第9話 二度としない!
その翌週の日曜日
昼飯を食べ終えた俺は、テレビの前で『私!ツインテールになります!』の最新話を見ていた
今季いちばん楽しみにしている美少女変身バトルものだ
タイトルから分かる通り、ツインテールへのこだわりが異常に強い
変身する
戦う
必殺技を撃つ
そのたびに髪がこれでもかと揺れる
作っている側にも相当好きな人がいると思う
「慎太郎」
ソファの反対側から声が飛んできた
「はい?」
「これ、毎週見てるよね」
「見てますよ」
美冬さんは枝豆を摘まみながら画面を見る
休日なので、当然のようにテーブルには缶ビールもあった
「この赤い子が主人公?」
「そうです」
「青い子の方が強くない?」
「現時点ではそうかもしれませんけど、主人公には主人公の良さがあるんですよ」
「へえ」
絶対分かっていない返事だった
それでもチャンネルを変えろとは言わず、隣で普通に付き合ってくれている
画面の中では赤髪の主人公が大きく回転し、長いツインテールを広げながら敵へ突っ込んでいった
俺はそのまま数秒見て――横へ視線を移す
美冬さんの亜麻色の髪は、今日は何もせず下ろしたまま
長さは十分ある
画面へ戻る
もう一度、美冬さんを見る
「慎太郎」
「はい」
「さっきから何?」
バレた
「美冬さん、髪長いですよね」
「うん」
「ツインテール――」
「嫌」
早い
最後まで言わせてもらえなかった
「まだ何も頼んでないですよ」
「頼もうとしたでしょ」
「ちょっと見てみたいなとは」
「いーや!」
美冬さんは枝豆を一つ口へ放り込む
迷いがない
「似合うと思うんですけど」
「私、二十八なんだけど?」
「知ってます」
「二十八歳の営業部長に何させようとしてるの」
「家の中なら営業部長関係なくないです?」
「慎太郎に見られるじゃない」
「俺が見たいんですよ」
「だから恥ずかしいの」
そこまで言われると押せない
本当に嫌がっているものを無理にやってもらいたいわけではない
「分かりました」
「諦めた?」
「はい」
俺がテレビへ視線を戻すと、美冬さんが少しだけこっちを見た
「……そんな素直に引くんだ」
「嫌って言われましたから」
「ふーん」
今度は何だ
聞こうとしたところで、画面ではちょうど戦闘が一番盛り上がる場面に入った
俺はそちらへ意識を戻す
隣から缶を置く音がしたものの、それ以上ツインテールの話が続くことはなかった
◇
六日後の土曜日
朝食の味噌汁を作っていると、寝室から呼ばれた
「慎太郎、ちょっと来て」
「今火使ってるんで、少し待ってください」
「じゃあ待つ」
珍しく素直だった
火を止めてから寝室へ向かう
「どうしました?」
ドアを開けたところで、足が止まった
鏡台の前に美冬さんが座っている
部屋着も顔もいつもと同じ
髪だけが違った
亜麻色の長い髪を左右に分け、高い位置で二つに結んでいる
「…………」
「何か言って」
「ちょっと待ってください」
「何を?」
「今、ちゃんと見てます」
「見れば分かるでしょ」
分かる
ものすごく分かる
先週、たぶん似合うだろうくらいの気持ちで頼んだ
実物は想像とだいぶ違った
もちろん、悪い方ではない
「美冬さん」
「うん」
「すごく似合います」
鏡越しに目が合う
普段より髪が顔の横へ集まるせいか、いつもよりずっと若く見えた
会社でスーツを着て部下へ指示を出している水口部長とは、かなり遠い
「……ほんとに?」
「はい」
気づけば、さっきより一歩近づいている
左右の髪が肩の外側へ流れ、身体を動かすたびに揺れる
「慎太郎、近い」
「すみません」
一歩下がった
すぐ詰めてしまった自覚がなかった
美冬さんが鏡越しに俺を見る
「そんなに?」
「思ってたよりかなり」
「何それ」
「俺にも上手く説明できません」
美冬さんが片方の髪を指で持ち上げた
それだけでまた目が行く
「触る?」
「いいんですか?」
「髪だけね」
「もちろんです」
手に取る
いつも触れている髪と同じはずなのに、束になっているだけで妙に違う
指から離すと、髪が軽く跳ねて肩へ戻った
「……いいですね」
「慎太郎、ちょっと怖い」
「すみませんちょっとそのツインテールで往復ビンタをしてくれませんか?こうバシッバシッと!」
「し、慎太郎?」
「あ、いや、すいません錯乱しました」
「本当に好きなのね……」
「美冬さんが似合い過ぎてて」
「ありがとう……でいいのかしら?あと、外にはこの髪で出ないからね」
「分かりました」
「今日だけだからね?」
「はい」
「もう頼まないのよ?」
少しだけ間が空いた
美冬さんの眉が上がる
「慎太郎?」
「……努力……します」
「血反吐はきそうになってるわよ」
無理な約束はできなかった
◇
朝食の時点で、すでに困った
向かい側に美冬さんが座っている
ただそれだけなのに、味噌汁へ手を伸ばすたびに髪が揺れる
俺の視線も動く
「慎太郎」
「はい」
「さっきから全然食べてない」
茶碗を見る
確かに減っていない
「食べてますよ」
「その一口、ずっと持ってるよ」
箸の先には卵焼き
持ち上げたまま止まっていたらしい
「……すみません」
「そんなに見る?」
「見ますね」
「開き直らないでよ」
また呆れられた
それでも髪をほどかないあたり、一度やると決めた以上は今日一日付き合ってくれるらしい
俺は今度こそ卵焼きを口へ入れた
「本当に似合ってますよ」
「もう何回も聞いたわよ」
「見慣れたら落ち着くと思ったんですけど」
「うん」
「駄目でした」
美冬さんがお椀で口元を隠した
「朝からそんな真顔で言わないで」
「何でです?」
「知らない!」
目だけ横へ逸らされた
そこへさらに何か言うと怒られそうなので、俺はご飯へ集中することにした
◇
午後は新居で使う家具を二人で探した
ダイニングテーブル
カーテン
収納棚
そして俺の趣味部屋へ置く本棚
ソファに並んでタブレットを見ていると、美冬さんが画面を指で送る
「これなら結構入るんじゃない?」
「高さ足りないですね」
「じゃあこっち」
「奥行きが」
「慎太郎」
「はい」
「本棚だけ妙に厳しくない?」
「大事なんですよ」
「ベッド選んでた時より真剣じゃない?」
「比較しないでください」
「本棚の方が大事?」
「罠ですよね、それ」
美冬さんが笑う
危ない
素直に答えたら何を選んでも負ける質問だった
次の本棚を表示したところで、美冬さんの髪が肩から滑り、俺の腕へ触れた
そっちを見る
美冬さんはタブレットを操作したまま
また髪が揺れる
「慎太郎」
「はい」
「家具見てる?」
「見てます」
「今どれ?」
「……本棚」
「画面見てないよね?」
バレていた
俺はタブレットへ視線を戻した
「今日だけだから、ちゃんと見ておこうと思って」
「それ、家具探し終わってからにして」
「はい」
言われた通りにする
五分くらいは
◇
夕方、美冬さんが風呂へ入る前に髪をほどいた
一日見ていたせいもあって、元へ戻った姿が逆に少し物足りない
当然そんなことは口に出さない
夕飯を作り、風呂を済ませ、寝る支度をしていると、洗面所からドライヤーの音が止まった
「慎太郎」
「はい?」
振り返った俺は、また動けなくなった
部屋着姿の美冬さん
その髪が、もう一度左右に結ばれている
「ほどいたんじゃなかったんですか」
「お風呂入るのにほどいたの」
「じゃあ、何で」
美冬さんが少しだけ髪を揺らした
「今日だけって言ったでしょ」
まだ日付は変わっていない
それだけ言うと、俺の横を通って寝室へ向かう
「……美冬さん」
「なに?」
「ありがとうございます」
「大げさね」
笑われた
でも俺には結構大きい
◇
寝室へ入ると、美冬さんはツインテールのままベッドの端へ腰掛けていた
昼間から何度も見た姿なのに、部屋着でベッドに座っているとまた違う
俺は少し離れたところに立ったまま、思わず見てしまう
「慎太郎」
「はい」
「今日ずっとそれだね」
「何がです?」
「ずっと見てる」
「……すみません」
「別に怒ってないけどさ」
そこで言葉が切れた
美冬さんが片方の髪を指に絡め、すぐ離す
俺は自然とそちらへ近づいた
今度は途中で止まる
「触っていいですか」
「昼間も聞いたよね」
「一応」
「いいよ」
許可をもらって、片方の束を手に取る
柔らかい髪が指の間から落ちていく
顔を上げると、美冬さんと目が合った
「今日、ずっと可愛いです」
「……それ何回目?」
「本当なので」
「何回も言わなくていいの」
そう言いながらも、美冬さんは髪を取り返さなかった
俺が腰へ腕を回しても離れない
代わりに、少し近づいてきた
「慎太郎」
「はい」
「嫌な時はちゃんと言うから」
俺が何か言う前に先に言われた
「分かりました」
「だから毎回そんな真面目な顔で確認しなくていいよ」
「癖になってるのかもしれません」
「それなら仕方ないけど」
美冬さんの手が俺の胸元へ触れる
そこで、視線が少し上へ動いた
「メガネ」
「あ」
忘れていた
寝室では外す
これも今やルールだ
メガネをサイドテーブルへ置いて振り返ると、視界の中で美冬さんの輪郭が少しぼやけた
それでもツインテールだけは分かる
「こっちは?」
髪を指す
「今日はこのまま」
その一言で十分だった
◇
片方の髪ゴムがシーツへ落ちたのは、それからしばらく経ってからだった
俺は手探りでゴムを拾い、美冬さんの髪をもう一度まとめる
「……慎太郎」
「はい」
「そこまで?」
呆れたような声が近くから聞こえた
「そこまでです」
そこだけは迷わず答えた
美冬さんが何か言おうとして、結局小さく笑った
◇
翌朝
目を覚ますと、美冬さんが隣で布団に沈んでいた
ツインテールはもうなく、亜麻色の髪が枕へ広がっている
俺が身体を起こす気配で目が覚めたのか、美冬さんが薄くまぶたを上げた
「……慎太郎」
「おはようございます」
「昨日の慎太郎、ほんと何だったの」
まだ眠そうなのに、そこだけ声がはっきりしている
「何ですか藪から棒に?」
「あんな激しくする?うしろからシて終わったと思ったら休憩なしに二回戦始めて……」
反論できない
はっきり覚えている
「自分でも、あそこまでとは思ってませんでした」
「へんたい」
美冬さんが枕へ顔を半分埋めた
「ツインテールふぇち」
「今は旬なので」
「あんなに激しく打ち付けたら腰砕けちゃうよ」
そこまで言われると少し恥ずかしくなる
俺はメガネを探すふりをしてサイドテーブルへ手を伸ばした
「すみません」
「ほんとだよ」
「でも」
「なに」
枕の上へ広がった髪を見る
昨日一日あったものが、もうない
「またいつかツインテールを――」
「二度としない!」
一瞬で眠気が飛んだらしい
「そんな!」
「昨日だけって言ったでしょ!」
「言ってましたけど」
「もう終わり!」
「せめて、たまに」
「しない」
「年に一回くらい」
「しない!」
完全に拒否された
美冬さんは布団を頭まで引き上げる
その横のサイドテーブルには、昨日使った二つの髪ゴムが並んでいた
一日だけ
約束通り、本当に一日だけだった
ただ、その一日で俺がやりすぎたことも否定できない
「慎太郎」
布団の中から声がする
「はい?」
「今またお願いする言い方考えてない?」
「……考えてません」
少し間が空いた
「嘘」
鋭い
俺は二つの髪ゴムから目を逸らした
次にあれが使われる日は、当分来なさそうだった
カクヨムで先行連載しております




