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第2話 責任取って、同棲しましょ


 右腕がしびれている


 寝返りを打とうとして、そこで初めて気づいた


 腕の上に誰かの頭がある


 枕へ顔を向ければ、亜麻色の髪がすぐ目の前まで広がっていた


「…………」


 知らない天井


 薄いカーテンから差し込む朝の光


 床へ落ちた俺のシャツとズボン


 少し離れた場所にはネクタイまで転がっている


 ここ、どこだ?


 寝起きの頭で考えた直後、昨日の記憶が一気に戻ってきた


 営業部の飲み会


 森川の一言


 帰り道で一緒になった部長


 土下座


『俺を男にしてください!』


『水口部長がいいです!』


 タクシー


 マンション


 そして――


『じゃあ、おいで』


 美冬さんに手を引かれて、俺はこの家の玄関を上がった


 その先も、覚えている


 完全に鮮明とは言えないが、夢だったと言い張れるほど都合よく消えてはいない


 むしろ思い返そうとするほど、布団へ頭から潜り込みたくなる場面が増えていく


「……起きた?」


 胸元から声がした


 美冬さんがゆっくり顔を上げる


 会社で見る営業部長とはずいぶん違った


 髪は乱れ、頬にはうっすら枕の跡までついている


 そんな顔を至近距離で見ている状況の方が、俺には大問題だった


「お、おはようございます」


「おはよ」


「…………」


「…………」


 会話が終わった


 いや、何を話せっていうんだ


 昨日はありがとうございました?


 何への礼なのか考えた瞬間に死にたくなる


 お世話になりました?


 それだと宿泊先を出る朝みたいだ


 美冬さんはそんな俺を数秒眺めたあと、口元を緩めた


「慎太郎、顔真っ赤」


「誰のせいですか」


「私だけ?」


「そこ掘り返します?」


 布団の中で美冬さんが体勢を変える


 それにつられて掛け布団がずれ、俺は反射的に胸元まで引き上げた


 服を着ていない


 昨日の状況を考えれば当たり前なのだが、朝の頭で改めて突きつけられると破壊力が違う


「服!」


「床にあるよ」


「見えてます!」


「あ、慎太郎のパンツは――」


「探さなくていいです!」


 美冬さんが笑う


 この人、家だとこんなに笑うんだな


 会社では必要な時に笑うことはあっても、部下を面白がって何度も噴き出す姿なんて見たことがない


 その原因が俺なのは複雑だけど


「美冬さん」


「ん?」


「昨日のことなんですけど」


 美冬さんの目が少し細くなる


「覚えてない?」


「覚えてます」


「全部?」


「……途中から自信ないです」


 正直に答えると、美冬さんは枕へ頬をつけたまま俺を見上げた


「じゃあ問題」


「何で朝からクイズ形式なんですか」


「昨日、何回したでしょう」


 頭が止まった


「……え?」


「何回?」


 一回じゃない


 それくらいは覚えている


 ただ二回だったような、もう一回何かあったような


 記憶を探るたびに、今は思い出さなくていいものまで一緒に戻ってくる


「……二回?」


「残念」


 美冬さんが指を三本立てた


「三回」


「…………三回?」


「うん、三回」


 なぜ二度言う


 しかも指までつける必要ある?


「俺が?」


「他に誰がいるのよ」


「いや、そうですけど……三回?」


「慎太郎、そこ何回確認するの」


 確認したくもなる


 昨日の夕方まで女性経験ゼロだった男が、一晩明けたら三回である


 加減というものを知らなかったのか、昨夜の俺


「初めてですよ?」


「知ってる」


「昨日まで童貞だったんですよ?」


「それも知ってる」


「何で三回もしたんですか、俺」


「私に聞く?」


 正論だった


 俺は布団を顔まで引き上げた


 森川に「今まで何してたんです?」と言われた翌朝、自分で自分に同じ質問をすることになるとは思わなかった


「慎太郎」


「少し放っておいてください」


「恥ずかしい?」


「当たり前でしょう」


「私は楽しかったけど」


 布団を勢いよく下げる


「そういう情報を追加しないでください!」


「起きた」


「起きてますよ!」


 美冬さんがまた笑った


 完全に遊ばれている


 ただ、その笑い声は途中で止まった


「慎太郎、一個ちゃんと話すね」


 声が変わった


 俺も口を閉じる


 美冬さんは身体へ布団を巻きつけながら起き上がった


「昨日、最初の一回」


「はい」


「ちゃんと避妊できてなかった」


 さっきまで残っていた眠気が消えた


「……え?」


「途中で気づいたんだけど、間に合わなくて」


 何を言われているのか理解するまで数秒かかった


 理解した途端、昨夜の記憶が一部分だけ妙にはっきりする


「俺……中で?」


「うん」


 声が出なかった


 三回だの何だので騒いでいた数分前とは、話の重さが違う


「すみません!」


 身体を起こして頭を下げると、すぐ額を押さえられた


「待って、何で慎太郎だけが謝るの」


「いや、だって俺が」


「私も気づくの遅かったし、二人でしたことでしょう」


「でも――」


「まず服着よっか」


 真面目な顔で言われて、俺は自分が裸のまま謝罪していることに気づいた


 最悪だ


 締まらないにもほどがある


「……はい」


 床へ手を伸ばし、どうにか下着とズボンを回収する


 美冬さんもベッドを降り、落ちていた部屋着らしいシャツを拾った


 俺はなるべくそちらを見ないように服を着る


 その間も頭から離れない


 もし妊娠したら


 昨日会うまで、俺たちはただの上司と部下だった


 そこから一晩でこれはさすがに――


「慎太郎」


 考え込んでいるところへ声を掛けられた


「はい」


「まだ何も決まってないよ」


 美冬さんはシャツの裾を整えながら、俺の前へ座る


「今できることはちゃんとするから、勝手に一人で全部背負わない」


「……分かりました」


「ほんとに?」


「努力します」


「ならよし」


 そこで美冬さんが、何かを思いついたように俺を見る


 さっきまでの真面目な顔から、口元だけが少し緩んだ


「でも慎太郎」


「はい」


「責任は取ってもらおうかな」


「もちろんです」


 即答した


 何が起きるか分からない以上、そこから逃げるつもりはない


「じゃあ同棲しましょ」


「はい……え?」


 返事をしたあとで意味が追いついた


「今、何て?」


「同棲」


「何で!?」


「責任」


「そこ繋がります!?」


「繋がるよ」


「どういう経路で!?」


 美冬さんは妙に楽しそうだ


 俺だけが置いていかれている


「もし何かあったら責任取りますよ、そこは本気です」


「うん」


「でも何で今日から一緒に住む話になるんですか」


「今日からとは言ってないよ」


 少し安心する


「お盆休みの間」


 ほぼ今日からだった


「変わらないじゃないですか!」


「いきなり全部引っ越せとは言わないよ」


「そういう問題です?」


「着替えとか、最低限だけ持ってくればいいから」


 もう持ってくる荷物の話まで進んでいる


 仕事中も判断が速い人だとは思っていたが、私生活でもこの速度なのか


「ちょっと待ってください、美冬さん」


「待ってるよ」


「全然待ってないですよね?」


「慎太郎が遅いんじゃない?」


「昨日まで普通の部下だったんですよ、俺!」


「昨日の夜から普通ではなくなったね」


 言葉に詰まる


 そこを使われると弱い


 何しろ普通の部下は上司へ土下座して、男にしてくださいとは頼まない


「でも、同棲ですよ?」


「仮同棲」


「言葉を軽くしても中身はほぼ一緒です」


「一緒に暮らしてみるだけじゃない」


「だけ、で済ませる規模じゃないでしょう」


 美冬さんがベッドの上で足を組む


 俺の反応を見ながら、少し考えるように首を傾けた


「慎太郎、私の家にいるの嫌?」


「嫌とは言ってません」


「じゃあいいじゃない」


「良くないです、話が飛んでます!」


「じゃあ私と何日か一緒にいるのは?」


「それは……」


 嫌ではない


 昨日の夜は酒の勢いもあった


 それでも朝になって素面に近づいた今、美冬さんと一緒にいること自体が嫌だとは思っていない


 そこを言葉にするのが恥ずかしいだけだ


「ほら」


「まだ何も言ってませんよ」


「顔に出てる」


「そんなに分かりやすいですか、俺」


「仕事中はそうでもないんだけどね」


 美冬さんが楽しそうに笑う


「じゃあ決まり」


「待って!」


「まだ何かある?」


「決め方が強引すぎます!」


 ここまで押されっぱなしなのは営業部でも見たことがない


 いや、客相手にこれをやったら問題になるから当然か


 美冬さんは少し考えたあと、わざとらしく目元へ手を当てた


「じゃあ会社で泣こうかな」


「何でそうなるんです?」


「佐々木くんに責任取ってもらえませんでしたって」


「やめてください!」


 二秒で想像できた


 営業部のど真ん中で水口部長が泣き、俺の名前を出す


 それだけで十二人全員の仕事が止まる


 折笠は絶対に飛んでくるし、長澤は本気で心配する


 森川に至っては何を言い出すか分からない


「昨日の夜、佐々木くんが――」


「それ以上は会社で絶対言わないでください!」


「じゃあ?」


 美冬さんの口元が笑っている


 冗談だ


 分かっているけど、その冗談に俺の社会人人生が人質に取られている


「……責任取りたいなー!」


 天井へ向かって声を出す


 美冬さんの肩が震え始めた


「同棲最高!」


「何その言い方!」


「誰のせいですか!」


 とうとう美冬さんが声を上げて笑った


「もっと嬉しそうに言ってよ」


「これ以上の喜びを要求しないでください!」


「じゃあ決定ね」


「押し切られた……」


「お盆休み中だけだから」


 笑いながら言われると、それ以上反論する気力がなくなってくる


 それに数日なら、何かあっても自宅へ戻れる


 そう考えると、さっきより現実的に思えてしまうのが悔しい


「ほんとに仮ですよ」


「うん」


「着替えとか最低限だけ」


「うん」


「いきなり引っ越しとかしませんからね」


「分かったって」


 返事が妙に素直だ


 まあいい


 少なくとも今日は着替えがない


 俺はシャワーを借り、昨日と同じ服へ袖を通した


         ◇


「じゃあ、一回家に戻ってきます」


 玄関で靴を履きながら振り返ると、美冬さんは壁へ寄りかかって俺を見ていた


「着替えだけでいいよ」


「数日分持ってきます」


「充電器も忘れないでね」


「分かってますよ」


 完全に泊まる前提で話が進んでいる


 自分で了承したはずなのに、まだ頭が追いつかない


「慎太郎」


「はい」


「いってらっしゃい」


 靴紐を結んでいた手が止まった


 一人暮らしを始めてから、自宅を出る時にそんなことを言われる機会はほとんどなかった


 ましてここは俺の家ですらない


 それなのに、妙に返事をしないといけない気がした


「……行ってきます」


 美冬さんが笑う


「うん、早く帰ってきてね」


 早く帰ってきて


 その言葉を聞きながら玄関を出た


         ◇


 自宅では言われた通り、数日分の着替えと洗面道具、充電器だけをバッグへ詰めた


 部屋でのんびりしている余裕はない


 美冬さんを待たせているという事実が落ち着かず、一時間もしないうちに家を出る


 マンションへ戻ってインターホンを押すと、すぐに鍵が開いた


「おかえり、慎太郎」


「……ただいまです」


 自然に返してから、自分で少し驚いた


 今朝まで一度も使ったことのないやり取りなのに、二回目でもう口から出てくる


「荷物そこ置いていいよ」


「はい」


 玄関脇にバッグを置き、リビングへ入る


 その途中で、テーブルの上に置かれた小さな薬局の袋が目に入った


 俺が出る前にはなかったはずだ


「美冬さん、それ」


「ああ、これ?」


 美冬さんが袋を手に取る


「慎太郎が着替え取りに行ってる間に、私も出てきたの」


「薬局ですか?」


「うん」


 袋の中を軽く示される


「緊急避妊薬」


 朝の話が一気に戻ってきた


「もう?」


「できることは早い方がいいでしょ」


「俺も一緒に行けばよかったのに」


「着替え無いじゃない」


「それは……そうですけど」


 美冬さんは袋をテーブルの端へ置いた


「朝も言ったけど、慎太郎一人の責任じゃないからね」


「はい」


「そこだけは勘違いしないで」


 今度は素直に頷いた


 冗談みたいな勢いで同棲を押し切ったくせに、こういうところだけ急に真面目になる


 だから余計に調子が狂う


「じゃあ」


 美冬さんが俺のバッグを見る


「これで仮同棲開始ね」


「本当に始まるんですね」


「慎太郎が荷物持って帰ってきたんでしょう?」


「帰ってきましたけど」


「なら始まるよ」


 簡単に言ってくれる


 昨日の夕方まで、俺の日常にこの人の家なんて存在していなかった


 それが一晩で、数日分の着替えまで置く場所になっている


「慎太郎」


「はい?」


「明日さ」


 美冬さんが楽しそうに俺を見る


「今度は慎太郎の家、行っていい?」


 動きが止まった


 俺の家


 本棚


 漫画


 ラノベ


 積んだままの新刊


 今朝とは別の意味で、頭を抱えたくなった

カクヨムで先行連載しております

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