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第8話 しんたろぅ


 昨日はメガネを着けたまま致したら、美冬さんが大変乱れておりました


 そして夜のメガネは禁止になった


 解せぬ


 翌朝、顔を洗って寝室へ戻り、いつものようにメガネを掛けると、ベッドの上から美冬さんがじっとこっちを見ていた


「もう掛けるの?」


「仕事ありますからね」


「まだ家なのに」


「見えないまま朝ご飯作れって言うんですか」


「それは困るね」


「でしょう?」


 昨日まではメガネ姿が好みだと散々言っていたくせに、今朝になったら扱いが逆転している


 美冬さんは布団を胸元まで引き上げ、俺を見たあと、ふいっと視線を逸らした


「でも夜は外してよ」


「そんなにですか」


「……乱れてるのしっかり見られてると思うと恥ずかしくて余計に……って何言わせてんのよ!」


「美冬さんが勝手に自爆しただけでは!?」


「とにかく駄目!禁止!」


 それ以上は説明してくれなかった


 耳が少し赤い


 昨夜のことなら俺にも記憶があるので、ここから先は聞かない方がいいだろう


「昼はいいんですよね?」


「うん」


「会社も?」


「会社はちゃんと掛けて」


「じゃあ禁止されるの寝室だけじゃないですか」


「ベッドの中は禁止」


「ピンポイントだなぁ」


 ぼやくと、美冬さんが枕を抱えたまま笑った


「慎太郎が悪いんだからね」


「俺のメガネなのに?」


「そのインテリメガネ掛けたままシて来たの慎太郎でしょ」


「外せって言われなかったので」


「今言ったもん」


「次からですね」


「絶対だからね!」


 妙な家内ルールが、また一つ増えた


 料理は俺


 洗濯は美冬さん


 それ以外の家事はできる方


 寝室ではメガネ禁止


 最後だけ種類がおかしい気がする


         ◇


 そんな調子で毎日を過ごしているうちに、最初の夜から一か月が経とうとしていた


 まだ青戸の新居へ移る準備をしている途中で、今も暮らしているのは美冬さんの1LDKだ


 それでも、洗面所には二本の歯ブラシが並び、玄関には俺の仕事靴が増え、冷蔵庫には俺が買った食材と美冬さんの酒のつまみが同居している


 最初はボストンバッグ一つだった荷物も、もう一晩だけ泊まりに来ている人間の量ではない


 その日の夕食後、俺はスマホへ買い足す物を打ち込んでいた


 牛乳、卵、食パン


 キッチンペーパーもそろそろない


「美冬さん、何かいります?」


 ソファでビールを飲んでいた美冬さんが冷蔵庫の方を見る


「豆腐〜」


「また冷奴ですか」


「便利だよ」


「枝豆は?」


「ある」


「酒は?」


「あるよ」


 そこだけは在庫把握が早い


 俺は買い物メモを閉じようとして、寝室に置いてある箱を思い出した


「あと、あれも買っておきますね」


「あれ?」


「残り少なかったので」


「ああ……」


 すぐ通じた


 わざわざ名前を出さなくても分かる程度には、買い足すこと自体が日常になっている


 俺がメモへ追加しようとすると、美冬さんの声が続いた


「ねえ、慎太郎」


「はい?」


「それなんだけどさ」


 スマホから顔を上げる


 美冬さんは缶を持ったまま、少し言葉を探していた


「このままずっと、なくなるたびに買う感じでいいのかなって、ちょっと前から考えてたんだよね」


「避妊のことですか?」


「うん」


 茶化すような口調ではなかった


 俺もスマホをテーブルへ置く


「最初はあんなことになった直後だったし、とにかくちゃんとしなきゃって、それだけだったけど」


「あの朝は俺もそれどころじゃなかったです」


「慎太郎、真っ白だったもんね」


「三回って聞かされた直後でしたからね」


「一回目は入れた瞬間出しちゃってたけど」


「やめましょう」


 美冬さんが少し笑う


 今ならこうして話せるけど、あの朝の俺に避妊について冷静に相談しろと言っても無理だっただろう


「でも、あれからもう一か月近いじゃない?」


「そうですね」


「今のやり方が嫌ってわけじゃないよ。ただ、これからも続くなら、一回ちゃんと考えてもいいかなって」


 美冬さんが手にしていた缶を置く


 少し迷うような間があってから、もう一言続いた


「たまに、ちょっと痛い時もあるし」


「……痛かったんですか」


「毎回じゃないって」


 俺の顔を見て、すぐに付け足される


「我慢してたとか、そういうのでもないからね」


 言われてみれば、途中で少し動きを止めたり、位置を直したりすることは何度かあった


 俺はそういうものだと思っていた


「でも、言ってくれれば」


「だから今言ってるの」


 ぴしゃりと返され、口を閉じる


 確かにその通りだった


 今さら何で言わなかったと責める話じゃない


「……すみません」


「謝らなくていいよ。私も最初は気にするほどじゃないと思ってたから」


 美冬さんが缶についた水滴を指で拭う


「でも回数増えたら、やっぱりちょっと考えるようになって」


 回数


 そこには触れないでおこう


「それで少し調べてたんだけど、結局ネットだけじゃよく分からなくて」


「自分に合うかもありますもんね」


「そう。だから一回、病院で相談してみようかなって」


「その方がいいと思います」


 俺が答えると、美冬さんがこちらを見る


「慎太郎はそれでいい?」


「俺ですか?」


「一応、二人のことだし」


 少し考える


 避妊は二人に関係する


 でも、美冬さんの身体に関わる方法を俺の都合だけで決めるのも違う


「方法は美冬さんの身体に関わることだから、俺の希望だけで決める話じゃないと思います」


「うん」


「病院でちゃんと聞いてきてもらって、それから二人でどうするか話せばいいんじゃないですか」


 美冬さんは少し黙ってから頷いた


「じゃあ、そうしよっか」


「はい」


「合わなかったら無理に続けないからね」


「それは絶対そうしてください」


 今度は迷わず言い切った


 美冬さんがふっと笑う


「そういうところ真面目だよね、慎太郎」


「ここ適当だったら嫌でしょう」


「たしかに」


 少しだけ重くなっていた空気が戻ったところで、俺はスマホを取り直した


「じゃあ、とりあえず今日は買っておきますね」


「うん」


 一拍置いて、美冬さんが付け足す


「大きい箱で」


「そこは迷わないんですね」


「だって必要でしょ?」


「……否定できない」


 買い物メモへ追加した


         ◇


 数日後


 仕事から戻ると、美冬さんは先に帰っていた


 テーブルにはペットボトルの水と、見慣れない紙が何枚か置かれている


「ただいまです」


「おかえり、慎太郎」


 ジャケットを脱ぎながら紙へ目をやると、美冬さんがその視線に気づいた


「今日、行ってきたよ」


「病院?」


「うん」


 鞄を置き、美冬さんの隣へ座る


「どうでした?」


「先生と話して、しばらく試してみることにした」


「美冬さんが大丈夫そうなら」


「まだ合うかは分かんないけどね。そこは様子見で」


「何か変だったら、ちゃんとやめますよね?」


「もちろん」


 それならいい


 俺が詳しいことまで根掘り葉掘り聞く必要もない


 美冬さんは紙を重ね、テーブルの端へ寄せた


「すぐ全部変えるんじゃなくて、しばらくは今まで通りでいいって」


「分かりました」


「ちゃんと落ち着いてから、その先はまた相談しよ」


「はい」


 短く返すと、美冬さんの肩から少し力が抜けた


「……慎太郎」


「何です?」


「こういう話、ちゃんとできてよかった」


 俺も少しだけ笑う


「俺もです」


「最初の頃だったら無理だったでしょ?」


「たぶん顔真っ赤にしてましたね」


「たぶんじゃないと思う」


「そこ断言します?」


「25年免疫無かったもんね?」


「今は抗体ができてますよ」


 美冬さんが笑った


 これ以上この話を広げる必要はない


 美冬さんが自分の身体のことを医師と相談して決め、避妊について何か変える時には、また二人で話そう


         ◇


 その夜


 寝る前にメガネを外し、サイドテーブルへ置く


 隣で布団を整えていた美冬さんが、それを見て小さく頷いた


「よし」


「何の確認ですか」


「ルール守ってるなって」


「これ、いつまで続くんです?」


「ずっと?」


「永久なんですか」


「慎太郎がメガネ似合わなくなるまで」


「それ褒められてるのか罰なのか分からないですね」


 美冬さんが笑いながらベッドへ入る


 俺も隣へ潜り込むと、いつものように腕へ身体が寄ってきた


 メガネがなくても、この距離なら顔は見える


 そして少々……二人で重なった後


「慎太郎」


「はい」


「今日ありがと」


「俺、何もしてませんけど」


「ちゃんと聞いてくれたから」


「それくらい聞きますよ」


「うん」


 それ以上、美冬さんは何も言わなかった


 俺も言葉を足さず、肩からずれていた布団を掛け直す


 少しして、胸元に預けられた重みがゆっくり沈んでいった


 呼吸も長くなっている


 もう寝たかなと思い、俺も目を閉じる


「……しんたろぅ」


 ぼそっと、胸元から声が落ちてきた


 普段の「慎太郎」より、少しだけ甘く崩れた呼び方


 目を開けると、美冬さんは俺の胸に頭を乗せて静かに寝息をたてていた


 どうやら寝ぼけていたらしい


 なんだその呼び方


 ……可愛いな


 起こすのも惜しくて、何も言わない


 美冬さんの肩まで布団を掛け直して、俺ももう一度目を閉じた


 少しだけ心臓がうるさかった

カクヨムにて先行連載しております

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