俺は昨日、あんまり嘘ついておらんのやけどなぁ。とある国の王子さまだってゆうたやろ?」
そこでカルロは居住まいを正して背筋を伸ばした。
そうしていると、くたびれた商人服をまとっていても気品がにじむ。
「俺の生まれついての名は、リュシアン。十歳までレオノールの影武者として生き、母方の伯父の元で密偵として鍛えられた」
驚愕の出生を語ったカルロは、トリスタンのほうを見てにやりと笑った。
「初めましてと言うべきか、久しぶりと言うべきか。レオノールとしてあんたに会ったこともあるんやで、お坊ちゃん」
カルロは端正な顔立ちに金髪の癖毛、青い瞳の垂れ目をしている。
男女の違いこそあるが、どれも王妃エウラリアを彷彿とさせる要素だ。
彼はクロエたちが知る王太子リュシアンよりも、よほどレオノールの双子の兄として説得力のある姿をしていた。
なんとなくカルロの正体を察していたクロエとは反対に、トリスタンは目に見えて驚愕していた。「えっ?」「は?」と戸惑いの声を何度か漏らした後、正面からカルロを睨みつける。
「嘘だ!もしもお前が本当にレオノール王女の双子の兄なのだとしたら、王太子殿下はどうなる!?あのお方こそジェラール陛下に生き写しなのに!」
「多分だけど、あのお方の実母はアンリエット様ではないかな」
昨日から自分なりに考えていた考察をクロエが口にすると、トリスタンが振り返った。
「ジェラール陛下の、元の婚約者様……?」
「そう。王家とも血縁の、セギュール公爵家のお方。エウラリア王妃よりよほど、ジェラール陛下に似た子を産む可能性が高いと思わないか?」
「だとしたら、どうしてわざわざ本物の王子と入れ替えるような真似を?実子を国王にするチャンスを、あの強欲な王妃が棒に振るなんて」
「そのあたりの事情を知っていそうな人が目の前にいるじゃないか」
クロエが水を向けると、カルロは皮肉気に笑った。
「まともに考えたら坊ちゃんの疑問はもっともだと思うで。けどな、あのクソババアは国母なんていう制約の多い地位で、満足する女やない。ババアの目的は、時戻しの魔法だよ」
そう前置きして、カルロは自らの出生の秘密と王妃の陰謀について静かに語り始めた。
カルロがレオノールの秘密の恋人的な立ち位置だと思わせることができていたら、作者冥利に尽きます。実はお兄ちゃんだったんやで!
影の護衛×お姫様も嫌いじゃないですけどね。
あと、何話か前のあとがきにギャグのふりして仕込んでおいた愛称の話。
当たり前すぎる前提なので本編には書きませんでしたが、名前を略した愛称でなくても、呼ばれた本人が嫌がっていたり侮蔑の意図があったら当然NGです。
まとめると、
×トリス
〇ちぃ兄さま
△マジメガネ君(お互いに親愛の表れだという認識があればOK)
って感じですね。トリスタンは元ネタのアーサーと違って眼鏡かけてないけど。




