密偵と王妃
王女襲撃事件から数日がたった現在も、城内はどこかピリピリとした空気が漂っていた。
「ねぇ、聞いた?レオノール様が城下で襲われた話」
「聞いた聞いた。お忍びで治安の悪いリケッツア街に出ていたんでしょう?言っちゃぁなんだけど、王女殿下ともあろう方が浅慮よねぇ……」
「さすがに王妃様に怒られて、その後は大荒れで姫様付きの子たちは大変だったらしいわよ」
「大荒れって?なにしたの、あの王女様」
「癇癪を起してメイドに当たり散らして、陶器とか投げつけられた子もいるって」
「うわ、最悪。私たち、王族付きじゃなくてよかったぁ」
裕福な平民や下級貴族の令嬢が多い城勤めのメイドたちがそんな噂話をしていると、中年の侍女頭が目くじらを立ててやって来る。
「あなたたち、無駄話をしている場合ですか?」
「ひぇっ、すみません!」
城の使用人まで険悪な空気を察している中、まるで無頓着な様子でレオノールは今日もトリスタンにまとわりついていた。
「ねぇねぇトリス、わたくしと一緒にお茶しましょ」
「しません」
「いいじゃなぁい。この間の襲撃事件、誰かさんが未然に防いでくれなかったおかげで、お城から出られなくて退屈なの」
「そもそも普通の姫は頻繁にお忍びなどしません。自業自得です」
「えー、けち」
数少ない公務から逃げ出し城内を歩くレオノールと、鬱陶しそうにそれを跳ねのけるトリスタンの攻防を、すれ違う人々が何事かと振り返る。
(毎度毎度、飽きもせずよくやるものだ)
悲しみとか苛立ちを通り越して達観した心境になりながらも、さて今度はどうやってトリスタンに助け舟を出そうか、とクロエが考えた時だった、
「レオノール!」
前方から怒りに満ちた若者の声がして、三人は足を止めた。
廊下の反対側から、怒りを滲ませたリュシアンがやってくるところだった。
「王太子殿下」
クロエとトリスタンが跪拝しようとするのを鷹揚に止めたリュシアンは、一転して妹には厳しい視線を向けた。
「聞いたぞ。今日はローラン旗下の貴族家を招いたサロンのはずだろう!警護の者に迷惑をかけて、すっぽかすなど何を考えている!」
大多数の臣下に対しては物腰柔らかで優しいリュシアンが、レオノールには蔑みの目で睨みつける。
「あら、本日は体調が優れないので欠席しますと連絡しておいたはずですわ。お母様の許可も得ていてよ?」
「ならばなぜ、病人のはずのお前が出歩いている?王女ともあろう者が堂々と仮病を使うなど、恥を知れ。いつまで病弱だと甘やかされていた幼児のつもりでいる気だ?」
突如始まった兄妹喧嘩に、使用人たちが遠目にこちらを窺っている。
とはいえ格上の王子と王女の話に割って入るほどの騒ぎではなく、クロエも成り行きを見守ることしかできない。
「本来ならばローラン家こそが我々の主君でもおかしくないのだぞ。その一族をないがしろにするなど、お前も母上もまるで自覚が足りていない」
「なら、王太子殿下がサロンに出席すればよろしいのではなくて?」
「私は父上の補佐で忙しい。無駄に着飾って茶菓子を貪り気儘に振舞っていれば済むお前とは違ってな。まったく、お前のようなふしだらな娘が双子の妹だなんて、人生の汚点だ」
吐き捨てるようなリュシアンの言い草に、とうとうレオノールも声を荒げた。
「……何よ、何も知らないくせに、偉そうに。私だってあんたなんか、兄だと思ったことは一度もないわ!」
「何だと!?」
「リュシアン様!」
殴りかからんばかりの勢いでリュシアンが詰め寄ろうとするのを、トリスタンが制止した。その隙をついて、レオノールがくるりと踵を返し走り出す。
「レオノール殿下!」
「あなたの手を煩わせることはない、ローラン公爵令嬢」
とっさに王女を追いかけようとしたクロエを、リュシアンが止める。
「あんな事件があったとはいえここは城内で、そもそもレオノールに恨みを抱いた下手人も全員捕らえられている。滅多なことは起こるまいよ」
そう言って自分の側仕えにレオノールを連れ戻すように命じようとしたが、すぐに考え直したようだった。
「いや、君たちが護衛中に何かあればそれこそ母に攻撃材料を与えてしまうか。呼び止めてすまなかった」
「いいえ。御前、失礼いたします」
クロエとトリスタンはリュシアンに一礼してレオノールの後を追った。
王女は王族の居住区へと戻っていったようで、トリスタンと手分けするために分かれる。
クロエが担当したのは庭に通じる道筋で、進むごとに朧げな幼いころの記憶が蘇って来た。
(ここは……昔、父上に連れられてきたことがある。レオノール殿下と初めて会った庭に続く道だ)
レオノールの友人候補として最初に登城したのは五つか六つのころだったろうか。
飢饉の影響で、クロエと同年代の国民は貴族も平民も少ない傾向にある。
トリスタンやごく僅かな親族を除けば、年の近い子供とあまり触れあったことのなかったクロエは柄にもなく緊張していた。
――お前、わたくしのお友達にしてやってもよろしくてよ!
つんとおすまし顔で、でもどこか楽しそうに言っていた、幼いレオノール。
初めてできた親戚ではないお友達が、あのときクロエは間違いなく嬉しかった。
そんな思い出に浸っていたせいだろうか。
中庭に面した渡り廊下を進んでいたクロエは、死角から飛び出した何者かと危うく正面衝突しそうになった。
「失礼……いや貴様、何者だ!?」
無礼を詫びてすれ違いかけ、すぐさま違和感を覚えてその男を追いかける。
埃っぽいもじゃもじゃの金髪、くたびれた貫頭衣に商人が好むようなケープを合わせた格好は、どう好意的に見ても城の勤め人には見えない。
すかさず魔力鞭を男の足に引っ掛けると、不審者は「あぎゃっ!」とうめき声をあげて地面の上に倒れた。
起き上がれないように手足を魔法の土で固めて拘束し、男の様子を観察する。
こちらの敵意を削ぐような垂れ目が印象的な男は、意外に若く整った顔立ちをしているが、そんなことで尋問の手を緩めるクロエではない。
「ここで何をしていた?」
「ひ、ひぇ、堪忍やで、魔法使い様。俺はしがないリケッツア商人や。そのぉ、お城が珍しいものでうろうろしとったら、迷い込んでしもうて」
「ここをどこだと心得る?一般人がうっかり迷い込むような場所ではないはずだ」
行政区の下層では使用人向けに市が開かれているので、城の敷地内にリケッツア商人がいること自体は不思議ではない。
が、警備が厳重な王族の居住区へひょっこり迷い込むなどありえない話で、クロエは不信感いっぱいに自称商人を見下ろした。
そして不意に、既視感を覚える。
「待て。貴様、どこかで会ったことがあるか……?」
先日訪れたリケッツア街ですれ違いでもしたのだろうか。胸の内で首をかしげるクロエに対して、男はにんまりと笑った。
「おっと、気づいてしもうた?俺たちが前世からの恋人同士だってことに!さぁお嬢さん、この手を取って目くるめく愛の旅に」
「貴様、己の状況が分かっているのか?」
クロエが冷め切った眼をして男の胸元を踏みつけると、ぐぇと潰れたうめき声が漏れた。
「いやぁ、こんなんちょっとしたお茶目やん?魔法使い様のような別嬪さん、とりあえず口説くのが通商連合国男児の嗜みやで?」
「随分と軽薄なお国柄だな。そのよく回る口でどこの手の者か吐いてもらおうか?」
「あぁー!吐きます、吐きます!だからその鞭みたいなの、尖らせるのやめて!刺そうとしないで!俺の名前はカルロ!」
男の名乗りにクロエは眉をしかめた。
都市国家リケッツアの前身は、統一帝国レガリア最大の商業都市だ。
リケッツアは現在のレガリアとも文化的に近しく、初代騎士王カルロス・ド・エスペランサ・レガリアにあやかった名前「カルロ」は両国で人気がある。
つまり、ありきたりすぎて大変胡散臭い。
「貴様、リケッツアの密偵だな?」
「お嬢さん、人を第一印象で決めつけるのはよくないで?ちょっとリケッツア訛りで、連合によくある名前で、うっかり王族エリアに迷い込んだだけやんか!差別や!」
「それだけ怪しい要素が満載なら疑われて当然だろう。一応聞いてやる、貴様の正体は何者だ?」
「あのな、実は俺……さる王国の王子様やねん。だから拘束を解いてくれないと国際問題になるかもなぁ」
「なるほど。そんなに死に急ぎたいか」
「ま、ままま待ってぇ!!!こんな美青年をぶっ殺すとか世界の損失やでぇ!!?」
「生憎だが私は自分の婚約者が世界で一番美しいと思っている。安心して、洗いざらいしゃべって始末されるといい。とりあえず親指からいこうか」
クロエがにっこり笑って、剣のように形を変えた魔力鞭を振りかぶった時だ。
行政区のほうから華やかな笑い声が響き、カルロがさぁっと青ざめた。
「……まずい、王妃が来る」
「王妃陛下が?なぜわかる?」
「説明しとる暇がない!頼む、見逃してくれ!」
「は?」
見逃すわけがないだろう、と拘束を強めるクロエに、カルロは小声ながら必死に懇願を始めた。
「あの女にこの状況を見られたら俺は殺される!今、死ぬわけにはいかんのや。俺が殺されたら、唯一の味方を失ったら、あいつの心も死んでしまう!」
クロエの尋問を受けていた時はへらへらしていたカルロが、真剣そのものの顔をしていた。
「どうしても助けたい奴がおるんや。そのあとなら、俺はどうなっても構わないから、お願いします……!」
それを聞いたクロエは舌打ち一つすると、カルロのケープに素早く魔方式を刻んで拘束を解いた。
「いかにも何か知っていそう」とか「生かした方が役に立ちそう」だとか、もっともらしい理由を後付けすることはできたけれども、その時はどうしてそんな行動をとったのか、自分でもわからなかった。
「これは追跡の魔法だ。外せば敵対したとみなし、次に視界に入ったとき殺す。……行け」
聞き入れられるとは思っていなかったのか、カルロは大きく目を見開き、軽やかな身のこなしで起き上がった。
「ありがとう。必ず、恩に報います」
それだけ言うと、謎の男カルロは風のように立ち去った。
クロエが身体強化の魔法を使っても追いつけるかどうかという速さで飛び上がったかと思うと、庭のどこへ紛れ込んだのやらあっという間にわからなくなった。
鮮やかな逃走の手際にクロエが驚いている間にも、複数の女性が笑いさざめく声がこちらに近づいてくる。
振り返ってみれば、派閥の貴婦人や令嬢たちを付き人のように従えたエウラリア王妃だった。
クロエは
(本当に王妃陛下が来た)
と内心で驚きながら、廊下の隅に退いて膝をつき、頭を垂れた。
王妃一行はクロエの事など見えていないかのようにひそひそ、くすくすと声を立てて歩いてきたが、いざ目の前にやってくるとぴたりと足を止めた。
「わらわの大切な庭に、躾のなっていない雌犬が紛れ込んでいるわ。皆の者、ご覧なさい?掘り返されて、ひどい有様」
伏せた視界の端で王妃の扇が優雅に揺れ動き、先ほどまでカルロを拘束していた地面の跡を指す。
拘束を解いたとき平らに均して誤魔化したが、周囲の土と比べて色が変わってしまっているのはどうしようもない。
「まぁ」「なんてひどい」と王妃の取り巻きたちが口々に言うのを頭上に聞き、クロエは謝罪を口にしようとする。
その瞬間、細く硬い扇の骨で容赦なく頬を打たれた。
「っ、申し訳、ございません、王妃陛下」
「おや、おやおや。ほんに、無礼だこと。誰が口を利くことを許したの?ローラン家の雌犬」
王妃の閉じた扇の先が嬲るようにクロエの頬をなぞり、頤を持ち上げる。
無理やり上を向かされた視線の先には、美しい女がいた。
複雑に結い上げられ解れ一つない豪奢な金の巻き毛。
純度の高いサファイアのような瞳と、目元を縁取る長い睫。
ふっくらした赤い唇に、陶器のように滑らかで白い肌。
とても二児の母には見えない若々しさと、凄艶な美貌を併せ持つ王妃、エウラリア。
色っぽく垂れた目元が特にレオノールとよく似ており、じっとりとした憎悪の瞳でクロエを見下ろしていた。
あまり接点のない王妃からここまで憎まれる理由がわからず気圧されそうになるが、ぐっと堪えてまっすぐ見つめ返す。
するとエウラリアは扇をクロエの顎から離し、無造作に放り投げた。
「汚らわしい犬に触れたからもう使えないわ。処分して頂戴」
金銀が惜しみなく使われた精緻な細工物の扇が地面に落ちると、令嬢たちが我先にと群がって奪い合った。貴婦人たちは参加こそしないものの、物欲しそうな目で見つめている。
なかなか醜悪な場面だが、クロエは取り巻きたちを冷ややかな目で見る王妃のほうに怖気がした。
異様な光景にクロエは声も出せず、王妃たちがその場を立ち去るまで動けなかった。
……あのね、正直に言うね。
作者はトリスタンよりもカルロのほうが人気出るだろうなって予想している。
クロエ助けるために命を投げ出したのにクソ男ムーブさせられた挙句、人気までかっさらわれるとしたら本気で涙目だね!
だ、大丈夫、クロエはトリスタン一筋だよ!!
そもそもトリスタンはヒーローというよりヒロイン枠だから!!!
クソ婚約者と健気ヒロインを両立できる稀有な男、トリスタン氏をよろしくお願いします!(フォローになってない)




