第4話 私、ベッドでも尽くす方だと思うの
翌朝
目を覚ますと、隣では相変わらず美冬さんが裸のまま眠っていた
初日はあれだけ慌てた光景なのに、三日目ともなると最初に見る場所が変わってくる
俺が見ていたのは美冬さんではなく、ベッド脇の小さなテーブルだった
昨日まで中身が入っていた箱が、今は空になっている
美冬さんが緊急避妊薬を買いに行った時、一緒に買ってきてくれたものだ
仮同棲三日目にして、一箱使い切ってしまった
「…………」
さすがにペースがおかしくないか?
初夜には酒が入っていた
でも、その後は違う
少なくとも昨夜の俺は、美冬さんに押し切られたなんて言えない
途中から自分で――
「何見てるの?」
隣から声がして、思考を強制終了した
美冬さんが布団へ頬をつけたまま、薄く目を開けている
「おはようございます」
「おはよ」
「起こしました?」
「ううん」
美冬さんが俺の視線を追い、空箱を見る
「あ」
「なくなりました」
「なくなったね」
「三日目ですよ?」
「買い足さないとね」
「反省より先に補充なんですか?」
「必要でしょ?」
必要か必要じゃないかで聞かれれば、たぶん必要になる
それを認めるのが悔しくて黙っていると、美冬さんが俺の腕へ身体を寄せてきた
「慎太郎は、いらない?」
「そういう聞き方ずるくないですか?」
「いる?」
「……買っておきましょう」
美冬さんが満足そうに笑う
俺は枕元の時計へ目を向けた
八時を少し過ぎている
「今日、十一時ですよ」
「何が?」
「内見です」
「覚えてるよ」
「なら起きましょう」
「まだ時間あるじゃない」
「青砥まで行くんですよ」
美冬さんは少し考えるように目を閉じ、それから俺の腕を抱え込んだ
「あと五分」
「駄目です」
「三分」
「会社ではそんな交渉しないでしょう」
「家だから」
返しが速い
しかも腕を抜こうとすると、少しだけ力を強めてくる
結局、三分では済まなかった
◇
青砥駅へ着いたのは、約束の十五分前だった
駅から歩いて五分
今日見るのは、昨日二人で物件サイトを眺めながら見つけた青戸の2LDKだ
築年数は十年ほど
三階
洋室が二つとも八畳で、LDKが約十畳
家賃は十五万円前後
昨日までなら、数字を見ただけで「本当に住むのか?」と頭の中が騒いでいたと思う
今も早いとは思っている
仮同棲を始めて、まだ三日目だ
それなのに俺は、美冬さんと並んで二人暮らし用の物件を見に来ている
「慎太郎」
「はい」
「また考え込んでる」
「ちょっとだけ」
「帰る?」
「帰りませんよ」
口にしてから、自分でも少し驚いた
昨日、自分から見に行こうと言った
朝になっても考えは変わっていない
美冬さんが俺を見て、ふっと笑う
「じゃあ行こっか」
「はい」
待ち合わせた不動産会社の担当者と合流し、マンションへ向かう
三階まで上がり、鍵が開けられた
「こちらになります」
玄関から中へ入る
写真で見るのと、実際に立つのではやっぱり違う
今の俺の1LDKより余裕があり、美冬さんの部屋へボストンバッグ一つ持ち込んだ時の窮屈さもない
廊下の先へ進むと、美冬さんが真っ先にLDKへ入った
「ここ、テーブル置いても大丈夫そう」
「二人なら十分じゃないですか」
「ソファも置きたい」
「美冬さんの家にあるやつ持ってきます?」
「慎太郎のは?」
「本棚に場所取られて小さいですよ」
「じゃあ私のかな」
普通に家具の話をしている
昨日まで別々の家で使っていたものを、どちらから持ってくるか
そんな相談が自然に出てくること自体がおかしい
いや、順番がおかしいのは最初からか
今さらそこだけ気にしても仕方ない
「こっちが洋室ですね」
担当者に案内され、隣の部屋へ入る
八畳
もう一つも同じ広さだ
二部屋を順番に見たところで、俺の中では使い方がほぼ決まった
「これなら一人一部屋いけますね」
「え?」
美冬さんがこっちを見る
「八畳ずつあるじゃないですか」
「うん」
「だから美冬さんがこっちで、俺が向こう」
一人一部屋なら分かりやすい
俺の方には本棚とデスクを置けばいいし、美冬さんも自分の荷物を気兼ねなく置ける
2LDKを選んだ意味もある
かなり合理的だと思ったのだが、美冬さんの返事が来ない
「美冬さん?」
「寝るのも?」
「はい?」
「一人一部屋なら、寝るのも別々?」
「まあ、そうなりますね」
美冬さんがじっと俺を見る
何か間違えただろうか
俺としては部屋数を見て普通に出した案なんだけど
「別々に寝たらできないけど」
「何がです?」
聞いた直後に分かった
美冬さんが半歩、俺へ近づく
「私としたくないの?」
「何で部屋割りからそこへ行くんですか!?」
LDKには担当者がいる
思わず声を抑えると、美冬さんがさらに顔を寄せてきた
「だって寝室別なんでしょ?」
「寝る場所の話ですよ」
「だから」
「毎晩する前提で考えないでください!」
「しないの?」
言葉に詰まった
美冬さんが俺の顔を覗き込んでいる
ここで「しません」と即答できれば話は簡単だ
でも今朝、空になった箱を二人で見たばかりである
説得力がまるでない
「……しないとは言ってません」
「じゃあ一緒でいいよね?」
「いや、それと部屋割りは」
「同じ部屋、同じベッド……ね?」
声を落として、美冬さんが俺の腕へそっと指を掛ける
「私、ベッドでも尽くす方だと思うの」
喉が鳴った
自分でも分かるくらい綺麗に鳴った
「ごくり……じゃ、じゃあそれで」
「はい、決まり」
美冬さんがぱっと離れる
今の絶対わざとだ
分かっている
分かっているのに負けた
「美冬さん」
「なに?」
「最初からそのつもりでした?」
「何のこと?」
笑っている
絶対分かっている顔だ
ここで追及しても勝てそうにない
諦めて、もう一つの洋室を見る
「じゃあ、こっちはどうするんです?」
「慎太郎の部屋」
「結局俺の部屋あるんですか?」
「寝る部屋じゃなくて、趣味部屋」
美冬さんが壁を指さす
「漫画とラノベ、ここに置けば?」
一瞬、頭の中で昨日の自宅が重なった
壁を埋めていた本棚
収納ケースに入れた本
机
まだ増えるであろう新刊
八畳あればかなり置ける
「……全部入るかな」
「そこ?」
「大事ですよ」
部屋の端から端まで目で測る
本棚を壁際へ並べて、デスクをこっちに置く
今の部屋で本に押されていた生活より、かなり余裕が出そうだ
「いいかもしれない」
「気に入った?」
「かなり」
「私との寝室より?」
「それは比較するものじゃないでしょう」
「即答しないんだ」
「そうやって罠作るのやめてもらえません?」
美冬さんが笑う
「趣味部屋にしていいですよ、本当に?」
「いいよ」
「俺だけ一部屋使うみたいになりますけど」
「荷物置き場にもするし、私も入るし」
「入るんですか?」
「慎太郎、入ってほしくないの?」
「そうじゃないですけど」
「じゃあ問題なし」
また一つ決まった
寝室は二人一緒
もう一室は俺の本を中心に置く趣味部屋兼荷物置き場
昨日、俺の1LDKで「二人じゃ狭い」と話していた時より、ずっと具体的になってきた
◇
部屋そのものに大きな問題はなかった
残るのは金の話だ
担当者から改めて家賃を聞き、俺はスマホの電卓を開いた
十五万円前後に管理費が別
一人暮らしの家賃と比べれば当然上がるが、二人なら払えない額ではない
「半分ずつなら――」
「六対四ね」
横から美冬さんが言った
「何がです?」
「家賃」
「五対五でしょう」
「私が六、慎太郎が四」
さらっと言われる
「何でですか」
「私の方がお給料高いから」
「だからって三万違いますよ」
「それくらいでいいの」
「俺も普通に働いてますよ」
「知ってるよ」
「なら半分で」
「慎太郎」
美冬さんが俺のスマホを軽く押し下げる
「私の方が収入あるのに、同じ額にする必要ある?」
「同じ部屋を使うんですから」
「同じじゃないよ」
「え?」
「慎太郎、趣味部屋ほぼ一部屋使うでしょ?」
「それ言われると俺の方が多く払う流れじゃないですか?」
「あ、ほんとだ」
「今気づいたんですか!」
美冬さんが吹き出した
まったく説得材料になっていない
「でも六対四」
「戻りましたね」
「私がそうしたいの」
今度は笑わずに言われた
「慎太郎に無理させたいわけじゃないし、私の方が給料も高いから」
「無理ではないですよ」
「知ってる」
また同じ返事だった
俺が払えないと思っているわけではないらしい
その上で六を出すと言っている
「じゃあ、その代わり」
「うん」
「他の生活費まで全部多く出すとかはなしですよ」
「そこは暮らしながら決めようよ」
「曖昧ですね」
「慎太郎も頑固だから」
「美冬さんに言われたくないです」
数秒見合って、どちらからともなく笑った
「分かりました、六対四で」
「うん」
「俺が四」
「私が六」
「あとから全部払うとかなしですからね」
「しないって」
ようやく家賃の話もまとまった
◇
もう一度、二人だけで部屋を見て回る
LDK
共用の寝室
趣味部屋
昨日までは物件サイトの写真でしかなかった場所に、自分たちの荷物を置いた姿が少しずつ浮かんでくる
美冬さんが寝室になる方の洋室へ入った
「ベッドどうする?」
「今あるやつだと」
「同じベッドで寝るんだから、一つでいいよね」
さっきの攻防は何だったんだ
完全に決定事項として扱われている
「美冬さんのを持ってきます?」
「新しくしてもいいかも」
「サイズは?」
美冬さんが俺を見る
口元が動く
「ダブル――」
「普通の意味ですよね?」
「まだ何も言ってないけど」
「今朝から警戒する理由が増えたので」
「慎太郎も学習したね」
褒められている気がしない
そのままLDKへ戻ると、担当者が書類を確認していた
美冬さんが俺の横へ並ぶ
「慎太郎」
「はい」
「どう?」
聞かれて、もう一度だけ室内を見る
家賃
通勤
広さ
本の置き場所
二人の寝室
さっきまで一つずつ話していたことが、そのままこの部屋に収まっている
仮同棲を始めた時は、俺の着替えなんてボストンバッグ一つだった
あれならいつでも持って帰れた
今度は違う
ここを選べば、本棚も服も仕事道具も持ってくることになる
少し前までなら、その重さに尻込みしていたと思う
でも今は、この部屋から美冬さんだけ消した状態を想像する方が妙だった
「俺は、ここがいいです」
口にすると、美冬さんが一度だけ瞬いた
「ほんとに?」
「はい」
「押し切られてない?」
そこを本人が聞くのか
「寝室はかなり押し切られましたけど」
「そこだけ?」
「家を見に来ようって言ったのは俺です」
昨日、自分から言った
今日ここまで来たのも、自分で帰らないと決めた
なら最後だけ美冬さんに任せるのも違う
「ここにしましょう」
美冬さんの表情がふっと緩んだ
「うん」
俺たちは担当者のところへ戻った
「この部屋で申し込みたいです」
必要な説明を聞き、渡された書類へ順番に記入していく
まだ鍵を受け取ったわけでも、荷物を運び込んだわけでもない
それでも部屋は決まった
家賃は六対四
寝室は二人で一つ
もう一室は趣味部屋兼荷物置き場
俺が最後の欄を書き終える横で、美冬さんが小声で言った
「慎太郎」
「何ですか?」
「新しいベッド、大きいのにしよっか」
ペン先が止まった
「……ゴムも買い足すんですよね?」
「うん」
「そっちの消費量を基準にベッド選ぶのやめません?」
美冬さんが声を抑えて笑う
俺は書類へ視線を戻した
仮同棲三日目
一箱なくなって、代わりに二人で住む部屋が決まった
順番について考えるのは、もう少し先でいい気がしてきた
カクヨムで先行連載しております




