リュシアン王太子
食堂で適当に夕飯を済ませたクロエは、灯火の魔道具を片手に今日も王城の書庫へと足を運んだ。
魔法技術の最先端を行くマグノリア魔法王国、知識の中枢たる書庫は広大だ。
王族の居住区と行政区を合わせたほどの敷地を持つ堅牢な建物は、装飾性よりも実用性に重きを置いた造りになっている。
レガリア騎士王国の王宮附属図書室、スノーレイク神聖王国の王立図書館と肩を並べる、大陸三大図書館の一つだ。
歴史ではレガリアに、収集分野の多彩さではスノーレイクに及ばないものの、蔵書数では間違いなく大陸一を誇る。
クロエは貴族なら誰でも利用できる一階開架を通り過ぎ、二階へ続く魔法門に近衛の身分証をかざした。
門を閉鎖している金属の茨が音もなく退き、クロエが通過するとまた塞がれる。
初回はちょっぴりドキドキしたが今はもう慣れたもので、クロエは目星をつけておいた書棚へと足を運んだ。
昼間は多くの文官が詰めかけたと思われる館内も今は閑散としていて、特に身分証が必要な二階より上は、クロエの見える範囲に他の利用者の姿はない。
当直の司書が排架のために書棚を行き来する姿が見えるくらいだ。
クロエは目当ての書籍を手に取って、奥まった場所にある書見台の前に腰かけた。
今日は血統魔法に関する資料から当たってみることにした。
(王家の血統魔法については……うちの蔵書よりは詳しいけれど、やはり核心的な情報はないな)
読み進めながら、クロエはなかなか目当ての情報が見つからないことに肩を落とした。
そもそも血統魔法とは何か。
雑にまとめてしまえば、「人間を生きた魔道具にすること」である。
人体という複雑で繊細な有機体に術式を刻むことで、通常の魔術では成し得ない大規模かつ精密な魔法を発動できる。
現代の魔法王国すら凌駕する高度な魔法文明を築いていた大陸統一国家、レガリア帝国時代の技術だ。
人体に魔法式を刻む方法があまりに非人道的であったことから、魔女マグノリアは新たな血統魔法の研究開発を禁じ、現在では失われた技術となった。
時代の流れのうちに血統魔法は途絶えていき、現在ではローラン公爵家とルフェーブル王家しか残っていないとされている。
(そういえば始祖マグノリアは元々、レガリア帝国の実験台として管理されていた名もなき被検体の一人だった、という説があったな)
クロエは自分の濃紺色の髪を一房掬い取って、まじまじと見つめた。マグノリアはクロエよりトリスタンに近い、鮮やかな青髪だったという。
ふと、昔読んだ与太話の一節も思い出す。
(人類にはもともと、青や緑や紫の髪色は存在しなかった。強い魔力を持つ魔法使いにこのような色合いの髪が多いのは、帝国による肉体改造で高い魔力を持たされた実験台を識別するためだった)
十中八九、きっと作り話のはずなのに、マグノリア被検体説と併せて考えると何となく笑い飛ばせなかった。
(いずれにしても、次期ローラン公爵としては肯定できない話だ)
クロエは浮かんだ考えを追い払うように首を振って、本を閉じた。
「やぁ、ローラン公爵令嬢。少し話をしてもいいだろうか」
そんな時、クロエに声をかける者がいた。若い男の声に振り返ったクロエは、驚きに目を見張った。
「これは、リュシアン王太子殿下」
立っていたのはジェラール王によく似たエメラルドブロンドの、凛々しい王子だった。クロエが礼をとるため立ち上がろうとするのを、リュシアンは引き止める。
「読書中のそなたを邪魔したのはこちらだ、楽にしていてくれたまえ。私はただ、謝罪と礼を言いたくて」
「謝罪とお礼、ですか……?」
実のところクロエは、ほとんどこの王子様とまともに話をしたことがない。
公式行事であいさつするほかは、夜会などで遠目に見かけるくらいだ。
ローラン公爵の一族とルフェーブル王家の間に婚姻が結ばれることはないため、万一にも恋情を抱かないようにするためだ。
これはクロエだけではなく、父のシリルもジェラール王とは旧知の間柄だが、王妹殿下とは最低限の交流だったと聞いている。
司書や王太子側近の姿はあるものの、二人きりに近い状況で親しくされるのは初めてのこと。
話しかけられる理由に心当たりがなく、きょとんとしているクロエにリュシアンは苦笑した。
「妹のことだよ。今日に限った話ではないが、レオノールが迷惑をかけた。申し訳ない。妹を助けてくれて、ありがとう」
「もったいないお言葉です。近衛として当然のことをしたまでです」
クロエの代わりに交流を持っているトリスタンが褒める通り、リュシアンは礼儀正しく紳士的だった。
「ローラン公爵令嬢は心が広いな。レオノールにも見習ってほしいものだ」
そんなリュシアンも、妹のことを語るときは僅かに表情が歪む。
「知っての通り、我々双子は生まれたての頃、体が弱かったらしくてね」
「ええ、聞いたことがあります。本当なら生後半年ほどで行われるお披露目も、ずいぶん延期されたとか」
「ああ。母上の我儘で、二歳間近になってやっと臣民に披露されたのだよ。幸いにも私は父上に養育していただけたが……レオノールは母上に甘やかされ放題の幼児のまま、横暴に育ってしまった」
両親が各々の派閥を推すせいで、お互い十六にもなるのにまだ婚約者すら決まっていない、と嘆くリュシアン。
「婚約者がかわいそうだから、レオノールは修道院にでも入るほうがいいかもしれないが……すまない。謝罪に来たのに愚痴を言ってしまったね」
「いいえ、ローラン家は王家の婚姻に関して中立ですから、愚痴くらいは聞きますよ」
王子と王女の婚約が決まらないせいで、他家ではなかなか同年代の令息令嬢の婚約が進んでいない。
一方で、王家と婚姻が結べないうえに血族間結婚が推奨されているクロエたち一族はお気楽なものだ。
(そういえばレオノール殿下は、仮にトリスタンを口説き落としたとして、その後どうするつもりなのだろうな。トリスタンとの婚姻が許されるわけがないのに)
クロエが考えていると、「邪魔してすまなかった」とリュシアンがもう一度頭を下げ、颯爽と立ち去って行った。
一方そのころ、レオノールの自室では。
窓には分厚いカーテンがかけられ、僅かな灯火の魔道具が照らす薄闇の中、部屋の主はベッドの上にいた。
豪華な調度品は倒れ、打ち捨てられて、床に散乱している割れた茶器や花瓶まである。
それらを片付けるべきメイドも、王女付きの侍女も部屋から追い出され、レオノールはただ一人膝を抱えてぼんやりとしていた。
「おー、おー、これはまた、派手にやったなぁ。大丈夫か、レオノール?」
否、レオノール以外は誰もいないはずの室内に、リケッツア訛りの男の声が響く。
軽薄だが案じるような声音を聞いて、レオノールは顔を上げた。いつの間にか傍らに落ちていた薬の小瓶を、命綱みたいに握りしめる。
「カルロ。どうしてなの?なんでこう、何もかもうまくいかないのよ!」
「いやぁ、ストレスがハンパないのはわかるけどな。正直、無法地帯に入り浸りはどうかと思うで?そういう意味では俺、ローラン家のやり方は意外やけど悪くないと思う」
「あんた、どっちの味方なのよ」
「そりゃぁもちろん、かわいいレオノールちゃんの味方やで。自分らが護衛に成り代わるなら、ちゃんと守れや、とも思うし」
カルロと呼ばれた男が憤るのを聞いて、レオノールは目を瞬いた。
「……ひょっとして今日の襲撃、カルロも助けてくれた?」
「まぁな。それが俺の今の仕事やし。あの二人は一流の魔術師やけど、護衛としてはまだまだやな」
「それは仕方ないんじゃない?要人警護の訓練なんて受けていないだろうし」
クロエたちを庇うようなセリフを聞いて、カルロは皮肉気に口の端を引き上げた。
「レオノール、お前さん、ホントはクロエお嬢さんの事結構好きやろ?」
その指摘に、レオノールは暗闇の中で目を見張った。かっと羞恥で頬が赤くなるのを自覚しながら、男を怒鳴りつける。
「な、何言ってんのよ、そんなわけないでしょ、あんな女!大嫌いよ!!」
「えー。お姫様抱っこされたときとか、暴漢から守ってもらったときとか、満更でもなさそうに見えたけど?」
「う、る、さ、い!馬鹿カルロ!!嫌いだって言ってるでしょ!」
虚空に向かって叫んでから、レオノールは抱えた膝に顔を埋めた。
「あんな奴、大嫌いなんだから!昔は何度でも私に歯向かって来て、なんでも、言えたのに。急に取り澄ましちゃって、大嫌い……」
嫌いと自分に言い聞かせるレオノールに、カルロは「せやな」と慰めるみたいな相槌を打った。
「なのにあの子、なんで今更近づいてくるのよ。あの頃みたいに戻れるはず、ないのに。今更私とかかわったって、傷つくだけなのに」
「いや、婚約者にほかの女がベタベタしとったら牽制に行くのは普通やと思うで?」
「牽制……?どちらかというと、私が口説かれていた印象のほうが強いけど……」
「せやな……牽制って、なんやっけ……?」
二人して牽制の定義にしばし困惑した後、レオノールはため息交じりに顔を上げた。
「それよりも、あの二人の態度の急変。たぶん、時戻しを使ったのよね?ローラン家の秘術を使うような事態が、今後起こるってこと……?」
「せやろな。クソババアに知られたら厄介な……いや、俺らが簡単に推測できるようなこと、とっくに気づくか。だから荒れとんのか」
カルロは憂鬱そうに長い息を吐き、レオノールに呼び掛けた。
「とにかく、あんなことが起こった後や。しばらくは城で大人しくしとき」
「わかってるけど、ローラン家の奴らが何を知ったのか、調べなきゃ」
「それはこの頼れるオニーサンに任せて、お前はリシャールの次男坊でも口説くふりで時間を稼ぐんや」
「……うん」
不本意そうにしながらもレオノールが頷いたので、カルロは「いい子や」と笑い、気配を消した。
レオノールはリュシアンやトリスタンが思っているほど愚かではなさそうですが、果たしてそれが吉と出るか凶と出るか。




